松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

その昔、導引は医療法のひとつだった【黄帝内経(素問)・異法方宜論より】

2012-08-31 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
『黄帝内経(こうていだいけい)』という本があります。
これは2,000年以上前に書かれたといわれる
中国伝統医学の基礎とも称される古典です。
黄帝とその師・岐伯(きはく)との
問答形式で書かれています。

この本に書かれている内容を大まかに分類すると

・人の体のしくみはどうなっているのだろうか
・人はなぜ病になるのだろうか
・どうすれば病を治すことができるのだろうか
・そもそも病にならないようにするには
 どうすればよいのだろうか

というような4つのカテゴリーになるかと思います。


医学書の原典ともいえるものですが、
その内容は自然界の現象をどのようにとらえ
理解したらいいのか、
その根拠となる古代の思想哲学や
現代でいうところの自然科学の領域にまで広がり
かなり深い内容とも思うのですが、
どこかざっくりとした感じのする不思議な印象です。

おもしろいのは、病をあってはならないものとは
とらえてないように思えるところ。
いわゆる現代医学(おもに西洋医学)は
病を根絶することが延命長寿につながると
考えているように思えるのですが、
伝統的な中医学をはじめ東洋医学と呼ばれるものは、
病を体の状態の一つととらえてるというか
むしろ病の存在を認めているような印象。
病になることも自然の現象と受け入れた上で
なるべく病から距離をおくにはどうすればいいのかと
試行した経験則の集大成が養生法なのかなと。
黄帝内経にも養生法がいろいろ出てきます。




■異法方宜論(いほうほうぎろん)

これは病の治し方に分類されそうな話です。
人が暮らしている地方によって
気象も違えば生活環境も違うのだから
病の種類も異なってくるというものだろう。
それで地方ごとによくみられる病に対しての
効果的な治療法が幾つかうまれたのだよ
ということなんですね。
いわば現代に伝わる伝統中医学療法の起源に
触れてるような内容です。

そしてこの中に導引もでてきます。
導引は中国のほぼ中央にあたる地域が起源とされてます。
黄河が流れてますし気象条件も温暖で良好ですから
食糧の種類も多く生育環境も良好。
この地で暮らす人々は他の地域に暮らす人々よりは
労少なくして食を得ることができ
生活も豊かでした。
ですから、かれらは日常的に体を使う(動かす)機会が
少なかった。
そのため筋肉は無力化し、
足が冷えて頭がのぼせる傾向が多くみられた。
それを解消する方法として
導引や按摩療法が用いられたという。



■導引はシンプルな運動

導引は、日頃の暮らしの中で
体を動かす機会が減ってしまった人達、
運動不足にある人達のための運動法。
適度な運動を意識的に行うことで
すでに病にある人には病が癒えるような
心身の状態に整える医療法として
そして病をなるべく遠ざけるような
心身状態に整えて保っていく養生法として
伝わってきたわけです。

だから一般的なスポーツというのとは
またちょっと違うようにも思います。
ゲーム性もなく直感的な楽しさは少ないかも。
どちらかといえば黙々とひとりでするもので
自分と向き合うことが中心です。
他人と比べたり競い合うこともしません。
集団で一緒に行うことは
本来の目的ではないこともわかってきます。
だから専科クラスは個人錬習が主となっています。

動きの質を向上させるためには
動作の外形からのアプローチではなく、
自身の内から整えていくことによって
動作が変わっていくのを味わうのが
導引の醍醐味です。

導引自体はシンプルで単純なものです。
だれにでもできる運動です。
導引は人を選びません。



一日集中講座「五禽戯」

2012-08-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日、従来の教室が夏休みで休講という時期に
開催された一日集中講座に参加しました。

動功としては、五禽戯を練習しました。
五禽戯を練習するのは初めてです。
虎、鹿、熊、猿、鳥の五種類の動物(五禽)の
特徴的な動きを真似る(戯)のですが、
どこか安易に考えてるところがありました。
物まねってそんなに簡単なことじゃないんだなと
あとでちょこっと反省しました。


五禽戯は中国の古人が健身運動として
実際に行っていた「導引」をもとに
神医・華陀(かだ)が組み合わせたもの。
それまでは套路のように複数の動きの型を
組み合わせて行うのではなく、
単独動作で行っていたそうです。
また、華陀は医者ですから
陰陽五行の理や道家思想にも明るかった。
だから五禽戯は
伝統的な思想哲学を背景にした
中医学的根拠に基づく保健体操、運動として
広く親しまれてきたのでしょう。
現在も健身気功の位置づけで愛好者も多いようです。


今回練習した五禽戯ですが、
伝統養生導引とはいうものの
いつも練習している太極拳導引とは
体の使い方も意識の仕方も違いました。
太極拳には導引的要素も含まれてはいますが
体の使い方にしても意識の仕方にしても
はるかに繊細で複雑だなと思いました。

それでもやってみた感想は
おもしろかったということに尽きますね。
「戯」には「あそび・たわむれる・ざれる」
というような意味がありますが、
まさにそのような“おもしろしさ”でした。

動きを真似るのが難しく思える部分も
あることにはあるんです。
たとえば動物は基本四つ足ですが
ヒトは手と足という区別をして
それぞれ別の役割というか使い方をしています。
そういうちょっとした意識、認識の違い、
頭を介して動きを分析しようとすると
動けなくなってしまうみたいです。

このあたりを「戯のこころ」で飛び越えられると
俄然おもしろくなってきます。
つまりその、なりきるって感じでしょうか。
虎戯なら虎になりきって
ガオーッと獲物を捕まえるイメージで動いてみる。
そんな感じです。
これって最初はちょっと恥ずかしいです。
さすがに(その場では)そこまで
思い切れなかったんですけど、
なんか好い感じになるみたいな予感はありました。

ただ、動物になりきろうと思っても
かれらの生態をよく知らないという現実があります。
動物園で観察するのも手かもしれませんが、
かれらもすでに動物園生まれの動物園育ちが主流。
野性で生きていたというわけではないですから
そのあたり、どうなんでしょうね。
時を経るごとに少しずつ変わってきているのかも。



最後になりますが、
個人的な手応えというか練習後の体感変化などを
メモ代わりに…。

・全身が軽くなった
・関節周りは軽く動きやすくなった
・肩や首周りのハリが消えた
・胴回りの安定感
・足裏の3点(踵・毋趾球・小趾球)に
 体重が分散して乗っている感覚が強まった…

こんなところでしょうか。


これが古代の体操なのかと思うくらいに
現代人の体の使い方の弱点を
みごとに突いてきてるという印象。
どうやら生活環境にも共通点があるみたい。
このあたりのことはまた改めて…


練習メモ 周流01

2012-08-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月から課外講習で伝統楊式太極剣を始めました。
器械を手にすると
どうしても力みが強くなるのがわかります。
まあ、わかるようになっただけでも好いかも。
いつもの専科クラスでは剣ではなく
徒手拳の練習をしてます。



伝統楊式の起勢から単鞭までを繰り返す。
関節の状態が気になる。
意識は流れるものの
動きのもととなる流れが関節で滞る、
滞りやすい箇所がある。

意識が上滑りしているようだった。
動きが(意識の流れに)追いつけずに
引きずられてくみたいな感じとでもいうか。
関節本来の役割(働き)をさせていない。
つまり関節の動きが硬くなるから
張りのある滑らかな動きにはみえない。
回転から生じる慣性を利用して
しなやかに動くどころか
むしろブレーキになるようなことをしてる。
いままでに幾度となく指摘され、
指導されてきたことでもある。

流れ、リズム、頭と五体とのコラボ。

はじめての伝統楊式太極剣

2012-08-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
いまの練習場の空間は
器械錬習には不向きな環境です。
そのような錬習が行われることなど
想定していなかったからです。
そんな教室運営側の思惑とは裏腹に
我々は器械に興味をもってしまったのです。
交流会などで他団体の表演をみるにつけ
自分達もやってみたいとの思いは募るわけで。
教室側の事情と練習生の意欲との間で
板挟みのような状況下に立たされた先生。
さてどうしたものか。
結局、一般的な金属製の器械を使わずに
竹製の短剣を中国から取り寄せて
練習することになりました。
いまから何年前のことになるのでしょうか。

最初は制定套路の16式太極剣。
32式太極剣を習ったのはほんの数年前のこと。
そして今月から3ヶ月かけて
伝統楊式太極剣を錬習することになりました。


先日1回目の錬習がありました。
まだ最初の7動作くらいまでですが
拳套路とのリンクを要所要所に見出します。
弓歩の曖昧さが露呈したり
剣の刃のどこを使っているかを意識することで
拳のときの部位、方向への意識が
より明確になってきたり。
もう楽しいったらありゃしない。

そういえばこの頃、
何をやっても楽しく錬習できている気がします。
楽しさの質というか中身が
ちょっと変わってきているみたい。
自分の過不足状態を発見するよろこび?
“しまった!”とか“ダメだな~”なんて
意気消沈してた頃がなつかしく思えるみたいな。

余裕とも違うような気がするんだけど
ま、なんだな。年の功ってやつかもしれない^^








今月の課題 「鬆(松)と静」「周流」

2012-08-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今期の理論講座もいよいよ最終回を迎えました。
最終課題は「鬆・静」と「周流」。



■鬆(松)と静

「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。

 1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる

 2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
        固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。

 3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。



「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。

 1.無外…周辺は無視して練習する
        視而不見、聴而不聞。
        (みえてもみない、きこえてもきかない)

 2.無欲…欲を持たずに練習する
        事例:成敗(うまくいくか、いかないか)        
           得失(得られるか、失うか)
           美丑(うつくしいか、そうでないか)

 3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する





■「周流」はリズム(節)ある循環

「周流」は先月の「連続」と同じく
時間的な概念(イメージ)に該当する。

周流の「周」には
「循環」と「節(ふし)」の意味がある。

循環とは「はじまり」から「おわり」までの
ひとつながり。

つまり起点(はじまり)が
前段階の終点(おわり)でもあり、
終点は次段階の起点でもある。
そのようにとらえたときに
はじめて循環の概念が理解できたような気がした。



節はリズム。

例えば日本では一年を
春ー夏ー秋ー冬の4つの(季)節で循環する。
(二十四節気なども同様)
人体における代表的なリズムといえば
心拍と呼吸がある。これも節。
ついでに関節というしくみも考えてみると
この骨の端同士をつなぐ節があることで
細やかに複雑な動きがうまれる(つながっていく)。
そしてその節を動かしている筋肉がある。
その筋肉にも起始部と停止部があり
いくつもの筋が組み合わさっている。
身体の使い方、動かし方を見直すというのは
マクロ的あるいはミクロ的な視点で
双方向から観察できるようになることでも
あるのかもしれない。

外部からみてとれる流れの様子は
内なるリズムの状態が左右してるというか
コントロールしてるってことなのかな。





月イチのペースで
このように太極拳導引の要求
(初回の「鬆・静」から最終の「周流」まで)
一通り確認してきたわけだけど、
今回が終わりではないことがよくわかる。
ここまできたからこそ
改めてそれぞれの要求を振り返る。
そのどれもが起点にも終点にもなる。
導引的には鬆・静が最優先とされるけれど
それ以外の要求の到達レベルに準じて
鬆・静の状態が決まるともいえる。

成果を焦って要求を満たそうと
自らの思惑を帯びた意識をもって錬習すれば
それは「仕掛け」になる。
先生のいう「味わう」というのとは
意識の内容、使い方が
まったく違ったものになるような気がする。
結果的には遠回りをすることに
なるのではないか。

錬習は自分のためのもの。
自分の内面に向かっていくもの。
そのときに限っては自分の意志は
神みたいな立場にあるのかもしれない。
自分の中に埋もれてしまっている
道理を見出そうとしている行為が錬習なのかもなあ。





この座学は来月から最初の課題に戻って
繰り返し開かれます。
でもその度に微妙に解説が変わります。
それはたぶん師匠も我々も
同じ所にとどまっているわけではなく
一層一層積み重ねているんではないかと思っています。

記事表示形式を変更してみました

2012-08-06 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
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それはまあ無料で利用している身ですから
致し方ないことと思っています。

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どうもこの広告表示の座りがよろしくありません。
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せっかくお越しいただきながら
お手間をとらせることになりまして
申し訳ございません。

こんな些細なことが気になってしまうのも
少しばかりデザインなんぞをかじっていたからかも^^;