松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

風のような(自分)、もいいもんです

2009-07-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
陳氏太極拳の講習会、久しぶりに参加してきました。

このところ教室では伝統楊式をやってますので
自分で練習するとき以外は
陳式をやる機会が少なくなっていました。
久々に陳式を意識した身体の使い方を
したからでしょうか、筋肉痛が出ました。
見直す所があちこちと見つかりました。
いつもとは違う状況での練習、楽しかったです。


理屈だけでは上達はしないけれど
理屈を知ることによって
自分の現状を客観視できる機会を
つくれるようになるともいえそうな気がします。
知り得た理論をどのようにして
いかしていくのか。
数ある楽しみのひとつとして
じゅうぶん“あり”ではないかと思います。

別に理論に基づいて
自分を合わせよう(実証・検証)として
練習しているわけではないです。
この手のものは、ことさらに意識したり
わかろうとする必要のない、
時期が来れば自然と納得できてしまうような
そんな性質のものではないかと。

自然の仕組みから導き出された考え方は
自然現象を観察し続けた結果です。
自然の仕組みには理論で解明できないような
未知なる要素が含まれています。
ですから“絶対ということはない”との前提のもとに
導き出されているような気がします。
正しさ、正確さだけでははかれないもの、
適合性、整合性といった
あらかじめ許容を認めるような感覚の方が
自然により近い感性と言えるのかもしれません。
そのような心境へと
しだいに導かれてきたような感じがします。


まだそこそこの余裕しかありませんが
いままでの視点と違うところから
自分を眺めている感触はありますね。

いまの状態をせいいっぱい感じているんですが
そこには一生懸命さも必死さもなく、
そよそよとした感じというか。
たとえば『風になりたい』っていうときの
風の感じってこんな感じ?と思うことも
少なくないです。

もしいま解放感や自由さを感じるとしたら
それ以前は(いま感じている以上の)
閉塞感、不自由さの中にいたんだなと思うわけで。
それに気づくか、気づかないかは
取るに足らないというか、意味はなくて。
それよりもいま感じている解放感、自由さにある
自分の状態を感じていたいなぁ。



お待たせ・ケガその後 治りました

2009-07-10 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
本日をもってケガの治療が終わりました。

傷痕も想像以上に
きれいに仕上がってきています。
瘡蓋はがしの痛みに耐えた甲斐がありました。

最後の傷はまだ脱皮をしてませんが
徐々に周囲になじむようにして
薄くなってくるから大丈夫とのこと。
あとは傷痕に紫外線をあてないように
との注意を受けて
最後の診療を終えました。


それにしても、長かったです。

まるまる3ヵ月間、週6日のペースで通い続け
ようやく先週から週2日となり、
そして次回は1週間後ということで
きょうの日を迎えたのでした。

受付スタッフの方達とも
看護師さん達とも
すっかり顔なじみとなってしまったのも
当然といえば当然かも。

ほんとに長いことお世話になりました。
ありがとうございました。


そしてまた、ご心配いただいた皆様にも
こうして報告することができてうれしいです。
ありがとうございました。


最近の練習メモより

2009-07-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
動きをつくり出しているのは何なのだろう。
意識が動かしているものは何なのだろう。


先生や他の練習生の動きをみているとき
自分が注意してみているのは
おそらく重心の動きなんだろうなぁ。


重心は重りのように揺れる。
心静と体松が保たれていれば
重りの揺れは小さくなる。

動作が流れていくには
微小な揺れで動き続けていることが
重心の安定にもつながること。
安定と不安定が
つねに隣り合わせで存在するのを
感知していれば
相互間の平衡感覚は多様になる。

不安定を怖れることはない。
不安定は安定の前兆でもあることを覚れば
怖れは減る。
つまり不安定な状況のときこそ
すぐ近くに安定がある。
それが見えていないだけ、感じられないだけのこと。
ここにもまた心静体松が求められる理由がある。


動き続けているからこそ
安定、不安定の揺らぎがうまれる。
揺らぎがあるから平衡を求めようとする。
こうした平衡感覚は
生命活動そのものの感覚なんじゃないのかな。
だからこそ心静体松には
限界がないってことなのかもしれない。


いろいろあるけど、思いはひとつ

2009-07-02 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日、ダンサー、アレクサンダーテクニーク、
ヨガ、ピラティス、整体師など
なにかしら“からだづかい”の心得のある人達に
動きをみてもらう機会がありました。

たとえば弓歩(gong bu)のように
右足に体重を移動させるときに
ときどき膝が内側に入ることがあるらしく
何度か注意された経験があります。
そこで自分が感じている
左右の足に対する差異(違和感)について
実際に動きを観察したり
具体的に検証しながら
それぞれの所見を話してもらいました。

漠然と感じていた違和感が
より具体的な足首や足裏の緊張感として
意識できたように思います。
右足の方は小指側への加重が
やや不足ぎみとなる傾向があるみたいで、
それはもしかすると
左足の働き方が少し足りないのではないか
と指摘され、なるほどねぇと思ったり。

そういえば教室での練習中に先生から
もう少し右へ体を捻るように指示されたのも
このあたりの事情が関係しているのかな。
骨盤から上体を捻るにしても
骨盤を支えている下肢は
股関節を通して骨盤と連動しています。
ということは、足裏の接地点となる
踵・母指・小指の三点それぞれの
圧のバランスの加減によって
上体と骨盤の動き方にも影響してくるのでは?

じつのところ右足には
母指が踏ん張っているような感じがあります。
どうやらそうさせたくなるような何かがある……らしい。

でも、それを追求する必要性は
あまり感じていません。
むしろいままで意識されていなかったことを
新たに意識できたのだから
それで十分なのではないかしらん。
ことさらに原因をさぐろうとしなくても
時々刻々の流れに従っていれば
やがてわかってくるのではないかと。