松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

自分でできる予防策 -新型インフルエンザに関連して(ほぼ日『健康手帳』より)-

2009-04-29 | 養生の栞-食・眠・動-
今度は豚インフルエンザ、改め、新型インンフルエンザです。

連日情報が飛び回っていますね。
やはり心配ですよね。
心配だったり不安に思ったりするのは
その対象について、よく知らないからです。

でも、わたしは少しだけ落ち着いていられます。
とりあえず個人でできる対応策を
実行しているからです。
それはすごく簡単なことです。

手を洗う、うがいをする、顔を洗う

基本はそれだけ。
それを習慣化すること。
そしてさらにちょっとした意識をするだけで
ものすごく変わってくるんです。


わたしたちはけっこう無意識のうちに
手や指でからだを触りまくっているものなんです。

たとえば自分や周囲の人がクシャミしただけでも
唾液の飛沫は髪や衣服に付着します。
だれかがクシャミしたり咳したりしたかもしれない
椅子にすわり、テーブルを使い、キーボードを叩き、
端末操作ボタンを押したりしているのが
わたしたちの一般的な生活です。
そして何気に目をこすってみたり、
肌に触れたりしていません?
髪に触れたり着替えをした手で
化粧直ししてません?
ペットボトルの注ぎ口に
無意識に触れたりしてません?

インフルエンザウィルスは
目や口や鼻の粘膜に入ることで感染します


いま自分が何を触っているか
さっきまで自分は何を触っていたか
なんてことを意識したことってありますか?

お医者さんは病気の人達と接していますから
いつも意識しているのだそうです。
たとえば手術着の着脱、手袋の装着や外し方も
それなりの熟練が必要なんですって。
医療の現場ではそのくらい徹底しているんだとか。

ふりかえって私達の生活環境では…
手の洗い方ひとつをとっても
いちいち丁寧に洗っているかといわれると
ちょっといい加減かなという気も。
そのあたりをちょっと反省しつつ
とりあえず自分でできることをやっています。

ちなみに私がこうした情報を得たのは
「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツのひとつ
「Dear DoctorS ほぼ日健康手帳」からです。
わかりやすく丁寧な説明がされているので
“いま何が起きているのか”“いまできることは何か”
といったことが、
読み進むことで自然に整理できてきます。
今後の状況の如何を問わず
少なくとも冷静に落ち着いてに対応できそうな
気がしています。
別に「ほぼ日」さんから
頼まれているわけではありませんが、
よかったら、ぜひ一読されることをおすすめいたします。

 『Dear DoctorS ほぼ日健康手帳
 (シリーズ「身近な医者の底力」
   高山先生、新型インフルエンザについて教えてください)


中国語版『あたしンち』

2009-04-28 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
中国語(漢語)をかじり出したのは
太極拳導引を始めてから
7、8ヵ月後くらいだったかと思います。
あれからずいぶんと時間が経ちました。

残念ながら太極拳導引みたいなわけには
いきませんです、はい。
でもだからといって
スッパリ諦める気にもなれず。はぁ~

ならば耳からだけでもと思い
探して来たのがコレです。

中国語バージョンの『あたしンち(我們這一家)』です。
(再生の際は、音声が出ますのでご注意ください)

耳ならしならば、やはり会話スピードかなと思います。
語学教材の会話速度はどうしてもゆっくりめ。
ならば、はじめから実際の会話スピードに
近い方がいいんじゃない?っていうだけの話なんですけども。

しかし、どんなにご託を並べてみたところで
続けられるかってことなんですよね。

どうなんだろうねぇ…



腹八分の道理

2009-04-17 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
脚の怪我のために教室は休んでも
導引は休みませんでした。
動作導引だけでなく意識導引など
導引法はいろいろありますから。

ちょっと物足りないように思えても
身体にしてみれば
けっこう満足してるみたいなんですよね。
腹八分目とは、よく言ったもんです。

たとえば筋肉の状態などを観察してみても
コリや硬さを感じていた部位に
わりといい感じの柔軟性が戻ってきてる
ように感じます。
もしかしたら通常モードは
八分目以上になっていたのかも。

たとえば休養のタイミングについて
先生がいつもおっしゃることは
疲れを感じてから休むのでは遅過ぎる。
疲れる前に休むのが(真の)休養なのだと。
これも八分目の道理ですよね。

だからね、いつも頑張ってちゃいかんのですよ。
頑張らせてちゃいかんのですよ。


久しぶりの怪我

2009-04-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
怪我というか火傷です。
左脚の腓骨側に3×5センチくらいの
水ぶくれができました。
これが1センチくらいにまで膨らみまして
さすがに病院に行きました。

治療半ばにして水ぶくれが破れ
注射器で中の液を抜いたりと、
日々いろいろありまして
ようやく水ぶくれがおさまったところです。

教室は1週休みましたが、
上肢の導引練習は続けていました。
水ぶくれの中にたまる液も
体が治そうとしている象なので
気血津の流れをよくすることも大事ですから。

下肢を動かさないようにして行う練習は
からだ本来の仕組みを
改めて実感させてくれるものでした。
上下の連動性を感じたければ
どちらか片方の動きを制限するだけで
簡単に意識できます。
もともとは自然に連動するようになっているのに
どうしてバラバラになってしまうのか。
もしかしたら何かひらめくかもしれませんね。

昨夜から教室には復帰しましたが、
なかなか思うようには動けませんでしたね。
下肢の動きをイメージしながら
練習していたのですが、
実際に歩を進めたり脚を動かすのとは
勝手が違うのか、体が軋んでるような印象でした。
怪我して以来ずっと左脚を庇ってきたので
自重を左脚に乗せるのでさえも
ずいぶんと久しぶりな印象。
妙に慎重になったりしてました。

火傷は治り方がゆっくりなので
時間がかかるのですが
とりあえず少しずつ再開です。



目標の見直し

2009-04-02 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
静心神の状態いかんによって
左右される自分を実感し、
意識できるようになってきました。
静心神の必要性を身をもって覚ったしだいです。

では、いままではどうだったのかというと
身体操作という意識の方が
やや強かったのかもしれません。
どうも頭主動というか、理屈で制御するものだと
思っていた節があるみたいです。
それはちょうど立ち姿のイメージに似て、
頭が上にあり、その下にその他の身体が位置する
いわば上下関係の図式です。

でも現実的にはどうなのかといえば
むしろ横になって寝ている姿というか
上下関係というよりは横並びの状態の方が
いろいろとよさげな感じがするのです。
指揮官の命令第一というよりも
状況に応じて現場のことは現場にまかすような
(ん?例えを間違ったかしらん…)

太極拳導引練習を何年か続けてくると
自然にそういう感覚が呼び覚まされてくるみたいです。
それはたぶん太極拳導引が
バランス、協調を求めるからかもしれません。


そんなことを感じさせるような
一連の気づきがたて続けにありました。
ですが、それぞれの気づきは
てんでんばらばらなものなので
自分ではなかなか整理がつきません。

先生から「もう一度目標としていることを
確認してみたら」とのアドバイスを
いただきました。
最終目標をどこに定めているのか
目指そうとしているのはどこなのか。
そこをはっきりさせると
いろいろな情報(気づき)が集まってきても
優先すべき情報が選べるようになり
練習もしやすくなります。
静心神を妨げるような状態も避けられます。

ここから先はたぶん
わたしの目指す方向によって
先生の指導というかアドバイスの内容が
変わってくるということなのかもしれません。

目指したいのは何なのか。
ときには見直してみることも
必要だったりするということですね。


久々の伝統楊式

2009-04-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先月は伝統楊式を復習する機会があった。
楊式を練習するのは何年ぶりだろう。


不慣れな動きということもあって
協調が崩れそうになると
つい拙力を使って取り繕ってしまう。
意念の流れと動きの流れとの協調を
保つべきコントローラーの働きが
じゅうぶんでないということ。
それでも拙力を使っていると感知できるだけ
少しはマシになったのかも。

たとえば掌をかえす動きひとつにしても
最初は掌だけで強引に動かしてしまうけれど
理解が進むにつれて
もっと違う方法で動かせるようになる。

いままで使ったことのない
体の使い方をしている自分に出会うのは
ちょっとした感動でもある。
こんなやり方があったのかと驚きもするが、
冷静に考えてみれば、発見なんてものは
自分がそれまで見つけられなかったものにすぎず、
もとからあったものがほとんど。
だけど、自分の世界観(ちょっと誇張的表現かも)
画期的に違ってくるようにも思える。
当然、動きにも違いが見えてくるような気がする。

久々の伝統楊式、おもしろかったなぁ