今月の13日より母が入院しました。
すでに介護付有料老人ホームにて
特養待機中の父(要介護4)がいますので
いよいよダブル介護が現実のものとなりました。
昨年一年でずいぶんと弱ってきていた母ですが
本人は陽気不順の影響を受けて
いつもの体調不良がちょっと強く出ていると
話していました。
なにぶん私たち姉弟が幼少の頃から
必要最低限の家事労働以外は
ほぼ床に臥せっているというのが
母の日常生活でしたから、
活動的な母の姿などまず見たことがありません。
したがって年相応に弱っていっていくなかで
本人が苦痛を訴えるわけでもないし
いつものことだからと言われれば
そういうものなのかなと思ってしまうわけで。
母の状態はよくないです。
医療法としては緩和ケアがベストという状況。
しかし、いわゆる重篤といわれる状態にあっても
とくに苦痛を感じないで、できることをして
入院するまでの日々を暮らしてきたわけですから、
こうして医師から診断を下された(病気)とはいえども
私としては、これは老衰の範疇なのではないのかな
と思えてしまうというか、
そういう理解の仕方になってしまうのです。
ですから当然のことながら、病をみることよりも
残りの命を全うできるような方向で考えたいと。
しかしながら現実的には、いまこの時期の急変は困る
という家族の事情があったりして。
できればもう少し頑張ってほしいと願ってみたりと
この期に及んでもなお欲が湧いてくるのです。
母自身も同じようで(病名告知はしていません)
もう充分すぎるほど生きてきたからと言いつつも、
やはりまだ明日を信じているように見受けられます。
別れ際に「また明日ね」と、ことばを交わすたびに
いまは落ち着いてはいるものの
これが見納めになるのかもとの思いがチラッとよぎります。
当初の一週間はホントに現実の重さに狼狽えてましたが
ほんの数日前から、その重さの抱え方に
少し変化が見えてきたように感じています。
何人もの方々から口々に頂いたアドバイスの
「先々のことを考えず、目の前のことだけをみる」
その私なりのポジションに近づきつつある?
ようやく探り当てそうな気配?
そんな余裕がほんの少し出てきたかな。
それでもまだまだ些細なことで動揺しますけどね。
花熟帯落とは、すべてには適時がある
というような意味あいなんだそうです。
このタイミングで事態が動いたということは
母にとっての適時なのだろうと思いたいし
家族にとっての適時なのかもしれません。
母の状態はいまのところ落ち着いていますが
日々衰弱は進んでいるので
今後急変の可能性は大きくなっていきます。
いまの私にできることは
とにもかくにも私が元気でいることです。
そう言い聞かせて励ましています。
すでに介護付有料老人ホームにて
特養待機中の父(要介護4)がいますので
いよいよダブル介護が現実のものとなりました。
昨年一年でずいぶんと弱ってきていた母ですが
本人は陽気不順の影響を受けて
いつもの体調不良がちょっと強く出ていると
話していました。
なにぶん私たち姉弟が幼少の頃から
必要最低限の家事労働以外は
ほぼ床に臥せっているというのが
母の日常生活でしたから、
活動的な母の姿などまず見たことがありません。
したがって年相応に弱っていっていくなかで
本人が苦痛を訴えるわけでもないし
いつものことだからと言われれば
そういうものなのかなと思ってしまうわけで。
母の状態はよくないです。
医療法としては緩和ケアがベストという状況。
しかし、いわゆる重篤といわれる状態にあっても
とくに苦痛を感じないで、できることをして
入院するまでの日々を暮らしてきたわけですから、
こうして医師から診断を下された(病気)とはいえども
私としては、これは老衰の範疇なのではないのかな
と思えてしまうというか、
そういう理解の仕方になってしまうのです。
ですから当然のことながら、病をみることよりも
残りの命を全うできるような方向で考えたいと。
しかしながら現実的には、いまこの時期の急変は困る
という家族の事情があったりして。
できればもう少し頑張ってほしいと願ってみたりと
この期に及んでもなお欲が湧いてくるのです。
母自身も同じようで(病名告知はしていません)
もう充分すぎるほど生きてきたからと言いつつも、
やはりまだ明日を信じているように見受けられます。
別れ際に「また明日ね」と、ことばを交わすたびに
いまは落ち着いてはいるものの
これが見納めになるのかもとの思いがチラッとよぎります。
当初の一週間はホントに現実の重さに狼狽えてましたが
ほんの数日前から、その重さの抱え方に
少し変化が見えてきたように感じています。
何人もの方々から口々に頂いたアドバイスの
「先々のことを考えず、目の前のことだけをみる」
その私なりのポジションに近づきつつある?
ようやく探り当てそうな気配?
そんな余裕がほんの少し出てきたかな。
それでもまだまだ些細なことで動揺しますけどね。
花熟帯落とは、すべてには適時がある
というような意味あいなんだそうです。
このタイミングで事態が動いたということは
母にとっての適時なのだろうと思いたいし
家族にとっての適時なのかもしれません。
母の状態はいまのところ落ち着いていますが
日々衰弱は進んでいるので
今後急変の可能性は大きくなっていきます。
いまの私にできることは
とにもかくにも私が元気でいることです。
そう言い聞かせて励ましています。