松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

母の入院 -花熟帯落-

2016-01-25 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
今月の13日より母が入院しました。
すでに介護付有料老人ホームにて
特養待機中の父(要介護4)がいますので
いよいよダブル介護が現実のものとなりました。

昨年一年でずいぶんと弱ってきていた母ですが
本人は陽気不順の影響を受けて
いつもの体調不良がちょっと強く出ていると
話していました。
なにぶん私たち姉弟が幼少の頃から
必要最低限の家事労働以外は
ほぼ床に臥せっているというのが
母の日常生活でしたから、
活動的な母の姿などまず見たことがありません。
したがって年相応に弱っていっていくなかで
本人が苦痛を訴えるわけでもないし
いつものことだからと言われれば
そういうものなのかなと思ってしまうわけで。


母の状態はよくないです。
医療法としては緩和ケアがベストという状況。
しかし、いわゆる重篤といわれる状態にあっても
とくに苦痛を感じないで、できることをして
入院するまでの日々を暮らしてきたわけですから、
こうして医師から診断を下された(病気)とはいえども
私としては、これは老衰の範疇なのではないのかな
と思えてしまうというか、
そういう理解の仕方になってしまうのです。
ですから当然のことながら、病をみることよりも
残りの命を全うできるような方向で考えたいと。

しかしながら現実的には、いまこの時期の急変は困る
という家族の事情があったりして。
できればもう少し頑張ってほしいと願ってみたりと
この期に及んでもなお欲が湧いてくるのです。
母自身も同じようで(病名告知はしていません)
もう充分すぎるほど生きてきたからと言いつつも、
やはりまだ明日を信じているように見受けられます。

別れ際に「また明日ね」と、ことばを交わすたびに
いまは落ち着いてはいるものの
これが見納めになるのかもとの思いがチラッとよぎります。
当初の一週間はホントに現実の重さに狼狽えてましたが
ほんの数日前から、その重さの抱え方に
少し変化が見えてきたように感じています。
何人もの方々から口々に頂いたアドバイスの
「先々のことを考えず、目の前のことだけをみる」
その私なりのポジションに近づきつつある?
ようやく探り当てそうな気配?
そんな余裕がほんの少し出てきたかな。
それでもまだまだ些細なことで動揺しますけどね。



花熟帯落とは、すべてには適時がある
というような意味あいなんだそうです。

このタイミングで事態が動いたということは
母にとっての適時なのだろうと思いたいし
家族にとっての適時なのかもしれません。

母の状態はいまのところ落ち着いていますが
日々衰弱は進んでいるので
今後急変の可能性は大きくなっていきます。


いまの私にできることは
とにもかくにも私が元気でいることです。
そう言い聞かせて励ましています。

練習メモ_集体練習2016

2016-01-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今年もまた2月の大会に向けた練習が始まっている。
今回の集体も2演目でエントリーした。
24式太極拳と陳式太極拳。

24式太極拳は、基礎科の面々から
挑戦してみたいとの表明があって決まったもの。
日頃は基礎套路となる9式を練習しているので
かれらにとっては初めての挑戦となる。
専科からも有志が参加するのだけれど、
今は基礎科のメンバー中心で練習している。
どことなく緊張感みたいなものが漂っている。
微笑ましくもあるけれど、
なるべく緊張しないですむような
自分の内なる環境をととのえる経験も
少しずつ積むことができるようにと願う。

動作を真似るといっても、
予想した動作とそうでない動作とでは
心理的にはまったく違ってくる。
まずは套路が頭に入っていること。
それは緊張や不安を軽減させるための
準備にあたる。
そしてこの準備はある程度
自分でととのえることができる。
だから必要条件と言ってもいいだろう。
だいたいの流れのイメージだけでも
頭に入っていると、自分自身がラクになれる。
ほんの少しの心的ゆとりが
動きにさえ落ち着きをもたらしたりする。
完璧とはいかなくても覚えようとつとめることが
次の機会にかならず活きる。
主体的に行えばこその財産となる。

これは専科演目の陳式にも言えること。
自分を筆頭に
まだちょっと準備が不足してるように感じる。
この一年で修養してきた導引三調に基づき
それぞれができる準備をして、
集体としての導引三調をととのえていくことが
今回の目標となるのかもしれない。
まずはできる準備は不足なくやることだよと
自分に言い聞かせている。