集体練習(孫式38式)は全体練習の前段階
個々で動作の確認をしている。
仲間の練習をみていると面白くなる。
一様にそれぞれの“らしさ”が
にじみ出ているから。
だからアドバイスを求められたときには
その人らしさに則った伝え方が
できることが理想なんだとは思うのだが
自分の体でつかんだものを
相手に伝わりやすい表現に変換するのは
なかなかうまくいかない。
自分の流儀で説明することで
精一杯の段階なのだろう。
相手には申し訳ないなと思う。
後になって、ふと気づいたことがあった。
彼の動きがどうも粗くみえるような気がする。
彼の動き方は速くない。
せっかちな一面を持ちながらも
むしろ動作をできるだけ分解して
一つずつ丁寧に理解しようとしている。
動きに多少の硬さがみえるのは
早く理解したい思いが強いからで、
一過性のものだから早晩解消されるもの。
私のような緊張しいタイプとは質が違う。
ここでいう粗さのイメージとは
たとえばパラパラ漫画で表現する
動きの分割画の多少のようなもの、
アニメーションでいえば
何枚分のセルに分割して描き分けているか
というようなもの。
つまり彼の動きのイメージが
何枚分のセル画で構成されてるのか
という目安を私が把握しておらず、
彼の動きに自分のセル画を重ねていたのではないか
と思い当たったわけけ。
だから流れがしっくりこないと感じている
彼の感覚は、その意味で間違ってない。
彼のセル画数と私のとは違うからだ。
彼は彼のセル画数の動き方をすれば
よいのではないか。
個々で動作の確認をしている。
仲間の練習をみていると面白くなる。
一様にそれぞれの“らしさ”が
にじみ出ているから。
だからアドバイスを求められたときには
その人らしさに則った伝え方が
できることが理想なんだとは思うのだが
自分の体でつかんだものを
相手に伝わりやすい表現に変換するのは
なかなかうまくいかない。
自分の流儀で説明することで
精一杯の段階なのだろう。
相手には申し訳ないなと思う。
後になって、ふと気づいたことがあった。
彼の動きがどうも粗くみえるような気がする。
彼の動き方は速くない。
せっかちな一面を持ちながらも
むしろ動作をできるだけ分解して
一つずつ丁寧に理解しようとしている。
動きに多少の硬さがみえるのは
早く理解したい思いが強いからで、
一過性のものだから早晩解消されるもの。
私のような緊張しいタイプとは質が違う。
ここでいう粗さのイメージとは
たとえばパラパラ漫画で表現する
動きの分割画の多少のようなもの、
アニメーションでいえば
何枚分のセルに分割して描き分けているか
というようなもの。
つまり彼の動きのイメージが
何枚分のセル画で構成されてるのか
という目安を私が把握しておらず、
彼の動きに自分のセル画を重ねていたのではないか
と思い当たったわけけ。
だから流れがしっくりこないと感じている
彼の感覚は、その意味で間違ってない。
彼のセル画数と私のとは違うからだ。
彼は彼のセル画数の動き方をすれば
よいのではないか。
ちょっとうれしくなってしまいました
(単細胞な私^^;)
《アニメーションというものは、自分の体が覚えていることを、
思い出す作業なんですよ。
アニメーションを描くときは、
肉体で覚えた経験をもとに
絵を描いていきます。-宮崎駿》
*フォロー中のデザインの言葉(@words4design)からの引用です