朝一番のストレッチでは
腰の方も少し落ち着いているみたいだった。
昨夜は咳も少なかったし、
今朝は暖かいからかもしれない。
それでも目覚めた直後は
左半身を圧迫する姿勢になっていたし
痺れも強かった。
子供の頃からどうも弱っている方を庇うようにして
眠る傾向があるみたいなのだ。
ケガしたときもいつもそう。
横になる時は意識的に圧迫しない姿勢を
とっているのだけれど、
目覚めるとたいてい下敷きにしている。
これってどうなのかなあと、いつも思うのだが。
今は腰が弱みとなっているのだけれど、
これもどうやら身体が怖がっているように思えてくる。
腰を支えるだけの筋力が衰えていて
それを硬く緊張することで支えているのだ。
筋力が衰えたのは
同じ姿勢を長期に渡って繰り返すなどして
ある一定の条件で筋肉を酷使してきた結果となる(らしい)。
この状態で緊張感を解くことは
腰を中心として不安定状態にすることに等しい。
例えば発力の際に緊張を緩めると、
腰の周辺はラクになる気がするものの
背骨近くの奥の方はグラグラしているように感じ、
しびれやつれるような痛みが走る。
不安感が神経の走っている筋肉繊維を刺激するのだろう。
心理面からの対策も必要なんだと思う。
この手の痛みは、改善途上には
避けては通れないものだとわかっていても、
ヘタレな身体は尻込みをする。
練習後しばらくすると
一時的に痺れが強くなってくるのも
不安を煽るのだろう。
まあ、身体にしてみれば
確かに危機といえば危機ではあるのだろうなあ。
緊張して強ばることで
ようやく維持してきた状態をチャラにして、
疲労しきった筋肉をケアしながら
新しい使い方を身につけていこうというのだから。
弱り目に祟り目といったところかも。
捻りが足りないと指摘されても
無闇に捻るわけにもいかず、
身体になんとか理解を求めながらの練習。
気をつけないと、ほんとにケガすることも
ないとはいえないので、
具体的な練習方法などは先生と相談かなとも思う。
自分としては諦めてはいないし、
できそうな気がしているのだけれど、
時間はかかるだろうな。
健康改善は、そう簡単には進まない。
それなりに山あり谷ありなのだ。
それでも正しい方法で粘り強く、
少しずつでも毎日続けていけば難しいことではない。
継続は心が試されることであり、
心もタフになることも
健康には欠かせないということなのだろう。
だからこそ人まねではなく
自分が楽しく向き合えるものを選ぶことが
大切になってくるかと思う。
腰の方も少し落ち着いているみたいだった。
昨夜は咳も少なかったし、
今朝は暖かいからかもしれない。
それでも目覚めた直後は
左半身を圧迫する姿勢になっていたし
痺れも強かった。
子供の頃からどうも弱っている方を庇うようにして
眠る傾向があるみたいなのだ。
ケガしたときもいつもそう。
横になる時は意識的に圧迫しない姿勢を
とっているのだけれど、
目覚めるとたいてい下敷きにしている。
これってどうなのかなあと、いつも思うのだが。
今は腰が弱みとなっているのだけれど、
これもどうやら身体が怖がっているように思えてくる。
腰を支えるだけの筋力が衰えていて
それを硬く緊張することで支えているのだ。
筋力が衰えたのは
同じ姿勢を長期に渡って繰り返すなどして
ある一定の条件で筋肉を酷使してきた結果となる(らしい)。
この状態で緊張感を解くことは
腰を中心として不安定状態にすることに等しい。
例えば発力の際に緊張を緩めると、
腰の周辺はラクになる気がするものの
背骨近くの奥の方はグラグラしているように感じ、
しびれやつれるような痛みが走る。
不安感が神経の走っている筋肉繊維を刺激するのだろう。
心理面からの対策も必要なんだと思う。
この手の痛みは、改善途上には
避けては通れないものだとわかっていても、
ヘタレな身体は尻込みをする。
練習後しばらくすると
一時的に痺れが強くなってくるのも
不安を煽るのだろう。
まあ、身体にしてみれば
確かに危機といえば危機ではあるのだろうなあ。
緊張して強ばることで
ようやく維持してきた状態をチャラにして、
疲労しきった筋肉をケアしながら
新しい使い方を身につけていこうというのだから。
弱り目に祟り目といったところかも。
捻りが足りないと指摘されても
無闇に捻るわけにもいかず、
身体になんとか理解を求めながらの練習。
気をつけないと、ほんとにケガすることも
ないとはいえないので、
具体的な練習方法などは先生と相談かなとも思う。
自分としては諦めてはいないし、
できそうな気がしているのだけれど、
時間はかかるだろうな。
健康改善は、そう簡単には進まない。
それなりに山あり谷ありなのだ。
それでも正しい方法で粘り強く、
少しずつでも毎日続けていけば難しいことではない。
継続は心が試されることであり、
心もタフになることも
健康には欠かせないということなのだろう。
だからこそ人まねではなく
自分が楽しく向き合えるものを選ぶことが
大切になってくるかと思う。