松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

身体との話し合い

2006-01-29 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
朝一番のストレッチでは
腰の方も少し落ち着いているみたいだった。
昨夜は咳も少なかったし、
今朝は暖かいからかもしれない。
それでも目覚めた直後は
左半身を圧迫する姿勢になっていたし
痺れも強かった。

子供の頃からどうも弱っている方を庇うようにして
眠る傾向があるみたいなのだ。
ケガしたときもいつもそう。
横になる時は意識的に圧迫しない姿勢を
とっているのだけれど、
目覚めるとたいてい下敷きにしている。
これってどうなのかなあと、いつも思うのだが。

今は腰が弱みとなっているのだけれど、
これもどうやら身体が怖がっているように思えてくる。
腰を支えるだけの筋力が衰えていて
それを硬く緊張することで支えているのだ。
筋力が衰えたのは
同じ姿勢を長期に渡って繰り返すなどして
ある一定の条件で筋肉を酷使してきた結果となる(らしい)。

この状態で緊張感を解くことは
腰を中心として不安定状態にすることに等しい。
例えば発力の際に緊張を緩めると、
腰の周辺はラクになる気がするものの
背骨近くの奥の方はグラグラしているように感じ、
しびれやつれるような痛みが走る。
不安感が神経の走っている筋肉繊維を刺激するのだろう。
心理面からの対策も必要なんだと思う。

この手の痛みは、改善途上には
避けては通れないものだとわかっていても、
ヘタレな身体は尻込みをする。
練習後しばらくすると
一時的に痺れが強くなってくるのも
不安を煽るのだろう。

まあ、身体にしてみれば
確かに危機といえば危機ではあるのだろうなあ。
緊張して強ばることで
ようやく維持してきた状態をチャラにして、
疲労しきった筋肉をケアしながら
新しい使い方を身につけていこうというのだから。
弱り目に祟り目といったところかも。

捻りが足りないと指摘されても
無闇に捻るわけにもいかず、
身体になんとか理解を求めながらの練習。
気をつけないと、ほんとにケガすることも
ないとはいえないので、
具体的な練習方法などは先生と相談かなとも思う。
自分としては諦めてはいないし、
できそうな気がしているのだけれど、
時間はかかるだろうな。

健康改善は、そう簡単には進まない。
それなりに山あり谷ありなのだ。
それでも正しい方法で粘り強く、
少しずつでも毎日続けていけば難しいことではない。

継続は心が試されることであり、
心もタフになることも
健康には欠かせないということなのだろう。
だからこそ人まねではなく
自分が楽しく向き合えるものを選ぶことが
大切になってくるかと思う。

捜しものは何ですか?

2006-01-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
きょうの専科は、各自の38式の動作確認を
ビデオで行うことになった。
これは通常の教習の一環としてであり、
かつ個人演目としての動作確認の目的でもある。

それぞれに収穫はあったと思う。
私の場合は
「どこへ行っちゃったんだか、私の背骨」に尽きる。

昨日はどうしても練習時間がとれず、
また腰や背中に負担のかかることを強いられた
にもかかわらず、十分なケアができないまま
練習することになってしまった。

練習前のストレッチでも
身体が芯から強ばっていて、かなりヤバイ感じ。
最後の移動ストレッチになっても
まったく改善が見られず、
いつもの背中の感覚がまったく感じられない。
ここで気持ちまで
マイナス方向に引きずられないようにしなければと
思っていたらなんと、
一番手でスタートしなければならなくなった。

安定してないので
意識的にスピードを抑えようとしたのだが、
かえって硬さにつながっていくように感じ始めたために
途中で変更しようとしたあたりから
バランスを崩し始めていった。

背中でいつも感じ取っているものが伝わってこない。
背中がダメとなると、次は肩を頼るらしく、
しだいに肩、首の付け根への緊張が強くなる。

背骨の意識が持てないと何とも心許ない感じになる。
姿勢の状態も調整できないし、
動きの軸が見えなくなるみたいな感じ。
「後ろだて」ということばは
伊達ではないのだなあとつくづくと思った。

きょうは散々だったけど、
明日はまた明日。加油!

あれれ…?

2006-01-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日、38式はこれでいく!と決めたのだが、
実は練習を繰り返しているうちに
少し変化が。
もしかしたらまた少し変わるかもしれない。

リズム感を主眼に練習してみていたのだが、
それがほぼ固まってきたからなのか、
今度は動きの流れの勢いと
発力とのバランスが気になり出してきたのだ。
何となく動きとしての流れが
自然に発力へとつながる感じがしている動作があるのだが、
でもそれは捨てたはずの発力動作だったりするのだ。

昨日の練習ではとりあえず
発力を減らした套路を行ったのだけれど、
内面ではちょっと葛藤?というか
勢いを抑えている意識があり、
中途半端になったような気もする。
動作が発力したがっている感じ?
こういう感覚ははじめてかも。
でもだからといって発力が
うまく発揮されるのかどうかは、
また別問題なんだろうな。
やっぱり決めつけちゃうのはいけないかなあ。
もう少し柔軟に対応してみようかな。

それにしてもおもしろいものだと思う。
自分が発力したいと思っていたのとは
明らかに違う感じ。
昨日に関しては勝手にしたがるというのか、
それが自然に思えてしまったんだから。
こんなことが起こるとは思ってもみなかったこと。
まあ個人演目だから
他人に迷惑がかからないことをいいことにして、
フレキシブルに対応してみるとするのも、
またひとつ経験になるのかも。

捨ててみた

2006-01-21 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
きょうの練習では、発力する動作を取り入れた38式を
ひとりずつ表演した。
人によって発力する動作が異なるので、
同じ38式でも少しずつ印象が変わってくるのがおもしろい。

水曜の練習時は散々の状態だった。
それは現状を顧みず、
自分の願望を目標としたからではないかと思った。
自分がこれから目指そうとしているのは
どんな状況にあっても無理なく自然であること、
ソン(松)の状態を引き出せるようになること。
そのためには自分のソンの状態を
認識することから始まる。
願望にはきりがないが、
できることしかできない現実がある。

今の状態に適応すること。
その条件の中での協調を目指すことにして、
もう一度自分の38式を見直していくことにしてみた。
陳式の特徴を再度確認しながら、
自分が無理なく表現できそうなことを探す。
かなり思い切って発力動作を減らした。
やれないことはないけれど、
今回は「捨てなければ拾えない」でいくことにしてみた。

そうやってこの2日間で
自分なりにまとめてみた38式がきょうの表演スタイルだった。
狙い通りの感じは出てきていたと思うし、
まずまずだったかなあと思う。
2週間後の大会はこれで行くことに決めた。
あとは放松状態を引き出せるような身体環境を整えていくこと。

2月まではこのまま陳式38式を練習していくわけだし、
今後の状況に合わせてまた少しずつ変えていくこともできる。
捨てることで何を拾うのか、
はたしてつかめるものがあるのだろうか。
つかめないかもしれない?
それもまたよし。好好練習,天天向上。

咳と自律神経と導引練習

2006-01-19 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先生の話によれば、咳き込むのは
自律神経の副交感神経が
優位になろうとしているときに見られるものらしい。

自律神経は安静時は副交感神経が、
活動時は交感神経が、それぞれ優位となることで
心身のバランスを調整している。
この交感神経と副交感神経の優位性が入れ替わるときに
咳き込むということらしい。
つまり自律神経が不安定になっているときに
症状が出ているわけ。
だから咳が出るのを無理に抑えようと
我慢したりすると、
副交感神経と交感神経が拮抗し合った
不安定な状態が長引くこととなり、
かえって咳が出続け、安静にすることができない。

導引練習を始めるときもけっこう咳き込むのだが、
これも同じ理由。
なぜかとえば、導引や太極拳は
副交感神経が優位になる、ごく稀な運動だからだ。
運動時は交感神経が優位になって
ある種の緊張状態になるのが一般的らしい。

つまり導引中に咳き込まなくなったら
副交感神経が優位になった状態にあるわけ。
ということは、いつまでも咳き込んでいるようでは
導引効果が上がっていないということにもなる?

そこで本日の練習。
きょうはしばらくして咳が止まった。
身体には緊張感が残っていたけれども咳は止まっていた。
30分近く連続して練習して小休止したら、
また咳が出てきた。
とりあえず練習することが快復につながるのかも。
うん、そう思いたいなあ。

陳式は後半部にどうしても緊張感が増してくる。
腰の状態も影響しているかもしれない。
発力動作をもう少し減らすことも考えながらの練習。
動作ももっと大きくしたいし、
身体操作面でもちょっとくふうしてみたことがあるので、
それを確かめながらの練習。
この数日でなんとかなるものなのかどうなのか。


日日是導引

2006-01-18 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
咳がひどくて眠れないので、
ついに意を決して咳止めを服用して休みました。
咳が穏やかになった分だけ眠りが深くなったのか、
久しぶりに眠れた気がしました。
そして胸郭を中心に背中、腰、臀部と大腿二頭筋あたりに
筋肉痛を起こしているのもわかりました。
咳の爆発力は発力練習の比ではありませんね。

意識導引や呼吸導引は咳込んでしまい
十分に行うことができません。
ただ食欲だけは珍しく落ちなかったので、
後天の気はもっぱら水谷(穀)から補うような感じ
だったのでしょうか。
呼吸が安定しないために練習もなかなかできなくて、
站トウを行ってみたりしています。
自分にできそうな方法を選んで、
とにかく続けてみています。

体調的にはつらくないと言えば嘘になりますが、
その一方で日頃の導引練習によって習得したものを
実際に確かめられるチャンスでもあると思っています。

だから一概に不快な状態とも言えないのです。
状態に適した導引を行えるようになることは
導引練習の大切な目標でもあります。
ラクではないけれどおもしろい。
ことばにすると何となくウソっぽい印象ですが、
気分的には決して暗かったり嫌な感じはしていません。
なぜならば自分が目標とする
明確なイメージを持っているからです。

昨夏、腰を故障た先生が
見せてくださった模範表演は、
腰の故障をまったく感じさせないものでした。
いつもと何ら変わることのない、
まさに「そのときどきの状態に合わせた導引」そのものでした。
無理なく協調状態にあるということが、
いかに自然に見えるものなのか。
多くのことを学んだような気がします。

後日、先生からお聞きした話では、
あの表演時には腰の痛みは全く感じていなかったそうです。
太極拳を打つごとに腰の状態も
どんどん快復していったそうです。

それにひきかえ、自分の現状は
一進一退を繰り返しています。
まだまだ習得すべきことが多々あることを痛感しています。

不調時こその協調

2006-01-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
このところの異常乾燥でついに風邪をひいた模様。
のどがひりひりして咳き込む状態で
鼻水も出てきた。やっぱりひいちゃったか…。

久しぶりの風邪症状なのだが、
基本科と専科とで症状に変化がでるみたい。
専科では発力練習を中心としているので
どうも消耗してしまうらしい。
実際に呼吸を行うときに喉が引きつってしまい、
思うような呼吸ができない状態が続いている。
首の周辺や付け根あたりが
緊張しているのを意識で解くのだけれど、
そうすると息の入出路は広がるのだが、
炎症をおこしている部分が
刺激されて激しく咳き込むことになる。
そうか必要があって緊張していることも
あるのだなあ。
闇雲にただ行えばいいというものではないのだ。
ひとつの現象には必ず他との関連があるから、
周囲への観察や配慮も
忘れないようにしなくちゃ。

その時々の状況に適した導引が
できるようになることは、大事な目標でもある。
体調がすぐれないからと
導引を休むことが相応しいとも一概には言えないのだ。
実際にどうかな?と思うような体調のときでも、
導引後に良くなっていたり
快復が早くなったりという体験は何度もしている。
私だけでなく、導引仲間のほとんどが
同じような経験をしているみたい。

さて、昨日の練習だが、
やはり呼吸に合わせて動くとなると
通し練習もたいへん。
途中で何度か呼吸を整え直さないと
続けられなかった。
咳き込むのを嫌って導引中に
呼吸を止めてしまうという、
いままでにない経験もしてしまった。

発力練習は一回行うごとに
全身からエネルギーが
消費されている感じがしたので、
限られた本数しかできなかった。
本来の状態で正しい練習ができていれば
不足分は自然に補えるはず。
それができなかったから消耗感が残ったのだろう。
つまりは自分の身体の状態に適した
導引ができない=協調状態をつくりだせていない
ということだ。

それにしても不調のときほど
気づきが多いような…。

稽古はじめ

2006-01-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
7日は教室のけいこはじめだった。
今月は2月の交流競技会用の練習もあるので
フリーチケットを購入している人が多い。
土曜日は午後からの集体練習が加わるため、
午前の専科から5時間ほど練習する
“鉄人モード”となっている。
7日は土曜日となったため、
例年よりは幾分ハードな稽古はじめとなったわけだ。

今年は専科メンバー全員が個人種目に出場する。
これはかねてから先生が目指していたことだろうと思う。
導引は健康法であるという視点からみても、
本来個人で行うものだからだ。
ひとりで導引練習ができなければ
日々の養生健康法としての導引をいかすことは難しい。

そして今年は専科生の個人種目に全員参加ということに。
そのうち初挑戦は3名。
実際に自分が個人種目に初挑戦した頃に比べると、
3人とも実に落ち着いているし頼もしく見える。

集体練習の方も
初回にもかかわらず順調そのもので、いい感じだった。
どうしても個人演目に偏りがちになる練習だけに、
集体演目に対する適度な危機感(笑)が
全員の気持ちをまとめやすくさせているみたい。
いい方向に回っているようで、何より何より。

今年も楽しく健康で過ごせるよう、
ともに学び合い向上していきたいと
改めて思う初稽古だった。

年末年始期間の練習メモ

2006-01-03 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
稽古納めが28日、稽古はじめは7日。
この期間内は自主練習のみとなるわけだが、
今年は冬らしいといえば聞こえはいいけれど、
季節風は強いし気温も低くて
屋外練習にはなかなかつらいものがある。
自然とともにありたいと願いながら、
実は心地よい範囲での自然を
求めているだけに過ぎない自分。

今回は自主練習メモから
いくつか拾ってみることに。
まずは利き手意識と緊張について。
これは右利きなら
右側に意識が集中しやすいがために
左側が何らかの負担を感じているのではないか
という仮説。

負担は無理につながりやすいと考えれば、
緊張して硬い動きしかできない
左側のペースに合わせてみることも
一つのヒントになるのではないか。
おそらく右側にとっては
それほど苦にならないような気がするので、
試してみたりしている。
まだ右から左への切り替えがうまくできずに
時々混乱する。
利き手というのは
主導権を握りたがるものであることがよくわかった。
それが利き手であることの証
ということなのだろう。利き手の主張。

でも、それほどまでに
主張する必要があるのかな?
何でもかんでも一人で引き受ける必要が
あるのかな?とも思ったりしている。


また、昨年のキャンペーンで得た認識を
体に覚え込ませることも続けている。
いずれにしても続けることが大事と考えている。
こうした仮説&検証は失敗も繰り返しているけれど、
懲りずにやっているのは
ただそれがおもしろいからのこと。
気をつけているのは、故障しないようにすることと
夢中になりすぎること。
慣れないことをするのはけっこう疲れるもの。
長い時間をかけているつもりではなくても
負担になっていることは十分にあり得る。
このあたりの判断が甘くなりやすいので
気をつけたいと思うのだけれど。


最近、自分の緊張状態に対する
先生のコメントが「なるべく緊張しないように」から
「絶対に…」に表現が変わってきている。
これはどういう意味だろう。

久しぶりに名家の表演映像を見た。
長い時間をかけて練功を重ねることでしか
得られないことが確かにあると思う。
与えられた時間は限られてはいるけれど、
できるだけ丁寧な練習を重ねていきたいと思う。

自分に期待したいと思います

2006-01-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
元旦の東京はとても寒いです。
小雪がチラついても
おかしくないくらいの底冷え。
うーん、4日に予定している
仲間内での合同自主練のお天気はどうでしょう。
ということで、今年も「日日是導引」です。

今年の「導引はじめ」は
意識導引と站トウを中心に形ばかりのものに。
単鞭、懶扎衣、白鶴亮翅など、陳式を中心に。
あとは歩法のチェックをしたり、
雲手を楊式と陳式、孫式とそれぞれ15分ずつ。
室内でできることは限られてしまいます。
午前と午後、そしてお風呂前にと、
回数だけはコマメに増やしてみていますが、
これからはもっと意識を集中して行う練習を
心がけるべきなのでしょうね。
量を増やすだけでは不足していると思います。

この2年くらいは緊張感対策に
煮詰まったりしながらの我慢の日々でした。
教室の練習だけでなく
生活全体から見直しました。
自分がいつどんな時に
緊張するのか、しやすいのか。
それはどのような緊張感なのか。
その緊張を解くために
何をどのように試みたか。
その効果はあったか。
常に意識しながらチェックしていきました。
本人は真剣ですが、
普通の人なら呆れてしまいますよね。
何もそこまでしなくても…って。
なんでそこまでやるのだろうと、自分でも思います。
でも苦にならないんです。
導引が好きだからなんでしょうね、たぶん。
いや、好きというよりも
自分の一部分みたいになりつつあるのかな?

日々取り組むものというよりも、
自分とともにある自然な感覚かもしれません。
ですが、それは今このときに限って
言えることなのかもしれません。
明日になれば状況が変わっていたりするのかも。
きっと、それもまたよしなんだと思います。

最近、自分に期待することを覚えました。
少しずつですが、新しい楽しみ方を
覚えつつあるみたいです。