松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

『導気令和 引体令柔』……導引という呼称の由来

2009-02-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
『導気令和 引体令柔』とは
導引という呼び名の語源となった文言であり
当然ながら導引のめざすものも表現されています。

導気令和は「気を導いて和せしめる」
気を巡らせて和みの状態にすることです。
導気は道士の修養でもあり
具体的には吐納法を主とする静功により
精神を静めゆったりと落ち着かせて(調心)
呼吸をととのえ(調息)
気を巡らせ和みにすることのようです。

引体令柔は「体を引いて柔せしめる」
筋や肉を伸ばして関節をゆるめ
柔らかな状態にすることです。
引体の起源は「舞」と考えられています。
屈伸旋回動作をもって
体のすみずみまで動かして
強ばったり萎縮している筋肉に働きかけることで
全身を柔らかな状態にととのえます(調身)。
導気を静功とすれば、引体は動功ですね。

以上のように、
導引は導気の「導」と引体の「引」を
組み合わせた言葉ですから
その両方の性質(目的)をあわせもつことになります。

じつのところ太極拳は、
はじめからこの「導」と「引」の要素を満たしているのです。
そればかりか導引をさらに豊かなものにするような
繊細で多様な動きや姿勢(型)の他に
それらを可能にする考え方や意識の用い方などといった要素も
兼ね備えているのです。
こうしてみると、太極拳導引というのも
とくに珍しいというわけでもなさそうですね。

但し太極拳の技は格闘護身技であり武術です。
これは揺るぎないことです。
その上で導引要素に特化した太極拳鍛錬を行うのが
太極拳導引です。



これが今の私が理解している(と思っている)太極拳導引観です。

靴下からのメッセージ

2009-02-20 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
いままで五本指靴下を履くことが多かったのですが
じつは最近、ちょっと困惑するようなことが…

ちなみに私はストッキングが苦手で靴下を愛用しています。
普通の靴下から五本指靴下に移行したのは
導引を始める前のことです。
足指の動きが自由になることの解放感に
感動したことがきっかけです。

ところがです。
最近、練習中に足指の付け根あたりに
足裏部分と足指部分の双方のねじれが集中して
ちょっとつらいかな?状態になることが増えています。
以前から足の動きに合わせて
靴下が撚れることはあったのですが、
その状態がいままでよりも
ちょっと強くなっているのでしょうか。
ことに単一方向への動作を
くり返し練習するときはちょっとたいへんかも。
靴を履いていればまだ緩和されますが、
すべり止め強力タイプがいいのか
普通の靴下も選択肢に入るってことなのかも?
うーん…


ひとりでやってみよう 2009

2009-02-13 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
私達の教室は2月の大会終了後に
新しい一年が始まるようなところがあります。

専科クラスでは、これまでの練習内容を
さらにブラッシュアップさせるような方式を
試みることになりました。
今回先生から提示された内容は
昨年提示された導引練習要領のチェックリストをもとに
養生の概念や導引練習内容に対する理解を
さらに深めていこうとする狙いがあることは明白です。

具体的には、各自でそれぞれの目標を設定し
個人練習計画を作り、実践練習していこうというものです。
つまりそれぞれが主体的に取り組むためには
どういうことを準備し、計画し、実行し、検証していくのか。
これはなにも導引練習に限らず、
自分で何か事をなすときには、だれもが普通に
ごく自然にやっていることなわけで。

“ひとりでやってみよう”シリーズの最新版は
少しばかりハードルが高めな気もしますが、
ここをクリアできたら
一段と自由に楽しく練習できそうな気がして
ちょっと楽しみでもあるのです。



大会終わって春になり…

2009-02-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
2月1日に開催された太極拳の大会(交流競技会形式)に
今年も練習仲間とともに出場しました。
大会に参加する度に何かしらの学びを得てきましたが、
今回もまた、好い体験をさせてもらったと思います。



硬さ(放松不足)は相変わらずです。
肩も上がっていることも分っていました。
身体状況は、ほぼ自覚できていたと思います。

コート上でスタンバイしてから
表演開始の合図が出るまでに
随分と待たされたにもかかわらず、
ことの成り行きを見守りつつ
目の前で起こっていることと
適度な(心理的)距離を保つことで
なるべく気持ちを波立たせないような調整も
まずまずできてたみたいです。

じつは自分で意識的に調整したような
自覚があまりないのです。
自らの主体的行為によるものだったのか
状況に応じただけのものだったのか…
どうも曖昧なんですね。


もう一つは失敗で得たこと。
表演の半ばまでは意識で導く方向へと
流れて行ってると感じていました。
実のところ流れているのか、流されているのかは
定かではありませんでしたが、流れは感じていました。

ところが、その不思議な趣きの流れを
自分のつまらない欲によって
ブチッと断ち切ってしまったのです。
すると、それまで確かにあった流れは
跡形もなく消えてしまいました。
気を取り直してはみたものの、
その後の流れは
全く別物になってしまいました。
それは明確な身体感覚として残りました。

あー、やっちゃった!!
釣り損ねた魚はでっかいぞ~
 ………まさにそんな感じでした。



立春も過ぎて陰の陰から陽の陰へ。
地中の種も芽を出して
地表を目指して着々と伸び始めています。
春がその姿をあらわすまでには
まだ少しの時間が必要ですが、
自然の流れは春ですね。