松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

養生で心がけたいこと その2

2007-05-31 | 養生の栞-食・眠・動-
  四季の変化を意識する

古人は自然界を観察し続けることで
そこからさまざまな法則を見出してきました。
変化する自然の様子を観察しつつ
人々の生活も変化させていた
(というより、変化せざるを得なかったのかもしれませんが…)
のかもしれません。
それは健康のためというよりも
生き延びるための智恵だったのでしょう。

自然環境が刻々と変化することを当り前とするのなら
その変化に準じて
私達の生活も変化させたなら
体も喜びそうな気がしませんか?

季節ごとに
その季節らしい生活を送るように
心がけてみるのも
養生といえそうな気がしてきますね。

昨今のように
季節の変化がどんどん曖昧になって
均一化されてきていることは
静止しやすい状態を強制されている
ともいえそうなことです。

夏は夏なりに暑く過ごし
冬は冬なりに寒く過ごすような生活環境を
意識的につくり出すくふうが
これからは必要になってきそうです。
意識的に私達の体内環境に
四季をつくろうとするようなものですね。

運動、睡眠、食事、衣服などあらゆるものを
体の内外の変化に応じて
ふさわしいものに変化させていくことが
養生となるような気がしています。


養生で心がけたいこと その1

2007-05-29 | 養生の栞-食・眠・動-
中医(東洋医学、漢方)の療法を受けていると、
体が本来持っている自然の力を引き出して、
それを最大限にいかすことを
目指しているような気がします。
その意味で養生とは
自分で体に働きかけて行う
主体的調整法ではないかと思います。
つまり自分でできる
自己保養とでもいうのでしょうか。

中医で考える健康な状態とは
すべてのものがのびやかに動きまわり
さかんに出入をくり返しているような状態
といえるかもしれません。
そして行き過ぎれば抑制し
足りなければ助けながら
衰退しないように防いだりと、
いろいろな要素が
互いに調整しあいながら
全体のバランスを保っているような状態です。
注目すべきは
状況に応じて常に変化し続けていることです。


  静止しやすい状態を避ける

養生を考える場合、
体内を気(エネルギー)、血、津(しん)などが
潤滑に巡り動いていること、
体の隅々にまで命令が行きわたること、
そのような状態に整えることが
はじめの一歩となります。

そのためには
一般的な運動に対するイメージを
もう少し繊細に(きめ細かく)とらえる必要が
あるのかもしれません。

たとえば運動不足を解消するために
自分ではせっせと全身運動を行っているつもりでも、
実際にはあまり動いていない部位があったりしませんか?
そんなはずはないと思っても、
いま一度チェックしてみると…
たとえば首、肩、腰、膝、足首など、
指の関節ひとつひとつに至るまで動いていますか?

体全体はひとつの部品ではありません。
全身が動いているかのように見えてはいても
動いていない部分は意外に多いものです。

改めて運動する目的を考えてみると、
まずは動かないでいる状態、
静止した状態を避けようとするためのもの
になるかと思いますので、
その目的を果たすためには
なるべく体の隅々まで動かそうと意識する
ことが大切になってきます。

余談ですが、太極導引はこの点でも
かなりお勧めできる運動です。
全身を使うこと
その上で全身のバランスがとれなければ
ゆっくりとは動けないのだ
というのが身をもってわかります。

いくら自分では動けているつもりでも、
どうしても緊張して
硬くなってしまうものなのですよ。
それでも練習をくり返すうちに
少しずつ動けるようになってきます
(実はだれでもできることなのですが、
やってみた者でないとそれがわからないのです)。


さて、話を戻しますが、
静止しない状態、全身をくまなく動かすというのは、
常にせわしなく動いていることを言うのではありません。
じっとしていなければならない時だって勿論あります。
そうした状況にあったとしても
せめて動かせそうな部分だけでも
できる限り固めないように動かすことが大切だ
ということです。
それなりのくふうが必要になりますね。
また、長時間にわたって
同じ体勢を取り続けるような状態を
なるべく避けるように心がけることも。

また、一つのことに心を奪われて
そのことばかり思い詰めているような場合などは
心の静止状態ともいえるかと思います。

体も心も静止しやすい状態をなるべく避けるように
心がけてみましょう。

さらには笑うという手もあるかもしれません。
最近、声を上げて笑っていますか?
笑うと顔の表情筋が動きます。
さらに声を出して笑うと
普段の呼吸では使わない筋肉を動かすことになり
横隔膜や声帯を動かすこともできます。

笑うことだけでも
いつも使わない体の部分を動かせます。

表情が乏しくなったと感じる場合は
たいてい表情筋がこわばっているのだそうです。
そういえば中国語(普通話)の発音練習をしていると
口の周りが疲れるのですよ。
これも運動になっていたのかも。アイヤ~


養生の考え方

2007-05-22 | 養生の栞-食・眠・動-
中医学でいう養生の考え方は、
健康であるときもあれば
そうでないときもあるのが自然
というのが大前提となっています。
つまり健康とは
病気にならないこと
そして
病気になっても健やかに暮らせる体の状態
をいいます。

中医の考える健康な状態は
言わば一点のシミもないことをいうのではなく、
多少のシミやそばかすがあっても
ニッコリできればOKみたいな
大らかなところがあるといえるかもしれません。

実はこうした汲々としない鷹揚さも
健康を考える上では大切な要素となります。

中医では病気になる要因のひとつとして
内因(七情)をあげているほどです。
心のあり方は体の状態に大きく影響する
と考えているのです。

養生に興味を持ったのは
自分が比較的長期にわたり
不健康な状態にあったことが影響しています。
最初は何とかして早く治そう、
良くなろうと考えていたのですが、
病気とのつき合いがしだいに長くなるにつれて
(病気と対抗することに)精神的に疲れてきました。
できることならば
病気と折り合うようなつき合い方のほうがいいのかなぁと、
自然に思い始めたのです。

日々変わる体調に
一喜一憂するのも疲れるものです。
いたずらに体力気力を消耗させるだけです。
でも、病気というものは
いとも容易く不安定にさせるものなのですよね。

そのような環境で養生という
いのちに対する見方、考え方に
触れていったわけですが、
目新しいものは特にありませんでした。
どこかで見聞きしたことのあるものが
ほとんどでした。
ただ、それらの根底にある理論までは
知りませんでしたから
その原理・根拠がわかってくれば、
なるほどそういうことかと腑に落ちることばかりでした。
古人が長い時間をかけて
自然観察をくり返しながら見出した法則が
智恵として伝わってきているわけです。
養生もまた、
いのちを通して健やかなときもそうでない時も
穏やかに愉快に暮らしていくための智恵なのかも。


自然の流れに順行する

2007-05-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
やはり立夏をすぎると
何となく陽射しが強くなってきたような気がする。
連休を前に急に入った仕事も一段落したはずだったのに、
予想外の展開になったりで
当初の連休予定とはだいぶ変わってしまった。
フリーはいつでもこんなもの。

そういえば今年の春は
いつも以上に体調の変動が大きくて、
不調と感じる状態が多かった。
その原因としては
自身の体が変動期にあることもあるが、
天候不順による影響も
少なくなかったのではないかと思う。

過呼吸症候群を改善するために
漢方療法を受けるようになってから
なんとなく興味があった中医学方面。
太極導引を始めてからは
さらに身近になってきたので、
少しずつ本を読んだりしている。


病気になる原因(病因)について、
中医では内因、外因、内外因という分け方を
しているようだ。

内因は主に体の内部に原因があるものだが
内臓疾患などをさしているわけではない。
中医では七情(七つの感情)によると考える。
過度の感情が病気を引き起こすことになる
ということだ。

外因は主として体の外にあって
病気の原因となるもの。
中医では六淫と癘気(れいき)がこれにあたる。

内外因とは、内因外因のどちらにもはいらない
飲食物や疲労、外傷、中毒、遺伝などが
これにあたるとされている。

天候不順などは外因にあたるわけである。

外因にあたる六淫とは六気が変質したもの。
六気とは
自然界で人体を包み込んでいる大気の六つの状態
風・暑・湿・燥・寒・火)をいうもので、
そのままでは人体に害を及ぼすことはない。
しかし、六気に過多もしくは不足の状態が生じたり、
人体が六気に対する抵抗力をひどく失ってしまったときに、
六気は六淫となり病因となってしまう


たとえば冬の寒さが厳しすぎたり(厳冬)、
冬らしい寒さに至らなかったり(暖冬)、
暑いはずの夏が涼しすぎたり(冷夏)するような状況下で、
人体の抵抗力が低下して
自律神経機能が乱れていたりするときに
発病すると考えられる。
中医ではこうした発病原因を「」といい、
六淫はそれぞれ
「風邪」「寒邪」「暑邪」「湿邪」「燥邪」「火邪」といわれる。
このように六淫は
季節との関係が深いともいえるわけだが、
それだけで発病に至るわけではない。
同じ条件下で誰もが発病するというわけではない
ということだ。
そのときの人体の状態もかかわってくるからだ。

六気が六淫(邪気)となる場合とは、
自然のリズムと人体のリズムの相関関係によるといえそうだ。
自然のリズム(流れ)に流されている、
流れに乗っているような協調性のある状態にあるときは
健康状態であり、
自然のリズムに逆らうような協調性が乱れた状態にあるときが
病気になりやすいと考えられる。
つまり自然のリズム(流れ)に素直についていければ
問題はないということは、
仮に問題がある時はその問題を抱えたままでも
とりあえずその流れの中に飛び込んで、
流れについていこうとすることが解決の糸口となる?


練習でも同じかもしれない。
うまくいかないのには必ず理由(原因)がある。
流れを読む、見きわめること。
それができなくても
とりあえず目前の流れについていこう
まかせてみようとすることができるかどうかかな。

実はこの「まかせる」ことが
自分にとっていちばん苦手なものだったりもする。
これから先はなかなか厳しそうな気もするなぁ。
でもココを通過しないと先が見えないこともわかっている。