松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ 部位05

2012-04-29 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月も最終週を迎えました。
重心に比べると
部位はちょっと難しかったかも。
そもそもこの理論講座は
イメージトレーニングのようなものかなと
思っているので、
教室での動作練習に限らず
日常生活での動作でも十分に
いや、それこそが練習なんじゃないかと。



月末の推手練習。
天候の影響もあったのか
珍しく痺れをともなう坐骨神経痛が出た。
それでも右側は好くないなりにも
かろうじて意識の通りは感じられたが
左は全くダメだった。
左肩関節で断たれてしまう。
そうすると、なぜか胸骨がピリピリしてきて
胸を閉じる(背中側に退く?)ような姿勢をとりたくなる。
呼吸が浅い。
最後まで重心が浮ついて落ち着かなかった。

表層が鎧にでもなったような感じ。
外界と交わることを拒否するような感じ。
これは重心が居場所を見失っていたことと関連してるな。
そんな気がする。
三層が層をなさずにごちゃごちゃになってる感じ。

練習後は坐骨神経痛はほとんど痛みとしては
感じなくなっていたんだけど、
翌日右胸骨側の大胸筋などに筋肉痛が出た。
いままでになかったこと。
右の方が左よりも動いていたように感じてたけど
実際はとても無理してたらしい。
あの状態には不適当な動き方をしたんだろうな。
鎧着てて動いたら筋肉痛にもなるよなあ。

下肢に違和感があった分
上半身が力んだんだろうなあ。
頑張ってしまうというよりも
不安や怖さがあったんだろうなあ。
体は逃げたがっていた。
逃げ方を知らなかったということだろうなあ。




☆股関節の動き方をチェックするのは
感覚ではなかなか難しい。
結局のところ膝の動きを通して
確認するのがわかりやすい。

☆胸を開く(緊張を解く)のは
骨盤の安定とリラックスと思うな。
胸だけで開こうとすると反り腰になるし。
腰鬆であることが
胸の緊張を解放するんじゃないか。

練習メモ 部位04

2012-04-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月の課題の部位。
部は関節の動きに意識して
動いてみています。
では位のほうはどうなのか。
ということでイメージの方も少しずつ。



位は三層からなるイメージとのこと。
表層と深層はイメージしやすいと思う。
体の奥の方の中心と自他との境界面の層。
層の厚みは人によりさまざま。

自分のイメージ感覚だと
中心層は濃度的に濃く
表層は薄い感じ。
何の濃度なのかというと
よくはわからない。
色のようでもあり、熱のようでもあり。

このへんのことを先生につたえてみたら
濃度は視認できるものだという。
イメージは視認できないもの。
感覚的なものか。

そうか…
じゃあ、色も違うなあ。
まだ熱の方が感覚的だよなあ。
そうだ、密度だ。
濃度みたいだと表現したのは密度だ。
密度の差を感じたんだ。

表現するときはどうしても
できるだけ正確に伝えたいと考えてしまうから
ついつい感覚的なことも
具象的なものにたとえようとしてしまう。
それでは伝わる中身が(伝えたかったものとは)
違ってきてしまうんだよな。

感覚的なことは伝わりにくい。
というか万人には伝わらないものだという
スタンスでいないと。
まったくもって
「考えるな、感じろ」の世界だよなあ。



練習メモ 部位03

2012-04-24 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
蹴りの要素は歩行に含まれています。
歩を進めるにあたり
必ず独立する瞬間があります。
片足で体重を支えるには
重心を意識することになります。
蹴りは歩であり、
歩はいつでも蹴りになります。
そうなんじゃないかなと思ってます。




擦脚で交差させる足を運ぶ時も独立になる。
膝から持ち上がるように意識することで
大転子が回転する(股関節が動いている)。
もし股関節の意識が薄かったりすれば
たぶん大腿骨の骨盤側(大転子)と骨盤が
癒着しているかのような動き方、
たとえば脚を上げると
骨盤ごと持ち上がったりするのだろうな。


股関節を意識して練習し始めてほどなく
上体が沈み込むときに
股関節まわりが苦しくなることが気になった。

ひとつずつチェックしていく。
交差する前足の置き位置も
とくに問題はなさそう。
腕は頭上に持ち上げるというよりは
体が沈むから頭の上にくる
というような意識でいるので
高からず低からずの位置にあるかと思う。
となると、股関節の回転の問題か?
左旋回と右旋回で感じ方も違うな。
右の方がやりやすい気がする、などなど。

で、結局よくわからなくなり
先生に尋ねてみることに。


動きには流れがある。
ある動きの状況の一部を取り上げて
窮屈に感じるのならば
その先の動きを想定してみる。
いま感じている窮屈さが
次の動きに流れていく上で
必要なものであるのか、
そうではないものなのか。
流れの中で見きわめることを忘れないで。

そのような答えだったように思う。


チェックする際の視点の置き所
とでもいうのかな。
動きを細かく分割していっても
それは静止状態ではないこと。
たとえ止まってるかのような状態になろうとも
動きのなかの1コマとしてとらえること。
つまりは見かけやその感覚に惑わされるなと。
チェックすべきは深層部の状態。
深層まで意識が届いていれば
たぶん微かな動きでも
感じ取れるようになるのだろう。

次の動きへ無理なく流れていけるようなら
その直前の窮屈な感じには
それなりの意味(必然?)があるということか。

この件に関しては
まだ理解したとは思っていない。
間違った解釈をしてるかもしれない。
とりあえず今回は
動の視点でチェックするとメモしておこう。


練習メモ 部位02

2012-04-22 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
股関節は重要な働きをしているわりに
動きの状態などを感じ取りにくい(観察しにくい)
関節だったりするのだそうです。
そういわれてみれば、
股関節に限らず下肢の関節は
上肢の関節に比べると
動きも大まかな傾向にあったり、
全般的に意識の巡り方が薄いような気がします。




擦脚の場合、蹴る前に身体を旋回させながら沈め
その反動を利用して脚を回しあげて蹴る。
まずは前半部。

体を沈めた姿勢は歇歩(xie bu)とほぼ同じ。
太極拳導引の場合、身体状態によって沈む程度は自由。
体の状態を観察しつつ緊張感が出る手前まででOK。
もうちょっとできるかなと思うくらいが
少し余裕を残した感じでよいみたい。
そんな程度でよいのかと思う方も
いらっしゃるだろうが、
太極拳導引の練習の醍醐味は
一見ゆるそうにみえるところに
ひっそりと輝いているように思ったりしている。
厳しくはないけれど妥協はしていない。



さて、話を戻すことに…

体を回すときはウエストから捻らず
骨盤と上半身を一体化させて回すように
意識をすることが大事。
そうしようとすると、
否が応でも股関節が動くことになるから。
股関節に意識すると
かえって股関節が緊張して固まってしまい
動けなくなるようだったら
骨盤を意識してみるのもいいかも。
骨盤を回してみて
脊椎が回転軸になってると感じ取れたら
たぶん姿勢はまっすぐになってると思う。

そんなふうにしてひとつひとつ確認する。
そのためにはかなりゆっくりとした動き方をする。
動きをコマ割りにして、こまかく分割していく。

そうすると自分の動ける範囲がわかってくる。
回転しすぎればそこで動きが止まってしまうし
回転不足になっても同じようなことが起きる。
いずれにせよ次の動きに繋がらなくなってしまう。
それで仕方なく筋力を使って戻ってくることになる。
本来ならば体が戻ろうとするエネルギーが
自然に生じるわけで、
それを利用して動きがつながっていくのだが。

動き方の程度が過ぎても足りなくても
自然のエネルギーの流れにロスがでてくる。
そのロスを補おうとして
余分な筋力を使うことになる。
そのようなことが日常のさまざまな動作に
無意識的に反映されているのだろう。
こういう見直しの機会をもつこと
そして、なるべく自然な動き方に戻れるように。
自然な動き方を知っている体に
安心して任せられるように
自分が変わる。考え方を変える。


関節だけにポイントを絞っていても
全体のバランスを感じ取ることは自然にできる。
当たり前のことなんだけど
そういう当たり前を
ひとつひとつ確認していくことが練習になっている。



練習メモ 部位_01

2012-04-19 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今月のテーマの部位。
部の具体的な場は関節とのこと。
柔らかな動き、滑らかな動きは
関節の使い方(動かし方)がポイントになる
ように思います。



体質としてそれほど柔らかくない人や
ものすごく硬い(と思っている)人でも
関節の動きを意識して見直してみることで
前よりも柔らかな動きを表現できるようになる。

関節が柔らかく動くようになる、
思い通りに動いてくれるようになるのは
関節を動かしている
周辺の筋肉の使い方が変わるから。

硬い動きにみえるのは
関節が本来の動き方を十分にしていないから。
曲がり方が少ない
回し方が不足している。
いくつもの関節が
連動して動く際の協調がいまひとつだったり。

つまりこんなところにも関節があったんだ的な
再確認からのスタートだったり、
肘や膝関節は、構造的には
曲げ伸ばし(屈伸)しかできないのだけれど、
「膝を回す」とか「肘を回す」と言った表現をする。
しかもそのようにできている。
じつは肘は肩関節が、膝は股関節が動くことで
回って見えている。

「○○を回す」という表現は伝わりやすさから
うまれたんだと思う。
肘や膝が回って見えるのだから
できてるかできてないか確認しやすいもの。

だけど太極拳導引は
見かけのことよりも中身を重視するのだから
自分の身体の動きを
もっと丁寧に観察していくことが練習となる。
その手始めとして、関節を意識してみることは
最適なのではなかろうか。

そんなことを思いながら今月の課題がスタートした。

やさしさに包まれたなら

2012-04-12 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年の桜はゆっくりと愛でることができました。
この季節、毎年桜は咲いているのですが
なぜか去年の桜の記憶は定かではありません。
ああ、桜が咲いたんだなあと思って見上げたことは
何となく覚えてるのですが。


3月は相馬で暮らす友人の誕生月でした。
去年の誕生日は彼女と彼女の家族の安否情報を
探しまわる中で迎えました。
今年は桜の花のカードでメッセージを送りました。


そして先日、彼女から手紙が届きました。
《昨年を振り返ると本が一冊書けそうなくらい
いろいろなことがありました》

あれから一年を経て
少しずつ平穏を取り戻しつつあるものの
周りには今もつらい環境にたたされている人が多く
心から喜ぶことはできないといいます。

そうでしょうね。
日常生活は周囲の環境も含めてのことなんだなあと
改めて思います。
素直な感情表現、とくに喜びや嬉しさ、楽しさとか
本来なら周りまで明るくするようなエネルギーが
ふっと抑え込まれてしまいそうになる状況というのは
せつないですが、同じ状況にあれば
私もそうすると思います。
デリケートな“きもちのもんだい”ですね。

そういえば整体スクールの師匠から
ある地区の仮設住宅を訪れた時の話を
聞く機会があったのですが、
皆さん芯から疲れていらっしゃるそうです。
仮設住宅はあくまで仮の宿のようなもの。
我家ではありません。
身も心も芯から休まる所ではないのです。
たとえどんなボロ家でも
帰ってくればほっとするもの。
ほっとしたいのですよね。



北上を続ける桜の花が
みなさんの張りつめたこころやからだを
すこしでもやわらげてくれることを祈ってます。







今月の課題 「鬆(松)と静」「部位」

2012-04-10 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
4月の課題は「鬆(松)と静」と「部位」。
「鬆(松)と静」は毎月共通の課題なので
今月の新テーマは「部位」です。



■鬆(松)と静

先月の講座内容に記載しているので
リンクさせていただき(こちらから)
こちらには講座メモの部分を転載。


「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。

 1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる

 2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
        固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。

 3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。



「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。

 1.無外…周辺は無視して練習する
        視而不見、聴而不聞。
        (みえてもみない、きこえてもきかない)

 2.無欲…欲を持たずに練習する
        事例:成敗(うまくいくか、いかないか)        
           得失(得られるか、失うか)
           美丑(うつくしいか、そうでないか)

 3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する




■「部位」の「部」

部は「場所」

今回は「関節」に意識して動く
 
動作の中で関節がどんな風に動いているか観察する
意識の届きにくい(動きの硬い)関節はないか 
大きな関節から指などの小さな関節まで
くまなく意識を巡らせて動いてみる

観察するためにも
できるだけゆっくりと動くことになる



■「部位」の「位」

位は「位置」

表層・中層・深層の3つの層から
構成されているイメージを持ちながら動いてみる
内部から外を見るような視点を持つ
 





◎講座メモ◎

・鬆(松)の3段階
  力鬆は体感できる鬆
  体鬆・形鬆はイメージ中心の鬆

・静の3段階
  イメージが主体となる


関節の動きは伸展、屈曲、回転からなる
膝、肘、指のような関節以外は
複合的な動きをする

位は空間概念をもつ3次元イメージ





部については関節という具体的な対象があるが
位についてはイメージ力がいる。
当座は3層あるそうだって感じでも
よいのではないか。
習練を重ねるうちに少しずつわかってくるだろう。
時期がくれば自然とわかる。
探ろうとすることが意識することではない。

まずは具体的な関節を意識してみること。

練習メモ 重心_04

2012-04-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日の推手練習では
久しぶりに先生と組みました。
具体的に指導されたのはごくわずかで
あとは黙々と推手に集中。




体の左側はつねに緊張していて
意識も気血の巡りも鈍い。
腰痛も五十肩も腱鞘炎も左に出ている。
偶然なのか、意図的なのか、
先生は左の単推手から始めることが多い。

意識が鈍いという意識が
相手の存在を過剰に意識させる。
その結果、体の動きが硬く可動域も狭くなる。
十分に体を動かせてない。
そして中心をとられてしまい、
主体的に動けなくなってしまう。
相手の思うまま。
この状態から逃げよう(主体的に動こう)とすると
力を使わなければならなくなるから
動きたくても動けない。
そこで停止する。

一度中心を取られてしまうと
次は取られまいと余計な意識が働くから
ますます集中できなくなる。
まさに“飛んで火にいる何とやら”な状態だろう。
気持ちの切り替えができない。
ここぞというときに
集中できることが大事なんだな。


次は右手で。
こちらの方が左手よりは自身の重心を意識しやすい。
推手は相手と直接触れているのは手だけれど
集中するのは自分の重心(3月のテーマ)。
今の自分のレベルでは
手を意識すれば手の方に意識が偏る。
だから手は相手に預ける。
そんなことも右手ではできるんだな。
この感覚は引き出しにしまっておこう。
いまは追っかけたりはしない。

しだいに肩の力と腰の緊張がほぐれてきたら
内部の動きが軽くなってきた。
股関節も滑らかに動く感じ。
なるほど中心から動いてるような感じ。
もしかしてこれが連動状態の感覚か?


練習メモ 重心_03

2012-04-04 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
毎月最終週は推手をやっています。
推手をやり始めた当初は
さっぱりわかりませんでした。
いまだ何となく程度の理解ですが、
意と動きの連動のしかたや
鬆と静の状態など“いまどきの自分”が
いくらか感じ取れるようになってきました。
が、いまもって相手の存在に気をとられ
集中できてないなと思います。




・重心は主体の証でもある?

推手は主導する立場が入れ替わる。
始まる前から相手を意識していることに
改めて気づく。
ひとりで動くときとは明らかに違う。
確かに他者と組んでいるのだから
それは自然なことなのかもしれないが、
目指していること(練習目的)は
ひとり練習でも推手練習でも変わらないはずなのに
微妙に変わってくるんだな、これが。

そのことを感じてしまうと
次から次へと気にかかることが出てきてしまう。
だから一つだけに絞る。
今回は重心。重心に集中してみる。

そうすると相手のことも
前ほどには気にならなくなってきてるような
気がした(気休め程度か)。
そうか、相手が気になるときは
自分の内へと意識が向かえばいいのかな。
一点に集中することが
むしろ全体の状態を良好にする。
いまのレベルでは
一点に集中して気を散らさないことも
大切なのだろうな。
重心も同じ。中心の「心」だもの。

重心の位置が体の中心から外れると
重心を追いかけるように体は動く。
体が動くのは
重心と中心が一体であろうとするからか。

重心は体の内にあり、その主体は私。
ということは
重心は私ってことでもあるわけか。