松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

寒の入り、初稽古、そして発熱

2013-01-16 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
5日から小寒に入りました。
この日は新環境のもとでの初稽古でもありました。

いままでのように
ホームグラウンドにあたるような練習空間を
持っているわけではないので
公共施設を利用しながらの練習会スタイルです。
会場によっては
机やイスなどを部屋の片隅に寄せたりして
設営からスタートすることもあります。
どこへ行ってもまずは自ら動くことから始まります。
準備はすでに心の内から始まってます。


練習はいままでと変わることなく
ただ場所が変わったということだけで
淡々と静かに過ぎて行きました。

大きく変わったのは
練習後の1コインランチ(500円♪)という
至福のひとときを過ごす機会がなくなったことくらい
でしょうかね。
個人的にはこれまでより若干練習量も減りましたね。

昨秋以来、なるべく今までと近い状態で
練習を続けていかれる方向で準備してきたわけですが、
こうしていざ始まってみると、
またいろいろ気づいたりしてくるものです。
動いてこその発見、気づきだったりするわけで。



ということだったのですが、
先週の7日、どうも風邪っぽい様子。
それもいつもの感じとはちょっと違うなと思っていたら
翌日から発熱、A型インフルと診断されました。
折しも8日から、風呂場&洗面所の改修工事が始まるという
絶体絶命の大ピンチ。
最初の3日間を母がなんとかふんばってくれました。
熱が下がった時点で母と交代しましたが
最低限のことだけで何とか凌いで乗り切りました。

老朽化した家、老親、介護、インフル、
年明け早々から試されているみたいですね。


新年のごあいさつ

2013-01-01 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
あけましておめでとうございます


十干十二支では癸巳(みずのとみ)にあたる今年。
干支は、幹を干、枝を支として
要は植物の生長になぞらえて
その過程をあらわしているわけです。 

癸は十干の最後ですから
ひとつの生命体の最終段階にあたります。
実を残して自らは枯れる。
終わりは始まりでもある段階。
大きく転ずる、変化する時期です。

これまでの仕組みや働き、価値観など
いろいろな場面で
大きく揺さぶられるんだろうなと思います。
ものごとの本質をみきわめる
根源的なものに立ち返るときなのかもしれません。

また十二支の巳という漢字には
包(旧字体では中が己ではなく巳)に含まれる
巳と同じ意味、つまり胎児の意味をあらわすとも
いわれてます。

というわけで、個人的には
命とか生存にかかわるようなこと、
生き延びる努力を問われるような気がしてます。
そこまでの気力が意志があるのかと。
活かされるのは生きてこその話だろうと。

でも、だからといって危機感をもって
サバイバル的に取り組もうというわけではないのです。
昨年末の国政選挙の結果をみても
この国のバランス感覚はあまりにお粗末。
ことあるごとに内外から揺さぶられ
試され続けることになるのだろうと思います。
そうした意味では
漫然と過ごすことはできなくなりそうだなと。

そして我が身においては
老親のこともいくばくか背負って
頑張ってきたつもりでいましたけども、
自分の足腰の限界を超えれば
無理というもの。
気持ちの問題で解決できないこともあります。
やはりどこかで自分が可愛いくて
自分がラクになることを考えてしまう。
振り子はいつも揺れ続けており
自分自身のことすらも最低限のことさえも
できずにいたりするのです。
いまだに肚が座っていません。

そんな自分の精神的支えでもあった
太極拳導引教室も閉鎖となり
新たな環境で自分達の団体として
太極拳導引を続けて行くことに。
まずはこの一年をなんとか無事に乗り切りたい。
基盤づくりの一年です。

どこを向いても転機を迎えています。
自然の営みはどこへ向かおうとしているのか。
いま改めて古人が残してくれた教えなどを頼りに
さまよっています。

まあ、なるようにしかなりませぬ。
山あり谷ありのように見えても
たいていのものは平らに戻ります。
そんなものであります。


ということで、
今年もぼちぼちとやっていきます。