松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ 連続02

2012-07-20 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
真夏日が続いています。
暑中お見舞い申し上げます



先日の練習でのこと(練習メモ 連続01)について
先生と話すことができた。

まずは結論から。
最優先される要求は「鬆・静」。
そのときどきの状態において
力まず落ち着いた状態でいられる(続く)ようにする。

そして体調が落ちているときや
特定の部位に違和感があるようなときの
練習の仕方、考え方について
少し解説してもらった。


体力的心理的負担がふえると緊張する。
体調が落ちてるとわかること
違和感がある部位がわかること。
違うなと感じている「いまの感じ」に注目する。
この「いまの感じ」が
練習でどのように変わって行くかを観察する(味わう)。


要求に則った動き方をさまざまな角度から確認
(ゆっくり動いて動作を細かく分けてゆき
緊張状態の変化をチェックしていく)しつつ、
身体を動かしながら
いま感じている緊張の種類を洗い出してゆく。
緊張の種類は、力みによるものと
そうでないものと考えてよい(らしい)。

方法はいたって簡単。
ほとんどの緊張は力みが原因となるケース。
だから緊張が強まってきたら
まず意識して筋や関節など力みやすい部位の力みを
解くよう試してみる。
これで緊張に変化が出れば、力みによる緊張になる。
緊張が解けた段階でおそらく、
それまで感じていた違和感も動き方にも
変化を感じるだろう。

そして力みを解いてみても
緊張に変化がみられない場合は
それ以上の緊張を身体に強いない動き方を
意識して行う。
例えばそれは姿勢や身体の動かし方の
許容範囲内での微調整によって
いま感じている緊張感と折り合いを
つけることになる。


調子をととのえるというのは
「いつもの感じ」にすることではなく
不調感の解消が目的なのではなかろうか。
これは整体の施術にも通じるのだが
身体には個性というか
それぞれの傾向みたいなものはあるけれど
厳密にはいつも同じってことはないと思っている。
(個人的には「だいたいこんな感じかな~」程度の感触が
得られるような調整ぐあいが
好い感じなんじゃないかなと思ったりしてるわけで)

いつもの感じにとらわれると
それとの比較ばかり考えてしまって
いまの感じを受けとることが
おろそかになるような気がする。
つねに「いまの感じ」と向き合い続ける
(これも連続?)ことが大切なんだろうな。
それが先生が言われるところの
「味わう」っていうことなんじゃないのかな。




ちなみに先日の自分の場合だと
まず夜中に脚足がつったのは
無理な動き方をしたのが原因と思われる。
練習中感じた緊張感で動きにくくなった件については
先生の指摘と自分の感じている緊張感との
狭間で揺れてた(迷いがあった)心理的緊張もあったので
なんともいえない。



練習メモ 連続01

2012-07-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
蒸し暑い日本の夏。節電の夏。
練習仲間は皆エアコンをあまり好まず
自然の風が好きなので
いつでも窓を開け放して練習しています。
蚊に刺されます。網戸がほしいです。



このところ坐骨神経痛と思しき違和感と
仲良し状態が復活中。
自分の身体の状態が少しずつわかってきて
その対応法もいろいろ覚えた。
その時々の状態にあわせ
自分なりの対処法でやりすごす。
それは我慢するとか耐えるというのとは
ちょっと違ったものになる。
少なくとも心理的には落ち着いていられる。


今月のお題(課題)となる連続をテーマに
腰から下肢にかけての状態から
どのような動きができるのかを探ってみることに。

自分なりにまず考えたのは鬆・静の連続。
第一の主でもありすべての基礎となる状態だから。
動きたいことをいつも通りにやってみて
緊張が強まる部分があると
いくらかでも緩和する動き方を探ぐりながら
形の動きをつなげて行く。

すると先生からは例のごとく
手先で動いている、回転が足りないと
指摘された。
ある局面では回転しすぎとも言われた。

前に同じように指摘されたときは
自分の意識不足があった。
でも今回は、内面への意識をメインに
もっていこうとの自覚がある。
内面への意識はその人にしかわからないと
たしか講座でもきいたような記憶がある。
そして回転の不足とは外形の要求である。
導引は内面の要求を第一に考えると
自分は理解している。
そして鬆・静は内的要求のなかでも
最優先ではないのか。

「これ以上の動きをすると
緊張がより高まってしまうので」

そんな言葉が口をついて出た。
それに対して先生は何も仰らなかった。
状況的には反抗的発言にも見えたかもしれない。
素直じゃないというような。
でも、自分にはそんなつもりは毛頭もなく、
今この瞬間を真剣に練習してただけだったのだが…。
実際、(先生の指摘を受けた)その後の練習では
相変わらず緊張を感じつつもそちらは二の次に、
先生の指摘に従って回転を主に変更した。

先生「そうです」
(私:やっぱり外形なのか…)
先生「肩を上げないで」
(私:回転に合わせた動きの余波(緊張など)が肩にきた?)

自分のなかでは内的要求よりも
外的要求を優先させたという認識はたしかにあった。
それが心から納得しての変更だったかといえば…
曖昧だったかもと、いまは思う。
いまいち心残りな練習の感触が残ったのは
たぶんそのせいだろうな。
その日の夜は足がつってしまい
痛くて眠れなかった。
やっぱり負担となる動き方をしたのだろうな。
結果的には心理的緊張も加わるなど
緊張が減るどころではなかったな。
こうして当初の目標だった鬆・静の連続は
失敗に終わった。

でもその一方で、何だか次のステップが
見えてきたような気もしてる。
この件については
後日自分の感じていることや考えを
先生に話して、改めて教えを受けるつもり。


今月の課題 「鬆(松)と静」「連続」

2012-07-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
7月の課題は「鬆(松)・静」と「連続」です。
月イチの座学にもだいぶ慣れてきた感じがします。
当初は理論講座という響きだけで
何となくいつもとは違う空気が漂ってましたが
この頃はすっかり自然体(鬆・静)。

理解した(と思う)範囲で
主体的な練習を重ねていけば
思考も体感もこなれていくものらしいです。
練習から生じた疑問や質問などに対する解説は
スッと理解できたりします。
何事にも旬ってあるような気がします。




■鬆(松)と静

「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。

 1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる

 2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
        固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。

 3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。



「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。

 1.無外…周辺は無視して練習する
        視而不見、聴而不聞。
        (みえてもみない、きこえてもきかない)

 2.無欲…欲を持たずに練習する
        事例:成敗(うまくいくか、いかないか)        
           得失(得られるか、失うか)
           美丑(うつくしいか、そうでないか)

 3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する





■「連続」は止まらないこと

1.鬆・静の連続…落ち着いた状態が続く

 起床から就寝までの活動時間帯を
 落ち着いた状態で過ごすようなこと


 静=停止ではない。
 動不動に関わりなく落ち着いた状態はある。
 静かで落ち着いた穏やかな考え方というのもあるだろう。
 仮に動きにしぼってみれば、
 対象の動きに合わせるように(協調)して
 自分も共に動けば、動いてないかのように
 感じることはよくあること。
 (みかけに惑わされるのは視覚に頼りすぎるからか)
 ときに揺らいだり慌てることになったとしても
 できるだけ速やかに落ち着いた状態になることを
 意識して実践すること。
 目指す方向はひとつだが、
 そこに向かうことができさえすれば
 手段や方法は不問と言えるのかもしれない。
 様々に変化する現象に影響されて
 内面のバランス(平衡)が保てなくなったままに
 なることの方がずっと問題かと。

 状況や状態の変化を感じる、観察できる
 そんなニュートラルな状態が
 鬆であり静なのだろう。
 つねにリラックスと落ち着きを保つには
 自分の状態がいまどのようになっているかが
 体感でわかるとか
 ありたいと思うイメージが描けていることなどが
 必要なのかな。
 そうすれば状況の変化にも
 自らの意志判断で主体的に適応できそう。
 受け身的な変動として受け入れるのではなく、
 主体的な変動へと変換させるというか。
 いってみれば「気持ちの問題」へと
 つながっていくのかもしれない。
 そうした意味でも鬆・静はポイントになるのかな
 という気がしてきた。



2.重心移動の連続…重心を動かし続けていく

 重心の移動は回転をともなうことを忘れずに



3.主従変換の連続…メイン(主)は交代しつづけるもの

 いつでもどの部位でも主となり得る状態にあること
   →自分の意識しだいでつねに自由に決められる



4.形断意不断…意識を止めない

 形状は止まって見えることがあっても
 意識は滞ることなくつねに巡っている状態にある



ちなみに1・4は内面的課題(目では確認できない)
2・3は外面的な課題(目で確認できる)ともいえる

 

練習メモ 主従05

2012-07-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日の推手練習のなかで
遊び感覚で護身的な動きをやりました。



練習していたのは単推手。
今回は片手での正雲手のように
タテ円を描くものを練習した。

体の中心から動くことができていれば
体の向きに応じて
とくに意識的に回そうとしなくても
自然と動きの向きが変わっていく。
手だけで動いているときは
体幹の動きに連動していないから
手を動かすための力が加わる。

先生が指示する動きのポイントは
視認できる範囲での説明になる。
動きは目に見えるものだからわかりやすい。
いわゆる「百聞は一見にしかず」ではあるが
どんなふうにみているか、
視点、目のつけどころみたいなことで
違ってくるとも思う。

たとえば雲手の掌の向きが変わり始める
ポイントについて。
ある一点で一気に変動するのではなく
その前から少しずつ変化の兆しがあっての動き。
でも、動作解説する場合は
自分の身体のセンター軸を通過したら捻る
というような表現になったりする。

この場合の主は形の解説だよな。
まずは形がどのように変化してみえるかを伝える。
そしてそれが理解できたら次の段階。
中身から外形の変化を作り出していく方法を
伝える。
おそらくはそういう段階を経るんだと思う。

中・上級者ともなれば形の解説の時点で
すでに中身からの動きが形を生み出す
(形よりも中身)と理解してるから
先生が伝えたい核心に
近づいているのかなとは思う。
だが、理屈がわかったからといって
思うように動けるかといえば、
これはまた別なわけで。
わかったと思ってたことが
じつは勘違いなんてこともよくあるし。
練習は頭と身体を使って
双方の理解内容を検証しつつ
程よくこなれて(ブレンドされ)
さらに理解を深めてくれるようなものかと。
練習仲間それぞれの個性的な味わいが
楽しかったりもする。




先の練習で個人的に気になり出していた
「受け」についての関連メモ。
たまたま片手雲手を応用した護身の例として
遊び感覚でやったのだけれど、
どうも自分は攻撃的になりやすいらしい。
とはいっても好戦的なわけではなく、
むしろ攻防の空気感が苦手といってもいい。
先生の打ち出す拳が
届かない間合いで立ったり
遊びのような感じと了解しているのに
身体が硬くなっているのがわかる。
やたら緊張する。
気持ちはどんどん退いてるのに
身体は打ち出された拳に
反射的に向かって行くんだな。
先生の前腕部と自分の前腕部が強く接触する。
何回やっても当たってしまう。かわせない。

気持ちと身体がバラバラ。
おそらくは間合いを詰めて
逃げる余地のない状態になった方が
自然に半身にもなったろうしなあ。
そうすれば否応なく体幹を回転するしか
動きようがなかっただろうし。
でもあれだけ硬くなってたら
体幹も動かなかったかも。