松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

父の死

2017-04-11 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
昨年末に体調を崩し入院していた父が
3月9日の深夜亡くなりました。
母の一周忌の報告をしてから
一ヶ月余りのことでした。
ふだん通りに就寝して
そのまま亡くなりました。
行年90歳
老衰による自然死でした。


これをもって7年と数ヶ月に渡る
介護生活の幕が下りたことになります。
はじまりが突然なら
終わりもまた突然でした。
とはいっても老衰の進行は明らかでした。
入院直後から厳しい状況でしたし
それなりの覚悟はしてました。

今回ばかりは本人も自覚があったようで
今までには口にすることもなかった
「俺は(これから)どうなっちゃうんだろう」
「後のことは頼む」
「ひとりぼっちにさせてしまうなあ」
などなど、気弱さが目立ちました。

亡くなってからひと月がたちましたが
数ヶ月分の疲労感を感じています。
母のときとは随分と違う感じがします。
(確かに一連の手続きの数量も内容も
段違いではあるけれど…)



こうして親を送ってみたら
次は自分の番だなと
ごく自然に思ったりしたのも
ちょっと驚きでした。

自分の暮らしの再建をと考えつつも
始末を想定せずには考えられない。
どのように生きるかは
どういうふうに死にたいかと同義。
それは暮らし方、はたらき方でもあって、
それは収入と支出のバランスだったり、
気力体力の充実(生き甲斐)と
消耗や衰え、病とのバランスだったりとか。
ある時期から程よいバランスのためには
より身軽になろうとするのかなと。
捨てたり諦めることを着実に実践していくこと。
足るを知るを体現していくこと。
淡々と充足を味わう愉しみをしること。

自然の理というのは
ほんとによくしたものだなあと思います。


父の入院

2016-12-23 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
そろそろ母の一周忌の準備を始めようとしていた矢先、
ホームに入所中の父が体調を崩し入院しました。


急激な血圧の低下と極度の脱水症による緊急入院でしたが
もともと弱かった腎機能がほとんど機能していない状態で
あと一日入院が遅かったら…
なかなかにきわどいタイミングでした。

最初の一週間は、急変の際は連絡しますので
というような状況でした。
二週目には、検査の度に数値に改善がみられるものと
そうでないものとが入り混じるなど、
高齢者ならではと思われる一進一退な経過をたどり、
そうして三週目となってようやく
入院当初よりは一段階よくなったのかな、どうかな?
でも、入院直後から行っている
心電図モニターチェックはいまも続けられているので、
状況なりの落ち着きはみられるものの
安心という段階とはまだいえないのではないかと。
それでも担当医の言葉の端々に
ほんの少しホッとされてる感じが漂ってます。

もちろん今のところは、の話です。


母は十分に生きたからいつ迎えがきてもいいと
常々言っていましたが、
父は死を怖れているようです。
母はずっと心身が弱かったからか
死をごく自然に受け容れていたようで、
折にふれて自分の死後に関する希望などを
私に話しかけてきました。
かたや父はといえば、母から
生前整理の話を持ち出されようものなら
夜中にうなされてしまうほどの人で
遺った者で好きなようにすればいいと言うのが
精一杯という、きわめて対照的。



そんな父ですから妻を亡くした年の末に
体調を崩して入院となれば
どんなに考えたくないと思っていても
否応なく自分の残り時間を意識してしまうのか、
そのいたたまれない気持ちをぶつけてくるものの
私は適当にいなしてしまいます。

それを黙って(耐えて)受けとめてきた
あなたの妻はもういないのですよ。
それはあなたもわかってるはず。

母が最後に教えてくれたのは
淡々と暮らす日々のなかにこそ
愛しさが宿るということ。



親を看取る経験もこれが最後。
いつかはくるであろうそのときまでは
できることならば母がそうであったように
父にも父らしく生ききってほしい。
できることは限られるけど
こうして見守っていくこともまた
看取りの過ごし方かなと思っています。








母の死 その後

2016-05-10 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
長らく更新もせず
ご心配をかけてしまいました。

書き記したいことはあれど、
目の前の現実は
その時間も心の余裕も奪っていきます。
人の死が社会的に完結するまでには
諸々の手続きが待っていて
(故人の死亡直後から次から次へと
怒濤の勢いで始まり、一年近く続きます)
当然の事ながら、そのどれもが
この社会から母が存在していた証しを
一つずつ消去する作業なわけです。

そのたびに味わう
哀しく寂しくせつない思いは
葬儀の比ではないなと
個人的には感じています。

こうした手続きは親族の代表者ひとりが
ほぼ背負うことになります。
私のように初めて経験する場合や
故人と同居してたりすれば、
生活そのものの中に故人の面影や喪失感が
あふれています。
葬儀から日にちがたつに連れ
親族間でも故人への思いも微妙に違ってきます。
それはあって当然のことです。
それぞれの生活環境のもとで
故人への思いも熟成され続けているのだから
そこは互いに受けとめていきたいもの。

身内が欠けた痛みと向き合い
故人を悼む日々を通じて
生き残った者にそれぞれ宿るものが
あるのではないかと。
そうやって時間をかけていくのが
追悼でありお弔いなのかもしれないなあ
と思ったりしているこの頃です。



母の死

2016-02-11 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
母が1月13日に入院したこと、
そして状態はよくないこと
今後急変の可能性が大きいことなど
ちょこっと書き記しました。



1月31日の夕刻
母が息を引き取りました。
享年86歳でした。

急変は、ほんとに思いがけず突然に
やってくるものなのですね。
前日の母との会話も
ごくごく他愛ないものでした。
たとえば2月の大会前の練習の様子とか。
母が私に向けるやわらかな視線と
微笑んだ顔をおぼえています。

最後まで痛みを訴えることなく
穏やかな最期でした。
きれいな顔で眠っているかのようでした。
声をかけたら眼を開いて
来てくれたのねって言い出しそうなくらいに。

先生や看護スタッフの方々をはじめ
母を迎えにきてくださった葬祭社の方からも
「とてもきれいなお顔ですね」と
褒めていただいたくらいです。


私は母の死に立ち会うことができました。
あっけないほどの幕切れでした。
脈がしだいに弱くなっていって
打たなくなる。停止する。
呼吸が止まる瞬間、
すべてが静止するのです。

死に瀕した母の身体は
驚くくらいにひんやりとしていたのに
亡くなってみると、
それが温もりに感じられるのです。

まだこんなにあたたかいのに…って



一生忘れないと思います。


母の入院 -花熟帯落-

2016-01-25 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
今月の13日より母が入院しました。
すでに介護付有料老人ホームにて
特養待機中の父(要介護4)がいますので
いよいよダブル介護が現実のものとなりました。

昨年一年でずいぶんと弱ってきていた母ですが
本人は陽気不順の影響を受けて
いつもの体調不良がちょっと強く出ていると
話していました。
なにぶん私たち姉弟が幼少の頃から
必要最低限の家事労働以外は
ほぼ床に臥せっているというのが
母の日常生活でしたから、
活動的な母の姿などまず見たことがありません。
したがって年相応に弱っていっていくなかで
本人が苦痛を訴えるわけでもないし
いつものことだからと言われれば
そういうものなのかなと思ってしまうわけで。


母の状態はよくないです。
医療法としては緩和ケアがベストという状況。
しかし、いわゆる重篤といわれる状態にあっても
とくに苦痛を感じないで、できることをして
入院するまでの日々を暮らしてきたわけですから、
こうして医師から診断を下された(病気)とはいえども
私としては、これは老衰の範疇なのではないのかな
と思えてしまうというか、
そういう理解の仕方になってしまうのです。
ですから当然のことながら、病をみることよりも
残りの命を全うできるような方向で考えたいと。

しかしながら現実的には、いまこの時期の急変は困る
という家族の事情があったりして。
できればもう少し頑張ってほしいと願ってみたりと
この期に及んでもなお欲が湧いてくるのです。
母自身も同じようで(病名告知はしていません)
もう充分すぎるほど生きてきたからと言いつつも、
やはりまだ明日を信じているように見受けられます。

別れ際に「また明日ね」と、ことばを交わすたびに
いまは落ち着いてはいるものの
これが見納めになるのかもとの思いがチラッとよぎります。
当初の一週間はホントに現実の重さに狼狽えてましたが
ほんの数日前から、その重さの抱え方に
少し変化が見えてきたように感じています。
何人もの方々から口々に頂いたアドバイスの
「先々のことを考えず、目の前のことだけをみる」
その私なりのポジションに近づきつつある?
ようやく探り当てそうな気配?
そんな余裕がほんの少し出てきたかな。
それでもまだまだ些細なことで動揺しますけどね。



花熟帯落とは、すべてには適時がある
というような意味あいなんだそうです。

このタイミングで事態が動いたということは
母にとっての適時なのだろうと思いたいし
家族にとっての適時なのかもしれません。

母の状態はいまのところ落ち着いていますが
日々衰弱は進んでいるので
今後急変の可能性は大きくなっていきます。


いまの私にできることは
とにもかくにも私が元気でいることです。
そう言い聞かせて励ましています。

【介護メモ】退院、ホームでの新生活

2014-12-26 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
前回更新から1ヶ月以上もの間
心ならずも放置状態となってしまいました。
話題には事欠かないほど
師走前からひた走るハメとなってしまい
更新する余裕がなかなか…
ということで、ようやくの更新です。



■父が退院、介護付有料老人ホームへ

じつは去年の同時期に実現するはずだったのですが、
退院直前になって父が体調を崩してしまい頓挫、
そのまま継続入院となっていました。

そして一年が経とうかというタイミングで
再び主治医から今後について話し合いを持ちたい
との連絡があり、
去年と同様の手続きを経てホーム入所となりました。
父の場合は今回が二度目でもあったからなのか、
話し合いの場を持ってから2週間程で
ホームとの契約を済ませて退院という慌ただしさ。
あれよあれよと何か追い立てられるような感じで
事が進んで行きました。

たしかに父は本来ならば去年の11月には
退院していたはずなのですから、
父がベッドを占領し続けていたことで
どなたかが待たされていたことになります。
ですから退院の道筋が立ったなら
一刻も早くというのは当然といえば当然で。
これほどの期間までお世話くださったことは
何ものにも代え難く深く感謝しています。

ただ、私個人としては父のキーパーソン
(事実上の身元引き受け人)に指名されたことで、
否応なく他者の人生まで背負う(責任の)重さに
よろけっぱなしで消耗しつくしただけの話です。
そして自分には諸事万端を頼めるような人は
おそらくいない。ということは
事前にここまで準備する必要があるのかな
と考えるだけで溜め息が漏れるような日々を
過ごしていました。


■ホームでの父

ホームに入所してからの父は相変わらずの日々。
要望があってもスタッフの方達には
直接伝えることをしません。
家族(母や私)が面会に行けば
ここぞとばかりに愚痴るだけ。
要は自分の要望を直接伝えようとはせず、
家族を介して伝えようとするのが父のやり方。
でも、これは父にもホームにとっても
あまりよいことではないので
よほどのことでない限り聞き流しています。

ホームでは日中は起きて夜は休むといった
基本的な生活サイクルを通して
生活感覚を取り戻していきたいというのが
父の希望でした。
が、父の生活基本軸は自由気まま。
他者との協調生活など考えられない人です。
幼少期の環境もあるとは思いますが、
人と合わせるくらいなら我慢する方がマシ
というのが流儀で、口癖は「しょうがない」。
自分の意にそぐわないことは
しょうがないと諦めるようにしてきたのです。
つまり話し合ったり、ぶつかり合ったり
自ら主張したり選択することは一切しない主義。
これはこれで窮屈な生き方に見えるのですが
たぶん最期まで変わらないと思います。

それでもスタッフの方々に介助されながら
日々の暮らしが成り立っていることは
わかっているので、
ホームの職員や現場の方々への愛想は
恐ろしく好いです。
これはホームだけのことではなく
病院でも同様でした。
だからいまのところは概ね良好な関係を
築けているようです。

突然の歩行困難から始まった介護生活。
居宅介護を4年近く続けてきての入院、
そしてホームでの暮らし。
ホームは特養に入所できるまでの限定利用契約です。
ここが安住の地というわけではありませんが
もしかしたらそうなる可能性もあります。

家族には絶対に見せないような笑顔を見せ
些細な介助にも感謝の言葉を口にする。
父が父なりに気を遣っている姿をみることで
むしろホッとしていたりします。
これまでの確執が消えるわけではありませんが
嫌いじゃない父の一面を
少しでも記憶に残せることで
自分も救われているのかもしれません。

父の入院

2013-04-06 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
前回の更新から2日後に
父が高度救命救急センターに救急搬送されました。
2月24日のことです。


脳梗塞、症候性てんかん。
父の場合の脳梗塞は、脳梗塞をおこした血管に
直接血栓ができているタイプではなく、
別の部位にある血栓が剥がれて血管内を動き回り
あちこちの血管をつまらせて
脳梗塞をおこすタイプ(塞栓性脳梗塞)なんだとか。
で、その元となる血栓のありかが
左頸動脈であることも確認済み。
MRI画像をみると、小さな脳梗塞の痕跡がいくつかあるのですが
(そのほとんどが左脳にあります)
この古い脳梗塞というのが痙攣症状をしばしば引き起こすのだとか。
父はこれまでも何度か意識障害を起こしているのですが
それはおそらく肺が痙攣して呼吸不全となり
血液中の二酸化炭素濃度が高くなったためではないかと。
症候性てんかんとはそういうことですね。

今回、脳卒中科専門医の説明を聞くことができて
はじめて父が突然に歩行困難になって
いきなり介護生活が始まった一連の状況のつじつまが
ようやく納得できたように思います。

父の主な症状は身体の右側のマヒと失語症です。
高齢でもあるので左頸動脈血栓の除去手術はせず、
投薬とリハビリ療法を選択しました。

3月になって状態が安定したこともあり
紹介先の病院に転院、いまも入院生活が続いてます。

こうして脳梗塞の発作により居宅介護は中断しました。
タイミング的にはもうこれが限界だったと思います。
父の病状をみても住環境を整えることは難しく
居宅はもはや限界との判断を
ソーシャルワーカーや包括の担当者も支持してくれてます。
今後は老健や特養などの施設入所を目指すことになりますが
これがどれほどたいへんなことなのかは承知しています。

人が一生を終えることがどれほど大変なことになっているのか。
老親をみながら目前に迫っている
老いと向き合う自身のくらしを考えずにはいられません。

【介護メモ】11月_住宅改修工事 他

2010-12-12 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
■11月1日

先月下旬に申請していた住宅改修工事の
認可がおりたため
さっそく工事にとりかかることに。

バリアフリーはなるべく避けて
自力で少しでも動けるように(ケアマネさんからも強くすすめられた)
との方針でお願いした。
現状では玄関からの出入りは難しいと
車イスごと乗りつけるように裏木戸口からの出入りとする。
一応玄関口にも手摺等を設置する工事(自費工事分)を行う計画。

裏木戸から車イスで軒下まで移動し
階段状の敷石を昇降して(両側に手摺あり)
そこから部屋までは伝い歩きで移動できれば御の字だが
立ち上がることがまだできないので四つん這いでの移動。
なるべく四肢を動かす目的もあってのこと。


■11月4日

一応工事が終わる。天候の影響を受け、
地均し目的のために敷設したコンクリートが乾くまでに
やや時間がかかるらしい。
使用可能になるまでに10日間ほどかかるそうだ。

実際に使えるのは再来週以降か。


■11月20日

迎えにくる介護士さんから
工事もすんだというのにどうして使わないのかと
きかれたらしい母。
じつは玄関に近い部屋から移動する際に
父は玄関からの出入りをしたがっているのだ。
しかし介護保険の補助を受けて改修工事をしているので
使わないわけにはいかない。
つまり税金の無駄使いになってしまうわけだ。

しかし母は介護士さんから責められたと思い沈み込む。
介護士さんの言ってる意味は理解しているのだが
その口調からなのか母には叱られたと感じているようだ。
母には幼少期のトラウマがあり
失敗することへの恐怖感緊張感へとつながり神経過敏になる。
持病の自律神経失調症があるだけに
この兆候はちょっといやな感じ。
なんとかやり過ごしてくれるといいのだが…。

とりあえず今月の教室は午後からの参加なので
迎えの時間だけは一緒に立ち会える。
だが自分ひとりの時とは
介護士さんの態度が微妙に違うと母は言う。
送迎担当の介護士さんは交代制。
否定はしないが同調もしない。軽く受け流す。


■11月22日

定期診察を受けに病院へ。
今月も弟が時間休を取ってクルマをだしてくれた。
玄関に設置した電動昇降椅子から自力で立ち上がり
伝い歩きをしようとする父をみて
先月よりもまた一段と回復していると驚いていた。

診察ではとくに異常もないとのこと。
デイの計測ではいつも血圧が低いと
連絡帳に記載されていることについても、
いまの体の状態ではそれが適性なのだと思われるので
とくに心配はいらないとのこと。
少しずつ運動機能が回復してくれば
それに応じて筋力も改善されてくるだろうから
いまは無理のない範囲で
なるべく動くように心がけてほしいと言われて頷いていた。


■11月23日

祝日でもデイは通常通り。
きょうから裏木戸の出入りを使う。
なんとなく母の様子が興奮ぎみに感じる。
ムキになっているんではないか?気のせいかな。
父は部屋から四つん這いになって移動。
玄関の方がラクらしい。
うーむ、どうしたものだろう…。

しかし居間からの出入りは思いのほかスムース。
手摺を使ってうまく転身もできた。
見た目はそれほど手間取っているようには見えないが
あとは本人の感想しだいか。

きょうの介護士さんは
なかなか好い感じで母とコミュしてくれている。
どうやら母もホッとしてるようだ。
やっぱり力んでたんだなぁ。


そして夕方、デイからの戻り。
今度は行きとは逆パターンになる。
車イスから立ち上がり手摺を使って家に入ったところで
介護士さんが送迎車に戻られるのを
お礼を言いつつ見送って車イスなどを片付けがてら
父のもとへもどってみると、
すでにひとりで部屋に戻ってしまっていた。
ものの数分のことだったのだが、
母が驚いて部屋をのぞいてみると
ベッドに腰掛けてひとりで着替えを始めていたそうだ。

いままでやれることは自分でやろうと言っても
自分では着替えもしなかったのに
どうしたのかと思って尋ねたところ、
居間から部屋までそのまま壁を伝いながら歩いてきたのだという。
本人もまさかひとりで歩けるとは思ってもいなかったらしく
呆然としながら自然に着替え始めたところだったらしい。

いやもうビックリ。母と二人してすごいねの連発。
本人はなかば照れくさそうにしてたが
やはりうれしかったのだろう。
その日はいつになく母に向かって
デイの様子を話したそうだ。

母はその晩弟に電話をかけ、
2月以来はじめてひとりで伝い歩きしたことを報告。
父以上に母は嬉しそうだった。
それはそうだろう。希望の光りが一段と輝いたのだもの。
父にとっても大きな手応え、自信となったのではないかと思う。

慌てなくていいから少しずつでいいから
あきらめずに自らの人生を生きてほしいと思う。
歩けない自力排泄が困難なだけなのだからもったいないと
担当医もケアマネさんも介護士の方達も
声を揃えておっしゃっている。
父自身がそう思ってくれることがいちばんなのだが
どうかな?

【介護メモ】10月_デイサービス利用開始 他

2010-11-11 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
■10月2日

デイサービス利用初日。
教室を遅刻することにして
無事出発を見届ける。

初日を前に準備をしていたのに
当日になって先方の予定が変わったりと
さっそく行き違いがあったり。

帰宅時間には間に合わなかったけれど
母ひとりでもなんとかなった。

出かけるときは足下がふらついていたのに
戻ってきたときには見違えるほど
足下がしっかりしていたとのこと。
送迎の係の方達もビックリしていたほど。

もちろん本人の緊張もあったのだろうけど
家から外に出て他人とともに過ごすだけでも
これだけ刺激を受けてくるということ。


■10月9日

きょうでちょうど一週間となるはずだったが
はじめてデイをお休みした。
さすがに疲れてしまったらしい。
何しろ外面がいい人だから
あちらでは何でもハイハイとやってるらしく
連絡帳に貼られた写真をみても
家では見せた事のない笑顔で玉入れなんぞしている。

こういう刺激を受けることで
皮膚までハリが出てきているのだから驚きだ。
車いすとはいえ、半日上体を起こして過ごすだけで
肛門周辺の筋肉に締まりが出てきている。
人間は動物。動いてなんぼのものなのであるなぁ。


■10月18日

病院の定期診察を受けるために
弟がクルマで迎えにきて
父がひとりで伝い立ちして玄関にいることに
とても驚いていた。
それで、ちょっといいところを見せようとして
調子に乗って階段をおりようとして
腰砕けをおこして尻餅をついてしまった。

頭は打たなかったし臀部も打撲ですんだ模様。
骨にも異常はなさそうでひと安心。

定期診察はとくに問題もないとのこと。
処方されていた下剤も
服用しなくてもよくなった。


■10月19日

居宅改修の見積り案から発注を決める。
結局介護保険の居宅改修援助制度を利用するものと
自費で行うものと2カ所。
必要な申請書類を作成することに。
また工事担当者が下見をかねて
後日来訪するとのこと。



デイ通所を始めてから
顔つきや肌のハリなどに変化が現れ
出かけるときは足下がおぼつかなくても
帰宅の際にはしっかりと足に意識が伝わっている。
外出して一定時間車イスにすわって過ごすだけで
外からの刺激と緊張が体の機能を呼び戻すことになっている。

いまはまだデイサービスの内容にも雰囲気にも
慣れていないから素直に通っているけれど、
そのうちさぼり出すのだろうな。
そのときにどのように対処するか、
ケアマネさんにも相談しつつ考えておかねば。

とにかく自分を周囲に合わすことが大嫌いな性格。
決まった時間に迎えがくることがわかっていても
それまでに支度することができない。
今のところはかつかつで間に合わせているけれど
それも家族に急かされてのこと。
いずれ迎えのクルマを待たせたりして
ヘルパーさん達の心証を損なっていくことだって
じゅうぶん考えられる。

介護制度は公的制度だから
利用の際には義務だってあるのだけど
その意識は薄そうだなぁ。
何しろ母に対しては
デイに行ってやってるみたいな態度が
すでに見え隠れしている。
思い違いをしてはいないかと言いたくもなるが、
この歳までこういう考え方で生きてきた人が
聞く耳をもっているとも思えない。

いずれ自分も人の手を借りて生活をするようになる
(たぶん他人、公的介助を受けるわけだけど)ことだろう。
卑屈になる必要はないけれど
気持ちのどこかに持ち合わせていたいものはあるなと。
何となくだけれど親の介護を通して
自分の老齢期をシミュレーションしてることになるのかなぁ。
状況はけっして同じではないのだけれども
それでも考えずにはいられないこともあるというか…

【介護メモ】9月_介護認定の更新 他

2010-10-13 | 花熟帯落-玄冬・老いの風景-
5月下旬に認定審査で要介護3の認定を受けたものの
そこから先が一向に進まず停滞していたのですが
9月になってようやく動きが出始めました。



■9月13日

内科診療予約日。
担当医師からも
日中は体を起こしているように
家に閉じこもらずに
外の空気に触れるなどして
活動時間と休養時間のメリハリを
つけていくことが大切と指導される。
そのためにもデイサービスなどの利用を
強くすすめられる。



■9月15日

ケアマネさんと正式に契約を結び、
デイサービスで生活機能訓練や入浴、
介護ベッド、車イスのレンタルなどといった
具体的な介護保険利用プランの提案をうけました。
こちらからの希望は以前から話していたので
プランの中に盛り込み済み。
来週にはデイサービスの見学に出向くことに。


ここへ来て、ようやく本人も
このままではいけないんじゃないかと
思いはじめたらしく
今のところは前向きに自らの意志で了解し
ケアマネさんとの契約書にも
自らサインしました。

自分の老いは自分で受けとめてほしい。
現実は現実として受けとめて
自分の人生の終盤を自分でデザインしてほしい。
そのバックアップを家族でしたいと思っているのであって
父の人生を父に代わって背負うことを求められても、
それはできないと思います。
ひとりひとりが自らの人生を背負うことが前提です。


■9月22日

デイサービスの見学。
時間は1時間弱くらいのものでしたが
疲れたといって横になってしまう。
ケアマネさんのプランでは
歩行困難以外は何も問題ない状態なので
とにかく歩けるようになってもらいたいと。
デイサービスも週3回の通所枠を確保したとのこと。
いきなり週3回で大丈夫なのかと案ずる母に
ケアマネさんは「減らすのは簡単だが
回数を増やすには定員の空き状況しだい。
取れるときに確保しておくべきと」のアドバイス。
見学に同行した母も
とにかくやってみないことには
わからないということで本人も納得。

次は事業所と利用契約をすることになります。


■9月23日

デイサービス利用契約を結ぶために事業所へ。
契約の他にも諸手続きがあって
小一時間ほどかかりました。

デイ通所初日は10月2日から。
いよいよ動き始めます。
ここまで来るのに半年以上かかりました。
ひとまずはホッとしました。



■9月28日

介護認定の更新結果の通知が届く。
初年度に限り半年後に見直しがあるのです。
父の場合は要介護3→要介護4でした。
より介護の必要度が高く判定されたということです。
つまりそれを半年間家族だけで(実質的には母メインで)
介護してきたことになります。

歩けないだけの寝たきり状態は
珍しいのではないかと。
たいていの場合は病的症状をかかえ
衰弱した結果の寝たきり状態かと。

逆に言えばそのくらい父は
徹底して動かなかったんです。
体の感覚すらわからなくなるほど
運動神経が機能しなくなっているんです。
さて、これからどこまで機能回復できるのか。

介護認定度の変更により
ケアマネさんのプランにも若干の手直しがあるようです。


■9月29日

車椅子での出入りのための住宅改修。
ケアマネさんと業者さんが下見に来ることに。
公道に面している玄関口は段差が急で
スロープを使うのは難しい。
裏木戸から出る方がよかろうということに。
でも本人は部屋の入り口に近い玄関の方を利用したい
と思っている(なるべく動きたくない心根が見え見え)。
とりあえず二通りの見積もりをだしてくださることに。

また、デイ通所が始まるので
車椅子や介護ベッド等のレンタル発注も同時進行。
通所開始の前日までには納品の予定とのこと。



介護保険で利用できる限度ギリギリまでを
有効利用しようと工面しているケアマネさん。
父の場合は歩ければ他には支障がないというだけに
このままの状態ではもったいないと言う。
だが当の本人は自分の一生の過ごし方のことなのに無関心。
しかし彼女も甘やかしはしません。
やれることはやってもらいますとピシッ。

そしてその姿勢は家族にも容赦なく向けられます。
この数日の急展開に母は追いつくのがやっとで
少々ペースを落としたくなってきていて
「もう少し時間を…」と言うと
「そんな時間はありません」とキッパリ。

家族とくに母にはややきついかとも思いますが、
援助を受けるというのは
自・他との協調なくしては成立しません。
制度に依存するのではなく
主体性をもって自らも汗するのが前提です。
自立とはそういう姿勢でもあるかと。
ここでもまた導引練習で培っているものに似た
協調性、バランス感覚が問われているような気がします。