変動期を迎えたらしいと
再三のように言ってきましたが、
どうやら入り口の扉を開けて
中に入ってみたらしく
本格的にスタートしたみたいですね。
はじめての更年期です。
太極導引の先生は中医師でもあるので、
このあたりについての中医的な解釈などを
お聞きする機会も少なくないです。
変動期は自然の流れからみれば必定のものです。
あるのが当たり前ということですね。
そんなことはわかってると
誰もが思うことですが、
わかっているのと受けいれるというのとは
少しばかり違うんですよね。
私も実際に直面してみて
はじめてわかることがあります。
実感をともなう自覚というやつですね。
いまのところ想像していた以上に
不安感みたいなものの存在が
やっかいそうな印象。
ほんとに突然、降って湧いたように
じわじわ~んと広がってくるんですね。
なんだろう、この重苦しい感じの緊張感は…。
不安の原因が
なかなか思い当たらないこともあるんです。
これはちょっと想定外の感じだったかも。
こういうのもおもしろいといえば
おもしろい心理面の変化です。
まさに不安定なことが変動そのもの
ということなんですが、
なにしろ変化の様子ときたら
初めて経験することばかりです。
どうもいままでとは違うみたいと
自覚する場合、
いままでとは違うこと=異常なこと
と感じているわけです。
それはいままでの状態を基準にして
考えているからです。
もし「常」ということを
いつものこととして考えるならば、
変化している時期の
常なる状態とは変動ということになるのでは?
つまり日替わり状態にあることが
いつものこと(常態)になるわけです。
極端な表現をすれば、
変動期には変わったこと(異常)が
起きて当たり前(正常)、
むしろ自然なことである
とも言えるのではないかと。
必ずしも異常=悪ではないということですね。
でも、ほとんどの人が
異常=悪と考えてしまうのではないかと。
そのために異常を何とかして抑えたい
という心理が働いてしまいます。
抑圧、抑制は対抗となります。
いうなれば負の力。
抑圧すれば
必ずそれに対抗する力が生まれます。
抑制されたものが、
その状況からの開放を求めて
抵抗をするのは自然のなりゆきです。
したがって症状と呼ばれる現象も
抑圧と開放とのせめぎ合い現象ではないか
と考えているのですが。
症状に対しては
できるだけ抑えたりせずに、
何らかの形で開放できそうな方法を
見つけ出す方向で向き合うようにしています。
これまで学んできた導引的な考え方を
拙いながらも実践応用してみることを通して
自分なりに解釈したりしてみています。
いままで体験してきたこと(過去)は陰。
まだ体験したことのないこと(未来)も陰。
そして、いま現在が陽。
陰と陽は常に変化をくり返しながら
綿々と続きます。
抑制は陰であり開放は陽。
陰があるから陽があるのです。
自然とは陰と陽とのバランスのいとなみで
存在しています。
あるがままの状態を受けいれることが、
より自然な状態に近づくことに
なるのかもしれません。
たとえば樹木は
どんな状況に見舞われても
その場を離れることはできません。
その状況をただ無抵抗に受けいれているだけ
のようにも見えますが、
その一方で、その寿命を比べてみれば
人間の一生よりも
はるかに長く強い生命力を持っています。
養生について考えるときにも、
この視点はありかなと考えています。
再三のように言ってきましたが、
どうやら入り口の扉を開けて
中に入ってみたらしく
本格的にスタートしたみたいですね。
はじめての更年期です。
太極導引の先生は中医師でもあるので、
このあたりについての中医的な解釈などを
お聞きする機会も少なくないです。
変動期は自然の流れからみれば必定のものです。
あるのが当たり前ということですね。
そんなことはわかってると
誰もが思うことですが、
わかっているのと受けいれるというのとは
少しばかり違うんですよね。
私も実際に直面してみて
はじめてわかることがあります。
実感をともなう自覚というやつですね。
いまのところ想像していた以上に
不安感みたいなものの存在が
やっかいそうな印象。
ほんとに突然、降って湧いたように
じわじわ~んと広がってくるんですね。
なんだろう、この重苦しい感じの緊張感は…。
不安の原因が
なかなか思い当たらないこともあるんです。
これはちょっと想定外の感じだったかも。
こういうのもおもしろいといえば
おもしろい心理面の変化です。
まさに不安定なことが変動そのもの
ということなんですが、
なにしろ変化の様子ときたら
初めて経験することばかりです。
どうもいままでとは違うみたいと
自覚する場合、
いままでとは違うこと=異常なこと
と感じているわけです。
それはいままでの状態を基準にして
考えているからです。
もし「常」ということを
いつものこととして考えるならば、
変化している時期の
常なる状態とは変動ということになるのでは?
つまり日替わり状態にあることが
いつものこと(常態)になるわけです。
極端な表現をすれば、
変動期には変わったこと(異常)が
起きて当たり前(正常)、
むしろ自然なことである
とも言えるのではないかと。
必ずしも異常=悪ではないということですね。
でも、ほとんどの人が
異常=悪と考えてしまうのではないかと。
そのために異常を何とかして抑えたい
という心理が働いてしまいます。
抑圧、抑制は対抗となります。
いうなれば負の力。
抑圧すれば
必ずそれに対抗する力が生まれます。
抑制されたものが、
その状況からの開放を求めて
抵抗をするのは自然のなりゆきです。
したがって症状と呼ばれる現象も
抑圧と開放とのせめぎ合い現象ではないか
と考えているのですが。
症状に対しては
できるだけ抑えたりせずに、
何らかの形で開放できそうな方法を
見つけ出す方向で向き合うようにしています。
これまで学んできた導引的な考え方を
拙いながらも実践応用してみることを通して
自分なりに解釈したりしてみています。
いままで体験してきたこと(過去)は陰。
まだ体験したことのないこと(未来)も陰。
そして、いま現在が陽。
陰と陽は常に変化をくり返しながら
綿々と続きます。
抑制は陰であり開放は陽。
陰があるから陽があるのです。
自然とは陰と陽とのバランスのいとなみで
存在しています。
あるがままの状態を受けいれることが、
より自然な状態に近づくことに
なるのかもしれません。
たとえば樹木は
どんな状況に見舞われても
その場を離れることはできません。
その状況をただ無抵抗に受けいれているだけ
のようにも見えますが、
その一方で、その寿命を比べてみれば
人間の一生よりも
はるかに長く強い生命力を持っています。
養生について考えるときにも、
この視点はありかなと考えています。