松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

恩師の死

2013-08-28 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
久方ぶりの更新です。
書き記したいことがたくさんありました。
が、ひとつひとつを丁寧に考察していくには
あまりにも出来事が多く、しかもそれぞれが深い所で
関連しあっているのがわかっているにもかかわらず
次から次へと押し流されている自分。
思考停止すればラクになるのだろうけれど
批評や批判するだけでは流れは変わらないのです。
流れを変えるのは意志のこもった行動です。


理屈っぽいですよね。そうです。
小学4年から卒業するまで
お世話になった恩師からつねに指導されてきたことは
「考える子どもであれ」ということでした。
その恩師が昨年の5月に亡くなっていらしたことを
知りました。享年83歳。



「考える子どもであれ」
「教室での学習をいちばん大切にしよう」
教室にはこうした目標が掲げられていました。
私が小学生の頃、先生は30代後半。
父母とさほど年齢も変わらない年代だと思います。
小学生ながら戦争はよくないということは
漠然とわかってましたが、
戦争についてきちんと正面から話してくれた大人は
S先生がはじめてだったと思います。


先生が私たちの卒業文集に寄せて書かれていたこと。
その概要を以下に記します。

太平洋戦争中、学徒動員で京浜工業地帯の一角、
飛行機の部品を製造する工場での勤労奉仕に
明け暮れていました。
激しい空襲が続く毎日は
防空壕に避難しても生きた心地などしなかった。
狭い壕の中ではケンカも絶えないなど
だれもが疲弊し、すさんだ日々を過ごしていました。
学徒動員の青年達のなかに
空襲警報の度に逃げ込む防空壕の中で
隠れるようにしながら漏れ入る明かりで
ボロボロになった辞書を貪り読むひとりの学生がいることに
先生は気づきます。

やがて戦争が終結し再び学業に戻る日が来ました。
しかし復学はしても
なかなか学業に集中できなかったといいます。
戦時中、あれほど学びたいと思っていたはずなのに
気づけばすっかり学びの精神が錆ついてしまっていたのです。
そのとき防空壕の中でみかけた学生の姿を思い出して深く恥じたと
先生は告白しています。

社会情勢や周囲の環境で同じように翻弄されながらも
彼は自分にとって大切なことを自ら考え、
いまできることを黙々と続けていた。
かたや大人達に混じってくだらない話をしたり
喫煙を覚えたりすることで
いまを生きぬく不安な気持ちを紛らわしていた自分。

自分と同じような後悔、思いを
あなた方にはしてほしくないとの願いをこめて
いくつかの目標を教室に掲げていたと
綴られていました。


さらに先生は卒業文集の扉に毛筆で
ひとりひとりにメッセージを贈ってくださいました。
『世の中の出来事をどう批判するかではなく、
どのように立ち向かうかが大切である』
いま思えば、私に贈られたことばは、
先生の青春期の懺悔のエピソードにも
どこか重なるようにも思えます。



そして時は流れて、いま。
恩師からいただいた言葉を
とてもとても重く感じています。

世の中の流れに逆らうことはできないかもしれない。
それでも自分の意志を貫く流れは
どんなに小さくささやかなものになろうとも
できる限り持ち続けていたい。
恩師から「考える子どもであれ」と教わった
教え子のひとりとして。