2月といえばうちの教室が唯一参加している
交流会(渋谷区民太極拳大会)が開催される時期です。
ちなみに今年は2/21(日)に開催されました。
初参加が第2回大会ですから
すでに8回を数えることになるんですね。
今回、個人の部に出場したのは4名でした。
まずはマダムKさんの24式太極拳。
すばらしかったです。
とても落ち着いてましたね。
文句なしの“そ~ん”だったと思います。
pantayaさん、このところ体の使い方が
メキメキと変わってきています。
表演のすばらしさはもちろんですが
首肩背中上部にかけてのラインはいつも美しい。
ちょっぴり硬さを感じたのは
たぶん体のアップグレード(変化)に
OS(構造機能)のアップグレードが
追いつけずにいるのかも?
タクサンも落ち着いてましたね。
自選套路の内容の渋さもさることながら
柔和な表情ともあいまって、
落ち着いた穏やかさが印象に残りました。
そんなタクサンらしい
風格のある楊式太極拳でした。
それと体の使い方的なことでいえば
この一年で安定感がグンと増したのではないかしらん。
チャレンジと言っていた足技もお見事!
で、わたし自身はどうだったかというと…
楊式太極拳第1組で待機する
わたしの目の前では
陳式太極拳が表演されていました。
こうして目前で陳式を見るのは
2ヵ月ぶりでしょうか。
(楊式を選んだいきさつなどは
すでにブログにも書き込んできましたが)
陳式の最終組が表演する頃には
“恋する気持ち”がふつふつと…スウィッチオン!?
楊式を表演するというのに、
しかもこの直後に表演するというのに、
それはいくらなんでもマズイでしょうと思ったのですが、
「わたしが皆さんに学んでほしいのは
形(型)ではありません。
最終的に目指しているものは別にあります」
「陳式っぽい楊式だって好いんじゃない?それも個性です」
という先生のことばが浮かんできました。
練習中、何かにとらわれていたり、考え込んでたりすると
先生はいつも声をかけてくださいます。
考えるべきはそこじゃないよ、
とらわれるのではなく、
ものごとを捉えるためにはどうあればいいのか。
できるだけ自然であれと
静かに説いてくださるのです。
そうでした。
マズイことなんて
何ひとつ起こってなんかいないんじゃない?
今ここに自分が在ることでOKなんです。
いったん動き出したものを
流れに逆らって止める必要はありません。
この流れがわたしを飲み込むようなこともありません。
もともとわたしの内を流れているのですから
わたしの一部でもあるのです。
この思いは表演が始まっても
最後まで体の中を巡っていました。
うまく表現できないんですが、
いままでだったら、こういう思いは
頭の中だけで巡っていたように思えるのです。
無意識のうちに
頭が体に指令を出して主導専門でいたのが
頭は体の一部なんだよと
からだが感覚で教えてくれたみたいな気がします。
頭ではとうに判っていたつもりですが
感覚的に覚るというのは
いくつになっても新鮮な感動。
それにしても…
“恋するきもち”ってのも
なかなかやってくれるものですよねぇ
交流会(渋谷区民太極拳大会)が開催される時期です。
ちなみに今年は2/21(日)に開催されました。
初参加が第2回大会ですから
すでに8回を数えることになるんですね。
今回、個人の部に出場したのは4名でした。
まずはマダムKさんの24式太極拳。
すばらしかったです。
とても落ち着いてましたね。
文句なしの“そ~ん”だったと思います。
pantayaさん、このところ体の使い方が
メキメキと変わってきています。
表演のすばらしさはもちろんですが
首肩背中上部にかけてのラインはいつも美しい。
ちょっぴり硬さを感じたのは
たぶん体のアップグレード(変化)に
OS(構造機能)のアップグレードが
追いつけずにいるのかも?
タクサンも落ち着いてましたね。
自選套路の内容の渋さもさることながら
柔和な表情ともあいまって、
落ち着いた穏やかさが印象に残りました。
そんなタクサンらしい
風格のある楊式太極拳でした。
それと体の使い方的なことでいえば
この一年で安定感がグンと増したのではないかしらん。
チャレンジと言っていた足技もお見事!
で、わたし自身はどうだったかというと…
楊式太極拳第1組で待機する
わたしの目の前では
陳式太極拳が表演されていました。
こうして目前で陳式を見るのは
2ヵ月ぶりでしょうか。
(楊式を選んだいきさつなどは
すでにブログにも書き込んできましたが)
陳式の最終組が表演する頃には
“恋する気持ち”がふつふつと…スウィッチオン!?
楊式を表演するというのに、
しかもこの直後に表演するというのに、
それはいくらなんでもマズイでしょうと思ったのですが、
「わたしが皆さんに学んでほしいのは
形(型)ではありません。
最終的に目指しているものは別にあります」
「陳式っぽい楊式だって好いんじゃない?それも個性です」
という先生のことばが浮かんできました。
練習中、何かにとらわれていたり、考え込んでたりすると
先生はいつも声をかけてくださいます。
考えるべきはそこじゃないよ、
とらわれるのではなく、
ものごとを捉えるためにはどうあればいいのか。
できるだけ自然であれと
静かに説いてくださるのです。
そうでした。
マズイことなんて
何ひとつ起こってなんかいないんじゃない?
今ここに自分が在ることでOKなんです。
いったん動き出したものを
流れに逆らって止める必要はありません。
この流れがわたしを飲み込むようなこともありません。
もともとわたしの内を流れているのですから
わたしの一部でもあるのです。
この思いは表演が始まっても
最後まで体の中を巡っていました。
うまく表現できないんですが、
いままでだったら、こういう思いは
頭の中だけで巡っていたように思えるのです。
無意識のうちに
頭が体に指令を出して主導専門でいたのが
頭は体の一部なんだよと
からだが感覚で教えてくれたみたいな気がします。
頭ではとうに判っていたつもりですが
感覚的に覚るというのは
いくつになっても新鮮な感動。
それにしても…
“恋するきもち”ってのも
なかなかやってくれるものですよねぇ