動きの最中は何もしないようにしてみると、
今まで以上にいろんなものが巡っている感じがしてきた。
ひたすらに動くことで開かれていくと感じたり、
確かに今までと違う心地よさがあるような気がする。
あれほど気になっていた緊張感のことも、
意識の程度をもっと抑えても
状態が把握できるような感じがしてきて
心理的負担が軽くなっている。
ああ、ようやくゼロ地点が見えてきたのかも…
いま自分が感じている変化を
忠実に表現することはたぶんできないと思う。
敢えていうなら開かれた感じがするということになるのかも。
では、いままでは閉じていたのかといえば
たぶんそうなんだろうなと思う。
要するに意識の仕方、働かせ方がわかっていなかった。
コントロールの意味がわかっていなかった
ということかもしれない。
思いつきのままに意識が巡っているだけで
統括できていなかったから
あちこちでねじれてしまっていたのかも。
ところが今回の一件で
いままでのシステムを解除しまったら
妙にスッキリしてしまったということかな?
意識の扱いにはそれなりのコツがあるのだろう。
チラッと思っただけでも意識は働いており
身体には反応が起こる。
意識はエネルギーでもあるから、
改めて意識でどうにかしようと思ったりすれば、
おそらく予想以上のエネルギー運動が起こるのでは
ないのかしらん。
いわゆる“やりすぎ”みたいなことになってしまうとか。
だからこそ要らない力は入れないようにしないと、
大量のエネルギーを無駄に消費することになってしまうのでは?
おそらく意識のコントロールというのは
制することが中心であり、
助長することは滅多にないのかもしれない。
ということで、いまは何もしないことが
もたらしてくれるものを
ただありがたく頂戴しているだけ。
不思議なことに
いちばん自分の体を身近に感じている気もしている。
歩み寄るって、こういう状態にも使えるのかな。
どのように動きたがっているか、
次に何をしたくなっているか、
といったことが伝わってくるような感じ。
体の声をきくには、いまが聴き時なのかも?
今まで以上にいろんなものが巡っている感じがしてきた。
ひたすらに動くことで開かれていくと感じたり、
確かに今までと違う心地よさがあるような気がする。
あれほど気になっていた緊張感のことも、
意識の程度をもっと抑えても
状態が把握できるような感じがしてきて
心理的負担が軽くなっている。
ああ、ようやくゼロ地点が見えてきたのかも…
いま自分が感じている変化を
忠実に表現することはたぶんできないと思う。
敢えていうなら開かれた感じがするということになるのかも。
では、いままでは閉じていたのかといえば
たぶんそうなんだろうなと思う。
要するに意識の仕方、働かせ方がわかっていなかった。
コントロールの意味がわかっていなかった
ということかもしれない。
思いつきのままに意識が巡っているだけで
統括できていなかったから
あちこちでねじれてしまっていたのかも。
ところが今回の一件で
いままでのシステムを解除しまったら
妙にスッキリしてしまったということかな?
意識の扱いにはそれなりのコツがあるのだろう。
チラッと思っただけでも意識は働いており
身体には反応が起こる。
意識はエネルギーでもあるから、
改めて意識でどうにかしようと思ったりすれば、
おそらく予想以上のエネルギー運動が起こるのでは
ないのかしらん。
いわゆる“やりすぎ”みたいなことになってしまうとか。
だからこそ要らない力は入れないようにしないと、
大量のエネルギーを無駄に消費することになってしまうのでは?
おそらく意識のコントロールというのは
制することが中心であり、
助長することは滅多にないのかもしれない。
ということで、いまは何もしないことが
もたらしてくれるものを
ただありがたく頂戴しているだけ。
不思議なことに
いちばん自分の体を身近に感じている気もしている。
歩み寄るって、こういう状態にも使えるのかな。
どのように動きたがっているか、
次に何をしたくなっているか、
といったことが伝わってくるような感じ。
体の声をきくには、いまが聴き時なのかも?