昨年、てあて整体スクールを卒業したわけですが、
その後もリピート受講をしています。
卒業生としてリピート受講してみると
スクール生の頃とは違った印象です。
認定試験に合格することは
ひとつの通過儀礼にすぎないとは思うものの
合格するまでには
それなりに鍛えられるわけですから
うっすらと一皮むけたってことでしょうか。
3月以降ちょっとお休みしていたので
久々ということになりますが、
このところの手技練習では
受け手の身体の状態が指で感じられます。
というか受け手の身体が
教えてくれているような感覚に近い印象です。
この感覚、深さのあんばいや
引きのタイミングなどに影響してきそう。
何となくわかるようになってきました。
ようやく落ち着いてきたのかな。
私はどうもいろんな情報を
身体を通じて拾いやすい質のようなのですが、
これが裏目に出るとちょっと厄介なことに。
情報に翻弄されて頭ばかりが先行し
身動きがとれなくなる。
その点を師匠から指摘されていたのでした。
自分の身体は自分の思うように動く訳ではない。
多くの情報に踊らされ小手先に走るくらいなら
自分にとって無理のない姿勢、整体をしやすい体勢を
もっともっと追求せよと。
この教えは、太極拳導引の要求にも通ずるものを
含んでいるように思います。
身体の緊張状態からの解放と情緒の落ち着いた状態は
相互に影響し合います。
そこから内外の統一感や平衡状態が導かれます。
整体においても、相手に働きかける以前に
まずは自分の体勢をととのえることから。
それが実際の施術ではどんな感じなのかが
何となくわかって(想像できて)きたら
心理的身体的な力みが減ったような気がします。
まだまだ余計なものがある、捨てられるなぁ。
これまで師匠に指導され続けてきた
姿勢の取り方、指の置き方、引きのタイミングなどなど
改めて確かにそうだわと思うことしきり。
こうした気づきがあると
さらに自ら学び、理解を深め、磨くことが楽しく思えます。
その後もリピート受講をしています。
卒業生としてリピート受講してみると
スクール生の頃とは違った印象です。
認定試験に合格することは
ひとつの通過儀礼にすぎないとは思うものの
合格するまでには
それなりに鍛えられるわけですから
うっすらと一皮むけたってことでしょうか。
3月以降ちょっとお休みしていたので
久々ということになりますが、
このところの手技練習では
受け手の身体の状態が指で感じられます。
というか受け手の身体が
教えてくれているような感覚に近い印象です。
この感覚、深さのあんばいや
引きのタイミングなどに影響してきそう。
何となくわかるようになってきました。
ようやく落ち着いてきたのかな。
私はどうもいろんな情報を
身体を通じて拾いやすい質のようなのですが、
これが裏目に出るとちょっと厄介なことに。
情報に翻弄されて頭ばかりが先行し
身動きがとれなくなる。
その点を師匠から指摘されていたのでした。
自分の身体は自分の思うように動く訳ではない。
多くの情報に踊らされ小手先に走るくらいなら
自分にとって無理のない姿勢、整体をしやすい体勢を
もっともっと追求せよと。
この教えは、太極拳導引の要求にも通ずるものを
含んでいるように思います。
身体の緊張状態からの解放と情緒の落ち着いた状態は
相互に影響し合います。
そこから内外の統一感や平衡状態が導かれます。
整体においても、相手に働きかける以前に
まずは自分の体勢をととのえることから。
それが実際の施術ではどんな感じなのかが
何となくわかって(想像できて)きたら
心理的身体的な力みが減ったような気がします。
まだまだ余計なものがある、捨てられるなぁ。
これまで師匠に指導され続けてきた
姿勢の取り方、指の置き方、引きのタイミングなどなど
改めて確かにそうだわと思うことしきり。
こうした気づきがあると
さらに自ら学び、理解を深め、磨くことが楽しく思えます。