最近のテーマは「骨で立つ」。
骨格を意識して日常行動を行ってみると、
いかに筋力を使っている(筋力に安易に頼り過ぎている)か、
わかってくるようだ。
立つだけでも下肢にはけっこう無駄な力が働いている。
ことの発端は坐骨神経痛対策。
いみじくも誰かが「椅子に座るのがこわい」と言ってたが、
わかるなあ。
痛みというのは記憶の一種でもあるので、
患部が実際に痛んでいることもあるが、
脳に記憶されている痛みの感覚が似たような刺激によって
間違って反応していることもあるにはあるらしい。
なるほどなあ、
考えられないことではない気がする。
椅子を見ただけで痛みを感じるなんていうのは、
脳の記憶の反応そのものかもしれない。
さっそく検証してみることに。
坐骨神経と神経を取り巻く筋肉を意識で消去、
骨だけになってみるのはどうだろう。
とりあえず痛みを感じたら
骨だけのイメージを描いてみる。
思い込むのではなく思ってみるという感じで
ソフトに事を進める。
いかなる時にも「急いてはいけない」というのは、
太極導引から教わった金言(のようなもの?)のひとつ。
すると、徐々に痛みが遠のいていく。
慎重に身体をひねってみたり
痛みを感じた付近に力をいれてみる。
すると痛みの道筋みたいなものがあることに気づく。
また骨だけを…と、くり返す。
じーんとした響きが広がっていく。
たぶん坐骨神経が走っている経路?と
重なっているのかもしれない。
少し苦しくもあるけど、
ちょっとおもしろかったりもする。
ただし湿度が高かったり
陽気の影響はかなり敏感に反応するみたい。
感覚的には数センチレベルで
足の長さが伸縮しているような気分がある。
萎縮しているときは潔くお手上げとするしかないみたい。
芯から硬くなっていて膝も何も伸びない感じで、
ti tuiなどしようものなら
筋肉がぶち切れてしまうのでは!?と思うことも。
ただひたすらに“骨、骨、骨…”と念じていたりして(^^;
最近は脹脛の張り(緊張)を自覚できるようになったし、
またその緊張の度合いもかなりのものと認識。
骨に乗り切れず、どこかに歪みがあるのかもしれない。
もちろん神経痛の痛みに耐えることでも
緊張状態になるだろうし。
歩行時はだいぶ緩められるようになったのだけれど、
導引時はまだまだだと思う。
上体がゆるむためにも、姿勢を維持するためにも
下肢の状態は重要なので、
ここしばらくは観察を続けてみようと思う。
骨格を意識して日常行動を行ってみると、
いかに筋力を使っている(筋力に安易に頼り過ぎている)か、
わかってくるようだ。
立つだけでも下肢にはけっこう無駄な力が働いている。
ことの発端は坐骨神経痛対策。
いみじくも誰かが「椅子に座るのがこわい」と言ってたが、
わかるなあ。
痛みというのは記憶の一種でもあるので、
患部が実際に痛んでいることもあるが、
脳に記憶されている痛みの感覚が似たような刺激によって
間違って反応していることもあるにはあるらしい。
なるほどなあ、
考えられないことではない気がする。
椅子を見ただけで痛みを感じるなんていうのは、
脳の記憶の反応そのものかもしれない。
さっそく検証してみることに。
坐骨神経と神経を取り巻く筋肉を意識で消去、
骨だけになってみるのはどうだろう。
とりあえず痛みを感じたら
骨だけのイメージを描いてみる。
思い込むのではなく思ってみるという感じで
ソフトに事を進める。
いかなる時にも「急いてはいけない」というのは、
太極導引から教わった金言(のようなもの?)のひとつ。
すると、徐々に痛みが遠のいていく。
慎重に身体をひねってみたり
痛みを感じた付近に力をいれてみる。
すると痛みの道筋みたいなものがあることに気づく。
また骨だけを…と、くり返す。
じーんとした響きが広がっていく。
たぶん坐骨神経が走っている経路?と
重なっているのかもしれない。
少し苦しくもあるけど、
ちょっとおもしろかったりもする。
ただし湿度が高かったり
陽気の影響はかなり敏感に反応するみたい。
感覚的には数センチレベルで
足の長さが伸縮しているような気分がある。
萎縮しているときは潔くお手上げとするしかないみたい。
芯から硬くなっていて膝も何も伸びない感じで、
ti tuiなどしようものなら
筋肉がぶち切れてしまうのでは!?と思うことも。
ただひたすらに“骨、骨、骨…”と念じていたりして(^^;
最近は脹脛の張り(緊張)を自覚できるようになったし、
またその緊張の度合いもかなりのものと認識。
骨に乗り切れず、どこかに歪みがあるのかもしれない。
もちろん神経痛の痛みに耐えることでも
緊張状態になるだろうし。
歩行時はだいぶ緩められるようになったのだけれど、
導引時はまだまだだと思う。
上体がゆるむためにも、姿勢を維持するためにも
下肢の状態は重要なので、
ここしばらくは観察を続けてみようと思う。