松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

大寒(たいかん)

2009-01-20 | 養生の栞-季節と養生-
大寒は太陰太陽暦でいうところの
一年最後の節気です。
冬の3ヵ月の締めくくりの時期で
寒さは厳しいものの
冬の農閑期の終わりが近づいてきます。
新しい年を迎える準備をしていても
大地に春が戻りつつある景色を
少しずつ感じ始める頃です。
そういえば、ふきのとうのつぼみも
そろそろ出始める頃ですね。
人もまた節気の変わりとともに
体も心の状態を調整していきます。


個人的な話題で恐縮ですが
先日の脈診でも
肝の働きが盛んになっている
と言われました。
冬は腎がよく働き
春には肝がよく働きます。
これも春の兆しを
体はすでに感じているんですね。
その他にも
目が痒くなり出しているんですね。
どうやらこれもまた春の兆しらしいです。

とはいえ、まだまだ寒い時期であることに
変わりはありません。
ちなみに寒稽古というのは
この日に行っていたものらしいですし
冬土用の最中でもあります。
保養につとめましょう。
季節の変わりめは
心身が不安定になりやすくなりますが、
ことに陰(冬)から陽(春)へと
大きく転換する時期を迎えるわけですから
寒邪、風邪にも気をつけましょう。

中国結び展(みんだ工房)

2009-01-20 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
去年に引き続き今年も
1月2日から3月29日まで
埼玉県山西省友好記念館神怡館にて
中国結び展が開催中です。
今回もみんださんが主宰するみんだ工房が協力、
台湾からの作品も含めて
170点の作品が展示されています。
なお、会期中には中国結び教室(要予約)も開かれるとか。
(詳細は神怡館のサイトを参照ください)


  ↑ クリックすると元画像にリンクします



この作品展を訪れたら
たぶんビックリするような作品もあるかと思います。
なぜならば私達が日本で見知ることのできる
中国結びのイメージではおさまりきれないほどに
本場の本物は懐の広い世界だからです。
いい意味で(これまでの)結びのイメージが
ぶっ飛ぶのではないでしょうか。

作品がもつ美しさも様式も緻密さも
ため息ものです。
だけど、どんなに緻密で精巧な作品であっても
ほどけば1本の紐に戻ってしまうんですよね。

潔いまでに簡潔。
その1本の紐にさまざまな表情を与えて
美しく編み上げていく確かな技を
みんださんは日々研鑽し続けています。

本場の本物の伝統工藝を目にする機会は
そうそうあるものではないような気がします。
チャンスです。



冬土用です

2009-01-18 | 養生の栞-季節と養生-
17日から冬土用に入りました。
期間は2月3日までです。

午前9時近くになっても
まだ凍てついたままの雑草たちの姿は
見るからに寒そうです。
凍えるという現象は
寒さに耐えられないでいるようにも見えますが、
陽を浴びたり気温が上がってくれば
自然解凍して、すこぶる元気なんですよね。
むしろ凍えることで身を護っているというか
寒さに順応しているのではないかと思えるような…。
外気の状況に合わせて
基礎代謝を調節しているのかも。
自然の反応を観察するのはおもしろいです。


この時期に代謝機能が低下するのは
人間もおなじです。
顕著に現れてくるのが胃腸に代表される
消化器系統かもしれません。
食欲が落ちたり下痢や便秘といった現象が
みられることが多いようです。

便秘は割と熱がこもるタイプの人に多いのですが
この時期に便秘するという人の中には
お腹が冷えていて腸がうまく活動できていない
場合もあります(これも基礎代謝の低下現象のひとつ)
お腹を温めてみて気持ちがいいなと感じたら
体は温まりたかったんでしょうね。
お腹が温まるだけで腸が動き始めることもあります。

ところで便秘していると、ついそのことを
意識するようになってしまいますよね。
これだけでも腸には刺激が伝わっています。
さらにそこへ「便秘=体によくない」と思うことで
意識の仕方もより強くなるのでは?
そうなると体の自然な反応を
気持ちの方が待ちきれなくなってきませんか。
一刻も早くスッキリしたくて
ついつい薬に頼ることもあるのではないかしらん。

薬物の刺激によって便意を起こすことは
どうみても不自然(人為的)なことですから
できれば頻繁には行わない方が
本来の(その人なりの)リズムを乱さずにすみます。

ときには便秘のような意にそぐわない現象でも
体の現象に付き合ってみることがあっても
いいのではないかしらん。
(もちろん程度の問題はあります。
そのあたりは常識の範囲内での話です。)


何も便秘に限った話ではありませんよね。
つらいと感じているのは体なのか、
それとも自分の気持ちなのか。
こういう問いかけができるくらいの心理的余裕を
なるべく持ち合わせていたいと思うこの頃です。



最近の練習メモより

2009-01-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
少し余裕が出てきたように思う。
別の言い方をすれば
自由度が増してきたのかなとも思っている。

さまざまな課題についても
対処的直接的アプローチにはこだわらず、
全体の調和を意識して取り組む思考に
変わってきた。

問題点を直接いじくりまわさない
ことを覚えただけでも
考え方や視点の持ち方などの
幅や奥行きが広がったような気がする。
先生から指摘された点についても
そこだけを見ない。
先生が見ているものと
同じものを見ていることが大事。

確認の中身(質?)が変わってきた。
方向性さえ見失わなければ
どんなペースだろうが、
どんなルートだろうが、
いつかはかならず辿り着ける(と思える)。
こんな公平なことはないよなぁ。

もしも見失いそうになったり
見失なってしまったら
なんとか見えそうなところまで
戻ってみる。
それでもわからなければ
先生に質問してみる。

落ち着きがあるというのは
そういうことが自然にできる状態
でもあるんだろうなぁ。

小正月

2009-01-15 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
15日は小正月です。

ちなみに元日を大正月と呼ぶのに対して
正月最初の満月(望)の日を小正月と呼んだのだとか。
本来はこの日までが松の内といわれていたようですが
実際には各地によって違うみたいですね。

以前は15日といえば成人の日だったのですが、
そもそものいわれは
小正月に元服の儀を行う風習にちなんで
成人の日に制定したと聞いたことがあります。


小正月は豊作祈願や家庭的行事が中心となります。
柳や水木の枝に
餅を花のように付けたもの(餅花、繭玉)
座敷に飾ったり
竹柳の先をささら状にして
稲穂にみたてたもの(削り花、削り掛け)
門松や家の中に吊るしたりして豊作を祈るのだとか。
また、どんど焼きもこの日の行事とされています。
この日の朝に小豆粥を食べる風習もありますね。



中国でも旧暦の大正月から15日めの日を
元宵節(上元節ともいう)といって祝います。
(ちなみにこの日までの期間が春節です)
満月の夜ですから、
丸い提灯や龍などをかたどったランタンを飾ったり、
龍踊りや獅子踊りなども見物できます。
そして「元宵」という丸い団子を茹でて食べます。

ちなみに今年の旧暦大正月は1月26日ですから
旧暦小正月の2月9日までが春節になるかと。



変える、変わる

2009-01-14 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
先日の続きというわけでもないのですが、
ちょこっと気になったことなどを
メモ代わりに思いつくままに書き出してみました。
まだ結論らしいものはみつかってません…



変えるというのは
ひとつの行為ではないかと思うのです。
自らの働きかけによって生じる変化、
そこに意志の力を感じます。
作為的というか、
これはひとつの仕業ではないのかと。

そこには目指すべきある一定の方向があり、
目的意識があり、期待される変化(結果)が
設定されているような気がします。
つまり始まりと終わりがある
限定付きの変化です。
そこには成功や失敗といった結果に加えて
評価という欲までが絡んでくるような気がします。


そして変わると言った場合は
変化そのものをひとつの現象として
とらえているような気がします。
それは例えて言えば当事者の視点ではなくて
観察者の視点なのかなぁというような気がします。

変化の方向や程度、時間も限定されないので
具体的には何をしたらよいのか
よくわからなかったりもするかもしれない。
いい方にもそうでない方にも向かう可能性があることを
暗黙のうちに容認しているのかもしれません。

なぜなら限定されていない変化は
終結や期間に左右されない時空間運動だから。
これもまた円で象徴できそうな気がします。
ということは変化の対象は万物となり
自他ともに影響し合うことに。

つまり意志の力で変えたものも
自然の流れで変わったものも
現象として見る限りは
大差ないことになるのかもしれません。

ほ~ら、また戻ってきちゃった(笑


心が変われば

2009-01-12 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。



上記のことばは、
各国語に翻訳され世界中に紹介されている
名言の中のひとつですが、
もともとはヒンドゥー教の教えなのだそうです。

ヒンドゥー教といえばインド。
世界史で勉強したレベルで心許ないのですが、
ヒンドゥー教では
現世は過去の業を生きていることであり
来世の宿命は現世の生き方によって
決定されると考えるそうです。
つまり現世に味わう辛苦は
過去の行為の結果(因果応報の法則)であり、
具体的にはカーストの位階のことを
さすのかなと思ったりしています。
カーストは人々の身分と職業を決定づけます。
カーストの位階は親から継承するもので
生まれた後に変えることはできません。
現在のカーストは過去の行為の結果であり、
それを受け容れて現世を生きることです。
カーストを上るには
現世の行為しだいとなるからです。
そのため人々は来世願望が強いといわれています。

こんな大雑把な事情背景ぐらいしか
知らないのですが、それでも言葉の印象が
ちょっと変わってくるような気もしたり。


そして変えるのではなく変わると言っているのも。
つまり「心を変えれば、態度が変わる…」
というふうには言わなかったんですね。
どうしてなのかな?

写真がフレームによって
切り取られたものであるように
言葉で伝えられるものにも
枠(限界?)があるのではないかしら。
仮に情報を発信する側が完璧だったとしても
受け手側は…少なくとも私は
自分が体験したことの範囲内で
理解したり判断しているだけですから。
……たぶん、そんなものかもしれませんね。


寒の入り 小寒(しょうかん)

2009-01-07 | 養生の栞-季節と養生-
小寒です。今年は5日が寒の入りでした。
5日から立春の前日(節分)までの間が
いわゆる寒の内となり、最も寒い時期を迎えます。
寒中お見舞いも寒の内の習わしですね。

寒の内には小寒と大寒がありますが、
気象データ的には小寒の頃の方が寒いようです。
寒さに負けないように過ごしましょう。

五臓の腎は冬によく働きます。
よく働くから疲れやすくもなります。
そして自然のリズムもまた
日常活動の中心となる日中は短く、
休養をとる夜が長くなっています。
昼間の活動で消費されるエネルギーを
なるべく抑えつつ、
休養をたっぷりとることによって
春夏秋を通じて消耗し不足しているエネルギー分も
補充する必要があるからです。
したがって腎の活動を損なわないためにも
無闇にからだを冷やさないようにすることが大切です。
寒は寒邪となって腎を傷めます。

冬の過ごし方いかんによって
春以降の体調にも影響が出てきます。


ということで、寒中お見舞い申し上げます

母と初詣に行ってきました

2009-01-06 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
3日に氏神様へ初詣に行きました。
今年は珍しく母も同行するとのこと。
母の初詣は10年ぶりくらいかもしれません。

久しぶりに母と歩きました。
かなりゆっくりと歩いているつもりでも
母にはまだ速いらしく
くたびれると散々文句を言われました。

ちょっと遠回りになっても
なるべくクルマが通らない道を選んでみました。
途中から桜並木となるのですが
葉が落ちてしまっているこの時期だと
桜とは気づかない人も多いようです。
なにしろ大人でも抱えきれないほどの
立派な幹をした古木達ですので。

道沿いに連なる桜の古木の幹に手を置いて
「頑張ってきたわね。長生きしてね」と
ゴツゴツした木肌をさすりながら
一本一本に語りかけて歩いている母の姿は
すっかり昔話に登場するお婆さんのようです。
というか、間違いなくお婆さんなんですけども…。

春になればそれは見事な花をつける桜達です。
いつも春に体調を崩す母は
お花見をしたことがありません。
もし体調がよさそうだったら
今年の春は誘ってみようかと思っています。


あけましておめでとうございます

2009-01-01 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
晴天の元旦を迎えられただけでも
何となくめでたいなぁと思えてしまいます。

気持ちというのは、ほんとに些細なことで
高揚したり落ち込んだりするものですね。

お天気ならばまだ余裕がありますが
これが身近な事柄にかかわるとなれば
それこそ乱高下みたいなことに
なってしまうことも。

今年こそは気持ちの揺れ幅を
少しずつ縮めていけるようにしたいもの。

必要なのは余裕なんでしょうね。

余裕はうまれるものではなくて
意識的につくり出していくものだったのかもと
最近になって思い始めています。


年頭の誓いという程のものでもないのですが、
日日是好日を心がけてみようと思います。

とりあえず毎日を好しとするのが目標です。
変に思いを残したり引きずらないように。
時間に波はないですが
気持ちには波があります。
時間の流れは淡々と過ぎゆくものですが
感情の方は淡々というわけには
なかなかいかないこともあります。
そこでもし心という容れ物を
静めることができたなら
波立った気持ちも静まるのではないかと。


人一倍緊張するのは
それだけ欲ばりなんだと思うのです。
欲張らない、欲をなくすための練習にも
なるはずなんですよね、たぶん。

あー、もう言ってるそばから
あれもこれもと期待してますもん。
期待は欲とおなじですからねぇ。

あはは~
これはかなりな重症かもしれません。
でもまぁ、ここで気づいたんだから
好しとしましょう。
ほらね、きょうはもう好日ですやん♪