祥月命日は少し先なのですが、
父の三回忌法要を執り行いました。
昨年母の三回忌のときにも
導師様からお話いただいたのですが、
三回忌は、葬儀から四十九日、一周忌、
そして新盆など
亡き人を悼む機会が度重なる2年間の
一区切りとなる法要でもあります。
なぜ一区切りとなるかといえば
次の七回忌は4年後となるので
少し時間が空くからです。
つまり葬儀から三回忌までの2年間は
死者を弔い悼むための時間ですが、
これからの4年間は
私達が少しずつ自分の暮らしを
取り戻していくための時間。
もし遺族がいつまでも悲しみにくれていたら
故人だって心配でしょうが、
楽しく過ごしていれば
安心してくれるでしょう。
それが供養になるというわけですね。
しかしそうは言っても、
母の三回忌を終えた時点では
翌月に父の一周忌が控えていたりで
とてもそのようにはいかなかったのが実情。
それでもこうして父の三回忌を迎えてみれば
心から“これで一区切り”との実感がわき
肩の荷がおりたような安堵感を
味わうことができました。
母の死から3年、父の死から2年。
ようやく一区切りとなりました。
そして自分の暮らしを取り戻す日々も
始まっています。
父の三回忌法要を執り行いました。
昨年母の三回忌のときにも
導師様からお話いただいたのですが、
三回忌は、葬儀から四十九日、一周忌、
そして新盆など
亡き人を悼む機会が度重なる2年間の
一区切りとなる法要でもあります。
なぜ一区切りとなるかといえば
次の七回忌は4年後となるので
少し時間が空くからです。
つまり葬儀から三回忌までの2年間は
死者を弔い悼むための時間ですが、
これからの4年間は
私達が少しずつ自分の暮らしを
取り戻していくための時間。
もし遺族がいつまでも悲しみにくれていたら
故人だって心配でしょうが、
楽しく過ごしていれば
安心してくれるでしょう。
それが供養になるというわけですね。
しかしそうは言っても、
母の三回忌を終えた時点では
翌月に父の一周忌が控えていたりで
とてもそのようにはいかなかったのが実情。
それでもこうして父の三回忌を迎えてみれば
心から“これで一区切り”との実感がわき
肩の荷がおりたような安堵感を
味わうことができました。
母の死から3年、父の死から2年。
ようやく一区切りとなりました。
そして自分の暮らしを取り戻す日々も
始まっています。