松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

父の三回忌

2019-02-25 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
祥月命日は少し先なのですが、
父の三回忌法要を執り行いました。

昨年母の三回忌のときにも
導師様からお話いただいたのですが、
三回忌は、葬儀から四十九日、一周忌、
そして新盆など
亡き人を悼む機会が度重なる2年間の
一区切りとなる法要でもあります。

なぜ一区切りとなるかといえば
次の七回忌は4年後となるので
少し時間が空くからです。
つまり葬儀から三回忌までの2年間は
死者を弔い悼むための時間ですが、
これからの4年間は
私達が少しずつ自分の暮らしを
取り戻していくための時間。
もし遺族がいつまでも悲しみにくれていたら
故人だって心配でしょうが、
楽しく過ごしていれば
安心してくれるでしょう。
それが供養になるというわけですね。


しかしそうは言っても、
母の三回忌を終えた時点では
翌月に父の一周忌が控えていたりで
とてもそのようにはいかなかったのが実情。

それでもこうして父の三回忌を迎えてみれば
心から“これで一区切り”との実感がわき
肩の荷がおりたような安堵感を
味わうことができました。


母の死から3年、父の死から2年。
ようやく一区切りとなりました。
そして自分の暮らしを取り戻す日々も
始まっています。

二度亡くなるということ(父の一周忌にて)

2018-03-15 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
父の一周忌法要を執り行ったのですが
お寺さんの都合もあって
祥月命日の二日後の3月11日となりました。


3月は、父の命日、母方の祖母の命日、
東京大空襲、東日本大震災の追悼と、
いつも以上に生死(しょうじ)を思う
ひと月になっています。


父の一周忌法要の際も導師さまから
お話をしていただきました。

亡くなるということには
物質的な死と精神的な死があるのだそうです。
一度目の死は生命活動を終えること。
そして二度目の死とは
故人の思い出が忘れられてしまったとき。



お話を聞いた後で自身を振り返ってみました。
私の場合は両親を亡くした今の方が
ずっと身近に感じているような気がします。
それはたぶん私にとって都合の好い両親像を
思い描いているからではないのかなと。

だから生前にはなかなか口にできなかった
感謝や謝罪のことばも
今なら素直に言えたりするわけです。
それでも、もう二度と喜んだり笑ったり
叱ってくれたりすることもないんだなぁと。
それはそれで寂しく思ったりするんです。
ほんと、好き勝手なもんです。


いつも心のどこかで
母だったらどうするだろうか
父はどう考えるだろうか
と、思い巡らせているところがあります。
だからもうしばらくは
心の中で生き続けてもらわないと困るんです。





母の三回忌法要

2018-02-05 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
先日、母の三回忌法要を行いました。
もう2年になるのですね。

うちの場合、母の一周忌を終えて間もなく
父が後を追うようにして亡くなったので、
この一年は更に慌ただしく過ぎた感が強くて。



法要後、導師様よりお話がありました。

三回忌を迎えたことで
いままでの死者を悼み弔う暮らしから
自分の暮らしを取り戻していく、
そんな頃合いになったのだと。
これからは祥月命日やお彼岸、お盆といった
節目には故人を偲んで供養しつつ
日々自分らしく暮らしてゆくことが大切と。

そろそろ哀しみも癒える頃、
少しずつ自分のペースを取り戻していくことも
供養なのです、と理解しました。

穏やかにお話される導師様のことばが
心に沁みます。


家族の死というのは
やはり大きな出来事だなと思います。

家族を失った喪失感を抱えたままで
幾多の公的手続きに動き回る日々。
存在証明を抹消する手続きを終える度に
亡き人は記憶の中だけの存在になっていく。
当然のことなのですが、
そういう当たり前のことひとつひとつに
いちいち傷つくというか…。
せつない気持ちになるのですよ。

頭ではわかってるのに
こころが現実についていけないでいる
なんでしょうね、この感じ。



だから「喪中」があるんですよね。
これは文化だと思います。
文化は智恵です。


導師様がお話しくださる内容は
法要にそったものです。
だから心にしみるのです。
命を生死をみつめ続けてきた文化。
慈悲の文化。
生きてきた時間を重ねてつなげていくと
わかってくることって、たしかにあるのかも。

こういうの、きらいじゃないです。
むしろ好きな方かもしれません




恩師の死

2013-08-28 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
久方ぶりの更新です。
書き記したいことがたくさんありました。
が、ひとつひとつを丁寧に考察していくには
あまりにも出来事が多く、しかもそれぞれが深い所で
関連しあっているのがわかっているにもかかわらず
次から次へと押し流されている自分。
思考停止すればラクになるのだろうけれど
批評や批判するだけでは流れは変わらないのです。
流れを変えるのは意志のこもった行動です。


理屈っぽいですよね。そうです。
小学4年から卒業するまで
お世話になった恩師からつねに指導されてきたことは
「考える子どもであれ」ということでした。
その恩師が昨年の5月に亡くなっていらしたことを
知りました。享年83歳。



「考える子どもであれ」
「教室での学習をいちばん大切にしよう」
教室にはこうした目標が掲げられていました。
私が小学生の頃、先生は30代後半。
父母とさほど年齢も変わらない年代だと思います。
小学生ながら戦争はよくないということは
漠然とわかってましたが、
戦争についてきちんと正面から話してくれた大人は
S先生がはじめてだったと思います。


先生が私たちの卒業文集に寄せて書かれていたこと。
その概要を以下に記します。

太平洋戦争中、学徒動員で京浜工業地帯の一角、
飛行機の部品を製造する工場での勤労奉仕に
明け暮れていました。
激しい空襲が続く毎日は
防空壕に避難しても生きた心地などしなかった。
狭い壕の中ではケンカも絶えないなど
だれもが疲弊し、すさんだ日々を過ごしていました。
学徒動員の青年達のなかに
空襲警報の度に逃げ込む防空壕の中で
隠れるようにしながら漏れ入る明かりで
ボロボロになった辞書を貪り読むひとりの学生がいることに
先生は気づきます。

やがて戦争が終結し再び学業に戻る日が来ました。
しかし復学はしても
なかなか学業に集中できなかったといいます。
戦時中、あれほど学びたいと思っていたはずなのに
気づけばすっかり学びの精神が錆ついてしまっていたのです。
そのとき防空壕の中でみかけた学生の姿を思い出して深く恥じたと
先生は告白しています。

社会情勢や周囲の環境で同じように翻弄されながらも
彼は自分にとって大切なことを自ら考え、
いまできることを黙々と続けていた。
かたや大人達に混じってくだらない話をしたり
喫煙を覚えたりすることで
いまを生きぬく不安な気持ちを紛らわしていた自分。

自分と同じような後悔、思いを
あなた方にはしてほしくないとの願いをこめて
いくつかの目標を教室に掲げていたと
綴られていました。


さらに先生は卒業文集の扉に毛筆で
ひとりひとりにメッセージを贈ってくださいました。
『世の中の出来事をどう批判するかではなく、
どのように立ち向かうかが大切である』
いま思えば、私に贈られたことばは、
先生の青春期の懺悔のエピソードにも
どこか重なるようにも思えます。



そして時は流れて、いま。
恩師からいただいた言葉を
とてもとても重く感じています。

世の中の流れに逆らうことはできないかもしれない。
それでも自分の意志を貫く流れは
どんなに小さくささやかなものになろうとも
できる限り持ち続けていたい。
恩師から「考える子どもであれ」と教わった
教え子のひとりとして。


いのちを思う

2011-04-28 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
いのちはセンサーのようなものなのかな。

いのちが脅かされそうな状態のときには
生きたいと願うけど
ふだんはほとんど意識していない


あの震災と原発事故発生以来
いのちのことを日常的に
考えずにはいられない状況が続くからなのか
ここへきて、心底くたびれてしまった。
いままでそういう習慣がなかったからなのかな。

日常的にいのちを意識することが
私には非日常なことだったのだろうか。
自分ではどちらかといえば
考えてる方じゃないかと思ってたのに。
というか、考え方(方向や質)が
ちょっと違ってたのかもしれないな。

漠然とでも自分なりに
思い描いたイメージはあった。
そうありたいと願う気持ちの方が
やはり強かったように思う。
無念な状況なんてことは
つとめて考えないようにしてたと思う。
仮に考えたとしても
まともに考えようとはしてなかったな。

何かしらの希望がなければ
日々前に進めないんじゃないかと思ってた。
だけど、もしかしたら
絶望と思われる状況から
再起しようするときにこそ
希望が必要になるのかもと思うようになった。

目指す方向がわからなくなったときに
標となるのが希望なのかなと。
そして標を照らす燈がいのちなのかなと。
いのちあることが希望そのものであり原点だ。

でも、いのちは消滅する。
いついかなる状況で消滅するのかはわからないけど
かならず消滅することだけは確かなこと。
でも燈を継ぐことはできる。
そうやってきたからいまがあるのだし。

これからもセンサーが働き続ける限り、
燈が揺らぐたびに立ち止まり
おろおろするんだろうな。
そうやって生きてきたんだものなぁ



記録と記憶

2009-06-14 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
我が家には、いわゆる家族のアルバム
というものがありません。
アルバムといったら
卒業アルバムくらいですかね。

もともと写真などの記録物には
執着のない方です。
それはたぶんアルバムを見ながら
過去を振り返る習慣がなかったことも
影響しているのかもしれません。


それなのに、です。
いまではPCトラブルなどで
保存データを失ったり開けなくなると、
すごくガッカリするんです。
でもホントに困るのかといえば
それほどでもないようにも思えたりします。

アルバムも、はじめから無ければ
どうってことなかったし
記憶できている範囲内での暮らしでも
大丈夫なのかもしれない
とも思うのだけれど、
じつのところ自分の携帯番号すら
うろ覚えだったりしますからね。

記録と記憶の使い分けというのか
バランスっていうのも
なんだかありそうな気がするんですけれどね。


自然をよむ 自然であること-3-

2009-03-13 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
自然とはありのまま、あるがままであることと
よくいわれていますが、
ありのまま、あるがままであることは
何もしない、何も考えないことなのでしょうか。

たぶん程度の問題なんだろうなと思います。
要は余計なことをしない、考えないこと。

それはたぶん現状認識を
怠らないことでもあるように思います。
そしてそれは、いまこの瞬間をいきることに
他ならないのではないかとも。

自然でありたいと願うなら
まずは願うことをやめることかもしれません。


わたしはラグビーボール  自然であること-2-

2009-03-12 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
最近の練習は内容も緻密になってきて忙しいです。
その上、なんだか哲学まで加わってきています。

動作練習を終えて検証してるときなどに
ふっと浮かんできたことを
後で先生にお話すると「それは哲学ですね」とのお答えが。
意外にも哲学って身近な存在でした。



唐突で申し訳ないのですが、
たとえば“まるい円”といったら
あなたはどんな円をイメージしますか?

何となくまんまるの円、正円を
イメージしていませんか。
楕円をイメージする人って
なんだか少ないような気がするんです。
同じように球体といえば
一般的な丸いボールのことであって、
ラグビーボールのようなものを思い浮かべる人は
ごく稀ではないかと思われるのです。

改めて考えてみると不思議ですね。

人によってその大きさは違うとは思うけれど
“まんまる”の円や球体には変わりがなさそうです。
楕円や楕円球(なんて言い方あり?)
ほとんど意識されないのは、どうしてなのでしょう。

人はそれぞれ固有な存在でありながらも、
求めるもののイメージは
もしかしたら共通しているのかもしれません。
人間って、完全無欠、完璧なものに
魅かれるものなのかなぁ。
ということは、人間にはもともと欠けてるところがある
いわゆる未完成な存在ってことなのかしらん。

そして自身を省みれば
強いところも弱いところもありますし、
傷もあったり摩耗もしてますし、
何かといびつな感じがしてきます。
やっぱりラグビーボールなんじゃないのかな。

そんな自分をちゃんと認識することもせずに
ただ、まんまるになりたい(と思い)
なろうとしていただけなのかもしれません。

現在の自分の状態を知って
それに適った範囲で要求を満たせれば、
たとえラグビーボールのごとく
多少のいびつさ(要求充足度の差)はあったとしても
それなりの“和み球体”となるのかもしれませんね。
それはたぶんラグビーボールが
ラグビーボールとして機能していることになるのでしょう。

そうなるためにもまずは自然であること、ですね。
無理をせず、ことさらな仕業をしないこと。
対抗せずに受けとめること。

変える、変わる

2009-01-14 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
先日の続きというわけでもないのですが、
ちょこっと気になったことなどを
メモ代わりに思いつくままに書き出してみました。
まだ結論らしいものはみつかってません…



変えるというのは
ひとつの行為ではないかと思うのです。
自らの働きかけによって生じる変化、
そこに意志の力を感じます。
作為的というか、
これはひとつの仕業ではないのかと。

そこには目指すべきある一定の方向があり、
目的意識があり、期待される変化(結果)が
設定されているような気がします。
つまり始まりと終わりがある
限定付きの変化です。
そこには成功や失敗といった結果に加えて
評価という欲までが絡んでくるような気がします。


そして変わると言った場合は
変化そのものをひとつの現象として
とらえているような気がします。
それは例えて言えば当事者の視点ではなくて
観察者の視点なのかなぁというような気がします。

変化の方向や程度、時間も限定されないので
具体的には何をしたらよいのか
よくわからなかったりもするかもしれない。
いい方にもそうでない方にも向かう可能性があることを
暗黙のうちに容認しているのかもしれません。

なぜなら限定されていない変化は
終結や期間に左右されない時空間運動だから。
これもまた円で象徴できそうな気がします。
ということは変化の対象は万物となり
自他ともに影響し合うことに。

つまり意志の力で変えたものも
自然の流れで変わったものも
現象として見る限りは
大差ないことになるのかもしれません。

ほ~ら、また戻ってきちゃった(笑


心が変われば

2009-01-12 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。



上記のことばは、
各国語に翻訳され世界中に紹介されている
名言の中のひとつですが、
もともとはヒンドゥー教の教えなのだそうです。

ヒンドゥー教といえばインド。
世界史で勉強したレベルで心許ないのですが、
ヒンドゥー教では
現世は過去の業を生きていることであり
来世の宿命は現世の生き方によって
決定されると考えるそうです。
つまり現世に味わう辛苦は
過去の行為の結果(因果応報の法則)であり、
具体的にはカーストの位階のことを
さすのかなと思ったりしています。
カーストは人々の身分と職業を決定づけます。
カーストの位階は親から継承するもので
生まれた後に変えることはできません。
現在のカーストは過去の行為の結果であり、
それを受け容れて現世を生きることです。
カーストを上るには
現世の行為しだいとなるからです。
そのため人々は来世願望が強いといわれています。

こんな大雑把な事情背景ぐらいしか
知らないのですが、それでも言葉の印象が
ちょっと変わってくるような気もしたり。


そして変えるのではなく変わると言っているのも。
つまり「心を変えれば、態度が変わる…」
というふうには言わなかったんですね。
どうしてなのかな?

写真がフレームによって
切り取られたものであるように
言葉で伝えられるものにも
枠(限界?)があるのではないかしら。
仮に情報を発信する側が完璧だったとしても
受け手側は…少なくとも私は
自分が体験したことの範囲内で
理解したり判断しているだけですから。
……たぶん、そんなものかもしれませんね。