伝統楊式剣の錬習を始めて
気づけば2ヶ月が過ぎようとしてます。
早いものです。
今回の器械講習で改めて思い知ったこと。
武器って相手を殺傷するための道具なんですよね。
もちろん練習用の剣には刃はありません。
それでも…
剣法を意識すればするほど
剣の機能や扱い方を理解するにつれ
どうしても剣の先方に“相手”の存在を
意識するようになってくるわけで。
またその方が動作を理解しやすくなるし。
でも、これでは導引練習じゃない…のかな?
どうなんだろう
師は、導引練習は内に向ける意識を主とすると
機会あるごとに話します。
ですから推手練習では
導引的アプローチの確認として行ってますし
対練は、まずしません。
じつは導引練習に器械は必要ないと
話していたほどです。
(われわれがまだ初歩的段階にあったからかとも
思いますが)
ではなぜ現在の教室では器械練習をしてるのか。
われわれからの要望を
師が受け入れてくれたからです。
器械練習がやってみたくて
何度かリクエストし続けていた時期があり、
ようやく教室でもできるようになったのです。
われわれの教室では太極拳が持っている要素のうち
とくに養生に特化した練習をしています。
それでも体術、具体的な体の使い方を説明するには
武術的解釈で説明する方が伝わりやすいです。
とはいえ、理解しやすくなる範囲内での
ゆるやかなレベルでの基礎的な話です。
養生的にしろ武術的にしろ、
その根拠が理にかなっていなければ
効用にはならないわけですから
当然といえば当然で。
どんなにゆるやかなレベルの内容でも
正しければ問題ないと思います。
むしろ自分達が学ぶ導引的アプローチでは
そのくらいのバランスの方が
よいのではないかと。
剣の練習はどうやら武術的要素に
傾かざるを得ないようだとの印象を
自分なりに明確に持ったことで
かつて師の言わんとしていたことを
ようやく理解したような気がしたのです。
冒頭の感想の背景にはそんな思いもあります。
武器を武器として認識した上で
なるべく導引的アプローチ&バランスで
練習できたらいいなと思ってます。
でもいまは動作とその流れを覚えるだけで
正直手いっぱい^^;
これは今後の課題ですね。
気づけば2ヶ月が過ぎようとしてます。
早いものです。
今回の器械講習で改めて思い知ったこと。
武器って相手を殺傷するための道具なんですよね。
もちろん練習用の剣には刃はありません。
それでも…
剣法を意識すればするほど
剣の機能や扱い方を理解するにつれ
どうしても剣の先方に“相手”の存在を
意識するようになってくるわけで。
またその方が動作を理解しやすくなるし。
でも、これでは導引練習じゃない…のかな?
どうなんだろう
師は、導引練習は内に向ける意識を主とすると
機会あるごとに話します。
ですから推手練習では
導引的アプローチの確認として行ってますし
対練は、まずしません。
じつは導引練習に器械は必要ないと
話していたほどです。
(われわれがまだ初歩的段階にあったからかとも
思いますが)
ではなぜ現在の教室では器械練習をしてるのか。
われわれからの要望を
師が受け入れてくれたからです。
器械練習がやってみたくて
何度かリクエストし続けていた時期があり、
ようやく教室でもできるようになったのです。
われわれの教室では太極拳が持っている要素のうち
とくに養生に特化した練習をしています。
それでも体術、具体的な体の使い方を説明するには
武術的解釈で説明する方が伝わりやすいです。
とはいえ、理解しやすくなる範囲内での
ゆるやかなレベルでの基礎的な話です。
養生的にしろ武術的にしろ、
その根拠が理にかなっていなければ
効用にはならないわけですから
当然といえば当然で。
どんなにゆるやかなレベルの内容でも
正しければ問題ないと思います。
むしろ自分達が学ぶ導引的アプローチでは
そのくらいのバランスの方が
よいのではないかと。
剣の練習はどうやら武術的要素に
傾かざるを得ないようだとの印象を
自分なりに明確に持ったことで
かつて師の言わんとしていたことを
ようやく理解したような気がしたのです。
冒頭の感想の背景にはそんな思いもあります。
武器を武器として認識した上で
なるべく導引的アプローチ&バランスで
練習できたらいいなと思ってます。
でもいまは動作とその流れを覚えるだけで
正直手いっぱい^^;
これは今後の課題ですね。