2001年10月に開講した太極拳導引教室。
12年めの最初のクラスは
師と2人で静かに迎えました。
練習前のストレッチをしながら
これまでのことなどを
振り返ってみたりしてました。
印象的な出来事はいろいろあるのですが、
練習内容でいえば「ひとりでやってみよう」は
エポックだったかも。
練習仲間の前でひとりずつ
動いてみるだけのことなんですが、
もう心臓がクチから飛び出しちゃいそうなくらいに
緊張してたのが懐かしいです。
その当時は仲間がやっているところを
じっくりみる機会はほとんどなかったのです。
動きを覚えることが中心で
いまみたいに内面に意識するほどの余裕は
なかったのかもしれません。
他者の動きをみることで
どんなふうにみえるものなのかを確認したりと
動くにしてもみるにしても
学ぶことが少なくなかったです。
しかし、師にいわせれば
皆のレベルが横並びだったから
できたことだそうで。
いまのように練習段階が各人各様にあれば
ひとりでやってみようの意図は
自然に理解され実践されていくので
とくに必要はないそうです。
確かにあの頃の自分達の前には
師の姿しかみえなかったものなあ。
数年前からこの時期になると
気持ちを仕切り直すようになりました。
これまでよく続けてこられたなと思います。
仕事や家庭などの諸事情で
やむなくお休みしたり
通えなくなったりした仲間達を思うと
たまたま続けてこられただけにすぎません。
じっさい介護が始まってからは
仕事や生活全般において
自身の環境変化も少なくありません。
そこへきて自分まで体調不安定な時期を
迎えてます。
自主練もままならないことも増えました。
どこを見回してみても
どうやらスッキリとはいかない状況。
でも、それでもやはり
どんなときでも自分らしくありたい。
その気持ちはなんとか持ち続けていたい。
その意味でも教室での練習は
師や練習仲間とともに過ごすことで
リフレッシュできる
自分を取り戻すことができる貴重な時間なのです。
いま教室に通えている状況が
ほんとにありがたく思えるこの頃です。
12年めの最初のクラスは
師と2人で静かに迎えました。
練習前のストレッチをしながら
これまでのことなどを
振り返ってみたりしてました。
印象的な出来事はいろいろあるのですが、
練習内容でいえば「ひとりでやってみよう」は
エポックだったかも。
練習仲間の前でひとりずつ
動いてみるだけのことなんですが、
もう心臓がクチから飛び出しちゃいそうなくらいに
緊張してたのが懐かしいです。
その当時は仲間がやっているところを
じっくりみる機会はほとんどなかったのです。
動きを覚えることが中心で
いまみたいに内面に意識するほどの余裕は
なかったのかもしれません。
他者の動きをみることで
どんなふうにみえるものなのかを確認したりと
動くにしてもみるにしても
学ぶことが少なくなかったです。
しかし、師にいわせれば
皆のレベルが横並びだったから
できたことだそうで。
いまのように練習段階が各人各様にあれば
ひとりでやってみようの意図は
自然に理解され実践されていくので
とくに必要はないそうです。
確かにあの頃の自分達の前には
師の姿しかみえなかったものなあ。
数年前からこの時期になると
気持ちを仕切り直すようになりました。
これまでよく続けてこられたなと思います。
仕事や家庭などの諸事情で
やむなくお休みしたり
通えなくなったりした仲間達を思うと
たまたま続けてこられただけにすぎません。
じっさい介護が始まってからは
仕事や生活全般において
自身の環境変化も少なくありません。
そこへきて自分まで体調不安定な時期を
迎えてます。
自主練もままならないことも増えました。
どこを見回してみても
どうやらスッキリとはいかない状況。
でも、それでもやはり
どんなときでも自分らしくありたい。
その気持ちはなんとか持ち続けていたい。
その意味でも教室での練習は
師や練習仲間とともに過ごすことで
リフレッシュできる
自分を取り戻すことができる貴重な時間なのです。
いま教室に通えている状況が
ほんとにありがたく思えるこの頃です。