松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ(主従06)

2014-06-29 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
主従の関係は
ひとつの主に対して他はすべて従になる。
何を主とするかを決めたら
それ以外の要素は主を補佐する役割となる。

補佐の役割とは
主の動きを支援するはたらきと
主の動きを抑制するようなはたらきがある。
従の支援と抑制とが共存してはじめて
主の動きに協調するような動きになるのだろう。

また、主従の関係性のなかには
絶対的な主従関係とでもいうような
関係にあるものがある。
例えば心(中身)と形(外身)との関係性では
心が必ず主であり
体幹(胴体)と肢(四肢)との関係性では
体幹が必ず主となる。
それぞれの関係性において
心および体幹が主であることは不動不変。








練習メモ(方向06)

2014-06-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
「方」の成り立ち(解字)を調べてみたら
象形文字とのこと。

2艘の舟を並べ、舳先(へさき)を結んだ形から
並べる、比べるの意味を表す
一説には
すきの刃の先端を表した象形文字で
他の字を仮借して比べる、四方などの意味を表す
また、すきの刃のような物の両がわに
ピンと張ったものがある形であり
左右を表すともいう

意味としては
1.ならべる
2.くらべる
3.四角。ましかく
4.ただしい→品行方正の「方」かな
5.四方
6.むき。ほうがく。時節
7.法則。方法。道理
8.わざ。技術。医術
9.まさにちょうどいま
などがある


「向(嚮)」は会意文字。
向は外側は家をなかの口はまどの形で
家の北側にある小さい窓を表す。
南側の入り口から入って向こうに見えるもの
あるいは通風口として風の向かう方向ということから
「むかう」という意味をあらわす。

意味としては
1.むく。むかう。対する。近寄る。行く。
2.むくようにする
3.おもむき
4.適応する。方向。
などがある
ちなみに旧字の嚮は
響にも通じており、ひびく。ひびきの意味もある。
(引用:『新選漢和辞典』小学館)


こうしてみてみると
「方」には向かう先を決めるまでの
概念的な思考要素が多いような気がする。
時空間を意識したなかで
むかうべき方を決めるというのかな。
そして「向」は実践。実行。
決めた「方」を目に見える形で
動きでそれを表現してみせるというか。

方と向との関係性は密接で
双方が即影響しあうような関係だ。
声と響きの関係や日向と日陰の存在も
同様なのかもしれない。

たとえば散歩のような
とくに目的地があるわけでもなく
気ままにそぞろ歩くような状況においても
運動(体の動き)としては
そのときどきの「方」を気ままに特定し
そちらへと向かって(歩いて)いく状況に
変わりはないわけで。

要は意識レベルの状態が
動きの印象を変えているのであって
方向に対する意識感覚は本来あるもの
ということになるのかな。


導引練習は内へと意識を向ける練習をしている。
この場合、意識の起点は
目標地点よりも外にあることになる。
つまり観察する視点は
外から内へと向かっている。
その目指す所は内なる極み(中心)か。
とすれば観察の視点を中心におけば
中心から外への意識がはたらくことになる。

外から内への意識が導く感覚が方を定める情報となり
内から外への意識が向を実現するのかも。
体を動かしながら外から内、内から外というふうに
意識が巡っていく。
内外という両極があることで
最終的に意識の循環(周流)を味わえるのかもしれない。


いのちは衰えない・益寿延年不老春(NHK-SP「人体ミクロの大冒険」を視聴して-4-)

2014-06-24 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
今回のシリーズを視聴して
印象に残ったことや感想などをぽつぽつと。


老いの正体が解明されつつある現代。
アンチエイジングという考え方も
時代によりあるいは個々により
さまざまであるように思います。

究極のアンチエイジングは
不老不死といえるのでしょうが、
それはつまるところいきものとしての使命
(いのちを次代につなげること)を
否定することになるのではないかと
私には思えてきます。

たしかに体(細胞)は
加齢とともに衰えていくけれども
いのちは最後まで衰えていないのではないか。

このシリーズを通して
私はそのような思いを持ったように思います。

目に見える物質である体は
60兆個の細胞からできています。
細胞の衰えが肉体や精神の衰えとして
現れるのだけれど
いのちはエネルギーというかパワーのようなものだから
次代に引き継ぐ(死を乗り越えていく)ことが
エネルギーの本質であると思えるのです。

私は科学者ではないので
論理的には破綻してるかと思いますが、
直観的な考察というか思いを述べてみます。

いのちは根源だと思っています。
細胞が活動できるのは
いのちのパワーがあるからだと思います。
したがって細胞を若返らせたり
蘇生したり再生したりしてみても
もともとのいのちのパワーが衰弱していれば
一時的のものとなるのだろうと思います。

いのちのパワーは
親から受け継いだ先天的なパワーの他に
呼吸や食を介して自然界から
後天的なパワーとして補填していると
考えられます。
いのちのパワーは消耗と補填のバランスで
循環しているようなものです。

たとえば、いのちのパワーという表現が
なにがしかの胡散臭さを招くとするならば
「からだのエネルギーは呼吸と食事からつくられている」という
表現でもいいのかもしれません。
(たぶん科学的にもこれは間違いではないのかなと思います)


長寿ですこやかに生活している人達は
よく笑い穏やかな表情をして
ものごとを楽観的に考える余裕があるようです。
余裕とはすなわち無欲に通じるような。
「こんなに長生きするとは思っても見なかった」と
笑いながら話すかれらだって
平坦な人生を歩んできたわけではないでしょう。
もうダメかもと思うような出来事にも
何度も遭遇してきたのだと思います。
それでもなんとか生き延びてこられた。

頑張る細胞を支援し貢献している
ホルモンの存在も忘れることはできません。
成長ホルモンなどは体をつくりあげるために
幸せホルモンや癒しホルモンは脳神経系に作用し
安らぎと豊かな情感を醸し出してくれる。

老人は顔や体はしわくちゃでシミも多いです。
髪や歯もなかったりします。
外見や動作には年齢なりの衰えがみてとれます。
ですが瞳の輝きや話す内容や口調には
チャーミングなほどに何ともいえない活力を
みる者に感じさせていたように思います。
これがたぶんいのちのパワーなんでしょうね。


私が愛好している太極拳導引では
健康は生きる目的ではなく手段と考えます。
健康でいたい、健康になりたいのは
その先に実現させたい希望や目標があるからです。

自分の夢や目標を実現するためには
まずは心身の健康があってこそ。
健やかなときもそうでない状況に陥っても
いつも目標を見失うことなく意識し続けて
そのときどきに相応しいやれること、できることを
見つけ出しくふうしてみることが大事。
いってみれば、いのちの使い方を
学んでいるんだなと改めて思っています。

それがたぶん「益寿延年不老春」という
伝統養生の考え方なのかもしれません。
最先端の科学紹介番組が
じつは伝統的養生の説く世界の
再発見になったような気がします。



ということで、このシリーズのアップも
今回で完結かなと思っています。

老いるとは?(NHK-SP「人体ミクロの大冒険」を視聴して-3-)

2014-06-05 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
いきものとしての最も重要な使命は
次代に命をつなぐことです。
これは細胞にとっての使命でもあるのです。

細胞は生殖可能な体を完成させることに
全力を注ぐのであって
その後の期間(20代以降)は
いわば余生であるというのです。
人の寿命が長くなればなるほど
細胞の余生も長くなります。
人が長生きを目指すためには
細胞にとって快適な余生を
どれだけ提供できるかってことなのかな。
そんなことを思いながら
シリーズの最終回をみていました。



免疫細胞の司令塔をつかさどるT細胞。
この細胞の衰えが招く免疫細胞の暴走が
老いに関係しているといいます。

体を守護する免疫細胞は2兆個といわれ
骨髄内のニッチでつくられます。
さらに胸腺内で厳しく選別されながら
T細胞として育成されます。
いわばT細胞は免疫細胞の精鋭。
T細胞はサイトカインと呼ばれる
指令書のようなものを用いて
(免疫細胞間での情報伝達を担っている)
免疫細胞を増殖させたり活性化させたりします。
そのはたらきぶりは
ホルモン作用に似ているともいわれています。
しかしホルモンは下垂体や甲状腺など
ホルモンを作り出す臓器がある限り
作り替えが可能ですが、
免疫システムを指揮するT細胞自体の産生は
思春期とともに胸腺が消滅することで
終了してしまいます。
増殖はおろか作り替えることもできない以上、
現状のT細胞でやりくりしながら
しのいでいくしかありません。

加齢とともにT細胞の能力が低下していくのは
避けられません。
やがて誤作動や暴走が起こるようになり、
免疫細胞が自らの体を攻撃したり
さまざまな不具合がでてくるようになります。
このような免疫細胞の衰えが
老年病や生活習慣病の原因と考えられています。


いきものとしては
胸腺が消失してしまうまでの間に
いかにして成熟した体をつくりあげられるか。
これにつきるけれど、
人の一生という観点では
さらに成長期以降の長い人生を
衰えゆくT細胞をやりくりしながら
なるべく穏やかに健やかに送るための過ごし方を
探っていくことになるのですね。

命の営みは後戻りできない一方通行です。
前人未到の高齢化社会は
いまだかつて経験したことのない事態に
遭遇し続けていくフロンティアなんですね。