松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

窮屈そうな感じ

2007-08-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
教室の夏休み明けとなる練習では、
一路の護心拳までの套路を
ひとりずつ皆の前で行うことになった。
夏バテで調子を崩しほとんど動けなかっただけに
不安を感じるところだが、
なぜかこの日はそういういつもの思考回路はとらなかった。
自分の体調を気遣う仲間の
「調子はどう?」の言葉にも、
「うん、まだちょっとよくないね~」と淡々と答えていた。
いつもならば相手の気遣いに感謝しつつ心配をかけないようにと
「うん、なんとか」というようなニュアンスで
無難に答えていたりするのだが、
なぜだかその時は感じたまま口にしていたような気がする。
どうも何だかいつもと違う言動をしている自分。


これが伏線だったのかどうかはわからない。
いま思い返してみると、
とにかく周囲への気遣いはいつもより希薄な印象。
それでいて自分のことばかりに集中していたわけでもない。
何というかホントに意識的なことをしていなかった。
何も考えていなかった。
目の前で仲間が套路を演じているのをじっと見ていただけ。
いつもならば順番を待つ間に
頭の中で套路を確認したり自信のない動作を復習したりするのに、
そういうことも一切せず、ただ仲間の演じる姿を見ていた。
失敗しようが動作が止まろうが、
本人が動揺していようがいまいが、
目の前で展開されている光景をただ見つめていただけ。

ひとりひとりの個性を改めて感じたし、
まじめに真剣に取り組んでいるのがひしひしと伝わってきた。
だけど…どこかで窮屈そうな感じもした。
窮屈そうな感じ
これはいままで感じたことがなかったこと。
自分にとっては新しい視点かもしれない。
おそらくは自分も窮屈そうな感じでいるのかもしれない。
だからこそ他者の表演に投影していたのかも。

ノビノビすることを願ってきた自分。
いまようやくその入り口に立とうとしているのかもしれない。
窮屈な感じを意識し出したというのは、
実はすでに窮屈に感じない状態を
体験していたりするからではないのかな?
未知なるものではなくて既知なるもの。
だけど改めて意識し出したということなのかな。

自分にとって今回の大きな発見は、
順番待ちの間の心理状態の変化。
いままで自分が事前に套路の確認や復習をしていたのは、
できれば失敗したくない、正しくやりたいと
願う(欲する)心理が働いていたからだと改めて認識。
これが先生の言われる余計なことを考えるということなのだろう。
(ちなみに動作ごとの手足などの位置確認など
といった細かなチェックは個人練習で行い、
表演形式練習の場合では
動作の正確さよりも流れることを、
より主眼にした方がよいような気がして
個人的に実践してみているのだけど…)

こうしたさまざまな欲心が
知らず知らずのうちに(自然であるべき)
立ち位置にブレをもたらすのかも。
無はそれだけでは存在を示せない。
雑念や欲心といった余計なものがあるからこそ
空が生まれる。
自分の中に余計なものがあることに気づけたら、
次に見えてくるものがあるということなんだろうなぁ。
窮屈そうな感じというのも同じだと思う。
次が見えてくる…

受け容れ上手に

2007-08-21 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
例年にない長い夏休みとなった教室が
3週間ぶりに再開します。
教室が休みの間は
個人練習が中心となるのですが、
今回は休みに入った直後から夏バテ状態になり、
練習らしい練習は一切していません。
太極導引を始めて以来
こんなことははじめてのことです。不安です。

健康のために太極導引を習っているのであれば、
いずれは日常生活に溶け込ませていくことが
自然のなりゆきかと思っています。
それはウォーキングやジョギングを
日常的に行っている人とまったく同じ感覚です。
もちろん毎日行う人もいれば
数日おきに行う人もいるのが自然なこと。
無理のない自分のペースで
続けられることが大事なのではないかと。
まずは生活の中に溶け込ませる、
生活の一部となることが大切なのだと思います。

時間の多少はその人の生活様式によって
変わってくるし、
体調にも左右されます。
また、人によって
健康に対する価値観やイメージが違うのも
自然なことと思います。

たまたま自分の場合は、
太極導引が生活の核となっている
ようなところがあります。
いまは何よりも優先しているといえるかも
しれません。
それだけ体調に自信がないとも
いえるような気がしなくもないですが…。

実は(今回のように)
練習できないこともまた自然であると、
先生には言われているのです。
その意味もわかってはいるのです。
わかってはいるのですが
気が済まない気持ちがあるのです。
感情に引きずられないことは
自分にとっては大切な課題のひとつです。
受け容れ上手になることが
必要なのでしょうね。
練習できなかった日々も
自分には必要だったのだと
素直に思えるようになりたいものです。

踏んだり蹴ったり

2007-08-02 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
とはいっても、導引練習のことではありません。
ほんとに今年はどうしたんだろう…と思うくらいに
次から次へと波風が立ちますね。
そういう時期なのかしらん。

体調もハッキリしません。
メチャクチャに悪いというわけではないですが、
たとえば知り合いからあいさつ代わりに
「元気?」ときかれても
「うん、元気」とは言いきれないような感じです。
そこへきて周辺でもいろいろあったり
さらにはパソコンが突然起動しなくなってしまって
修理入院したり。
もしかしてこれは何かのサインなのだろうか?
なんて、思わず考えたりもしますね。

ということで、
なかなか定期的な更新ができずに
8月に入ってしまいました。
涼しげな金魚に模様替えしてみたりして気分転換です。
そういえば関東もようやく梅雨が明けたらしいですね。