太極拳導引の練習会を開いている朋昌会には
基礎科と専科の2クラスがあります。
一応対象者は初心者メインの基礎科と
太極拳導引や太極拳経験者メインの専科とに
分かれていますが、
クラスの選択は本人の意志に任せていますし
基礎科と専科の相互練習もできます。
進級に必要な条件や検定試験なども
一切ありません。
先日、基礎科で練習中の5人くらいの人達に
先生から「専科で練習してみませんか」
との声がけが行われたもようです。
かれらは朋昌会の前身にあたる
太極拳導引教室での練習経験があったり
専科で練習していた実績をもつ人達ですが、
かれらなりの理由があって
基礎科で練習してきたわけです。
先生もまたかれらの意志を尊重して
基礎科の内容で指導を続けてこられたわけです。
その上で今回の声がけがあった
ということになります。
ちょっと視点を変えてみます。
朋昌会を会員層で分けてみると、
3層になっているのかもしれませんね。
専科メンバーは在籍年数も長く
いわば第一世代です。
ありがたいことに設立1年目にして
新規会員が数名誕生しています。
こちらは第三世代。
そして件の声がけされた人達が
ちょうど両者の中間層となる
第二世代になるのかなと思われます。
声がけされた会員はいま少し戸惑っているようです。
無理もないのかなと思います。
基礎科の練習内容ではちょっと物足りない。
それは伸びしろへの刺激がほしいという
自然な欲求だと思います。
だけど専科の練習内容を理解するには
まだ不足があるとの自己評価を下しているのか
練習した満足感を充たす自信がないのかもしれません。
しかしこれは正直なところ想像でしかないです。
そういう立場を私は体験していないので。
たとえば基礎科と専科にわかれた時点で
居場所は自然と専科になるような
第一世代は最初の一歩を踏み出すような立場で
ずっとやってきたわけです。
だから自分達が通ってきた道のことは
少しはアドバイスもできるかもしれないけれど
ちょっと前を行く人が目に入る風景が
どんなものなのか、どんな感じがするものなのか、
正直、わかりません。
意外に鬱陶しかったりするのかも^^;
専科で練習することへの不安や
第一世代への気兼ねみたいなものに対しては
心配するなとは言えるのですが、
かれらの戸惑いは、はたしてそれだけなのかな。
どうなのかな。
基礎科と専科の中間のクラスがあったらいいのに。
これはかれらの正直な気持ちだと思います。
3層あるというならクラスも3つあってもいいよね
というのは自然な流れかとも思います。
でも、さらにもう一つの視点もあるかと思うのです。
基礎科と専科を両極と考える。
両極の間には中がありますよね。
移動は変化です。
基礎科だけにとどまるのではなく
専科にも少し移動してみると考えるのはどうかな。
進むためには重心を移動させる。動くこと。
先生の声がけの真意はここにあるのではないかと。
つまりこれもまた練習のうちかも。
先生から送られた基礎科の最終段階の課題とも
とれなくはないような気がします。
専科で先生が基礎科とはまた違ったアプローチで
指導してくださる。
それを理解するのはまだ無理と思うのなら
無理しなくてもやっていけるように導きますという
先生からのメッセージですよね。
声がけをされた“いま”というタイミング、
時機にも好機とそうでないときがあります。
動くのは各自意のままに。
決めるのはいつだって自分ですよね。
基礎科と専科の2クラスがあります。
一応対象者は初心者メインの基礎科と
太極拳導引や太極拳経験者メインの専科とに
分かれていますが、
クラスの選択は本人の意志に任せていますし
基礎科と専科の相互練習もできます。
進級に必要な条件や検定試験なども
一切ありません。
先日、基礎科で練習中の5人くらいの人達に
先生から「専科で練習してみませんか」
との声がけが行われたもようです。
かれらは朋昌会の前身にあたる
太極拳導引教室での練習経験があったり
専科で練習していた実績をもつ人達ですが、
かれらなりの理由があって
基礎科で練習してきたわけです。
先生もまたかれらの意志を尊重して
基礎科の内容で指導を続けてこられたわけです。
その上で今回の声がけがあった
ということになります。
ちょっと視点を変えてみます。
朋昌会を会員層で分けてみると、
3層になっているのかもしれませんね。
専科メンバーは在籍年数も長く
いわば第一世代です。
ありがたいことに設立1年目にして
新規会員が数名誕生しています。
こちらは第三世代。
そして件の声がけされた人達が
ちょうど両者の中間層となる
第二世代になるのかなと思われます。
声がけされた会員はいま少し戸惑っているようです。
無理もないのかなと思います。
基礎科の練習内容ではちょっと物足りない。
それは伸びしろへの刺激がほしいという
自然な欲求だと思います。
だけど専科の練習内容を理解するには
まだ不足があるとの自己評価を下しているのか
練習した満足感を充たす自信がないのかもしれません。
しかしこれは正直なところ想像でしかないです。
そういう立場を私は体験していないので。
たとえば基礎科と専科にわかれた時点で
居場所は自然と専科になるような
第一世代は最初の一歩を踏み出すような立場で
ずっとやってきたわけです。
だから自分達が通ってきた道のことは
少しはアドバイスもできるかもしれないけれど
ちょっと前を行く人が目に入る風景が
どんなものなのか、どんな感じがするものなのか、
正直、わかりません。
意外に鬱陶しかったりするのかも^^;
専科で練習することへの不安や
第一世代への気兼ねみたいなものに対しては
心配するなとは言えるのですが、
かれらの戸惑いは、はたしてそれだけなのかな。
どうなのかな。
基礎科と専科の中間のクラスがあったらいいのに。
これはかれらの正直な気持ちだと思います。
3層あるというならクラスも3つあってもいいよね
というのは自然な流れかとも思います。
でも、さらにもう一つの視点もあるかと思うのです。
基礎科と専科を両極と考える。
両極の間には中がありますよね。
移動は変化です。
基礎科だけにとどまるのではなく
専科にも少し移動してみると考えるのはどうかな。
進むためには重心を移動させる。動くこと。
先生の声がけの真意はここにあるのではないかと。
つまりこれもまた練習のうちかも。
先生から送られた基礎科の最終段階の課題とも
とれなくはないような気がします。
専科で先生が基礎科とはまた違ったアプローチで
指導してくださる。
それを理解するのはまだ無理と思うのなら
無理しなくてもやっていけるように導きますという
先生からのメッセージですよね。
声がけをされた“いま”というタイミング、
時機にも好機とそうでないときがあります。
動くのは各自意のままに。
決めるのはいつだって自分ですよね。