方向は向かうべき一点。
目指す「方」が明確であれば
そこへ向かうことができる。
「方」が変われば「向」も変わる。
方の移動は直線だけど
動きの軌跡は違うんだよなあ。
なんとなくだけど。
方角。
この角というのは2本線の交点。
角度は2線間に生まれる円弧の広がりぐあい。
円がうまれる。
交わる線が3本になると
奥行きがうまれて球になる。
円や球は移動の結果(経路)なのかも。
ひどく拙い内容だけど
こうして自分なりには意識は直線なんだよなと
思いいたったわけ。
数学は大の苦手だったし
物理も実験なんか失敗ばかりでダメだったけどね。
だけど今はこんなふうに考えたりしてる。
たぶん太極拳理などに触れるようになったり
整体で身体の仕組みや働きなんかを学んだりして
自然科学ってものに対する認識が
変わってきたんじゃないかなって思う。
古人が自然観察を通じて導き出した推論から
検証を重ねた経緯を歴史を学んでくると
ふと追体験したかも的なことにでくわすと
なんかわくわくする。
古人と交流するというか共感するというか。
いってみれば、これも感動なのかな。
それにしても「まるく収まる」ことって
なかなかすごいことなんだな。
太極合一の境地かもしれない。
目指す「方」が明確であれば
そこへ向かうことができる。
「方」が変われば「向」も変わる。
方の移動は直線だけど
動きの軌跡は違うんだよなあ。
なんとなくだけど。
方角。
この角というのは2本線の交点。
角度は2線間に生まれる円弧の広がりぐあい。
円がうまれる。
交わる線が3本になると
奥行きがうまれて球になる。
円や球は移動の結果(経路)なのかも。
ひどく拙い内容だけど
こうして自分なりには意識は直線なんだよなと
思いいたったわけ。
数学は大の苦手だったし
物理も実験なんか失敗ばかりでダメだったけどね。
だけど今はこんなふうに考えたりしてる。
たぶん太極拳理などに触れるようになったり
整体で身体の仕組みや働きなんかを学んだりして
自然科学ってものに対する認識が
変わってきたんじゃないかなって思う。
古人が自然観察を通じて導き出した推論から
検証を重ねた経緯を歴史を学んでくると
ふと追体験したかも的なことにでくわすと
なんかわくわくする。
古人と交流するというか共感するというか。
いってみれば、これも感動なのかな。
それにしても「まるく収まる」ことって
なかなかすごいことなんだな。
太極合一の境地かもしれない。