松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ 主従04

2012-06-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
前回に引き続き閃通臂(陳式)を例に
あれやこれやと試行中。


この動作の解釈というか考え方を
もう一度ふりかえる。
攻防の視点にたちながら
方や向きを検証。
今回の想定したケースでは
相手の攻めをかわしながら
その動きを制御して倒すような動き。
相手の勢に逆らわずに
その勢いに乗じて関節をきめながら
投げるような感じ。
組み手で実際の感覚をつかんだら
今度は一人で動く。

まず架空の相手方の勢の向きを
明確に想定すること。
これがきちんと意識されてないと
相手をかわす動きがうまれてこない。
自分の向かうべき向きが曖昧になってしまう。
一人練習で留意すべきところかも。

相手との距離は近いと想定してるから
接触したかどうかの瞬間で決まる。
閃通臂の場合も相手の勢に順応して
転身しつつ体勢を入れ替える。
本来は素速いというか
相手のペースに合わせるような感じか。
しだいに方(空間)の意識も明確になってくる。

そして今月のお題の主従。
これが難しかった。
いまだにあまりよくつかめていない。
一人練習の場合でも
相手をかわす前段階の“受け”のような瞬間
つまり相手と接触するときの気構えとして
受けようとしてはいかんのだよな。
これは微妙なニュアンスなんだけれど。
全体のイメージが受け流すような感じだから
“待ち”では対抗につながりやすくなるような気も。
つまり受け即切り返しとつながることが大事で、
勢の流れを断ってしまうような動き方は
避けるべきかなと。
あくまで想像レベルの話だけれど。

やはり第一の主たる「鬆・静」の状態が
肝要なんだろうな。
これが少しでも様に成ってくると
随分と動きやすくなるんじゃなかろうか。


先生にこのへんのことを
もすこし突っ込んで質問してもみたかったのだが
「これから先は研究科(の内容)」と
笑いながらおっしゃったのであった。
要するにまだ早いと
頭でっかちになるぞってことかと理解。


にしても…専科の次は研究科!?

全日本選手権大会に行ってきました

2012-06-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先週末に開催された
全日本選手権大会最終日に行ってきました。
伝統拳術決勝、陳式男女、呉式男女、対練、
自選難度競技などを観覧しました。
今回は競技としてみた場合の感動に
ちょっとした変化があったかも。

私がみた限りではありますが、
やはり平常心というか
いつも通りというわけには
なかなかいかないものなのかなと。
各地区予選を勝ち抜いてきた選手ですら
ついつい力が入ってしまうのですから。

それでもやはりトップを競う選手ともなると
程よくコントロールされてます。
動きの速さ激しさなどといった様態を問わず、
落ち着いて流れるような動き
活力が滞ることなくいきいきとしています。
挑戦者にはほとばしるような瑞々しい勢いを、
前年チャンピオンには落ち着きのある勢いに
堂々たる風格を感じました。


結果は前年チャンピオンの連覇となりました。
その差はたぶん実績、経験の差だろうなと思います。
挑戦者の目標は頂点に立つこと。
それはある意味“打倒○○選手”という
具体的な目標になってしまうのかも。
頂点に立つ選手にはライバルはいても
基本的には自分自身への挑戦になるのかと思います。
練習量もその内容も他人との比較ではなく
自分が納得できるレベルになっていくのでしょうし。

場数を踏むことだけが経験ではなく
やはりその中身なんでしょうね。
それは本番やその結果だけではない、
そこにいたるまでの過程が
経験則となっていくのだろうなと思います。

自信が自分を信じることだとすれば
たとえば誰にも負けない練習を
してきたとの自負があったとしても
もしかしたら負けるのではないかとの不安や
本番ならではのこわさなど、
経験が増えるにつれて背負う圧力も
厳しいものへとなっていくのでしょうね。
孤独といえば孤独でもあるけれど、
同じような志をもつ練習仲間や
ライバルの存在があればこそ
それに相応しい心身のあり方が
培われていくのでしょう。



それにつけても、
いつもと変わらぬ心が平常心だとしたら
その「いつも」とはどのような「いつも」なのかしらん。
なかなか平常心ではいられないというのは
もしかしたらその状態こそが
自分の「いつも」なのかもしれない?などなど、
改めてしみじみと省みた一日でした。



練習メモ 主従03

2012-06-20 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
水曜専科では個人練習に入る前に
陳式、楊式、孫式の各伝統套路から
毎回一つを選んで復習してます。

導引的練習であれば
ゆっくりとしたリズムで
少なくとも30分間は動き続けることが
ひとつの目安になります。
じんわりと動き続ける持続性がポイント。
伝統套路を個人練習で行うのであれば
4、50分くらいで動く感じです。
教室では練習時間に限りがあるので
速めになります。




今月の課題である主従。
主が主であるためにも
従が十分にいきていないと。
主も従も、ともに単独では存在しえない。
だからゆっくり動きながら
それぞれの働きぶりを観察する。
ひとつの動作を構成する
各パーツの動きにも主従の関係があり、
その関係性のなかで
つねに入れ替わり循環しているのがわかる。
その循環をうながしているのが
意識の流れなのだろうな。


閃通臂で左肩から先への意識が
動きのある部分で途切れることが発覚。
指摘されるまで気づけていなかったことに
改めてビックリ。
この箇所になると他の動きと連動しておらず
流れから取り残されているような感じ。
そして転身の回転が始まると突如つながる。
なんだこれ!?

転身前の重心移動のときに
体幹の動きが伝わってないらしい。
これは左肩関節に強ばりがあるのも
影響してるのだろうか。
軽度とはいえ立派な?五十肩だしなあ。
いまだに三角筋が強ばってるし
肩関節が首側へ引っぱられるようにして
縮こまっている。
ローテーターカフ(rotator cuff)の問題か。
現状でできうる限りの動きは確保していこうと
意識的に動かす(ゆっくり大きく動かす)のが大切かと。
あせらず気長に構えるか…。

閃通臂については
転身時の体幹を中心に
下肢と上肢とのそれぞれの動きを
もう少し丁寧に意識してみようと思う。


練習メモ 主従02

2012-06-13 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
梅雨のはじまりを思わせるような雨の土曜日。
少し蒸し暑いなかでの練習となった専科クラス。
夏には夏の練習の仕方がありますね。



先般の指摘を意識して練習に臨む。
土曜の教室は参加者が多い。
まずは第一の主(鬆・静)に徹底する。
ほんとはタントウも好いのだけれど
教室の練習時間枠では動くことを中心に。
何しろ先生の指導が受けられるのは
いつでもというわけではない。
なるべく確認事項は前もって用意しておく。
それでもいまこのときに
確認したいことも出てくるもの。
そして他の練習仲間からの質問も
理解を深めることにつながったりもする。


形よりも中身を意識することから
はじまる太極拳導引にあっても、
動きのイメージをつくるのに
武術的(攻防的)な解説(解釈)があったりする。
でもそれは、数ある解釈の一例にすぎない。
しかし聞く側は固定イメージにしてしまいがち。
「これはこうする」と覚えてしてしまうと
応用がきかなくなるし
型ごとに覚えようとするから忙しい。
それでは鬆にも静にも
ならなくなるんじゃないのか。

基本的な体の仕組みを理解すれば
動き方に原理原則があることも
自然とわかってくる。
というか、鬆・静の状態にあれば
自然に体は反応してくれるように思う。
その邪魔をするものが
頭や感情の動きなんだろうと思う。
だから無外・無情・無欲であることが
大事になってくるんだな。


感情はほんとにやっかいだと思う。
雨が降れば“ああ、なんか気が重くなるなあ”
“やだなあ”というように
どんどんと芋づる式に連鎖していく。

最近やってるのは、わざと声に出す方法。
自分が感情に引きずられてることに
いやでも気づくから。
やれる状況が限られるのが難ではあるが、
とりあえず、気づきの回路さえ通ってしまえば
好いだけのことなので。

こんなことも練習といえば練習になるのかな。
もちろん導引は動いてこその導引、
これはあくまでオマケみたいなものだと思う。


練習メモ 主従01

2012-06-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
月替わりの課題も後半になってくると
一つのテーマに絞ろうとしても
これまでのテーマと関連しているのが
身を以てわかってきてしまいます。
そこをあえて絞ってみるというのも
練習なのかもしれません。




主従の主。
先日の教室にて
師から手だけで動いているとの指摘を受けた。

じつはこの日、皆で一路を復習中に
下腿部に強い張りのようなものを感じ、
力が伝わらなくなってしまった。
というか、腰から痺れるような感じがしてたり
重心を乗せるとへたれそうになったり
何とも心もとない感じになってしまった。
病み上がりなど久しぶりに動いたときには
こんな不安定な感覚もあったけれど、
途中からガクッときてしまうのは
はじめてだ。ちょっと動揺。

その後の個人練習では
自分の体に起ってることを
確かめるような感じでやっていたところで
件の一言を頂戴したのだった。


第二の主(体幹)に対する
意識の不足はあきらかだけれど
第一の主(鬆・静)も
おろそかになっていたよなあ。

冷静に観察していたつもりだったが、
動きに専心はできていなかったな。
身体の症状の方に意識が向いて
動きの質(中身)への意識が
お留守になっていた。

師の一言によって
それからは動きの傍観者としてではなく
動く当事者になり、
その上で観察していたような感じかな。
気持ちを切り替えることができたのだと思う。

そのときに感じたこと。
中心から動こうとはしているものの
どうも意識の伝わり方の速度が
バラけるというか、ズレる。
下肢よりも上肢のほうが
早めに届いてるような感覚。
動きのイメージはあるから
そのイメージを頼りに
ついつい動いてしまうのだろう。
それをさせているのは頭だ。
五体から独立する頭のしわざ。
中心から動くのだから
これでは本来の動き方とは違うよなあ。


それにしても中心からの意識の流れは
どこへ行ってしまったんだろう。
頭の“チョッカイ”が原因で消えてしまうのか。
それともどこかに居残るのか。
または後から追いかけてきてるのか。
仮に体をひとつの楽器にたとえてみれば
音は出ることは出ているが
本来の音色で鳴っていないのと
同じ状態なのかもなあ。



そして…
筋肉を使う(全身を動かす)機会が減れば
それ相応に筋肉が衰えてゆく度合いが
目に見えて加速しはじめる
そういう年代が目前にみえてきたこと。
それなりに自覚せざるを得ない事象が
我が身に起り始めると、やはり考えちゃうなあ。
それなりに長い付き合いだからね、
これからもよろしくっていう気持ち。



今月の課題 「鬆(松)と静」「主従」

2012-06-03 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
6月の課題は「鬆(松)静」と「主従」です。

練習を重ねるにつれて
「鬆(松)静」の奥深さを感じます。
段階は果てしなく、
その内容(質?)も刻一刻と変わっていることも
感じられるようになってくると
変動のなかに漂いながら
感じることが動いていることのような
気がしているこの頃です。




■鬆(松)と静

「鬆」は体のメイン意識。その意識の段階は3つ。

 1.力鬆…筋力をゆるめる。動きに必要な最低限の筋力にとどめる

 2.体鬆…体の密度が変わる。膨らむ。
        固まっている状態から拡散する、太くなるような感じ。

 3.形鬆…とける、溶解。空気と渾然一体となった感じ。



「静」は内部に対する要求、意識。段階は3つ。

 1.無外…周辺は無視して練習する
        視而不見、聴而不聞。
        (みえてもみない、きこえてもきかない)

 2.無欲…欲を持たずに練習する
        事例:成敗(うまくいくか、いかないか)        
           得失(得られるか、失うか)
           美丑(うつくしいか、そうでないか)

 3.無情…感情を用いない、持ち込まずに練習する



■「主」と「従」

「主」は動作に対する意識のうちの
主要となる意識であり
動きの基盤(基準)となる体幹であり
動作に表現される勢である。

「従」は主の働きを援助補佐したり
制御するような意識や肢体の動き。

主はひとつの動きに対して
ひとつしか存在しない。



■導引的主従の概念

太極拳導引的主従の観点とは
動作を通して
からだの仕組みや働きを考えていくこと
 →内観重視

動いているときに
意識と体の反応や状態など
体内で起っていること(協調の様子など)を
感じる(味わう)

動作をできるだけ細かく分解し
意識、重心、部位、方位などを確認しつつ
動くことになる。
 →ゆっくりにしか動けない


・導引的第一の主…鬆(松)静

・導引的第二の主…体幹

・導引的第三の主…勢


従の作用
・主と一致する働き(相乗効果)

・主を補佐する(援助効果)

・主を制約する(行き過ぎへの抑制効果)