松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ

2013-05-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
太極拳導引の鍛錬は
内面を重視することに変わりはない。


体鬆心静が基本要求であり最終課題。
体鬆はなるのであって、
つくろうとするものじゃない。

心静は…微妙。
なるようでいて、つくろうとすることも
できそうな気がしている。


体が器かと思っていたけど、心も器だな。



慎重に詳らかに味わおうとする緊張。
協調しようとする緊張。
追求型の緊張。
求めれば、むしろ遠ざかる。

要求に振り回されるな。




雑感

2013-05-07 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
父の入院で居宅介護から解放され
自分の時間を取り戻しつつある現在、
父には悪いけれど、
四六時中張りつめていた緊張から
解放されるのが
こんなにもありがたいことかと
感動すら覚える。
つくづくと人は自分の人生を背負うことが
基本なのだなと思う。


父の介護の難しさは
自身の人生を退屈といいつつ
自ら主体的に過ごす気もないと言っている点。

 退屈なんだ。でもしょうがない。

誰のためでもない(自分の)人生を
自ら張り合いのない人生でよしとしているので
家族は本人の望み通りにしているのだが、
面会の度に口癖のように
「退屈だけどしょうがない」とぼやいている。
どうやら父の頭の中には
退屈だけどしかたがない時間が延々と流れているらしい。
自分と向き合うことから逃げ通してきた人だから
どうにも間が持たないのだろうなあ。

でも、そんな父をみながら
それはそれでしかたないんじゃないのと
思えるようになってきたのは、
私自身にとっては進歩なのかもしれない。
父の生き方を受け容れたってことに
なるのかもしれないから。

あとは父の状況に応じて
家族はできる範囲で対処すればいいのではないか。
それ以上は彼の人生に踏み込まない。
面会に行かなければ
父を忘れていたりする自分を否定しない。
だれもが自分のために主体的に生きる時間は
持ち合わせている。
父だってそうしてきて現在がある。