松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

鬆に関する備忘録(2)

2014-05-06 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
鬆の状態は一定の条件がそろえば
(環境がととのえば)おのずとなるものかと。
いわば環境復旧作業に近いスタンスかな。
そのような視点でいれば
日常が実践練習の機会となるわけで。

鬆は体鬆ともいわれるように
体に現れるひとつの象と考える。
そして体調に影響を与える要素(環境)には
体外的要因と体内的要因がある。
体調=体の調子=体のリズム=体の律動…
体を巡るべきものが良好に巡っている状態を
調和、和みというのだろう。
音楽でいえば和音の響きの心地よさかな。
巡りの和音が心地よく響いていると
イメージしてみる。気持ち好いだろうなあ。

というわけでまずは内的要因への取り組みから。
朋昌会の練習も内なる取り組みが中心だ。
基礎科にはそのものズバリの
意識導引練習がある。
太極拳導引をやり始めたばかりの頃は
師の指示に従って意識を集中させてるつもりでも
全身に力が入っていたように思う。
意識を集中させようと思う気持ち(意識)が
強ければ強いほど、
力みにつながっていたように思える。
だからこの段階の意識導引練習は
力んでは脱力を繰り返すような状態だった。
つまり鬆=脱力、リラックス=脱力する。
しばらくして意識導引練習の流れ
(意識を集中させた後に放鬆というリズム)が
習慣になってくると、
今度は意識の集中度を100と0にすることが
集中と鬆というわけではないんだなと。
意識導引の目的に
少しずつ気づき始めたように思う。

意識を集中させることは
ある種の緊張状態をつくることでもある。
無意識とは意識してないのではなくて
意識していることに気づかない状態なのかな。
緊張してるのに気づかない状態も
無意識の状態だと考えられるのかな。
鬆の状態に近づきたい、課題を理解したい。
練習会でも自分では我を忘れるくらいに
集中してたときに限って
師からは緊張している、緊張感があるといった
指摘を受けているような気がする。

鬆を求めれば鬆から遠くなる。
さてどうする?


1 コメント

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求めることをやめてみる (yuehua(月華))
2014-05-06 12:29:16
それもまたひとつの方策かと。

いままでやってきたことを一度やめてみる。
習慣化していることは無意識かしている。
それをちょっとやめてみるためには
改めてその対象を意識しなおさなければできない。
それが気づくきっかけとなることも。
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