最近自分の中で戸惑いぎみなことのひとつに、
変化が一様には現れてくれないことがある。
どうも変化が現れやすい部分と
そうでもない部分とがあるらしく、
ある部分の変化が他の部分にとっては
ちょっと都合の悪いことのように思えてきてしまうことがある。
もちろんそれらは変化をくり返すなかでの
ひとつの過程ともいえるのだろうけど、
状況によっては以前の状態よりも
悪くなったかのように感じたりもするわけで。
たとえば、股関節周りの状態が改善されてくると
骨盤あたりのおさまり具合が
何となくしっくりしてくるようなのだが、
そうすると自然に姿勢が低くなってしまったりする。
ところがその位置に姿勢をキープできるだけの力を
下肢が持っているとは限らない。
つまり低過ぎる状態になってしまう。
こういうケースがよくある。
いくら調整をしているつもりでも
現実的には過ぎる状態になるということは、
イメージ力がまだ足りないということ。
結局のところ、デザインの仕事と全く変わらないみたい。
仕上がりのイメージなくして
デザインは始まらないのと同様に、
明確なイメージなくして
動作は始まらないってことなのだろうか。
変化が一様には現れてくれないことがある。
どうも変化が現れやすい部分と
そうでもない部分とがあるらしく、
ある部分の変化が他の部分にとっては
ちょっと都合の悪いことのように思えてきてしまうことがある。
もちろんそれらは変化をくり返すなかでの
ひとつの過程ともいえるのだろうけど、
状況によっては以前の状態よりも
悪くなったかのように感じたりもするわけで。
たとえば、股関節周りの状態が改善されてくると
骨盤あたりのおさまり具合が
何となくしっくりしてくるようなのだが、
そうすると自然に姿勢が低くなってしまったりする。
ところがその位置に姿勢をキープできるだけの力を
下肢が持っているとは限らない。
つまり低過ぎる状態になってしまう。
こういうケースがよくある。
いくら調整をしているつもりでも
現実的には過ぎる状態になるということは、
イメージ力がまだ足りないということ。
結局のところ、デザインの仕事と全く変わらないみたい。
仕上がりのイメージなくして
デザインは始まらないのと同様に、
明確なイメージなくして
動作は始まらないってことなのだろうか。