松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

イメージ力

2006-10-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
最近自分の中で戸惑いぎみなことのひとつに、
変化が一様には現れてくれないことがある。
どうも変化が現れやすい部分と
そうでもない部分とがあるらしく、
ある部分の変化が他の部分にとっては
ちょっと都合の悪いことのように思えてきてしまうことがある。

もちろんそれらは変化をくり返すなかでの
ひとつの過程ともいえるのだろうけど、
状況によっては以前の状態よりも
悪くなったかのように感じたりもするわけで。

たとえば、股関節周りの状態が改善されてくると
骨盤あたりのおさまり具合が
何となくしっくりしてくるようなのだが、
そうすると自然に姿勢が低くなってしまったりする。

ところがその位置に姿勢をキープできるだけの力を
下肢が持っているとは限らない。
つまり低過ぎる状態になってしまう。
こういうケースがよくある。
いくら調整をしているつもりでも
現実的には過ぎる状態になるということは、
イメージ力がまだ足りないということ。

結局のところ、デザインの仕事と全く変わらないみたい。
仕上がりのイメージなくして
デザインは始まらないのと同様に、
明確なイメージなくして
動作は始まらないってことなのだろうか。


鎧を脱いだあとに

2006-10-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
最近になって変わってきたことといえば、
少し身軽になったような印象があることだろうか。
体重が減ったというような
物理的なものではなく、精神的心理的なものかもしれない。
俗にいう“鎧を脱いだような感じ”に近いかも。
今にして思えば、これまでは身構えた感じがあったのかも。

もしかしたら開放することを覚え始めたのかもしれない?
外界に対して自分を開いたような感覚。
でもそれはある意味
自分の素を晒しているようなところもあり、
どうも気恥ずかしいと感じてしまうような自分がいる。
こんなところにも自意識が働くものらしい。

この気恥ずかしさは他人を意識して
感じるものではなくて、どちらかといえば
自分の心理状態が妙にリアルに伝わってくることに対して
感じているような気がする。
こういう感覚には今まで気づいてなかったように思う。
もしくは気づかせないように装っていたのかな。
それが鎧だったりして?


自然であろうとして無理をする不自然さ。
あたふたする気持ちを
強引に抑えつけて落ち着かせるやり方は
無用な力の行使に違いない。

とりあえずはこの落ち着かない状態を
何とかしたいとは思うのだけれど、
抑え込もうとすると
あちこちに力が入ってしまうので
それもできない。

自分に伝わってくる
自分自身に関する情報の生々しさに対して
動揺しているのかもしれない。何か勝手が違う。

練習中にそういうことが起こっている。
はたしてこれで練習しているといえるのだろうか
と思ってしまうのだが、
これもまた練習なんだろう。

こういう時に何に集中したらいいのか。
どうにもならなくて立ち往生してしまうこともある。
先生に聞くのは簡単。
でも、聞いたら解決できるというものでも
なさそうだしなぁ。
要は自分の内面のことだから、
自分の中で折り合いがつくまでは仕方ないことなのだろう。

大切なのは、聞くのか、聞かないかではなくて
聞きたいと思ったら
いつでも聞けるようにしておくことなのかも。
過不足のない状態とはそういうことじゃないのかな。


動揺状態にしても、そのうちに
自然と終息に向かうのではないか?
始まりがあれば終わりもあるもの。
だから慌てず騒がず「慢慢走」でいけば
いいのかもしれない。
まあ、これは一生ものでしょうから
何度でもくり返していけばいいんじゃないのかな。


もの思う秋に

2006-10-11 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
すっかり更新が滞ってしまいました。
ようやく一段落したのでひさしぶりに…。

冒頭から個人的見解で申し訳ないのですが、
どうもあの金木犀の香りが漂い始める頃を境にして
もの思う秋が深みを増すような気がするのです。
自分の中の秋のアイテムは金木犀の香りかもです。
そういえば太極導引教室も今月から6年めに入りました。


あれから時は流れ…というように、
時は流れるものですよね。
美空ひばりさんの『川の流れのように』の中で
流れているのも時です。
時というのは一瞬の表情で永遠を表すことも
時空間という舞台でさまざま変化を表現することもできます。
それでも川の流れとはやや異なり
遡ることはできないし流れをせき止めることも難しいです。
人為的にはどうにもならない…理不尽ながらも自然そのものですね。

自然現象として時がその姿を見せるなかで
いちばん好きなのは桜の花が散る姿です。
花びらの一枚一枚に時が寄り添って降り積もる。
時の経(ふ)る姿の中でいちばん美しい場面だと思います。
四季を知っている、季節が巡る土地に暮らすというだけでも、
ほんとはすごく豊かなことなのではないかと。


みんなと一緒であることが大切だったあの頃。
ひたすら個に集中するようになった今。
個に集中すればするほど
仲間を意識することが増えたような気もします。