松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

ようやく孫式がわかってきたのかも

2005-05-29 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
孫式の第三期が始まって最初の復習時間を迎えた。
今回の復習範囲は
今までに練習した動作が中心となっている部分なので、
再確認した上で
みっちり復習できたのではないかと思う。

個人的には相変わらず「開合手」が引っ掛かっている。
体重移動を明確にしようとするあまりに
上体がわざとらしく動いてしまう気がする。
もう少し自然にならんかなあ(笑)。
たぶん力みがあるのだと思う。
足幅を今以上に開かずに
股関節と内股の部分に余裕を持たせる工夫をしてみた。
あとは手首の硬さ。

一方で進展が見られたのは「懶扎衣」。
両手を前に推す感じがようやく実感できてきた。
今までは形だけで
前に推していたことがわかった。
これも改善のきっかけは体重移動だ。
体の動きと体重移動の協調ができずに
移動が早すぎたり遅れたり一定しなかったのだ。
推し出そうという意志を体に力を入れずに
動作に一致させることがうまくできていなかった。
最近になって少しずつ掌に感じるものが出てきた。
ちょっとうれしい。
でもまだ、この感じを
もっとハッキリ感じ取ろうとすると
力が入ってしまうので、
理解できるまでにはもう少しかかるかも。

どちらにも共通しているのは
体重移動を明確にすることで動きの方向が
ハッキリ意識できるようになること。
体重は常に動き続けていると
意識することで動きに変化が出てきたような気がする。
ただし移動のスピードはゆっくりであること。
「ゆっくりだけれど常に動いている」イメージが
呼吸と重なってくると、
いい感じになってくるような印象がある。
まだ微かな感覚なので断言はできないのだけれど。
ようやく孫式の動きになじんできたのかもしれない。

低気圧と体調

2005-05-26 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
何となくいつもよりも腰が張った感じがしたり、
肩や腕がこったりだるくなったり、
頭が重くなったりしてくると、
じきにお天気が崩れるという経験をしている人は
意外に多そうです。
かくいう私もそのひとりです。
でも、どうしてそういうことになるのか、
知っていましたか?

私はつい最近まで知りませんでした。
実は思わずなるほど!と納得してしまうような情報に
出会ったのです。
それは気圧が下がると体の筋肉が膨張して
骨同士が圧迫し合うために神経系を刺激するというもの。
それで腰や首、関節などに症状が出たり
精神的にも影響が出たりするらしいというのです。

この状態をもっとわかりやすく説明すれば、
登山をして山頂に辿り着いたときに
携帯した荷物のうち袋物類がパンパンに膨らんでいるのを
見たことがありませんか。
山頂は麓に比べて気圧が低いので
こういう現象が見られるのだそうです。
つまり低気圧が近づいて気圧が下がってくると
同じことが体内でも起こっていると考えれば、
たいへんわかりやすいと思います。

もちろん体内で起こる膨張というのは
わずかなものですが、そのわずかな変化が
神経等に障ってくるらしいというのです
(ただしすべての痛みの原因がこれだ
というものではありません)。

これをきっかけに自分の体と自然との関わり合いを
再認識してしまいました。

“中”ということ

2005-05-25 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
4月末頃から『中庸』と『道徳経』を読んでいます。
どちらも翻訳本です。
『道徳経』は何度か読んでいますので、
自分では比較的理解しやすいように思うのですが、
『中庸』の方はたいへんです。
ちょっと投げ出したくなっています。プチ挫折状態。

そもそもなぜ『中庸』を読んでみようと
思ったのかといえば、“中”という概念を
知りたかったからです。

“中”という文字に対して日本人が真っ先に考えるのは
「中心」という意味でしょう。
しかし中国人の場合はもっと多様な意味を
込めているような気がするのです。
太極導引を練習するときはバランスを常に考えています。
私が思うには、どうも中国人にとって
常にバランスを意識することはごく自然なことで、
特別なことではないように思えるのです。
もしかするとそのカギを握っているのは
“中”なのかもしれないと思ったわけです。

バランスは協調、調和であると思います。
バランスを考えるときには状況を把握した上で
最も調和のとれる状態に身を置くことを考えます。
つまりバランスを考えるとは
調和を考えることではないのでしょうか。

では、調和とはどういうことなのか。
バランスには昔の“分銅ばかり”のような
つりあい(均衡)の他に、
いずれの性質をもあわせ持ちながら
安定している状態(融和)、
あるいは感情の浮き沈みのような振幅の波を
平らな安定した状態にする(平和?)
などがあるように思います。

このように“中”には中心、中ほど
といったような意味があると思いますが、
中ほどにはさまざまな状態があるのだと思います。
太極導引の練習に限れば、
運動バランスと
静かで落ち着いた精神状態を保つバランスも
必要とされています。

このところ日中関係のギクシャクぶりが
盛んに報じられていますが、
これまでとは違った新しいバランスを作り上げていく
過渡期の現象ではないのかなあ
と思ったりしています。
現在、日本と中国とではあらゆる点で
変化のスピードが異なります。
導引練習でもゆっくり動くことで
バランスを考えながら全体の協調を目指すように
指導されていますので、
速く大きく変動し続けている中国の方が
バランス調整はより難しいだろうなあと思ってみています。
歪みが大きくなるから…
バランス感覚に長けているからこそ、
そのジレンマも強く感じているのではないのかしらん。
いずれにせよ国レベルの問題となってしまうと
個人の考えでは限界を超えてしまうので、このへんで。

骨を知る

2005-05-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
このところ、立て続けに
意識的な動作変化が起こっている。
そのために膝の周辺や腕の筋肉などに
軽い痛みや重いような、だるいような感覚を
ともなったりしている。
一種の筋肉痛のようなものなのだろうが、
今までのものとは
明らかに違う部位に出てきている。
新しい体の使い方、動かし方を
意識的に試すことで
体も探り始めているのがわかる。

これまでも自主的に
運動生理や骨格、筋肉などについて
わかりやすいと思われる解説書などを探しては
目を通してきた。
その結果、大きく変わったと思うのは
骨を意識するようになったことかと思う。
とくに関節の種類と動きのメカニズム。
次いで筋肉の仕組みなどか。

例えば股関節。
股関節をゆるめるといっても、
そもそも股関節が骨盤のどのあたりにあるのか。
大腿骨がどのようにして骨盤にはまっているのか。
股関節そのものを
正しくイメージできている人が
どれだけいるのだろう。
一度骨格標本や人体図鑑などで
確認してみるとおもしろいと思う。

実は今回の一連の変化の発端も
ここからスタートしたのだった。
改めて股関節のイメージをハッキリさせた上で
動きに合わせて
実際に股関節が動いている感覚を
意識的につかもうとしたために、
腿の付け根あたりから
内股一帯に張った感じが出てきたりした。

最初こそあちこちに力が入ったけれど、
関節の外旋と内旋のイメージが
つかめてからは、
ぎこちなさから徐々に滑らかな動きに
変化していきそうな感触を自分では感じている。
でも外見上の変化についてはまだよくわからない。

このような意識をし始めてから
再発見したことは、
動きの方向に足を向けるのも股関節から
始まっていること。
決して足前部を向けるのではなく、
股関節を開く(外旋)ことによって
膝も開いて足前部が動くのだ。
そしてさらに体重移動が加われば
反対側の股関節が内旋し始めて
膝も内側に向くので
足先も内側に向くように
踵を自然に外旋したくなってくる。
動きが対になっているのだ。

さらに足裏の感覚も変わってきているようだ。
股関節をゆるめるというのは
股関節を外旋させる意識を持つことだと思う。
そうすることで膝が外に開き足先も外向きになる。
このとき体重を受けている足裏も
やはり小指側(足の外側)に
より多くかかっているように思うし、
その方が安定しているようだ。
仮に拇指球側と合わせて
均等にかけてみると
膝が内側に引っ張られるような気がするので、
極端に言えば
拇指球を浮かせぎみに意識してもいいくらいかもしれない。
そのくらいで感覚的にはちょうど足の平面で
地を押さえている感じになるみたいだ。

以上のようなことを
ここ数日間で感じていた。
感覚的なことの説明はつくづく難しいと思う。
とりあえず今は
あらゆる動きに対して
意識で骨を動かす視点からみることに
夢中になっている。

ちなみに関節は
その動き方によって構造が異なる。
こうして一つのことから派生していって、
知れば知るほど
深みにはまっていくのは仕方のないことなのかも。
なにしろ興味が尽きないのだから。

「太極張三豊 -The Tai-Chi Master-」

2005-05-22 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
先日、友人達と遊びに出かけました。
今回は中国映画のDVDや音楽CDを扱うお店を
覗いてみることに。
そこは小さなお店で開店直後という時間帯でもあり、
我々の他には誰もいませんでした。

今回の掘り出し物はジェット・リー主演作品映画
『太極張三豊 -The Tai-chi Master-』(1993年)です。
太極拳の創始者といわれる伝説の人、
張三豊をジェット・リーが演じています。
もちろん中国語版ですが、
音声も広東語と普通話を選択でき、
字幕も簡体・繁体・英文訳とそろっていますので
語学学習にもピッタリ(でも進歩の方はいまひとつです)。

ところでこの映画の中で個人的に
ものすごくウケてしまったシーンがあります。
それは天寶(のちの張三豊)が
新たな拳法を修得することに没頭している場面なのですが、
その1カットにガチョウの動きを
真剣な眼差しで観察する天寶の姿が…。
“ああ、ほんとにガチョウだ!”

実は最近、ちょっと太極拳の「白鶴亮翅」という型が
話題になったことがあったのです。
この型はツルが翼を広げる様を模したといわれているのですが、
もともとはガチョウを模した
「白鵝亮翅」といったんだそうです。
つまり当時はガチョウの方が
ツルよりもずっと身近な鳥だったというわけです。
このように型の名称には
身近にいる動物の姿態を模したり自然の姿を模して
名前をつけていたものが少なくないようです。
これも太極の意味するところから
自然界と一という思想の表れなのかもしれません。

お手頃価格で手に入れたのですが、
思いがけない個人的感動の名場面もあって
週末のひとときを楽しむことができました。

健康十訓

2005-05-18 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
近所の薬局に行くといつも眺めているのが
「健康十訓」です。
ここのオリジナルなのか、広く普及しているものなのか
わかりませんが、ついつい目が行ってしまいます。
たった10項目ですからすっかり覚えてしまいました。

  一 少肉多菜(肉はほどほど野菜たっぷり)
  二 少塩多酢(塩分摂りすぎは高血圧のもと、酢は健康のもと)
  三 少糖多果(甘いものは果物から)
  四 少食多噛(腹八分目でよく噛みゃ幸せも噛みしめられる)
  五 少衣多浴(薄着で風呂好きの人は健康を身につけている人)
  六 少言多行(おしゃべりしてる間に行動開始せよ)
  七 少欲多施(自分の欲望のために走らず他人のために走れ)
  八 少憂多眠(くよくよしても同じとっとと眠てしまおう)
  九 少車多歩(車は確かに早い でも歩けば健康への近道)
  十 少憤多笑(怒ったときもニコニコしていれば忘れてしまう)

 「多少」にかけた言葉遊び的な啓蒙とはいえ、
何事も過ぎるのも足りないのもよろしくないわけで、
ほどほどがいいんだと思うんですけどもね。
そんなふうに思うのも、太極導引で身についてきた
バランス感覚なんでしょうか。
おそらく以前だったら“ほどほど”なんてことまでは
考えなかったと思うのですが。
でも、話のオチとしてはちょっと無理があったかしらん。

股関節とウチマタ

2005-05-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日pantayaさんのブログで
うちまた」というタイトルの
トピックがアップされた。
コメントを残してはみたものの、
自分の体の使い方を確認している中で
ちょっと重なってくるような部分があったので
整理してみた。
専門的に学習しているわけではないし
あくまでも体験上の考察なので、
どうぞ“マユにツバつけて”読んでください…。

人が立っている時、
上体は股関節を結合部として
左右の大腿骨の上に乗っているような感じになる。
体重は左右の足にかかるわけだが、
外反母趾など何らかの原因で
足裏で均等に支えられずに体重がV字状に
体の中心側にかかってしまうと、
足部の内側の筋肉は
常に緊張を強いられているような気がする。
ウチマタの程度にもよると思われるが
股関節にまで
捻れのような負荷がかかっているかもしれない。
その場合、外見的には
ナンバのように見えるかもしれないが、
本来のナンバとはちょっと違うこととなるので
注意した方がいいかも。

膝の内側あたりの違和感というのも、
おそらく足の内側全体が
ひどく緊張した状態にあるからでは
ないのかなあ。
緊張状態が長引くと
血行も悪くなるので新陳代謝も悪くなり
疲労もたまりやすい。
痛みや痺れは体が何とかしようと
必死になっている状況なのかもしれない。

基本的に体は
自分でバランスをとろうとするものだから、
現象として現れて来た姿勢の背景には
そうしなければならない原因があるはず。
だから現象だけをとらえて矯正するだけでなく、
もとの原因の手当も必要になるだろう
(pantayaさんのケースでは
彼女が既にこのあたりを
押さえているので大丈夫かと)。

ところで、自分の場合は
次のような足の緊張状態の調整法を行っている。
まず仰向けになって
両足を肩幅くらいに開いて横になる。
緊張していなければ
足先が自然に外側(足の小指側)に
向かって開くようになるが、
足に緊張があると
足先の向きが内側(足の親指側)に向く。
つまりウチマタ状態になる。
自分の場合は右足は外に開くが、
左足は上からやや内側に向くことが多い。

こうした足の緊張をとるには
股関節をゆるめる必要があるらしい。
股関節がゆるんでくると
自然に足先が外側へ向き始めることに気づいた。
この方法は手軽で
自分で調整しながら状態を確認できるので便利。
何かの参考になればいいのだけれど。

動的ストレッチを始めて3カ月

2005-05-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
動的ストレッチを
練習内容に取り入れだしてから3カ月。
ずいぶんハッキリとした変化が
皆に現れてきたように思う。

足があがるようになったのは
もちろんだけれど、
見た目にも
股関節が柔らかくなってきていると思う。
上体の姿勢も少しずつ安定してきたようだ。
定かではないのだけれど、
たしか全身の細胞がすっかり入れ替わるサイクルが
3カ月だったのかな?
とにかく3カ月という期間は、
いろんなところでひとつの区切りになるらしい。
どうやらストレッチ練習も
ご多分に漏れず、
運動要領がようやく体のすみずみにまで
行き届いたということか。

個人的には股関節や背中の緊張が
やっと解けてきた。長いな~ほんとに。
そうしたら少し動きが変わってきたみたいだ。
それでも(右側に比べて)左側には
まだしつこく緊張が残っている。
先生からも「こっちはいいです。」
「まだ硬いです、力が入ってます。」との声が
交互に飛ぶ。
自分でも手と体と足とがバラバラで
協調できていないのがわかるのだけれど、
どうにも手に負えない。まだまだ先は長い。

また、姿勢の意識を少し変えてみたところ、
膝の周辺に違和感を感じるようになった。
膝自体が痛むのではないのだけれど
筋肉痛かな?
しかし意識を変えたくらいで
こんなに影響するものかしらん。
間違ったことでもしているのかなあ。
でも自分では意識を変えたことで
背中の緊張感が減り、
骨盤の巻き上げも自然になりつつあるような
感触があるのだけれど。
これはちょっと様子見かな?

ダンス公演に行ってきました

2005-05-13 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
12日に天王洲アイルにあるアートスフィア劇場で
友人のダンサーの自主公演がありました
(NORIKO OKAMOTO DANCE COLLECTION)。
2003年に10回めの公演を行ったのですが、
今回はVol.ZERO、すなわち再びゼロからのスタートを切る
という公演でした。

今まで培ってきたものを潔く捨て去っていました。
彼女が信条としてきたであろう「こだわり」の部分を捨て、
敢えて避けてきたと思われることを取り入れるなど、
新たな決意を感じました。
彼女が作る作品にもそれは反映されていて、
舞台に立つダンサー達も
彼女の思いを理解し表現することに集中していたと感じました。
彼女を信頼するダンサーとスタッフに支えられて
彼女は彼女らしい舞台をつくりあげていました。
気持ちの良い舞台でした。

彼女とは彼女の舞台関係のお手伝いをしたりして
徐々に親交を深めていったのですが、
ことに私が太極導引を始めてからは身体能力のことなど、
よく話したりしていました。
彼女の体の使い方と太極拳の体の使い方は
共通するところが少なくありません。
彼女も自分で仮説を立てては検証するタイプのようで、
体の使い方で発見したり気づいたことなどを
互いに話し合うことがあります。

今回、舞台を客席で見ていて自分の観察眼が
ずいぶん深くなってきていることに気づきました。
動きと体のバランス、体の状態が動きに及ぼす影響などが
手に取るようにわかりました。

一番ハッキリわかるのは背中と首です。
ここが適度にゆるんでいる人はバランスが良い。
腕の振りも柔らかく指先までしなやかに動かせます。
足もただ高くではなく美しく上がります。
群舞でもソロで動いても自分の協調ポジションを
常に意識して取っていることがわかります。
意識が行き届いているんですね。見習うべき点です。

コールドなどのような群舞になると、
若干の動きのばらつきがあるのは仕方ないと
個人的には思って見ていますが、
それ以上に異質な感じを与えるのが、
どうも背中と首の緊張感のようなのです。
自分が気にしているからそう見えるのかどうかわかりませんが、
全体の流れの中で異質な印象を与えているような気がするのです。
うーん、これは自分にとっては大発見でした。
集体表演の時にも参考になるかも。

踊りが好きという気持ちだけは誰にも負けない
というだけでは足りない。
やはりそれなりの技術というのが必要。
技術とは調整力。初心者には初心者の協調があり、
上級者には上級者の協調があります。
協調のあるところに初めて表現が生まれてくるのではないでしょうか。
形だけの表現ではこころまで伝わってこない。
形と心の共鳴があって
はじめて観る者のこころに響いてくる。

それぞれの段階に応じて常に協調を目指すことは、
何もダンスだけに限ったことではありません。
動きのあるところには必ずバランスが存在します。
極論すれば生きること自体がバランス運動だと思うのです。
改めて体の使い方をもっと知りたいと思いました。

ゆるみと脱力

2005-05-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
緊張する場面に遭遇することは
誰にでもあること。
そして、そうした場面で
思わず緊張してしまうことは
自然な反応でもあるのだ。
その緊張状態から平静な「いつもの自分」に、
いつ、どうやって戻ってくるのかが
問題なのだと思う。

深呼吸をしたり、目を閉じてみたりと、
緊張感の解消法は人によってさまざまだ。
場面によっては、ます精神が緊張して
その情報が筋肉等の肉体的反射となって現れたり、
反対に肉体的な緊張から
精神も緊張してくる場合もあるだろう。

一般的に緊張状態とは力が入った状態、
力みがある状態と考えられると思う。

従って第一の手段としては、
入ってしまった力を押さえることになる。
現状以上に力まないように制御する。
それから力を抜くことになる。
いわゆる脱力ということか。

ここで問題になるのが力の抜き加減だ。
最近少しずつ感じていることがある。
脱力はひとつの手段であって、
その目的はゆるむことにあるのではないか
ということ。
つまり、力を抜くのは
ゆるみを得るためのものではないかと思うのだ。

ゆるみは、余裕というか
適度な緩衝材のような働きをするのではないかと。
よい道具には必ず“遊び”があるものだと、
職人さんから聞いたことがある。
体にもこうした“遊び”がある方が
柔軟な対応ができそうな気がする。
ゆるみってそういうものなのかな。

体の中でゆるみを実感しやすい部位を探していたら、
どうも関節ではないかと思い当たった。
少なくとも自分の場合はそんな気がする。
ジッとしている場合なら
筋肉の方がわかりやすいようにも思うが、
動いているときはさっぱりわからない。
だから関節の状態を意識するようにしてみている。

とりあえず、今はまだこのくらいしか書けない。
関節で感じる
緊張とゆるみの状態についての
レポートなどもまだまだ。
もう少し時間がかかるなあと思う。
それにこの仮説がボツになることだって
十分にあり得るし(笑)。