ものの見方や考え方、感じ方などは
人それぞれとは言いますが、
実は、それぞれの表現の仕方に差があるだけで
表現から受ける全体的な印象や
主旨のようなものには
思いの外、似通っているところが
あるような気もしたりすることがあります。
陰と陽は、作用反作用のように
同時に存在するものです。
ですから対語のようなもの、
(たとえば老若、明暗、男女など)にも
当てはめることは可能です。
俗に「白黒をつける」という言い方がありますが、
これも陰と陽の二分化だというのは
すぐに分るのですが、さらに踏み込んで考えると
白と黒とに分けるだけとは限らないのでは
ないかと思えてきて…。
つまり、白と黒の中間にあたるというか
「白や黒ではない色(白と黒以外の色)」
もあるのではないかと。
よく言う“割り切れない思い”などといった存在が
これに相当するのかもしれません。
もし、このようなものも
白と黒とに振り分けるとしたら、
白と比べれば 白ではないけれど
黒と比べれば 白く見えてしまうような色から
黒と比べれば 黒ではないけれど
白と比べれば 黒く見えてしまうような色まで
という見方をすれば
無数に存在するはずの色でも
白黒のグラデーション(階調)として
白と黒の世界にスッキリと
収まってしまうようにも思えます。
調和のとれた美しさや穏やかさとは、
こうした白黒両極間の階調が
どれだけ豊かに繊細に
調整されているかということでも
あるのかもしれません。
「白黒をつける」という表現には、
曖昧さを許さずにハッキリさせるとか
一刀両断的な強い印象があったのですが、
自分の中では少し色合いが変わってきたような
気もします。(深読みのし過ぎとの説もあり?)
十人十色といわれる人間関係も
自分と相手の間に調和のとれた階調を
できるだけ丁寧につくりあげることなのかも。
複雑に考えれば、いくらでも複雑になるけれど、
思惑なんかに囚われず、
現象だけに目を向けて行けば何とかなるような
気もしてきたり。
自分で自分を縛ったり、
知らぬ間に枠に組み込まれることのないように
こころして。
人それぞれとは言いますが、
実は、それぞれの表現の仕方に差があるだけで
表現から受ける全体的な印象や
主旨のようなものには
思いの外、似通っているところが
あるような気もしたりすることがあります。
陰と陽は、作用反作用のように
同時に存在するものです。
ですから対語のようなもの、
(たとえば老若、明暗、男女など)にも
当てはめることは可能です。
俗に「白黒をつける」という言い方がありますが、
これも陰と陽の二分化だというのは
すぐに分るのですが、さらに踏み込んで考えると
白と黒とに分けるだけとは限らないのでは
ないかと思えてきて…。
つまり、白と黒の中間にあたるというか
「白や黒ではない色(白と黒以外の色)」
もあるのではないかと。
よく言う“割り切れない思い”などといった存在が
これに相当するのかもしれません。
もし、このようなものも
白と黒とに振り分けるとしたら、
白と比べれば 白ではないけれど
黒と比べれば 白く見えてしまうような色から
黒と比べれば 黒ではないけれど
白と比べれば 黒く見えてしまうような色まで
という見方をすれば
無数に存在するはずの色でも
白黒のグラデーション(階調)として
白と黒の世界にスッキリと
収まってしまうようにも思えます。
調和のとれた美しさや穏やかさとは、
こうした白黒両極間の階調が
どれだけ豊かに繊細に
調整されているかということでも
あるのかもしれません。
「白黒をつける」という表現には、
曖昧さを許さずにハッキリさせるとか
一刀両断的な強い印象があったのですが、
自分の中では少し色合いが変わってきたような
気もします。(深読みのし過ぎとの説もあり?)
十人十色といわれる人間関係も
自分と相手の間に調和のとれた階調を
できるだけ丁寧につくりあげることなのかも。
複雑に考えれば、いくらでも複雑になるけれど、
思惑なんかに囚われず、
現象だけに目を向けて行けば何とかなるような
気もしてきたり。
自分で自分を縛ったり、
知らぬ間に枠に組み込まれることのないように
こころして。