松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

暑中お見舞い申し上げます

2005-07-31 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
毎日蒸し暑いですね。
土曜日の練習で着用したTシャツは
絞ると汗が落ちるほどでした。

メンバーの中では最年長となる通称“マダム”も、
今年はエアコンを入れなくても
みんなと同じだけの練習をこなしています。
去年は着替えをすませたら
その足でスタジオ内のエアコンを入れなくては
いられなかったのですから、
やはり体が変わってきているのだと思います
(でも本人は気づいていないみたいですが…)。
太極導引の効果は徐々に現れてくるものですが、
このように半年、1年といった時間軸で見てみると
ビックリするほどの大きな変化をもたらしているようです。

他人ばかりでなく、自身にとっても
変化は起こり続けています。
今まで雑多になっていた事柄と体の動きが
ようやくフィットしだしてきて、
ひとつひとつの動作を改めて納得しながら練習しています。
するとまた新たな引き出しができて、
そこにまた新しい課題が見つかるというような感じです。
この引き出しにも何種類かの系統があって、
その中のどの分野の課題なのかというように
少しずつ整理されてきたかもしれません。
こうなると、事あるごとに慌てることもなくなるでしょうし、
意識すべきことが整理されていますから
(たぶんいるはずなんだけれど)、
回り道することなく課題と向き合えるはずなんですよね、
理論上は…。

まあ、そのまますんなりと行かないのが人生ですし、
だからこそ生きていてもおもしろいわけでして。
ということで、とりあえず暑さにも負けず、
あせもをつくりながら練習しています。

みなさまもどうぞご自愛ください。

私の出会った先生達 -その1-

2005-07-29 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
私がずっと昔に通っていた
鍼灸治療院でのエピソードです。
隣りの診療台で治療を受けていた患者さんが
先生に向かって何事か言い始めました。
 患者「先生は、私がここにはじめてきたときに
    言いましたよね。『時間はかかると思いますが、
    徐々に快復しますよ』って」
 先生「そうですよ。今は身体の中の悪い部分を
    すべて出していると思ってください」
 患者「最初の頃の治療は、受ける度に
    メキメキ良くなっている感じがしたんです。
    でも、最近はなんだかちっとも良くなっている感じがしない。
    なんだか、体力も落ちているみたいだし…」
 先生「物足りない感じがするんでしょ?」
 患者「そうなんです」
 先生「あんたの体は最初、無一文の文無し、空っぽだったんだよ。
    そこへ私が500円渡したんだ。文無しに500円は大金だ。
    だが、そのうち毎回500円ずつもらっても
    うれしくなくなってくるんだ。500円に慣れちゃうからな。
    次は1,000円もらわないとうれしく思えないんだ。
    今のあんたは1,000円をねだっているんだよ。」
 患者「……」
 先生「今のあんたの体は500円ずつがちょうどいいんだよ。
    私の言うことが信じられないなら、
    どこかよそへでも行ってくれ」
 カーテン越しに聞いていて、こちらまで
ドキドキしてきてしまったのを今でも覚えています。

先生は子供の頃から体が弱く虚弱体質で、
成人してからも体質は変わらず兵役にもつけず、
肩身の狭い思いをしたそうです。
仏門に入ったことがきっかけで東洋医学を知り、
この仕事を始めたと聞いています。

先生は自らの体験から患者の苦しみを理解し、
患者を大切にしていました。
その分、患者が先生の指導を無視して
養生を怠ったりするとものすごく怒りました。
待合室までその声が響いてくるのです。

先生は普段は温厚なのですが、
ここぞと言うときにはこのようにカミナリを落としました。
いつも患者さんは苦しい体を押して
ここまで来てくれるんだから精一杯の治療を
させてもらうのだと言い続け、
お弟子さんが遅刻したりすると、
ものすごーい雷がドカンドカン落ちてました。

患者さんによっては
とてもコワイ先生だという人もいましたが、
私は大好きでした。

ちょっとサボりました…

2005-07-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
ちょっと更新をサボりました。
別に忙しかったわけでもなく、
書くことがなかったわけでもないのですが、
ただ何となく…(苦笑

実はこのところ、いろんな気づきがあるのです。
が、それを文章にするには
ホヤホヤすぎてしまう感じなのです。
別に勿体ぶっているわけでもなく、
またそれほどの内容でもないのですが、
もう少し寝かしてからでないと
まとまりそうにない感じなのです。

ほんとに自分でもビックリするくらいの
気づきラッシュなんです。
というか、ひとつの気づきがきっかけとなって
次々に波及していっているんだと思います。

おそらく最初のきっかけは
基本科の練習だったような気がします。

手の動き、足の動き、それぞれに集中して
動きと意識の流れを確認していくうちに、
少しずつ流れの動き?気配?を感じられているような
気がしてきています。
頭での意識ではなく、身体の各部で
“ただいま通過しました”的な感覚が走るとでもいうのでしょうか
(こんなふうに的確な表現ができない状態なのです)。
そんな漠然とした感覚が自分なりに
変化として認識できるように思えたのは、ロウ膝拗歩や
野馬分シュウの練習でした。

先週あたりから専科で掲げられている課題(要求)に対しても、
この感覚がものすごくフィットするのです。
理屈としてではなく動きの中で“ああこのことだな”と、
いちいち納得できてしまうのです。
自分でもビックリするくらい肌で理解するような感覚です。
そういう時機が巡ってきているのでしょうね。

せっかくですから少しでも身体で覚え込めるように
したいなあと思っています。

己を知ることから協調は始まる?

2005-07-24 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
昨日の野馬分シュウの練習では、
おもに陰陽バランスを考えながら練習してみた。
専科の方で、陰陽バランスを意識するように
指導されたばかりだったので、
さっそく試みてみたわけ。

基本科の動作は楊式。
移動と肢体の動きを組み合わせているので
初心者にはたいへんだと思うが、
これが太極導引の動き方なので
慣れるしかないし
正確に動けるまでにはさらに時間がかかる。
つまり徐々に進歩することが
楽しめないと、
ちょっとつらいかもしれない。

ゆっくり動けるようになるためには
まず、ごまかしがきかないことを
知ることから始まるような気がする。
そしてそれに適した体づくりと
心の粘りや精神的な余裕も必要になる。
頼れるのは自分だけだから、
ひたすら自分自身と向き合うことにもなる。
太極導引は否応なく
自分を知らしめてくれるような気がする。

こうして時間をかけた心身の変化とともに
動きにも徐々に変化が現れてくる。
これは何ものにも代えがたいうれしさだ。
健康的というのは
こういうことも含まれるのではないかと、
この頃よく思う。

世の中が求める効率とは何なのか。
いのちあるものの時間は
それぞれに異なる速度で進んでいるのでは
ないのかな。
多種多様であるからこそ、
互いに影響し合い数々の変化(バリエーション)が
生まれるのではないのかな?
単調、単一な世界には協調は存在するのだろうか。


基本がすべて

2005-07-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
基本科では毎回、一動作を集中して練習する。
套路練習とは違い、一つの動作を
基本から練習していくのだが、
これがものすごく良く効く。

いわゆる単練になるわけだが、
太極導引で要求される
体松、心静、自然はもちろん、
動作の微妙な協調のズレまでチェックできる。

一時、いつまでも基本科で練習していては
邪魔になるかなと思ったことも
あったのだけれど、
やはりまだ自分には必要だと思うから
やめられない。

つくづく基本ほど難しいものはないと思う。
練習内容はほんとに基本的な動作なのだ。
だが前進ひとつ、後退ひとつとっても
完璧に協調して動くことはできないでいる。
まだまだ粗いし要求すら満たせずにいる。
たとえば自主練習を繰り返していても、
知らず知らずのうちに
基本からズレて独りよがりの動き方が
身についてしまったものもある。
基本動作がしっかり身につけば
土台ができるのだから、
たとえはじめての動作に出会ったとしても
ゼロから始めるわけではない。
土台があるから
自分で考えることもできるし、
その考えを動きに反映させることも
できるだろう。

でも、そういうことがわかるのは
後になってからなのだ。
動き方の基本を覚えながら体をつくり、
意識の仕方や練習方法などを
身につけていく過程にある初心者のうちは、
なかなかそれがわからない。
また、わからなくて当然なのだとも思う。
少しずつ気づくことだからだ。
もしその時に土台があれば前に進めるし、
ちょっと不足と思えば引き返すこともできる。
そのための基本科でもあってほしいと思う。

始めたからには
少しでもはやく動けるようになりたいだろうし、
先を思えば焦るかもしれないけれど、
ここをじっくり繰り返し練習しておくと、
ほんとに後が違ってくるんだと思う。

意とこころ

2005-07-20 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
人間関係ならぬ“こころ関係”に関心がある。
心構えとか、心意気とか、心づもりとかをきっかけに、
何となく考えるようになってしまったみたい。
太極導引を始めてからは
意念、意という言葉をよく耳にするようになった。
意念は意識とはちょっと違うと
きいていたのだが、
最初は“ふーん、そうなんだ”程度だったのだが、
この頃は“確かに違うよね~”と思う。

意識は主体が自分だけれど、
意はもっと大きいというか広いというか、
自分をもコントロールされているかのような
大いなるもののような気がしなくもない。
いったい何なのだろうと思う。

例えば、先生から同じように教わっているのに、
それぞれの動きになるのは
どうしてかなと思う。
動作としてはみな同じ型なんだけれど、
現れているものが微妙に違う。
それは体型の違いとかというような
外見の違いだけではない。
仮に体型が同じでも、
この微妙な違いはでてくるんだと思う。
たぶんそれぞれの感じるところが
微妙に異なっているんだろうなあと思う。

同じものを見て聞いて教わったとしても、
そこから何を感じ、どのように理解し、
どのように表現するかはそれぞれだ。
こうして身につけたものというのは、
概ね同じような指向というか
方向性はあっても、
それぞれ個々のものなのだろう。

どこで見かけたのか
記憶が定かではないのだけれど、
興味ある内容だったのでちょっと触れてみたい。
それはこころを器(うつわ)にたとえた話だった。

「人はそれぞれ形状の異なるこころという
器を持っており、
例えばそこに水を注ぎ入れたとしたら、
水はその器の形状ごとに姿を変える。
同じ水でも器によって変わるのだ。
つまり等しく伝えたはずのものの意味を
変化させるのである。
こころが時間をかけて熟成し
大いなる形を成すことを大器晩成という。
器の大きい人というのはこころの広い人である」
というような話だったと思う。
なるほどなあと思った。

どうして先生はいつもニコニコしているのか。
いつも穏やかでいられるのか。
器がまるで違うということなのだ。
振り返って自分の器の小ささには声もない…。

いまだ遠く及ばず…

2005-07-18 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
孫式97式を40分かけて動くという
目安目標には、いまだ届いていない。

いちばん近くても32分で、
これは屋外練習の記録。
室内では20~25分が一番多い。
どうしても動きが小さくなるみたいだし、
周囲が気になり、集中も足りなくなるようだ。

そのため遠くにはなるのだけれど、
木陰の多い練習場へ行くことに。
準備運動などを省略すれば1回は練習できるかな。
別に試験やタイムトライアル的な性格の復習
というわけではない。
一応40分ペースがどんな印象なのか
試してみたいという、
ごくごく単純な個人的興味だけのこと。
毎日そこまで通えるわけでもないし
1回勝負なので、
いつ40分を体験できるかもわからない。
あくまで楽しんでやる心づもり。

こうしたかなりゆっくりめの流れになると、
今までの自分の間合いでは
全体の協調が崩れてしまう動作が
いくつか出てきている。
ゆっくり動くと今まで気づかなかった
体の細かい動きにどんどん気がついてくる。
そこを意識すると
また違った感覚で動いている気がする。おもしろい。

それにしても暑い。
それでも汗をかくので気持ちはいい。
午前中にひと汗かいて食後にちょっと横になり、
おやつに西瓜を間食する。休日ならではの贅沢三昧。

珍しくカレンダー通りの休みがとれた連休。
こんなことが何だかうれしい。

呼吸に合わせて動く

2005-07-17 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
孫式の総復習は2週目。
今回から呼吸に合わせて動く
という課題(要求)が掲げられた。

太極導引の要求である
松・静・自然を満たした和みの状態を
現すもののひとつとして、
自分の呼吸に合わせて
動けている姿があると思っているのだが、
これがなかなかに難しい。
できる人には簡単にできているのだけれど、
できない人には
ほんとにできないものなのだ
(自分がそうだから断言してしまう)。

先日の練習では全員で1回通した後は
各自で自分の呼吸に合わせて
動くことになったのだが、
どちらも目標目安の40分には及ばなかった。
もっともっと深く長く
呼気吸気ともに等しくなるように呼吸する
必要があるらしい。
まだまだ動作に
意識の大半が回ってしまうからだろう。
動作に気を取られるから
呼吸が浅くなるのだ。
ちなみに自分は20分だった。
先生からも「まだ動作に気を取られています」と
指摘されたくらいだから課題は明白。

それにしても97式を
40分かけて動くというのは
かなりな運動量になるのではないか。
呼吸がしっかりしてくれば
有酸素運動としても効果は高い。
しかも心拍数を急激に上昇させるわけでもなく、
汗はかくけれど
激しいノドの乾きを覚えるほどではないので、
この時期の運動としては
心臓の負担が少ない良質の運動だと思う。

ちなみに急激に水分補給をすると
心臓にかかる負担が大きいらしいので、
いわゆる“がぶ飲み”は避ける方が得策らしい。
また、この時期にそれほどの運動を
健康目的として行うこと自体、
身体にはやさしくないともいえるのでは?

健康目的の運動の場合は
できるだけ良質のものを
適度に行うことが必要になる。
そういう判断も含めて
自分の身体の状態を
自分で把握することは大切だし、
コントロールできることなのだとも思う。

中指の秘密

2005-07-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
孫式を練習していて、最初の頃は
手首の力を抜こうとするあまり、
ついつい指先が
丸まってしまうことがあり、
その度に先生から注意されていた。
手首や掌に力が入っているのは
わかるのだけれど、
どうやって抜いたらいいのかが
わからなかった。

ところがひょんなことから
ある経路が見えてきた。
実は腰や首に弱点をかかえているために
手足にちょっと痺れがあるのだが、
そのために運動していると「響く」ことがある。
この響きがヒントとなった気がする。

例えば開合手や単鞭は
肘がポイントになるように思っている。
自分では肘の動きを意識しだしてから
手の動きが変わってきたように感じているからだ。
うまく説明ができないので大雑把になってしまうが、
肘を意識する延長線上に
手、指とくに中指へとつながる感覚が、
どうもあるらしい。
掌というのは触ればわかるのだけれど、
指と同じように
五本の骨でできている。
したがって中央の中指にあたる骨を意識すると
自然に中指先まで
感覚がつながるみたいなのだ。

以前、単鞭を練習していて
肘を垂らすと掌が立つことに気がついた。
その応用として
中指にあたる掌の中央の骨を意識してみたら
自然に指が伸びたというわけ。
とくに力は必要としない。

それ以来開合手や単鞭、雲手など、
今まで指が丸まってしまう傾向のあった動作から
試してみたのだが、個人的には好感触。
ちょうど掌の窪んでいるところ
(たぶん労宮穴かと思うけど…)が
ムズムズッとしてきたりすることもあるので、
おもしろい。
こういう発見があると
途端に練習がおもしろくなってきたりして、
現金なヤツだなあと思う。

覚悟する

2005-07-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
つくづくと思うのは、
一度身につけてしまったものは
簡単には消せないということ。
基本科で練習していると
若葉さん(初心者)の動きの良さに
目を見張ることがしばしば。

心機一転とか初心に戻って
とは言うけれど、
実際にはひじょうに難しいことだと思う。
全く新しい動作ならばいざ知らず、
何度か繰り返して練習していれば、
良くも悪くも
自分の動作が出来上がってしまっている。

これに修正を加えていくというのは、
まっさらなところに覚えるのとは全く違う。
人間の脳は上書きがとても苦手なのかもしれない。
かといっていっそ消去して
ゴミ箱に捨てるなんてこともできない。

だから最初が肝腎なんだけれど、
その肝腎さに気がつくのは後になってからなのだ。
もう一度やり直すこと、
出直しというのは簡単なことじゃない。
それ相応の覚悟がいるということなんだと
改めて思うこの頃。

たかが動作練習ひとつでも、
そこからある意味、生き方まで感じてしまう
瞬間ってあると思う。
この頃、そういうことを直観することが
少なくないみたい。疲れているのかしらん…。