太極拳導引ではその鍛錬内容である
調身・調心・調息の3つを称して
導引三調と呼んでいます。
調息と呼吸導引
太極拳導引では緊張するような状況を極力避ける。
初級レベルであれば
練習中に何度か息を止めていないか
慌ててはいないか、落ち着いているか
というような注意喚起をすることがある。
一所懸命に集中する対象に意識が向きすぎれば
他へ向くはずの意識は総じて薄くなってしまう。
意識の過不足による影響は連鎖的に広がる。
自分のことくらいはわかっている気でいたけれど
じつは分かっていないんじゃないか?
このような自らの心身へ向けた謙虚なまなざしが
内観には欠かせないのかもしれない。
最近になって調息についても
その解釈を少しばかり見直し始めている。
調息は自発的に呼吸の仕方を変えるなどして
調整すること、意識で呼吸をコントロールすること
と理解してきたが、
もしかするとそれだけではないかも?と思い始めたのだ。
太極拳導引の練習内容のなかには
呼吸導引という練習法がある。
これは自分のできる範囲(=自然呼吸で行える範囲)で
呼吸は細く長くゆっくり均しくして
過不足なく十全に行うもの。
細く長くゆっくりで均しい呼吸は
あくまで自然呼吸で行われるものであり
深呼吸にはならない。
もし練習中に呼吸が苦しくなってきたとしたら
それはどこかで無理をしている(緊張している)から。
また深呼吸になってしまうのも
それもどこかに無理があるということになる。
太極拳導引における鍛錬とは
過不足のない十全たる状況を目指すことであり
備わった資質を活かしきるための身体の使い方や
心のあり方を発揮するためのもの。
そして十全を目指している限り限界は無となる。
なぜなら我慢とか耐えるような状況がないからだ。
もし耐えたり我慢していると感じたら
それはどこかで無理をしているのだと思う。
どこでどんな無理をしているのかは
個人によりまちまちだろう。
本来の資質を十分に発揮せずに抑え込むことも
現状の資質以上を求めることも
どちらも無理をしているとはいえないか。
呼吸導引は呼吸に集中することで
心身にひそんでいる無理に気づく感覚を呼び覚まし
その精度を磨きあげるような気がする。
やがてそれが調息につながっていくのではないかと。
「無理せずできることだけを十全に行う」
これは呼吸導引に限らず太極拳導引のキモなのかなと
自分では思っているのだが、はたしてどうかな。
調身・調心・調息の3つを称して
導引三調と呼んでいます。
調息と呼吸導引
太極拳導引では緊張するような状況を極力避ける。
初級レベルであれば
練習中に何度か息を止めていないか
慌ててはいないか、落ち着いているか
というような注意喚起をすることがある。
一所懸命に集中する対象に意識が向きすぎれば
他へ向くはずの意識は総じて薄くなってしまう。
意識の過不足による影響は連鎖的に広がる。
自分のことくらいはわかっている気でいたけれど
じつは分かっていないんじゃないか?
このような自らの心身へ向けた謙虚なまなざしが
内観には欠かせないのかもしれない。
最近になって調息についても
その解釈を少しばかり見直し始めている。
調息は自発的に呼吸の仕方を変えるなどして
調整すること、意識で呼吸をコントロールすること
と理解してきたが、
もしかするとそれだけではないかも?と思い始めたのだ。
太極拳導引の練習内容のなかには
呼吸導引という練習法がある。
これは自分のできる範囲(=自然呼吸で行える範囲)で
呼吸は細く長くゆっくり均しくして
過不足なく十全に行うもの。
細く長くゆっくりで均しい呼吸は
あくまで自然呼吸で行われるものであり
深呼吸にはならない。
もし練習中に呼吸が苦しくなってきたとしたら
それはどこかで無理をしている(緊張している)から。
また深呼吸になってしまうのも
それもどこかに無理があるということになる。
太極拳導引における鍛錬とは
過不足のない十全たる状況を目指すことであり
備わった資質を活かしきるための身体の使い方や
心のあり方を発揮するためのもの。
そして十全を目指している限り限界は無となる。
なぜなら我慢とか耐えるような状況がないからだ。
もし耐えたり我慢していると感じたら
それはどこかで無理をしているのだと思う。
どこでどんな無理をしているのかは
個人によりまちまちだろう。
本来の資質を十分に発揮せずに抑え込むことも
現状の資質以上を求めることも
どちらも無理をしているとはいえないか。
呼吸導引は呼吸に集中することで
心身にひそんでいる無理に気づく感覚を呼び覚まし
その精度を磨きあげるような気がする。
やがてそれが調息につながっていくのではないかと。
「無理せずできることだけを十全に行う」
これは呼吸導引に限らず太極拳導引のキモなのかなと
自分では思っているのだが、はたしてどうかな。