生誕100年特別展『白洲正子 神と仏、自然への祈り』
(東京・世田谷美術館)へ行ってきました。
この時にこのような催しがあったこと
ほんとうに嬉しく思いました。
どんなにヘタレといわれようが
このところの自分が
精神的にまいってきてることを
感じていたからです。
日本の文化のバックボーンとも言える
神仏、自然への祈念。
自然への畏敬から神を思い
厳しい現実界を生き抜くための
よりどころとなった仏像や曼荼羅絵から
屏風絵や面などにいたるまで
白洲正子さんがその美を愛でた展示品は
大らかで静かで
あるものは肚の底からわき上がるように力強く
またあるものは愛らしく
清々しく潔い気品にあふれていました。
それらを拝観していると、
もしかしたら日本の精神性の根っこは
祈りにあるのかもしれないなと思えてきました。
この世には人智の及ばないことが確かにあり
そのものの前ではなす術もなく無力であることを
思い知らされればこその畏怖や謙虚さが。
そして深い祈りのなかからうまれてくるのが
謝念や信念なのかなと。
そうでした。
いつの時代もみな悩み苦しんできたのです。
未曾有な出来事はいつの時代にもあったのです。
その度に乗り越え生き延びてきた人達がいたからこそ
いまがあるのです。
だとすれば私達もまた…
(東京・世田谷美術館)へ行ってきました。
この時にこのような催しがあったこと
ほんとうに嬉しく思いました。
どんなにヘタレといわれようが
このところの自分が
精神的にまいってきてることを
感じていたからです。
日本の文化のバックボーンとも言える
神仏、自然への祈念。
自然への畏敬から神を思い
厳しい現実界を生き抜くための
よりどころとなった仏像や曼荼羅絵から
屏風絵や面などにいたるまで
白洲正子さんがその美を愛でた展示品は
大らかで静かで
あるものは肚の底からわき上がるように力強く
またあるものは愛らしく
清々しく潔い気品にあふれていました。
それらを拝観していると、
もしかしたら日本の精神性の根っこは
祈りにあるのかもしれないなと思えてきました。
この世には人智の及ばないことが確かにあり
そのものの前ではなす術もなく無力であることを
思い知らされればこその畏怖や謙虚さが。
そして深い祈りのなかからうまれてくるのが
謝念や信念なのかなと。
そうでした。
いつの時代もみな悩み苦しんできたのです。
未曾有な出来事はいつの時代にもあったのです。
その度に乗り越え生き延びてきた人達がいたからこそ
いまがあるのです。
だとすれば私達もまた…