松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

2005年を振り返って

2005-12-31 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年は28日が稽古納め。
今年もなんだかんだといいながらも
太極導引に明け暮れた日々でした。
年間を通じて大きく体調を崩したのは2回くらいで、
ちょっと不調ぎみとはいえ、
まあまあだったかもしれません。
全般的にみても
いくつか気になることはあるものの、
まあこんなものでしょう。

そんな中、今年いちばんの打撃は
Macが突然昇天してしまったこと。
否応なくTigerを使うハメになり、旧OS対応の
ソフトやフォントや何やかやと使えなくなったこと。
痛すぎ。
仕事環境を整えたくても個人では限界があります。
もう潮時という感もなきにしもあらず。
ちょっと様子見ですね。

反対に収穫があったのは、やはり太極導引関連です。
10・11月の限定キャンペーンは
かなり充実した手応えを得た気がします。
それまで個々に感じていたものを
整理して理解できたように思います。
おそらくみんなにとっても
それぞれに値千金だったのではないかと思います。

個人的には、ひとりで練習してきたことが
少しだけ形になってきたかなと。
内なる感覚を研ぎすますことに努めながら
少しでも先生が説く意識に近づきたいと思っています。
それを知ってか知らずか、
先生の要求は徐々に細かくなってきているような気がします。
あるときにはざっくりと大まかに、
またあるときにはきめ細かくと、
具体的な指導法や説明も状況に応じて変化します。
そうやって揺さぶられながら
しだいに自分のスタンスやペースが
できてくるのかもしれません。
頭で理解することも、
ある程度の振幅がある方が効果的ではなかろうかと。

変化とは常に動いているから(生きているから)できること。
腰痛だ、坐骨神経痛だ、痺れがあるといいながらも、
こうして一年無事に動き続けてこられたことに感謝しつつ、
動ける限りは動いていたいなあと思います。

今年も新たな出会いがありました。
今年目立ったのは
ネット上での出会いが多かったことです。
自分の知らなかった世界や考え方を
知ることができました。

どうやら私にとっての2005年は
変化と出会いの一年だったようです。


肘が垂れる仕組みに気づいた?

2005-12-25 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
当たり前のことだけれど、
練習した分だけ体は動作を覚えてくれるものだと
つくづく思う。
日頃からもう少し時間を取っていれば
いいのだけれど、
状況に合わせるという言い訳を使って
ついつい甘やかしてしまう。
折り合いをつけることも大切だけれども、
つけた分はどこかで補填する
という気持ちを胸にしまっておかないと、
ズルズルと後退していってしまう弱い自分がいる。

まとまった時間は1時間くらいしか
とれていないのだけれど、
それでも続けていれば確実に変わってくる。
最近は套路練習に1時間を使い、
あとは細切れ時間を利用して型と姿勢の調整をしつつ
管や拡張のイメージ感覚をつかむことにしている。
“トウ功もどき”の練習でも
続けていれば内部感覚の感じが日々変わっているのが
何となくわかってくる。

単鞭や懶扎衣の姿勢で練習していたときのこと。
伸ばした手を肩で支えている意識が取れず
緊張してくるのがわかったので、
思い切って(意識で)肩をなくしてみたところ
スッと腰まで意識のラインが下がった。
すると肩も下りたように感じられた。
それからしばらく張り出しのイメージを意識していると、
肘先の向きが斜め下に向いていることが
意識で感じられてきた。
これでは肘が垂れていないのでは?
そんな疑問がわいてきた。

そこで肘先が下を向く状態を
いろいろと探ってみたところ、
たしかに自然に下りる角度があった。
ある状態になると自然に上腕部が外旋し、
しかも胸も張ることなく肘先が下を向いて垂れる。
試しに上腕部だけを意識で外旋させると
胸を張った状態になるから不思議。

部分ではないのだ。
全体のバランスが同調して
はじめてこの状態が生まれるのだ。

だからこの状態をいつでも作れるようになると
姿勢がピタリと決まるということなのかも。
手も伸びてしかも張り出し感も出るという
黄金のポーズ(笑
うーん、なんとかつかみたいなあ。

自主練開始

2005-12-22 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
交流競技会のことを意識した自主練を開始した。
先週ようやく全動作がでそろい、
38式套路として練習できるようにはなったものの、
まだ流れを完全につかんだとは言い切れない。
まずは流れを覚え込むこと。
その上で緊張しない、力に頼らないことを
意識するのが個人的課題。

最近になって先生からいただく指摘が、
より具体的になってきているような気がする。
どこへ、何に対する意識が足りないのか、
具体的な部位なり動作で指摘されることで
改めて気づくことが多くなっている。

絶対に緊張しない。力で動かない。
そのためにはどこをチェックし、
どのように調整すれば改善できるのかを探る。
このところの練習で、ひとつ自分なりの仮説が
できつつあるのかもしれない。
自分なりの間合いというか
リズムみたいなものが少しわかってきたような…。
いままで自分が考えていた
絶えず流れている状態のイメージと、
いま何となく感じている感覚とは、
少し違ったのかもしれないという気がしている。
というかイメージが具体的な感覚へと
少しずつ変わってきたのかもしれない。
それは違和感というよりも
ずっと自然で納得しやすい感覚
という気がしているのだけれども、
はたしてそれが正解かどうかはまだわからない。

先生の言われる
(自分の)状態に適した動きに徹することが
大きなヒントとなっていることは
確かなのだけれど、
そういう臨機応変に対応できる体勢を
備えるだけの力が、
自分にはまだまだ足りない。
状態を作っているのは
あらゆる要素が連動しているのだから、
個別に調整することは難しい。
それでもひとつの変化が
全体に影響を及ぼすと思えば、
たとえ些細なものであっても
意識を働きかけることで
変化は起こるということだ。

いきなり目に見えるような変化を
狙うのではなく、
こつこつと積み上げていけば
いいのではないか。
これは何も交流競技会のため
というわけではなく、
あくまで日頃の練習の延長線上のこと。

交流競技会は教室の仲間達とともに参加する
楽しいイベントのひとつ。
普段の導引練習にはない
“見せる”ための意識を使ったりするのも
ちょっと新鮮で楽しかったりする。

自尊自強

2005-12-20 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
陳沛山老師が自ら編纂された
四正太極拳を紹介している本があります。
単なる套路解説や拳理だけではなく、
老師の太極拳に対する考え方などが
わかりやすく語られていて、
初学者や太極拳に興味を持っている人には
おすすめしたい本のひとつだと思います。

今回掲げた「自尊自強」も、
実はこの本の中で老師が話されていることです。

自尊とは自己の人格と尊厳を守り、
自主性を大切にすることです。
他に譲れる部分とこれだけは譲れない部分を
自身で把握する不屈の精神を持つこと。
しかしそれは陰陽太極の理にもとづいて
無理なく前進するものであること、
これが自強です。

どんな状況下にあっても
自信をもって冷静に対応することです。
つまり太極拳の原理を用いた強さです。

これはなにも太極拳にかかわらず、
もしかしたら何かを学ばれている人達には
共感できる部分があるかとも思います。
もちろん太極導引を学ぶ私も
深く共感しています。

それは学ぶ姿勢に共通するものが
あるような気がするからです。
習い始めはまず肉体的精神的に叩かれることで
凝り固まっている自分自身を悟り、
できそうでできない、思うようにならないことの方が
はるかに多いことを思い知ります。

そこから自身と向き合い始め、
ほんとうの学びが始まるのかも。
そうして徐々に柔軟さやしなやかな強さとともに
技(力)と人間性(姿勢)を高めていくのかもしれません。


最後に陳沛山老師のことばの一部を引用します。

 「私の人生をふりかえってみても、
  失敗もたくさんありましたが、
  そのたびになんとか立ち直ってきました。
  一本の道だけを固く考えるのではなくて、
  回り道をしながらもかんばって
  最終的には目標までたどり着く。
  それが私の人生であり、
  太極拳を学んだ効果かもしれません。」


*『太極拳のインナーパワーで強いカラダになる』
  (学習研究社・刊 ISBN4-05-603913-5)

交流競技会への参加表明はじまる

2005-12-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
昨日、38式陳氏太極拳の全動作が
やっと出そろいました。
来年2月の交流競技会の個人演目に
予定しているので、正直なところ
内心ハラハラドキドキしていたのも事実。
こうして全動作が出そろい、
年明けからは発力の練習が始まる予定です。
つまりまだ38式陳氏太極拳の
練習カリキュラムは続くのです。
教室の練習そのものが
大会用練習に直結するというありがたい状況です。
これは自分に適した
個人練習の取り組み方を研究するチャンスでもあります。
いろいろな面で良い経験を
させてもらえるのではないかと思います。
のちのち必ずいきてくると思います。
そうですとも(^_^;

これまでの交流競技会への参加は
集体種目が中心でしたが、
今回は個人種目が主体となることが
最大の出来事かもしれません。
昨年までは仲間達の前で
ひとりで表演する“個人練習”でさえ
緊張しまくっていたのに、
今回は専科メンバー全員が
そろって個人種目にエントリーするのです。
今回が初めての挑戦となるメンバーも
落ち着いたものです。

2年前に自分が初挑戦したときなどは
練習時からずっとビビり通しでしたから、
ほんと頼もしくみえます。
「ひとりでやってみよう」を
地道に繰り返してきたからに違いありません。
知らず知らずのうちに
コントロール力も身につけてきているんですね。
すごいな~。

年明けからが本格的な練習となりますが、
今回も楽しくなりそうな予感です。

ちょっとした変化

2005-12-14 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
このところ自分なりのソン(松)状態が
また少し変わってきているような気がする。

自分の場合は人並み以上に緊張度レベルが
高いために、一般的なスタート地点(±0)よりも
マイナスからのスタートとなっているので、
自分の状態がどのレベルなのかは
よくわからないが、
あくまでも個人的進展としてとらえている。

つくづくと感じていることは、
ゆるむことが大原則ということ。
ゆるむにも段階があって、
意識で力を抜いた状態がわからないと
方法もわからない。
これがコツというものなのだろう。
コツはなんとか説明もできるかもしれないが、
あくまで実際に自分が体感してみないことには
どうにもならない。
ここが学校などで教える知識とは違うところだと思う。
自分の身体に自分で働きかけて
その結果を身体から感じ取る。
基本的な感覚をつかむまでは
指導者の判断をあおぐけれども、
そのあとは自分自身の感覚が頼りになってくる。
個人練習はこういう感覚を育てたり
磨くことにもなるように思う。

ゆるむことがわかってくると
身体の自由度が高まるから、身体の感覚の方も
少しずつおしゃべりになってくるように思う。
いろんなことがわかってくる。
そうすると今まで気づかなかった種類の緊張状態も
わかってくるようになる。
このあたりは底なしみたいな感じで、
まだまだ知らなかった緊張との
感動のご対面があったりする。
なかなか飽きることはないみたい。

そして最近の自分のソン(松)状態はといえば、
ちょっと膨らんでいる感じがする。
今のところは膨らむという表現しか浮かばないみたい。
力をいれたり外へと膨張するような意識を
とくにしているわけではないのだけれど、
一種の張りみたいなものはある。
でも、とっても微妙な感覚。

腰部は今までより過剰な緊張は減ったように思う。
その分上半身、とくに肩胛骨あたりの背骨部分に
緊張感を強く感じることが多くなったが、
この調整法は既に見つけた。
いまのところは有効みたいで、
さらに胸の緊張がとれやすくなるという
オマケつきだったのはうれしい。
胸がゆるむと、何かお腹まで
ストンと落ちるみたいな感じがある。
そのせいか最近お腹が丸くなった気がする
(単に肥っただけなのかな?…笑)。

運動状態での身体の使い方についても、
やっとアタリらしきものを感じ始めてきた模様。
それらは何も新しいことではなくて
先生が繰り返し言われていることだ。
ようやく先生が言われている意味を
理解し始めたのかもしれない。

このところの下半身の筋肉痛は
単に加重のせいだけでなく、
身体の使い方が意識によって
変わってきているからだと思いたい。

意識と集中

2005-12-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
集中力と身体の動きが
微妙に影響し合っていることを実感することは
これまでにもあったことだが、
最近は意識で運動中の状態をコントロールしながら
集中度を高めることもできそうな気がしている。

意識は瞬時に次々と移動できるので
これをうまく利用してみようというわけだ。
運動中にこれをいかせるようになることが
コントロール力の向上につながるであろうことは
想像に難くない。
ここへきてようやく自分なりのコツらしきものを
つかみかけてきたらしいのだ。うれしい。

これまでは何かの加減で
集中の糸が切れてしまったり、
あるいは集中できない状況に陥ると、
何とかしたいという
心理的な動揺が大きく支配してしまい、
意識が系統だてて働くことができずにいた。
いわゆる気持ちばかりが先走っている
バタバタ状態。
どんなに冷静を装ってみても
肝心の意識が混乱しているのだから
動作もゆとりはなくなる。

こうした状態のときに
自分は何を真っ先に意識していけばいいのか。
それが少しずつわかってきたみたいな気がする。
練習としてはひじょうにおもしろい。
なぜならば、さまざまな状況に身をおくことが
そのまま練習となるからだ。
たとえば体調の変動にしても、どちらかといえば
ネガティブ要因となりがちなことだけれど、
そこに目的意識があれば
ポジティブにとらえることもできる。

ひとつの事象を複眼的に意識することは
陰陽バランスにもつながるような気も
しなくはない。

このスキルを会得できたら、
ものの見方や感じ方が
また変わってくるだろうなあ。
またひとつ楽しみがふえる。

これも自分の緊張感と
辛抱強く向き合い続けてきたからだと思う。
諦めちゃいけないよ、自分。

あれから一週間

2005-12-06 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
あの不思議な感覚を体験してから
一週間がたつことになる。
ずっとあの調子かといえば、さにあらず。

どうも自分が感じたいつもとの違いは
周囲の人達にもわかったらしい。
そんなにはっきりとした違いが
動作に出ていたのだろうかと、ちょっとビックリ。

確かに少しばかり意識が変わったかもしれない。
これまでも身体からの声を聞く、
あるいは身体の状態を感じ取るというような
表現をしてきたことなのだけれど、
こうした受け取る感覚というのは
心身に適度な緊張とゆるみがないとわかりにくい。
意識を張り巡らしていることを意識せず
そのまま維持できていると、
自然に情報がどんどん流れ込んでくる。
しかもことのほかスムースにキャッチできるみたい。
これはちょっと驚きだが、よく考えてみると
日常でもコレに近いことはよくやっている。
ただ、はじめから無意識で行っているために、
気づかなかったりするらしい。

これはあくまで個人的体験からの推測だけど、
意識的につくり出したある状態を
無意識化できたときに感じるものが、
例の不思議な体験の感覚の正体なのだろうと思っている。

その後の練習でも、
なかなか同じような状態にはなれないのだけれど、
それに近づこうと試みることはできるので、
それほどガッカリすることもなく淡々と行っている。

要はひとつの動きの中で生じている
変化を感じることなのだと思う。
感じられなければ感じられるまで続けてみればいい。
そこには思惑も評価も何もなく、
ただ自身と向き合い続けているだけだが
いろんなことに気づかされているのも確か。
どんな些細なことでもいいから
少しずつ向上していたいと願わずにはいられない。

不思議な感覚

2005-12-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
昨日は38式の3段目までの復習だった。
気管支が弱っていて
決していい状態ではなかったのだけれど、
自分にとっては画期的な時間となったようだ。

教室では新しい套路を練習する場合、
原則として一段終えるごとに
復習時間をとるようになっている。
一人ずつみんなの前で行うことで、
それぞれの課題を再確認しながら
更に理解を深めようという狙いがある。
これまで新しい套路を覚えるたびに
何度となく繰り返してきた復習時間だが、
今回はいつもとはちょっと違った。

いつもなら前に立った時点で既に
先生から緊張しないようにと声がかかるくらいなのに、
今回は何も言われなかった。
自分でもごく自然に準備姿勢に入れていたように思う。
直前まで気になっていた気管支のことも
忘れていたみたい。
こういう状態はたぶん初めてだと思う。
いままでの自分だったら
“だから気をつけなくちゃ”と意識していた。

動き出してからもこの状態は変わらなかった。
目は前をみているのだけれど
何も見えていなかったように思う。
自分が覚えているのは身体の中の感覚だけ。
これほどはっきりとした違いは
今まで感じたことはなかったように思う。
どうしちゃったのかと思うほどの意識変化。

しかし、体調不良で練習不足となっている
後半部になってからは
徐々に忙しくなってきてしまった。
それでも前半部の貯金があったためか、
いつもよりは浮つかないですんだ模様。
動作そのものに意識が向き始めると、
はじめに感じていたスムースさがなくなって
硬さがでてくるのがわかった。
後半部が緊張してきた分、前半の感覚が貴重に思えた。

新たな景色が見えてきたと
言ってしまっていいものかは迷うところだが、
自分にとってはひとつのきっかけとなりそうな
価値ある復習となったと思う。