かつてイチロー選手が上体の緊張をとるために
下半身を安定させることで解決をみた
という話をきいたことがある。
その時は下半身を安定させればいいのかと
簡単に考えていた。
下半身の安定をどうやって手に入れるのか。
真っ先に浮かぶのは筋力アップ?
確かにある程度の筋力は必要だけれど、
やみくもに筋肉をつけて強化しても
効果があるとも思えない。
次に安定状態について考える。
安定した状態というのは
それだけではなかなかわからないものだと思う。
つまり不安定な状態になって
はじめて安定した状態がわかるということ。
不安定が安定を教えてくれる。
実際、動作中に不安定になると
体は目に見えて揺らぐ。
体が揺らぐことで心理的にも動揺する。
心理的には揺らぎを止めたくてしかたがない。
そこで踏ん張ることになる。
その結果、バランスを失って
動きが止まったり崩れることになる。
たとえ踏ん張って止まってみても、
次の動きに移るときにはまたバランスを崩して
不安定になりやすいもの。
そんなことばかりを繰り返していた。
その結果、どうやら踏ん張ることと支えることは
違うみたいだと思い始めた。
振り子やバランスを利用したものを観察してみた。
すると共通の原理がわかってきた。
それは揺れるものは揺れることで
バランスをとっているようだということ。
ただし支点(軸)は
ぶれないようにするみたいなことだ。
一見矛盾するようだが、一定の法則で
動いているものの方が安定性を増すことは
良くあることだ。
つねに動いている方が安定することもある
ということだ。
つまり安定とは、つねに不安定との
境界ぎりぎりのバランスの上に成り立っている。
ということは、安定してみえる動きには
不安定になりがちな動きを
つねに調整している舞台裏の事情みたいなものが
あるのではないかと考えられる。
踏ん張りは足場を固定するような
ところがあるけれど、
支える場合は固定とは限らない。
移動しながらでも支えることは可能だと思う。
可動範囲があるということは
それだけ動的要素を含むものなので
不安定要素をもつことになる。
だからこそ動きながらバランスを探るのだ。
いずれにせよ、これも陰と陽の関係なのだと思う。
安定も不安定もどちらも存在してこそのもの。
安定を求めるのなら
不安定の中にこそあるものなのかもしれない。
おそらく安定した状態にあるときは、
安定してるかどうかなど意識していないくらい
自然な状態なのだと思う。
だからこそ自然であると感じられるようになりたい
と願うのだ。
下半身を安定させることで解決をみた
という話をきいたことがある。
その時は下半身を安定させればいいのかと
簡単に考えていた。
下半身の安定をどうやって手に入れるのか。
真っ先に浮かぶのは筋力アップ?
確かにある程度の筋力は必要だけれど、
やみくもに筋肉をつけて強化しても
効果があるとも思えない。
次に安定状態について考える。
安定した状態というのは
それだけではなかなかわからないものだと思う。
つまり不安定な状態になって
はじめて安定した状態がわかるということ。
不安定が安定を教えてくれる。
実際、動作中に不安定になると
体は目に見えて揺らぐ。
体が揺らぐことで心理的にも動揺する。
心理的には揺らぎを止めたくてしかたがない。
そこで踏ん張ることになる。
その結果、バランスを失って
動きが止まったり崩れることになる。
たとえ踏ん張って止まってみても、
次の動きに移るときにはまたバランスを崩して
不安定になりやすいもの。
そんなことばかりを繰り返していた。
その結果、どうやら踏ん張ることと支えることは
違うみたいだと思い始めた。
振り子やバランスを利用したものを観察してみた。
すると共通の原理がわかってきた。
それは揺れるものは揺れることで
バランスをとっているようだということ。
ただし支点(軸)は
ぶれないようにするみたいなことだ。
一見矛盾するようだが、一定の法則で
動いているものの方が安定性を増すことは
良くあることだ。
つねに動いている方が安定することもある
ということだ。
つまり安定とは、つねに不安定との
境界ぎりぎりのバランスの上に成り立っている。
ということは、安定してみえる動きには
不安定になりがちな動きを
つねに調整している舞台裏の事情みたいなものが
あるのではないかと考えられる。
踏ん張りは足場を固定するような
ところがあるけれど、
支える場合は固定とは限らない。
移動しながらでも支えることは可能だと思う。
可動範囲があるということは
それだけ動的要素を含むものなので
不安定要素をもつことになる。
だからこそ動きながらバランスを探るのだ。
いずれにせよ、これも陰と陽の関係なのだと思う。
安定も不安定もどちらも存在してこそのもの。
安定を求めるのなら
不安定の中にこそあるものなのかもしれない。
おそらく安定した状態にあるときは、
安定してるかどうかなど意識していないくらい
自然な状態なのだと思う。
だからこそ自然であると感じられるようになりたい
と願うのだ。