松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

今年も暮れてゆく

2004-12-29 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年も残すところというよりも、
既にカウントダウンが始まっている感じで
落ち着きません。
クライアントは一足早く仕事納めとなりましたが、
こちらは越年の仕事を預かっており
晦日までは仕事です。
年明けから10日までは突貫で12月末締めの処理があるため、
ここで休養しておきたいのですが、
個人的な用事がすべて棚上げになっているために
そうもいきません。
PCのメンテナンスまで手が回るのでしょうか?

今年はヒマなのか忙しいのか
良くわからないまま終わってしまうようです。
まあ現状では仕方のないことで、
去年よりはよい方だったと思います。

今年いちばん変わったのは体調でしょう。
ここしばらくは不安定な状態が続くと思われます。
症状によっては仕事にも直接響くので
来年も体調優先でいくしかありません。
現状維持ができれば御の字ですね。

同居している親を見ていると、
年を重ねた結果の衰弱(老化)には
徐々に衰える部分と、ドカンと急激に落ちる部分が
あるようです。
こればかりは体験しなければわからないとは
思うのですが、
できればこのドカンを少なくして、
なるべく緩やかに下降するようにしたいものです。
また、衰えによる精神的ダメージが
尾を引くところも気をつけたい点かなと思います。
「こころのありよう」とは常々いわれることですが、
こころほどやっかいなものも、ないのかもしれません。
まだまだコントロールできずにいます。

太極導引を続けているのは健康のため
でもありますが、
太極導引の思想的背景にも興味があるのです。
つまり陰陽理論や五行理論、易経、老子などを
自分なりに少しずつ学んでいくことも
楽しみのひとつです。
太極拳は中国文化の精華でもあるわけですから、
精神的な面もあわせて知りたくなるのです。
その精神性を感じていたいと思います。
この一年の太極導引の進展は、まあこんなものでしょう。

ちょっと思いが先走って過熱ぎみの気があり
力が入ってますが、そのうちに枯れてくると思います。
太極導引に見せるくらいの集中力を
他でも発揮しているのか、どうなのか。
このあたりは来年の課題かも…

交流競技会 個人種目は18式に

2004-12-25 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
交流競技会のエントリー申請を行った。
集体種目は2演目、
個人種目は今年も3名がエントリーした。

考え続けてきた演目も
結局18式でエントリーしてしまった。
よりによって18式にしてしまうあたりが、
まったく懲りない緊張系だと思う。
でも、おそらくこれからしばらくは
18式を教室で練習する機会は
ないだろうから、
改めて18式の指導を受けられるチャンスだし、
決めた以上はしっかり練習時間を確保する
準備をしなければ。
久しぶりの陳式にドキドキわくわくしている。

個人演目は一人で練習できる反面、
練習時間は自分の意思と工夫しだいとなる。
前回は自主練習のほとんどを集体演目に
費やしてしまい、
個人の方は教室で練習していた貯金で
やりくりすることとなったが、
やはり自分の中では物足りなさが残ってしまった。
反対に今回は個人の方は貯金もないカツカツ状態なので
集中練習が必要なくらい。
いずれにせよ、目標が定まったので
一応はスッキリ。

ユキはいま、どうしてるのかな? Say Hello!

2004-12-24 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
ずいぶん前のことですが、
近所にユキという名の雑種の雌犬がいました。
彼女は生後まもなく捨てられていたところを
最初の飼い主さんに拾われました。
そして何人かの飼い主さんを経て
近所の家にもらわれてきたのでした。
飼い主さんが転々とした割には
性格も良く愛想の良い犬で、
往き来する誰もが声をかけるほどの人気者。
ユキも楽しそうでした。

ところが当の飼い主さんは、ユキに対して
それほどの愛情は感じてはいないようで、
義理で断り切れずに引き取ったのだと話していました。
ユキはそんな事情を知っていたのでしょうか、
飼い主さんの姿が見えないときは
通りすがりの人達に愛想をふりまいているのですが、
ひとたび飼い主さんが姿を見せれば
それこそ尻尾をちぎれんばかりに振りながら
一心に見上げていました。

我が家はユキの居場所から見通せる位置にあり、
門扉が開閉する音を聞くと
小屋に前足をかけて背伸びしてこ尻尾を振ります。
ユキの前を通って外出すると、
帰りを狙って必ず待ち伏せしているのです。
たまに寝ていてこちらに気づかないときがあるのですが、
そうすると門扉の音に飛び起きて
切ない声をあげてこちらを見ていました。
そのうち飼い主さんの公認で
ユキを散歩に連れ歩くようになった一年半後、
突然ユキが姿を消しました。
飼い主がまた変わったのです。

ユキの新しい家も近所でしたが、
その家は母子家庭でご両親と同居しながら
奥さんが働いていました。
幼い子供達もユキを可愛がっていて
大切にされていると聞き安心しました。
やがて私もユキのことを
少しずつ思い出さなくなっていきました。
散歩用の繋ぎひもも
下駄箱の奥で色あせていきました。

ある日の朝方、ユキの夢を見ました。
今まで見たことのない眼で
こちらをじっと見つめていました。
どうしたんだろうと気になりましたが、
そのままにしていました。
あとでわかったことなのですが、
ユキはいろいろな事情から
保健所に収容されることになったのだそうです。
最後の飼い主さんとなったご家族の事情は
避けられなかったことです。
つらい選択だったと思います。

おそらくあの日、ユキはお別れに来たのでしょう。
どんなにユキが好きでも
我が家ではユキを飼うことはできませんでしたから、
ユキとの縁はそういうものだったのです。


「Say Hello! 」の帯に書かれている
《うまれて、ありがとう》をユキにおくります。
ユキと一緒に過ごした時間はたのしかったよ。

頑張らないけど粘る

2004-12-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
つくづく自分は緊張が好きなのかな
と思ってしまいます。

これまでも集中しだすと
緊張状態が限界に達するまでは
解放に向かうことがない傾向はありました。
太極導引を始めてから
自分でも緊張感を気にするようになって、
少しずつこの傾向を変えようと努めているわけですが、
なにしろ物心ついた頃から
このやり方でずっときたわけで、
そんじょそこらのヤワなものとは違い
すこぶる“しぶといっ!”のです。

実際、練習中に限らず
常に緊張感を意識した生活を送っています。
例えば歯磨き、洗顔など、起きてから
寝るまでの行動すべてを対象にしています。
バカみたいな話ですが本人はマジでやっています。

外出しても普通に歩いたかと思えば
小走りにしたり、走ってみたり。
カバンにしてもリュック、手提げ、ショルダーなど
いろいろと変えてみては右手で持ったり左手で持ったりと、
できる限りさまざまな状況を作っては
緊張具合を観察しています。
そうやって緊張感の少ない組み合わせを
生活の中から作ろうと。
つまり自分の体に、緊張状態のONとOFFの違いを
覚え込ませてスイッチを作ってみようと。
そうすれば、精神的な切り替えと並行して
体の方とも連動できるかなぁと考えてみたりしています。

これらは何も太極導引のためだけではなくて、
本気で体質を変えたいと思うのでやっているだけ。
ただ、この本気度が
また問題なんだろうなとも理解している(つもり)。
真剣になりすぎる(笑)自分でもわかっているのですげねぇ。
要はゲームにハマッて徹夜明け
と何ら変わらない状態はないですか。
これが体にいいわけがないじゃないの。
それで気はすんでも、
体の方はたまったものじゃないでしょうに。

ときどき自分に対して
ダメ出ししたくなることがあのですが、
自分で自分を見限ったら
救われないよなぁと思って踏ん張っています。

粘ろう、粘りたい。
明日また新しい気持ちで真っ直ぐに鏡を見られるかな?

18式との相性はいかに?

2004-12-22 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
さすがにこの時期の戸外練習は寒くなってきた。
何かと疲労が溜まりぎみで
自分の弱点部分の緊張が高まっているため、
緊張感をほぐす練習目的で
午前中もしくは午後イチに設定を変えている。
つまりクライアントの昼休みを狙ってのこと。

最近の練習では18式が
非常に苦しくなってきている。
陳式の特徴である動作のメリハリと
呼吸法との協調はとても難しく思える。
練習しているうちに
体にある緊張感が邪魔をするのが
よくわかってきたのだ。

他の套路でも緊張感が邪魔をするのは
同じなのだけれど、
陳式は瞬間に力を入れて瞬時に抜く、
あるいは動きの速度に緩急の差をつける
独特のスタイル。
緊張感があると、こうした緩急の差も
力の入出もうまく流れないのだ。
練習するたびにそれが少しずつ実感というか
体感としてわかってきた。
だから今は一番しんどい套路かもしれない。

何がしんどいかといえば、自分の中に
緊張感との折り合いをつけるだけの
余裕がないこと。
下手するとさらに緊張を募らせているかもしれない。
他の套路はある一定のペースで動くので
緊張感と相談しながら動くチャンスが
まだいくらかはある感じがするのだ
(それでも体の芯からの緊張は
ビクともしないのだけれど)。
向き不向きで言えば、
18式は今はあまり向いてないのかもしれない。

でも一方では、だからこそ
じっくり練習した方がいいのではないか
とも思う。
ただ、自分の質からするとどうなのかなあ?
人一倍緊張しやすいタイプだから。
かえって逆効果かもしれない気もするし。
自分の現況にあった
練習課題を設定すればいいのだろうけど。
無理するなといっても
少しずつ負荷をかけないと、
弱点は弱点のままだし。
このあたりのさじ加減(というか考え方?)は難しい。

個人練習でもこういうときに
よく戸惑う。
教室で練習中の套路は
常にイメージを更新できているけれど、
かつて習ったもののイメージは
どんどん古くなるし曖昧になっていく。
過去と現在の自分との差もあるだろうし。
今の自分に必要なイメージとか課題を見つけて
練習するには限界を感じてしまう。
だからといって練習しないわけではないけれど
(やらずにはいられないんだけれど)。

まあ今後、18式を少し動けるように
感じることができたら、
その分緊張感が減ったという証になると思って、
気長につきあうつもり。

これも文化交流?

2004-12-21 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
中国語と接する時間を持ったり
中国人の友達ができてから、
少しずつ自分の日本語が
変わってきているように思います。
例えば、感謝の気持ちを表すときに
「すみません」を使わなくなりました。
以前から使う方ではなかったのですが、
今は「ありがとう」といいながら
頭の中では「謝謝」と漢字が浮かびます。

言葉の選び方、使い方にも
中国語の影響が出てきたようです。
これもひとつの文化交流といえるのでしょうか。

中国語の明快な物言いに慣れてくると、
日本語の婉曲な言い回しが
時に物事をわかりにくくしていることを
改めて感じます。
もちろん日本語の多様な表現は
素晴らしいと思うのですが、
その一方でひとつの言葉を使い回している
こともあります。
本来の意味を持った言葉が使われなくなっていきます。
外国人がとても丁寧な日本語を話すと
ビックリすることがあります。
それは日本語を話すことに驚いているのではなくて、
日本人が口にしなくなった日本語を
的確に使いこなしていることに驚かされるのです。

日本人は言葉と心中が
必ずしも一致していないことがあります。
相手に察してもらうことを前提に
謙遜したり遠回しな言い方をします。
これは場の雰囲気を大切にするからだとも
いわれますが、
相手の察し方しだいで事態が変わることがあります。
これはある意味で他人本位であり、
自分の意思を伝えるという点においては
ちょっと無責任な気もするのですが。
それとも日本人は、言葉の行き違いの種を
わざわざこしらえておいて
相手とのコミュニケーションをはかる方法が
得意技だったのでしょうか。
個人的にはちょっと疲れます(笑)。

いままでは「○○なんだけど」という語尾に出会うと、
このニュアンスを
あれこれ推し量っていたのですが、
最近はなるべく「○○なんだ」と
そのまま額面通りに受け取るようにしています。
自分でもこれではキリがないと
思い出したからです。
一対一のときならまだしも、
事務的に進めなければならないことは
努めてそうすることに決めました。
何を今さらなんですけれど、
自分にとっては大改革といえるくらいのことです。
過去何度となくコレで失敗して
傷ついていることなので。
必要以上に自分を責めないですむようにしたい。

さて、中国人の友達は
日本人の使う曖昧な表現に戸惑っているそうです。
思考は中国語ですから
日本人の言葉を理解するためには
曖昧な日本語をも一度中国語に翻訳しなければなりません。
そこで戸惑うわけですね。
曖昧な日本語にあたる言葉が中国語にはないからです。
これがまたおもしろくもあるというのですから
なかなかタフな考え方の持ち主です。
そのうち日本人よりも日本人らしい中国人になってしまうかも。
友達からはたくさんの刺激をもらっています。

基本要求を満たす姿勢-24式復習教室-

2004-12-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
ちょっと更新ができずに空いてしまった。

先日の復習教室で、
姿勢に対する要求についての簡単な講義があった。
内容については
いつも先生が練習中に指導してくださることで、
とくに目新しいことではないはずなのだが、
こうして時には
理論だけに集中する時間をとることも
有効だなと思う。

日頃は動作練習の中での指導となるから、
いま求められている要求としては
理解したつもりになっていても、
こうして体を動かさずに
頭の中を整理する時間を持つことで
理解の深まる人もいるだろう。
習得の道筋にも
それぞれ個性のようなものがあると思う。

いろいろな視点から
多角的に接することを繰り返す。
好きなこと、興味のあることなら
自然に工夫するものだし、
それで自分なりの方法がみつかれば
もっと楽しくなる。
そういう習慣が身につけば
こころの状態にも影響してくると思う。

例えば自分と他者は
違う方向からものごとを見ている
という大前提を忘れずにいれば、
こころの平静さを維持できるような気がする。

基本要求は何も太極導引だけに
限ったことではないのだとつくづく思う。
練習を繰り返しているのは
動作を修めるためだけではなくて、
その求めるところを目指すことなのだろう。
一生かかっても辿り着けないかもしれないけれど、
目指す価値はあると思う。


さて話題を戻して、実際に復習していたときの
体感レポートを手短に紹介することにしよう。

自分は「単鞭」を例に基本要求の実際を体感してみた。
両手を伸びやかに広げつつ
両手を合わせるように意識する。
両肘を垂らして肩を沈める。
胸は開かないでゆるめにするが
背中側はやや緊張感がある(背中を伸ばすためか)。
股関節をゆるめて膝を開く。
下半身は体重を支えているので
力が入っているが上体は力を抜く。

このような姿勢でしばらくじっとしていると、
だんだん意識がつながってくる
感じがしてきたのがおもしろかった。
もうちょっと味わっていたかったけれど、
自分の集中力が続かなかった。残念。

站トウ功とは違うと思うけれど、
こういう練習もちょっと試してみたくなった。
問題は自分ひとりで要求を満たす姿勢が
ちゃんととれるかだ。
この試みはもう少し先になるかもしれない。

右足の弱点

2004-12-11 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
またまた右足について。
基本科で16式の「閃通臂」を練習していて、
先生から右膝の向きを指摘された。
右膝がやや内側に傾いた状態で
膝の開きが足りないのだ。
つまり股関節の開きが足りないことでもある。
この状態で体重をかけていると
膝を傷める危険性もでてくるから直さないと。

ところで、基本科のあとに
今度は24式の復習教室があったのだが、
こちらの套路にも「閃通臂」がある。
ちなみに16式との違いは左右の違いのみ。
だから念のため24式の場合もチェックしてみたところ、
こちらの左足の方はちゃんと膝が開いているようだ。
うーむ、やはり右足か。
股関節が硬いんだなあ。
ちょっと右足のストレッチも追加してみよう。
こうしていつの間にか
オプションが増えていくような気がする。

今回の復習教室は深い意識まで考察でき、
なかなか充実していた。
このときのことは改めて記したいと思う。

続・やはり右足が弱かった

2004-12-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
水曜日の確認を報告。
専科が始まる前に
独立(片足を持ち上げて
もう片方の足で体を支える姿勢)を
繰り返してみたのだが、
確かに左右の足の状態が
異なっているように感じた。
左足を持ち上げた時は、
膝から下の下腿部が足先まで
ブラブラするのだが、
右足の場合は硬さが残る。
大腿部の高さも左に比べて
右の方がやや下がる。
大腰筋が弱っているのかなぁ。
これは早い話が老化現象?

老化は足からといわれるように、
歩幅が狭くなったり
階段を上がるのに足を持ち上げることが
億劫になるのは
大腰筋が弱ってくるからだといわれる。
いまのところはそういう症状は
ないのだけれど、
腰に弱点を抱えていることも
影響してくるのかも。
デスクワークは股関節や腰周りの大事な筋肉に
負担をかけていることを痛切に感じる。

独立を練習しているときに
いつも気をつけるのは
姿勢を真っ直ぐに伸ばすこと。
骨盤を巻きあげることと
腰を落としている状態とは違うので
注意しなければと思っている。
重心を軸となる足にのせること。
きれいにのせるためには上体の向きも大切だ。

こうして何か気になることがあると、
まず姿勢を見直してみる。
そうすればたいていのことは
解決の糸口が見つかる。
ただし体感的には快適な状態が、
必ずしも和みの状態となるとは限らない場合もある。
他の部分に比べて
やや弱い部分が違和感となっている場合だ。
この場合は矯正しているのと同じことになるので、
その状態を甘んじて受ける必要があるかもしれない。
そこの判断が難しいところ。
だから先生に見てもらって指示を仰ぐことは大事。

見えないことの中に本質はあるらしい。
動きに統一感がみえないのは
本質が見えていないからだと感じている。
観察は大事だと思う。

やはり右足が弱かった

2004-12-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
以前、先生から右足が弱いように見えると
指摘されたことを書いたと思うのだが、
トウ脚を練習していて納得してしまった。

トウ脚は、持ち上げて蹴り出す方の脚に
力が入っていると。うまく持ち上がらない。
右トウ脚が不安定なのは
右足が緊張しているために
左足にある体の重心が右足に引っ張られるから。
そしてこの右足の緊張は
腸腰筋が弱いために、右足の姿勢を
何とか保持しようと力んでしまうからではないのか。

その証拠に、左トウ脚は
弱い右足が軸足となるにもかかわらず、
右よりは安定しているのだ。
それだけ左足の力が抜けているわけだ。
これは久々の発見かも。
何でいままで右足の緊張に気がつかなかったのかなぁ。

今夜は専科があるので、
ちょっと試してみようかと思う。
腸腰筋が弱ると
骨盤の巻き上げや股関節の弛みにも影響する。
反対に、基本姿勢をよりしっかりと意識していくことで
腸腰筋に影響を与えることもできるのでは?

さて、どんな感じかな?