松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

春の土用です

2007-04-17 | 養生の栞-季節と養生-
きょうから春の土用に入りました。
いまでは土用といえば
夏の土用をさすようになりましたが、
春秋冬にも土用はあります。

そもそも土用とは
五行思想にもとづく季節の分類のひとつで、
各季節の終わりのほぼ18日間のことをさします。
五行では
春には木(気)、夏には火(気)、
秋には金(気)、冬には水(気)を割り当て、
そして土(気)には
季節の変わり目を割当てて「土用」と呼びました。

つまり土用は各季節の終わりにあることになり、
春は清明、夏は小暑、秋は寒露、冬は小寒の後、
各13日めに土用に入り、
18日で明けて次の季節を迎えることになります。

 春の土用 清明後13日めで土用に入り、18日で明けて「立夏」を迎える
 夏の土用 小暑                 「立秋
 秋の土用 寒露                 「立冬
 冬の土用 小寒                 「立春


また、土用の間は土の気が盛んになるとして
土を犯すようなことは忌むべきこととされていました。
要するにこの間は土いじりを控えるように
というようなことだったようです。
これについては、
土用中は季節の変わり目であるために、
農作業などの大仕事をすると体調が崩れやすいとの
養生的な配慮もあるようです。
そういえば『土用の間日(まび)』
というのもあるそうで、
この日は土用の障りがないとされています。

 春の土用 巳・午・酉の日
 夏の土用 卯・辰・申の日
 秋の土用 未・酉・亥の日
 冬の土用 卯・巳・寅の日

ちなみに今年の春の土用は5月5日に明け、
翌6日が立夏となります。
季節の変わり目を迎え、
自然のリズムと同調するようにして
体調の方も変動が顕著になる場合もあります。
そんなときは「土用だからね~」と
サラリと受けとめて、
日々のバランスを調整していきたいものですね。


わかってなかったことに気づいた

2007-04-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
なぜ協調状態を求めているのか、
その理由というか目的については
これまでも何度となく
先生から聞かされてきたはず。
それなのにやはり
わかっていなかったんだなぁと思う。

たとえ目的や理由がわかっていても、
それをどのようにして実践していくのかについては
まったくもって…。

体調を崩してしまったときも、
回復の兆しを感じるまでは無理をしないように
という意識はあったものの、
単に心理面だけにとどまっていたような気がする。
導引的動作練習をしていても
そこに具体的意識的な配慮が働いていなかった、
もしくは働きかける方向が
ちょっとズレていたような気がする。

それはつまり目的が曖昧になっていたことに?
ならば結局は理解してなかったということになるんだなぁ。
自分が考えていたバランスや協調というのは
かなり単純で大雑把なものだったわけだ。

どうも主要動作ばかりに意識が偏りすぎてしまい、
他への意識がお留守になっていたりする傾向にあるらしい。
バランスとは必ずしも五分五分(均等)がすべてではない
と教わってからどのくらいになるのだろう。
中をどこに見出すか、
これは具体的で緻密な作業なのだとつくづく思う。

調和、中和の状態は
一定の領域の中で異なるものが複数あることで
はじめて成立するもの。
だから客観的な視点が必要になる。
自分を内から外から観察する。
他者と自分との関係性、
鍛練と養生についても同じだろうなぁ。

頭ではなんとでもなるのだけれど、
実践となるとホントにもう失敗の連続。
失敗というか思い通りにはなかなかいかない。
たいていは過ぎる場合が多い。

過ぎるとは過信であり、
見過ごしているものがあるということ。
客観的になっていない、
冷静ではない、
浮ついているってことにもなりそうだなぁ…。

でも別に悲観しているわけでもない。
下手は下手なりに実践をくり返すうちに
少しずつ何かが見えてくる日もあるんじゃないのかな?

最近の気づき事情

2007-04-06 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
最近、気づきの記録をここに残すことを
ためらい始めている。
気づきがほんとに微妙なものであったりして
言葉にしにくいこともあるが、
そもそも気づきとは個人的感覚のものであって、
共通な感覚ではないことがわかっているからこそ
書きにくくなっているのだ。
感覚の話ほど誤解や錯覚を生じるものも
ないだろうなと思う。
そういうことに意識が向き始めただけ
進歩したのかもしれないとも言えなくもないのかな?

更新がままならなくなってはいるものの、
気づきがないわけではない。
外反母趾っぽい両親指の角度が
体調によって変わるとか、
左脚側の関節だけが
妙にゆるい感じがしたりすることがあるとか。
これについては上半身のバランスが
微妙に崩れていたりするのかもしれないな
と思っていたりする。

また、右側へ体を開いたり体重を移動させるときに
左腰あたりに引き攣れるような感じがあること。
具体的な動きで言えば、
たとえば懶扎衣はいつも緊張を感じる。
とくに腰や背中あたりに感じ、上体が硬くなりがち。
左側への開きとなる単鞭などの方が
まだよい方かもしれない。
背骨かも?
そして体内への意識感覚にも
少し変化が出てきている。
下腹部の感覚が少し変わってきた感じ。
外から内への意識とは反対の
内から外に向かうような感覚を知り始めたら
何だかちょっと変わってきている。
これは何となく腰にはよさげな感じがしている。

体が大きく変わる時期は
不安定には違いないのだけれど、
それだけに日々変動するので気づきも多くなるみたい。
自分の体を知るチャンスでもあるのかもしれない。

人生はやり直せることも多いけど、
引き返したり逆行はできない一方通行路もある。
できることとできないことがあって当たり前。
そこで立ちすくむ必要もない。
なんとかやりくりすることで迂回路も見つかることもある。
それはいままで経験したことのない
全く新しいルートであることだってあるのだから。

いつでも何においてでも
最初に始めるときがいちばん若い。
それは誰にとっても変わらない。