松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

今年もあとわずか

2008-12-31 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年もすでに大晦日となってしまいました。
あっという間に一年が過ぎてしまう…
光陰矢の如しとは、よく言ったものです。

今年は迷ってばかりいました。
決められなかったことは
今年は縁がなかったのだと考えることにします。
なるべく自分にとって
負担とならないスタンスを心がけるように。

迷わせているのは欲の仕業、
つまり迷いのもとは自分の中にあり、
欲目で対象を見ているから
迷いの種になっているわけです。
だからどれを選ぼうが、
たいして変わりはないんだろうなとも思います。

迷いの原因がわかれば
その分の葛藤は減るはずなんですが
実感としてはそれほど変化を感じません。

迷いがなくなるようなことは
たぶんないんでしょうね。
おそらく迷いが過ぎてしまうことが
よくないのでしょう。



真新しいカレンダーと手帳をおろしました。
除夜の鐘が響いています。
もうじき新しい年がやってきます。


どうぞよいお年をお迎えください
祝ni過一个好年(間違ったかな?)

冬至を過ぎれば、もうすぐお正月

2008-12-22 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
今年の冬至は21日でした。

昼夜の長さの変化でいえば、
冬至の日は昼間の長さが一年で最も短く
夜が一番長い日ということになります。
つまり北半球に住むわれわれから見れば、
太陽の軌道高度が一番低くなるために
太陽から届くエネルギー量も少なくなるから
温まりにくく寒く感じるわけです。

日本ではその昔、冬至は“死に一番近い日”とも
言われていたようで、その厄(やく)を払うために
体を温め無病息災を祈っていました。
ゆず湯(柚子の香りは邪気を祓う霊力があるとされた)に入ったり
冬至カボチャ(本来は夏に収穫したカボチャを保存して冬至に食した)
食べる習慣はいまでも残っていますね。

中国でうまれアジアで広く使われてきた太陰太陽暦も
前年の冬至の日を求めるところから
暦の計算が始まりました。
冬至の日は、一年の節目として
ひときわ目立つ自然現象なんですね。

ちなみに暦計算の起点となる前年の冬至を
天正冬至(てんせいとうじ)と呼ぶそうです。
天正とは天の正月という意味で、
これは地上の正月(地正)が
時の王朝によってその都度変動したのに対して、
天正はつねに「冬至を含む月」とされていたので
そのように呼んでいたようです。

また、暦の仕組みの考え方のもととなった
易経から冬至をみてみると、
一陽来復の日としてやはり重要な日となります。

太陰太陽暦(いわゆる旧暦)では冬至は11月となり
旧暦11月(子月=ねづき))に割り振られた卦は「地雷復」。
陰の気に覆われた10月(亥月)の後、
陽の気がほのかに見え始める様子を表しています。

しかし生活実感としては
陰気に覆われ尽くされてきた後だけに
むしろこれからが冬本番と感じます。

なにしろ、いまはまだ最強の陰気に対して
陽気は最弱の状態、弱りきっている時期です。
冬至の日を境にして
いくら陽気が再び盛り返し始めるとはいっても
それを実感できるようになるまでには
まだまだ時間がかかります。

寒さに耐えるためにも体力は必要。
思いの外、疲れを感じることもあります。
睡眠休養は十二分に、ということらしいです。
なんだか半冬眠のすすめみたいですね。

もくもくと…

2008-12-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
太極導引本来の目的からすれば
徒手拳の套路練習だけでも
十分に満たしているのですが、
せっかく剣の套路も習ったことですし
集中練習するチャンスも兼ねて
来年の交流会は器械部門にエントリーしてみました。

現在のところ、とんでもないところに
筋肉痛がでたりしています。
徒手拳のときと何ら変わることのない
基本要求を満たした上で
剣を扱うための基本操作の練習なのですが、
思うようにはなりませんねぇ。

そのため、先生からの要求も
いままで以上に細部まで及んでいるかのように
ついつい感じてしまいます。

感覚なんてものはそれくらいに
感情(心理状態)に左右されてしまうのです。
左右されてしまうのは抗っている部分が
自分の中にまだ残っているからです。

感情の波は吹き流しのように流してしまえばよい。
袋小路(圧が強くかかっている部分)に
風穴をあけられれば、
少しは風通しもよくなってくるでしょう。

いまはまだ、自分の状態を把握することで
手一杯な状態です。
チェックすることがあり過ぎて余裕なんぞ
ありゃしません。

それでも、いまやっている練習が
いちばんおもしろいと思っています。
いつだって今このときが“いちばん”です。


うまくは言えないけれど

2008-12-11 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
ことばに表現しにくい気づきがふえてきた。

何となく表現しにくい分、
先生にも伝わりにくくなるのかと
思ったりしたのだけれど、
自分が抱える程度の問題なんてものは
多少おぼつかない説明でも
手に取るようにわかってしまうわけで
なーんも変わらなかった。
つまりは自意識に踊らされただけのこと。

先生というのは
ほんとによく観ておられると思う。
つねに視線を感じる。

こちらに迷いのようなものがあっても
すぐには動かず、じっと観ているだけというか。
しばらくはこちらの状況を見守りつつ
二進も三進も行かなくなったり
これはダメだなということになれば
すかさず直接的な指導に入る。
練習生の数だけ指導法があるみたいな感じがする。
おそるべし。

訊けば答えてくださることはわかっている。
答えを求めるだけならば訊くのが早い。
だけど、あともうひと息みたいな状況のときって、
たとえそれが錯覚に過ぎないとしても、
無性に粘りたくなる。

沈黙とのやりとりのような時間


導かれることは、委ねることでも
依存することでもないだろう。
主体は常に自分だが、
他者在ってこその自分でもある。

先生や先輩方の導きはもちろん
仲間達にも導かれている。
行くのは自分だけれど、自分ひとりの力ではない。

大雪(たいせつ)になると

2008-12-07 | 養生の栞-季節と養生-
大雪は12月7日頃から冬至までの期間を
いいます(今年は12/7~12/20)

暦の解説書としてよく引用される
『暦便覧』(太玄斎著)には
 《雪いよいよ降り重ねる折からなれば也》
とあります。

山々が雪に覆われ、
朝夕には池や川に氷が張り、
大地の霜柱を踏むようになったり
木枯らし(凩)で木々の葉がすっかり落ち尽くすなど
冬らしくなってきます。


ちょっと思うところあって、
晩秋の頃より“プチ乾布摩擦”を続けています。
いきなり本格的な乾布摩擦は
たぶん続かないような予感がして。

小雪(しょうせつ:今年は11/22-12/6の期間)の頃あたりから
朝はちょっと寒くて鳥肌がたち始めたりして
挫けそうになるのですが、
ちょっと離れて置いてあるヒーターを低温でつけたりして。


なぜこんなことを始めたかといえば…
冬は寒いから暖かく過ごそうと考えます。
つまり寒さが前提となっています。
寒さを感じることではじめて温まりたいと思うのが
自然のなりゆきかな、と。

でもいまは気温(室温)が設定温度を下回れば
自動的に空調が暖房に切り替わるようになっています。

なるべく不快感(ストレス)を感じないように
先回りをして快適を用意する環境設定の仕組みが、
いろんな方面で浸透してきていますが、
何もかもがそういう方向をむいていても
いいのだろうか。
そういうことが気になってしまうあたりが
へそ曲がりなんですけどもね。


ということで、この冬は
「冬は寒いもの」という前提のもとに
適度に冬の寒さとつきあう暮らし方、
ほどほどの快適さを求めて、あれこれ模索してます。


*「暦便覧」は1787(天明7)年に出版され、
その後1798(寛政10)年に再版された暦の解説書です


16式太極剣短期講習を終えて

2008-12-02 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先月の太極導引教室では
竹製短剣を使って16式太極剣の短期講習がありました。
練習用スタジオが、
ちょっと動きの大きなものや器械練習には
いささか無理がある環境なので、
器械練習はとても珍しいことなのです。

この16式太極剣には、少しばかり思い出があります。
はじめての中国で、はじめて習った
太極拳(剣)套路なのです。

太極導引を始めて1年たった頃、
教室内の有志とともに年末年始休暇を利用して
先生の出身地上海で教わったのです。

短時間で、そこそこ習得できるものということで
16式太極剣が選ばれたようですが、
習う方はそんなことはどうでもよくて
とにかく覚えることに必死でした。
いまならまだ少しは余裕もあるのでしょうが…。

それから1ヵ月後には、
初参加となる交流会で習いたての16式太極剣を
集体表演していたりするのです。

またその翌年には、初の個人部門に挑戦するわけですが、
そのときも16式太極剣を選んでいるんですね。
そういえば、陳式18式にするか16式太極剣にするかで
最後まで迷っていたのを思い出しました。

  じつは今年も陳式太極拳と迷っています。
  変わったようでいながら
  実のところ何も変わってなんかいないみたい。
  迷ってばかりの自分です。
  煩悩だらけで一向に進歩してませんねぇ…



今回で私自身は3回目の16式太極剣だったのですが、
そのどれもが新鮮な感動でした。

改めて振り返ってみれば
中国ではじめて16式太極剣を学んだ仲間達で
残っているのは私だけですし、
教室で先生から教わった2回目のときのメンバーも
3名ほどになってしまってます。

これまで何とか教室を続けてこられたことも
同じ套路をくり返し教わるチャンスを得たことも
これはこれでひとつの幸運であることには
ちがいないなぁと思います。ありがたいことです。