松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

肘の使い方に気づいた!?

2005-03-29 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先週、基本科で「野馬分シュウ」を練習した。
実はこの「野馬分シュウ」は
苦手な動作のひとつ。
何となくピタッとこないというか、
自分の中ではつかみどころのない動作。

ところが今回、ようやく得心できる感覚が見つかった。
「野馬分シュウ」には左と右の動きがあって、
自分は左の方が右よりも不得手。
その不得手な左の方で、きっかけをつかんだのだから
嬉しくてしかたがない。

具体的には肘の使い方に気がついたことかな。
先生からは常々、肘を垂らすように指導されている。
では、肘を垂らすというのはどういうことなのか?

両手を水平に開く動作で肘を垂らすことは、
文字通り見たままでわかりやすい。
でも、たとえばこれが基本姿勢だったらどうだろう。
あるいは手を上に持ち上げた場合はどうだろう。
肘を意識していただろうか?

今回、直接のきっかけとなったのは
先生のひとこと。
左肩が上がってるから左肘を垂らせというもの。
それから何回も繰り返し練習してみると、
確かに肘を垂らすと肩が上がらない。
だが、この“垂らす”というニュアンスを伝えるのが
難しいのだが、
肘を垂らした時の肩のライン?と
単に肩を落とすのとでは微妙に違う気がする。

肘を垂らした状態で「野馬分シュウ」を動いてみると、
開く動作が一変する感じ。
馬の首を抱いてたてがみをなでつけるイメージが
目に浮かんでくるくらいに
自然に大きく開いて動いているような気になってくる。
と同時に、今までは左よりはいいと思っていた右側の方に
難が目立つようになった。
左手の後方への動きに緊張感がある。
肘の使い方が今ひとつでぎこちない。
こうして左手の動きが硬い、緊張感がある
ということがわかってくる。

こうした肘への意識は
今後、ひとつの手がかりとなりそうな気がする。

動的ストレッチ開始から1カ月

2005-03-27 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
専科クラスで始まった動的ストレッチも
早いもので1カ月を過ぎた。
これが始まってから
またいくつか発見することがあった。
同時にこれまでの導引練習では
あまり気づくことのなかったことを
見直すきっかけにもなった。

いちばん大きな発見は
体の使い方をまだまだ知らないということ。
静的ストレッチでは柔軟性を発揮しても、
実際の運動においては
それを十分に生かし切れずにいる。
動きに対する理解不足と
その動きに適した
体の使い方を知らないことも原因か。
力の配分は固定ではないし、
筋力のばらつきがあっても
姿勢や動きのコントロールにも影響するのかも。
運動とは総合的なものなのだと改めて思う。

どのような状況にあっても
協調を目指すべきだが、
やはり動作速度による影響は大きいと思う。
まだ体の使い方に未熟な点があればあるほど
素速く動くことは難しくなる。
極端な話、動的ストレッチを練習していると、
セル画一枚ごとに動きを分解して、
その1シーンごとに
バランスを徹底していくくらいのつもりでないと
動けない気がする。
つまり1コマ飛ばしても
全体の動きが不自然な動きとなって
バランスを失うような感じだ。

例えば「仆歩下勢」の場合、
片足に体重をかけ移してからでなければ
片足で体を支えながら
姿勢を真っ直ぐにして立つことはできない。
片足を伸ばし出したときに
体重をもう片方の足側に残しておかないと
次の移動ができないというように、
動きを構成するひとつひとつの姿勢、型には
要求がある。
こうした要求度は
運動速度が速くなればなるほど
素速く確実に反応できるようにならないと
協調に結びつかないわけだ。
明確な体重の移動があってこそ、
素速く流れる動きが生まれる。
動的ストレッチは
その点で導引練習よりも要求がやや厳しい
とも言えるのかもしれない。

しかし、だからといって
導引練習の要求度が低いというわけではない。
太極導引はゆっくり動くので、
こうした要求の厳しさが
表面的には現れてこないだけで、
要求の厳しさに変わりはないと思う。
このように運動速度や運動内容の質に
違いがあるだけなのに、
自分の体に対する印象も違ってくるのがおもしろい。
個性というのは単一の中ではわかりにくい。
さまざまな場面に巡り会ってこそ
わかってくるものだ。

機会があればいろいろな運動をしてみると
自分のことがもっと見えてくるかも。

自分のスタンスを築く -調心について思うこと-

2005-03-23 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
三調については自習室(調心・調息・調身)でも触れていますが、
なかでも「調心」についての考え方が
少し変わってきていることに最近気づきました。

太極導引教室が始まってまもない頃、
先生からこの三調についての話があったのです
(ちなみに教室では練習後に、
先生を囲んで皆で中国茶を楽しむ『お茶の時間』があります)。
このときの内容は、調心調息調身という三調と、
さらに調食調睡眠を加えた五調の話だったように
記憶しています。

調食は食を整えること、調睡眠は睡眠を整えること。
そして三調のなかでも調身、調息というのは
まだ理解しやすい方だと思います。
調心というのは、他に比べると
ちょっとわかりにくい印象がはじめからありました。

調心とは心のコントロールです。
当時の自分は、
調心とは自分の欲望をコントロールすることだと、
ザックリと考えていたように思います。
「調心=我慢」に近いイメージで練習していました。

もちろん日々の練習では、
動作を覚えたりすることに意識が集まり、
三調についても
とくに意識しているわけではありません。
ほとんど忘れているといってもいいくらいです。
それでも肉体的にも精神的にも
少しずついろいろと変化が出てきました。

物事に対する自分なりのスタンスが
固まりつつあるように思います。

迷うこと、判断に困るようなことに遭遇しても、
ある一定の方向性を見失わずに
判断できる自分だけの価値基準のような核が
定まりつつあるように思います。
自分が自分であるための
必要最低限の不可侵領域を確保すれば、
極端な話、あとはすべてオマケのようなものに思えます。
そうすると他への欲や執着そのものが
自然に減ってきます。

日常生活にしても考え方にしても
すべてにシンプルになってきて、
いたずらに迷うことがなくなってきます。
その一方で自分が大切に思うものに対しては、
より深く思いをかけるようになってきたような気もします。

自分の判断で削ぎ落としたものには
未練も固執もないから我慢する必要もありません。
この削ぎ落とす行為自体は
自分にとってかけがえのないものに対しても
例外ではないし、
新たに加わえたいと思うものに対しても同じです。

「自分は何を重要と考え、何を大切にしたいのか」
「かけがえのないものは何か」。
これらは一見、練習とは直接結びつかないように
みえる問いかけですが、
長く続けてくると自然にわかってくるみたいです。

 調心は我慢することではないと、今ようやく理解できた段階。そして心のコントロールとはどういうことなのかも少しわかってきたような気がする。これからが楽しみだ。

仮想シッポの試験報告

2005-03-19 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
土曜日の専科クラスで
試しにシッポをつけて練習してみた。
水曜日に比べれば
腰の具合はまだいい方だったが、
花粉の影響で睡眠が少し不足気味のせいか
全体にやや硬めの印象。

今週は復習が中心の練習内容だったから、
個人のペースで自由に練習できる。
シッポを試すには都合がいい。

まずは基本姿勢をとってみる。
やはり仮想シッポをつけた方が
腰の緊張が解けるようだ。
同時にシッポを意識していると
自然にシッポの重量感までイメージでき、
背骨を上下に伸ばす状態の下方向へのイメージが
ものすごくリアルになった。
また、両足の他にシッポが垂れることで
3つ目の支えができたのか、
両足首に感じる負荷(緊張?)も
いつもより軽減しているみたいだ。
なんか、予想以上にいいかも!?

静止状態でこれだけ新しい感覚があったのだ。
ちょっと期待が膨らんでくる。
今度は実際に動いてみることにした。

 
やはり動きを伴うようになると、
静止状態の時ほど
明確な感覚がつかめなくなってくる。
意識があちこちに目まぐるしく流れていく。
それでも腰に緊張が出始めると
シッポに意識を集めるようにする。
これでもう少しシッポに慣れてくれば、
それなりに効果が出てきそうな気がする。

個人復習ではシッポに集中し過ぎたのか、
協調が乱れたり
動作全体に関してはやや難ありか。
それでも水曜日に先生から指摘された
腰あたりの緊張感は、
動きの流れの中で調整しようとする意識と
それに応えている体の反応を
感じることができた。
その一点だけで体に花マルを贈ってやろうと
思ったくらい。

先生にも前回よりは良く見えたらしいので、
いくらかの変化が現れていたのかもしれない。
この試みはもうしばらく続けてみようと思う。

シッポをイメージする

2005-03-18 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
仕事が立て込んでくると、
どうしても腰椎あたりに支障が出てくる。
導引練習でも自分で調整できないくらいに
硬く強ばった状態で、
骨盤を巻きあげたくともビクともしない。
先生から何度も緊張状態を指摘されるものの
どうにもならず、
お手上げの状態が続いている。
先日の復習の時などは、
こういう状態を体で覚えておくのも良いかもと、
半ば開き直って動いてみたほど。

翌日、お茶を飲みながら休憩していたところ、
ネコがゆったりと歩いているのが見えた。
そういえばシッポの名残りが尾てい骨といわれている。
もし今、ヒトにシッポがはえていたら、
基本姿勢の時シッポはどんな状態になるのだろう
と想像してみた。

イヌやネコを観察していると、
気持ちが高揚しているときには
シッポは天を向くようにして立っている。
平静時は
背骨と同じ高さからやや下向きに下ろしている。

そこで四つ足を二足歩行に置き換えてみると、
緊張時にシッポは後方に向かい、
平静時は下もしくはやや前の方に垂れる感じ
となるのだろうか。
つまり緊張時は背筋や腰周りの筋肉が
縮まっているために
尾てい骨が下に向かず腰椎とともに骨盤も反り、
シッポを後方に突き立てているような状態なのだ。

ガチガチに固まった状態で
骨盤を巻きあげようとすると、
縮こまった筋肉を無理やり使って
骨盤を動かそうとするために
腹筋も含めてあちこちに不必要な力が入る。
そのため逆腹式呼吸がしにくくなり
呼吸まで浅くなってしまう。
悪循環のメビウスの輪だ。

このどうしようもない状況に、
シッポをイメージしてみると、
意識が直接骨盤や尾てい骨に向かわずに
仮想シッポの方へそらすことができる。
このわずかな違いが
意外にも緊張感を減らす
手助けをするかもしれないのだ。

体の中心から見た振り子運動のようにとらえると、
骨盤を巻きあげる動きよりも
シッポを前に垂らそうとする動きの方が
半径が大きくなるので、
少し動かしただけでも
シッポが大きく動くようにイメージされる。
そのために
「もっと骨盤を巻き上げなくっちゃいけない」的な感覚から
解放されるのではないか。

ここしばらくは花粉症も含めて
体調的に苦しい状態が続くと思うので、
これはトライしてみてもいいかも。
誰にでも合うのかどうかは
わからないけれど、
自分には今のところ効果がありそうな感じがしている。
さて、どんなシッポにしようかな?

「骨盤にきく」は心に優しい

2005-03-17 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
導引仲間のpantayaさんに
「骨盤にきく」(片山洋次郎著 文芸春秋社刊)を
お貸ししたところ、どうやら彼女もお気に召したようで、
彼女のブログ(pantaya2_カエルの体操)でもとりあげています。
そうなんですよね。この本のすてきなところは、
読み進むにつれて自分の体に
無償の愛を注ぎたくなってしまうところ(笑)。
自分の体に対してごく自然に優しい目を
向けたくなるのです。

世の中には健康をテーマにした情報が溢れていますが、
中には恐怖心や不安感をいたずらに煽ったり、
効果を必要以上に誇張してみたりと、
健康を取り上げている割には
意外なほど心の部分には無頓着なものが目につくようです。

心の安定を維持できるようになれば、
巷で騒がれているような健康問題も
随分と解消されるのではないかと、私は考えています。
太極導引もこの本も、
こころにとても優しく何ともいえない安心感があります。
穏やかで落ち着いた状態でいられるから、
先生や著者が伝えたいと思っていることが
スッと納得できるのです。心と体で共感できるのです。
共感できるから自分に優しくなれるのです。
優しさはこころの余裕の表れなのかも。

どうもこの頃優しさが足りないかなあと思ったら、
骨盤にきいてみますか?それとも導引してみますか?
どちらもよ~くきくと思いますよ。

春が来た

2005-03-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
春になってきて体のあちこちが
ゆるんできたようだ。
冬の間に身も心も
固く縮こまってしまっていたことを
改めて感じる。
体のゆるみ方も雪解けと同じで
均等にゆるむというわけにはいかないらしく、
ゆるみやすいところもあれば
根雪のようにビクともしなさそうなところもある。

睡眠がうまくとれているせいか、
筋肉に少し変化が出てきたように思う。
とくに座り続けているために
坐骨あたりの筋肉がいつも硬くなっていたのだが、
このところ少し弾力が戻ってきた感じなのだ。
と、同時に今までよりも長く座れなくなってきた。

筋肉が疲れてくるのがわかるのだ。
せっかく柔軟性が戻ってきたのだからと、
ついつい休息をとるようになる(これは良い傾向)。
それとともに休息にも
微妙なリズムがあることに気づいた。
確かに午後になるにつれて
休息に要する時間も長くなるし、
疲労も強くなってくる。

これが自然のリズムだったのだろう。
陽的な活動時間から陰的な休養時間へと
自然に移行するようにできていたのだ。
うまく流れているもんだと改めて思う。

動的ストレッチで
体の深部から動かすようになってから、
固まっていて動かせていなかった部分に
刺激がいくのか、
毎回筋肉痛に似たものがある。
体の各部でこうした変化が起きているようで、
自分の弱点となっている腰と背中あたりに
負担を感じる。

この頃の体調パターンとして、
調子良く感じる後に倦怠感のような
重だるい感じが出てくる。
そしてまた調子が回復するといった感じだ。
どうもこの重だるいときに
体のどこかに変化が出ているらしく、
自覚症状としては
とくに腰や背中に強い緊張として現れてくる。
いろんな変化の影響が
弱い部位に集中して現れてくると思ってよさそうだ。
好転の兆しなのか、悪化の兆候なのか、
様子を見守りながらの練習。

このようにあちこちに変動が見られること自体は
悪いことではないとは思う。
それだけ不安定な状態になっていることも事実だが、
バランスは常に動いている状態で保たれるものだから
不安定なことが悪いわけでもないのだ。

正常な状態ならば無意識でいられるのだが、
いままで固まって動かずにいた部分に
動きがでてきたから変化を感じるのだ。
うまく説明はできないけれど、
腰痛も明らかな異常によって痛むときと
筋肉の緊張が解けてきて
動きが出てきたために感じる痛みとでは、
痛み方が微妙に違う気がする。
良くなったり悪くなったりと
振り子のように繰り返している感じだ。

こういうものも
スパイラル状に進展するものなのかもしれない。
体ばかりでなく
心の方も変動が出てくるはずだから、
慌てず騒がず、ゆったりと構えて
事に対していきたいとは思っているのだが、
感情のコントロールはなかなか難しい。

睡眠は良薬なり?

2005-03-14 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
今年の春はやたら眠くてしかたありません。
睡眠の深さはわかりませんが睡眠時間が
多くなっています。

実は、眠くなり出したのは花粉症が始まった
つい最近なのです。
いままでは花粉症が始まると寝不足になっていたので、
どうも様子がいつもと違います。
薬も飲んでいないのに、
とにかく眠くなるとたまらなく眠いのです。
もうダメって感じで横になります。
どうしてしまったのかと思うくらいです。
朝ももうちょっと寝ていたいと思ったり、
仕事の合間に腰を休めるために横になっていると、
そのまま昼寝をしてしまい慌てることも。
許されるのならば、ネコみたいに
日がな一日うつらうつらしていたい(笑)。

慢性的な疲労状態にあったことは事実です。
それでも寝不足感はあまり感じていなかったのですが、
肉体的には限界だったのかもしれません。

自分なりに最近体に起こった変化を考えてみると、
太極導引で動的ストレッチを始めてから
筋肉への意識が少し変わりました。
表面的な部分からより深い部分へと
意識するようになっています。
背骨周りとか脚の奥のほうとか、
体の中心に近い部分に意識がいっています。
そのせいか意識導引の時にゆるませる範囲が
少し深くなってきて、
いままでよりも奥の方も
ゆるめられる時もでてきました。

ゆるまる部分が広がってくると、
一度ゆるんだところが疲労などで再び張ってきたときに、
今までよりも苦しく感じるみたいです。
筋肉が張ったり凝ったり硬くなることを
苦痛として感じる感覚が強くなる、
敏感になるような気がします。
まるで体が弱くなったような気がしますが
錯覚ですね。
センサーの感度が良くなったせいだと思います。

以前よりも眠く感じるのも、こうした体感センサーの
感度が上がったせいなのかもしれません。
疲れたら眠るという当たり前のことが
できなくなっていった原因のひとつとして
過労状態があります。
これまでの休養のあり方では
筋肉深部の疲れを回復させるまでには不足していた
ということなのでしょう。
ゆるむというのは眠りにも通じるものが
あるのではないかと思っています。
少なくとも自分に関しては、
良い傾向にあるのではないかと思われます。

ということでしばらくは
時間の許す限りネコになろうと思っています。

花粉症が復活

2005-03-10 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
太極導引を始めてから毎年症状が軽減、
花粉アレルギーであることを
意識しなくなっていたのですが、
今年はやはり厳しかった。
3月7日をもって発症した模様です。
それでもまだ今は、久々に味わうこの感じを
ちょっと懐かしむ余裕もあります。

花粉症とのつき合いが長くなってくると、
それなりに悟ることもあるらしく、
あまりジタバタしなくなってきたようです。
私の場合は発想の転換がきっかけだったと思います。

それまでは症状のつらさにしか
気持ちが向かず、
症状の意味を理解しようとはしていませんでした。
ただ症状から完全に解放されることを願って、
医薬品に頼ってばかりいました。
毎年微妙に症状が変わり、
今まで効いていたものが効かなかったりと、
イタチごっこの様相を呈してきました。
そこでようやく、これは症状をなくそうと
やっきになるよりも、
軽減させる工夫をしてみる方が
早道ではないかと思いいたったのです。

花粉症の症状自体もつらいものですが、
二次的ともいえる睡眠不足や食欲不振や便秘
などの症状の方が体力を奪い、
生活全般に与える影響が大きくなるように
私は思っていました。
花粉症はアレルギーの一種と考えられますから、
免疫過敏の症状ともいえそうです。
つまり体が本来もっている
免疫機能が過敏に働きすぎている状態です。
ならば過敏になる原因を
少しずつ取り除いてやることはできないのかな?
と考えたわけです。
少しずつというのがポイントです。
軽減させることと抑制することはちょっと違う
と思うのです。

免疫力の働きを考えた場合、
異物に対して反応していること自体は正常であること。
症状は体の免疫機能が働いている証しでもあります。
この機能まで抑えつけてしまうのは
また別の意味で問題になるかと思います。
花粉症も発症すれば2~3カ月は続きます。
どんなに良薬とはいっても長期間の服用となれば
体にとっては毒にもなり得ると私は思います。
つまり体力の消耗を防ぎながら
体と一緒になって改善していくしか道はない
というのが私なりの結論でした。

すでに言い古された感のあることですが、
日頃から意識的に改善していくことが大切だと思います。
実際に太極導引を始めてからの変化が
それを物語っていると私は思っています。
しかも私の場合、体質改善のために
太極導引を続けているという意識はなく、
ただおもしろくて仕方のないことなのです。
これはひじょうに幸運なことだと言えるでしょうね。

ある試み

2005-03-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
昨日は久しぶりに練習。
目が少しつらいので、せっかくのお天気なのに
屋内で体を動かすことに。いよいよ来たかな花粉症。

交流競技会以来の18式は
体の動きが鈍くなっていました。やっぱりね~。
このところ時間がなくて
動きが足りなかったので納得の展開です。
導引教室で一緒のTさんからいただいた
交流競技会のビデオを観た翌日ということもあって
気になったところを
チラリチラリと意識はするものの、
やはり目の前にある体の状態の方が
気になりました。

このところ静的ストレッチのメニューに
「伏臥上体そらし」(懐かしい!)のような
背筋を縮めて腹筋を伸ばす動きを
少し多めにしてみています
(もちろん腰の調子を見ながらなのだけれど)。
冬の間に縮こまった筋肉をほぐしたり、
姿勢をコントロールしたくで。

実は、息を吐くときに
いろんな声を出すようにしています。
「dua~」というのが多いかな?
何となく筋肉がふ~っとゆるむ感じがして
続けてみています。

これは以前教わった気功導引法がヒントになっています。
ちなみにこちらの方は息を吐くときに
ある文字の発音を「音を出さずに」行うものなので、
まったく違うのですが。
あとは「ゆるんでいる~、ゆるんでいる~」と
呟いたりしています。
ただしこれは絶対ひとりでやるときだけ。
他人が見たら挙動不審人物にしか見えませんからね。

こういうことは以前から
意識の中でイメージしていたことなのですが、
自分の場合は体調がある状態を超えてしまうと、
意識だけでは調整しきれなくなるようです。
そこで他の五感も使ってみることを思いつき
試してみているのです。

今のところ上記のような聴覚と、
ゆるめたい部位を前もって掌で優しく
なでるようにしてこする
という触覚を中心に行っている。
他にもなかなか集中できないときは黄色を、
ヒートしすぎているときは青いものを
見つめたり身につけてみたりなど。

個人的にはそれなりに効果があるような
気がしているのですが、
気のせいかもしれませんし
単なる思いこみ、自己暗示ということも
十二分に考えられます。

これから季節はどんどん緑が増えてきて
いのちが輝く青春を迎えます。
日日是導引なんちゃって。