松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

蒸し暑さに和みかけるくふう -4-

2008-07-25 | 養生の栞-季節と養生-
☆胃腸にも休む時間を

蒸し暑さの影響はじんわりと胃腸にも及びます。
食欲不振や下痢、便秘、肌のトラブル、貧血などなど
人それぞれに症状は違うのですが
睡眠不足による疲労の蓄積によって
代謝機能が落ちてくるからなのでしょう。

代謝機能がうまく働かないと
体の中を巡る気血の活動も働かなくなるので
もともとは体にエネルギーがあっても
それを体の隅々まで運ぶ通路が渋滞するなどして
うまく供給できずにバテる場合もあるし、
体外からとりいれた自然のエネルギーから
体内エネルギーにつくり変える力や
エネルギーを運ぶ力そのものが足りなくて
バテる場合もあります。

普通は弱っているからこそ、体力回復のためにも
食事はとらなければと思うもの。
若いときにはスタミナのつくものに
飛びついたりもしましたが、
体力が落ちていたり、中高年になったら
そうはいきません。スタミナ補給よりも
とにかくさっぱり、あっさりしたものに手が伸びます。
内外の活動量に見合った、つまり消費した分を
補給するのが本来の目的なんですよね。
食べることだけが補給とは限らないんですねぇ。

疲れたら休養する。

体の休養というのは臓腑を含めた休養ですね。
なるべく負担をかけないように心がける。
どうしても「夏は食べなければバテる」という
強迫観念を持ちやすい。
食欲が落ちているところへ、
空腹を感じていないにもかかわらず食べ物をとることは
もしかしたら、それは“食べ過ぎ”と同じことになる?
その分量や質の問題ではなく、食べる行為そのものが
体にとって負担となることもあるのかも。
極端な例かもしれませんが
ほんとに食欲がなくて疲れていると感じたら
思い切って食事を抜いて
体を横たえて休養に専念してみることも一利ありかと。
一説によれば、1,000キロカロリー分を
消化吸収するためにはフルマラソンに相当するくらいの
体力を消耗するということです。
また、一食を抜いたところで
体にはエネルギー源の備蓄がありますから
直ちに命にかかわるということもありません。

崩れたバランスを調整する意味で
あえて食を抜いてみることも一つの方法ではあるかも。
食欲がなくてお腹が気持ちよく空かないときは
思い切って抜いちゃうことで臓腑を含めて休養をとる。
そうすれば代謝力も回復してきますから
気持ちよくお腹も空いてきます。
このあたりの判断は、日頃から自分の体を
観察しているかどうかが物を言うところかもしれませんね。


生活のリズムはなるべく一定にしておくことが大切です。
そうすることで変化に気づくことができます。
いつもと少し違うなと感じられるのも
習慣化している一定のリズムと比べているからです。
基準があるから変化に気づく。

もちろん生活リズムも環境や年齢とともに変化します。
過去の元気なイメージにとらわれていると
現在の自分を見誤ることもあります。
少しずつ行きつ戻りつしながらの道程は
人それぞれです。
自分の体のことは自分にしかわかりません。
自分と仲良くなることも
養生の秘訣なのかもしれませんね。


蒸し暑さに和みかけるくふう -3-

2008-07-24 | 養生の栞-季節と養生-
☆水分補給にもひとくふう

この時期は、ほとんどの人が意識的に水分補給します。
でも、水分補給の頻度や分量、タイミングなどについて
考えてみたことはありますか?

経験上、喉の渇き具合と体内の乾湿の状態は
必ずしも一致しているとは限らないような
気がしています。

たとえば、いくら水分をとっても
喉の渇きが癒えなくて
胃袋がチャポチャポしてしまう時があります。
あるいは、それほど水分を取っている気がしないのに
やたらトイレが近くなるとか、
汗をかいている割には水分をほしくなかったり…。

こういう場合は、たぶん体内センサーが
体の状態をうまく把握できていないのかも。
原因はいろいろと考えられますが、
とりあずはこれ以上バランスを崩さぬようにして
体調をととのえる方向に軌道修正する必要があります。

本来的には体が必要とすれば
生理的欲求にしたがって
自然に適当な範囲内で摂取しているのだと思います。
ところが昨今は、生理的なバランスが
上手く働いていない人の方が多くなっていますし、
自分の体の状態を見ながらというよりも
「○○しないと体によくない」的な情報知識の主導により
頭で意識的に管理しようする傾向にあるような気が…。

そのあげく、ほとんどの場合は
“○○し過ぎ”の状態になるようです。
体のためによかれと思ってやったにもかかわらず
裏目に出てしまう。
バランス失調ぎみだからこそ
ここはひとつ体の様子をよく観察しながら
もう少しだけ丁寧に
体と向き合ってみたらどうでしょう。

たとえば飲み方。
冷たさや熱さを感じるのは口や喉までです。
胃袋をはじめとする内臓は感知しません。
だから冷たさを味わいたいのならば
少量を口に含んで口中でたっぷり味わう方が
理にかなっています。
喉の渇きは一気に大量に摂取しても
癒されるわけではないのです。

もし喉の渇きを癒したいのならば、
熱めのお茶を少しずつゆっくりと時間をかけて
飲む方が、むしろ効果的な気がします。

私達は生活習慣的にも
一日の運動量が足りない傾向にあるので、
基礎代謝の質や量も全般的に低くなりがちです。
つまり体内で過剰となったものを
体外に出すための能力が落ちているわけですから
内臓はフル稼働していることになります。

おそらく胃腸をはじめとする
臓腑たちはみな疲れているのでは?
養生的にみても
水分をとり過ぎることは冷えにも影響します。
代謝がよければまだいいのですが
一般的に冷えれば代謝は悪くなります。

なにごとも適度な範囲内におさまるように
コントロールすることが大切になってきますね。
そのために私達が意識的にできることといったら
体と頭が気持ちよく協力しあえる環境を
ととのえることでしょうかね。

蒸し暑さに和みかけるくふう -2-

2008-07-20 | 養生の栞-季節と養生-
☆蒸し暑いからこそ、敢えて肌を隠してみる

のっけから逆転の発想です。
夏は肌を露出させることが多いです。
ところがこれ、けっこう体力を消耗させます。

ご存じのように、皮膚には毛細孔があります。
蒸し暑い外気や室内などの冷気に直接触れたり
汗などの分泌物でベタついたり、
皮膚環境もかなり過酷な状態にあります。
毛細孔は外部と内部の出入口、ちょうど窓のようなもの。
疲労が溜まれば、その開閉状態に影響が出てきても
おかしくはありません。

なかなか汗がかけない人、
やたら汗っかきの人、
むくみやすい人、
やたらトイレが近い人…
もしかしたら冷えているのかもしれません。
体表面を覆っている皮膚(肌)が疲労しているのかも。

試しに長袖を着てみてください。
“暑くてかなわないよ”と思うかもしれませんが、
薄手の素材や肌に密着しないデザインのものであれば
けっこう心地よかったりします。

夏生地といえば真っ先に麻を連想しますが、
もう少し手頃な夏生地、楊柳やサッカー、ピケ(ピッケ)
などといったものもあります。
そういえば最近はあまり見かけないかも。

こうした織り生地の特長は、適度なシャリ感があって
皮膚と生地の間に薄い空気の層(膜)をつくり出します。
さらに直射日光や冷気を
肌に直接あてないように遮断していますから
このわずかな隙間に流れている空気は
ちょうど木陰にただよう空気と
似た状況なのかもしれません。

しかも汗をかけば生地が吸収してくれるので
肌はサラッとしていますし、
汗を吸った生地の乾きも早いです。

人が活動するためには
ある程度の温熱が必要です。
肌を露出させる機会が多くなると
知らず知らず体温が低めになっていることも。
現代生活全般が体を冷やす傾向に
なっているような気がします。


蒸し暑さに和みかけるくふう -1-

2008-07-19 | 養生の栞-季節と養生-
日本の夏は蒸し暑いことに決まっていたはずなのに
この堪えがたさはどこからくるのでしょう。
確かに暑さの程度も
年々厳しくなっているのかもしれませんし、
年齢を重ねるごとに体力も落ちているのも事実です。
ですが、それにしても…

養生的な考え方の基本は調和です。
つまり和みの状態に調えることです。
暑ければ暑いなりの過ごし方をくふうすることが
和みの状態への近道になるかと思います。

ここで気をつけたいことは
暑さに対抗しようとする発想は
かえって自然のリズムを崩すことになる点です。

暑さをしのぐために
涼を求めるのは生理的な欲求です。
ただしその程度が問題です。
夏は暑いのです。蒸し暑いものなのです。
季節の特性を見失わないようにしないと。
自分の体力気力に見合った
適度な暑さを味わうような気持ちでいたいもの。

蒸し暑い夏もまた自然
その暑さをしのぐために
涼を求めたくなるのもまた自然
問題なのはそのバランス。

どちらも自然である以上
目指すのは対抗するのではなくて共存です。
共存するためには、どちらの存在も否定しない、
容認するところから始まるのではないかと。
ぶつかり合いのバランスではなくて
歩み寄りのバランスです。


太極導引で練習していることも
まったく同じです。
自分の意とする動きと現実の動きの
ギャップの存在。
これを縮めようとすることも
歩み寄りのひとつと考えています。
また、推手練習であれば
相手に歩み寄らせるように働きかけるのか
自らが歩み寄っていくのかといった
駆け引きっぽいことも考えられるかもしれません。

何かしら歩み寄ろうとする姿勢が感じられるものは
協調行為の一種といえるのかもしれません。
対抗とは一線を画すものであるような気がします。

夏に勝とうとするのでも
負けまいとして頑張るのでもなく
夏の暑さを受け容れながら
少しでも快適に過ごせそうな方法を探ってみています。


暑中お見舞い申し上げます(夏土用)

2008-07-17 | 養生の栞-季節と養生-
19日から立秋の前日までは夏土用(長夏)です。
そして22日は大暑、梅雨も明けて盛夏を迎えます。

暑中お見舞い申し上げます


長夏は夏の中でも湿度が高い季節です。
蒸し暑くなるときは
暑邪・湿邪に侵されやすいです。
暑邪は陽的な邪気で、気を消耗させます。
湿邪は陰的な邪気で、気の巡りを滞らせ陽気を傷します。

心静をこころがけ、
なるべく落ち着きを損なわないようにしましょう。
熱帯夜が続き寝苦しいこともあって
睡眠の質が低下する傾向にあるかと思います。
休息と実動のバランスにも気遣ってくださいね。
夏場の休憩は早めに、こまめに、が鉄則かと。

夏バテは気血の消耗によって
全身的なバランスが失調状態になっているわけですね。
したがって気血を補うことと
なるべく消耗しないようにつとめることが大切です。


 ☆夏冷えにご用心

夏は冷え性の人にとっては
体質改善に好機ともいえるのですが、
その一方で新たな冷え性さんをつくってしまうことも。

暑いときは冷えに対して無防備になりやすいです。
邪気が侵入しやすい場所が集まっている
首周りはなるべく冷気が直接当たらないようにしましょう。
デスクワーク中心の人は
なるべく席をこまめに立って歩く機会をつくりましょう。
どうしても腰や骨盤内(お腹や下腹部も)、
足の付け根周辺などがうっ血しやすくなりますから、
それを放っておくと、しだいに体の内部まで冷えてしまいます。
湿邪から体を守るためにも
「トイレ休憩」を上手に利用しましょう。

足首をぐるぐる回したりするのも血行を促進させます。
ついでに足裏の湧泉(ゆうせん)穴も
揉みほぐしてあげると頭までスッキリしてきます。
五指靴下や五指ストッキングを着用すれば
指先の可動域が広がるのでさらにグーですよ。
また、レッグウォーマーとハラマキもおすすめです。
透かし編みのレッグウォーマーも見かけたりと
潜在的な需要もあながち低くはなさそうです。

意識のバランス

2008-07-08 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
最近気になっているもののひとつがこれ。

たとえば意識を働かせるだけで
何かを発するというか、
ある勢い(のようなもの)を生じるような気がする。

意識の力とは自分が想像している以上に
強いものなのかもしれない。

自然のままにあることが難しく感じられるのは
そのようにあろうとしてしまうからだと思う。
あろうとするのはありたいと願う気持ちがあるわけで
それは“仕業(しわざ)”となってしまうのだろう。
意識的に仕向けることになる。

つまり意識を働かせるというのは
「有る」ことなのか、「在る」ことなのか。
ちなみに有るとは所有、持っている意味で、
在るとは存在の意味となる。

意識が在るというのは感覚的なことかも。
意識を持つ、有するというのは
頭脳が主導しているかのような印象があるかな。

先生に形(姿勢)や動きを直されるとき
外見だけに気をとられていると
内面の変化に気づくチャンスを逃すこともある。

意識もまたバランスなんじゃないかな。

ホントに見ている?見えている?

2008-07-02 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
同じ対象を見ているのに
ある人には見えていて
自分には見えていないものがあります。

実際には視野には入っているのですが
意識で認識できていないということかなと。

つい最近の例でいえば、目の前で
乳幼児の動きを眺めていた時のことです。
やっと立つことを覚えたばかりで、
一歩二歩と歩を進めては
ペタンと尻もちをついたり
手をついてしゃがんでみたり。

その子の全体的なバランスの取り方などを
見ていたように思います。
動きによっては関節などの部分を
意識的に見ていたりもしました。

ところが隣りで見ていた人は
子どもの動きに合わせて
身体の各部の動きの状態をこと細かく
実況解説できるのです。

えっ!?
私の見方では実況解説はできません。
動きのある瞬間については可能かもしれませんが
あれほど細かく連綿とはできないです。

この違いはいったい…。

全体を見ている“つもり”でいただけの自分。
ホントは見えてないじゃん。

偶然に耳にすることのできた解説ですが、
同じ対象の動きを見ながら
見ている内容の密度には雲泥の差がありました。

こういうことは自分の動きが流れてこなくては
わからないのかもしれません。
まだまだ動きがぶつ切れ状態にある自分には
意識できていないものが
いくらでもあるということですね。


 *写真はイメージです。本文の内容とは関係ありません。

赤ちゃんの身体

2008-07-01 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先生はよく、導引練習で目指しているのは
赤ちゃんのような身体になることと話されます。

たしかに乳幼児には柔らかいイメージがあります。
でも、実際に赤ちゃんを抱いてみると
けっしてフニャフニャではないことがわかります。
意外に筋肉質というか堅いんです。
柔らかいけど張り返してくるような
触るとこちらに吸いついてくるような
むちっと密着するような感触があります。
見た目から受ける印象だけでは
軟弱そうに見えるかもしれませんが
“やわ”ではありません。

実際に触れてみる機会があれば
ぜひ確認してみるべきかと思います。
先生の言われる柔らかさのイメージと
自分の頭の中だけで漠然と描いているものとは
ちょっと違っていることもあり得ます。

身体操作の観察には
乳幼児の自然体がいちばんかもしれません。