高校時代の大切な友人が逝って3年がたちました。
きょうは彼女の命日です。
彼女と交わした年賀状には
決まり文句のように「今年は会えるかな?」と綴られています。
ともに忙しさにかまけ、
その気になればいつでも会えると思いながら
連絡もとらず運命に甘えていたのでした。
どうして会わなかったのかな
いまでもふと考えることがあります。
親しくするといっても
常に会って話すようなつき合い方が苦手な私に
彼女が合わせてくれていたのかも。
彼女とお別れをした後は、彼女のご家族とも
とくに連絡をとることもなく、
ときに彼女を思い、祈り、話しかけたりしてます。
相変わらず人づきあいが苦手な私。
これまでのスタンスを変えずにいくことで
彼女への思いを貫いてるつもりでいるのです。
そういう流儀でしか
自分なりの気持ちを表現できないのです。
身勝手な自己満足にすぎないことは承知だけれど
世間的には通用しないのかもしれないけれど、
それでも彼女は笑って受け入れてくれそうな気がする。
だとしたらうれしいな。
いいトシして、いまだに彼女に甘えてるんだよね。
きょうは彼女の命日です。
彼女と交わした年賀状には
決まり文句のように「今年は会えるかな?」と綴られています。
ともに忙しさにかまけ、
その気になればいつでも会えると思いながら
連絡もとらず運命に甘えていたのでした。
どうして会わなかったのかな
いまでもふと考えることがあります。
親しくするといっても
常に会って話すようなつき合い方が苦手な私に
彼女が合わせてくれていたのかも。
彼女とお別れをした後は、彼女のご家族とも
とくに連絡をとることもなく、
ときに彼女を思い、祈り、話しかけたりしてます。
相変わらず人づきあいが苦手な私。
これまでのスタンスを変えずにいくことで
彼女への思いを貫いてるつもりでいるのです。
そういう流儀でしか
自分なりの気持ちを表現できないのです。
身勝手な自己満足にすぎないことは承知だけれど
世間的には通用しないのかもしれないけれど、
それでも彼女は笑って受け入れてくれそうな気がする。
だとしたらうれしいな。
いいトシして、いまだに彼女に甘えてるんだよね。