松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

左股関節の状態には更なる原因が…

2005-02-26 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
股関節の動きが硬いと感じるワケには
更に原因があるのかもしれない。
静的ストレッチでは左がやはり硬めだが、
左右の差はそれほど大きなものではないと感じる。
しかし動的ストレッチになると
左右の可動域の違いが歴然とするので、
おそらく筋組織が
硬くなっているからだと思われる。

つまり大臀筋など股関節周辺の筋肉が
疲労によって硬くなっているのだ。
すると固まって収縮する筋肉に引っ張られ、
しだいに左足が外側に開くようになる。
体はその動きと反対の動きをとって
バランスをとろうとする。
その状態が左足の内旋
という形で現れているのかもしれない。

もしそうならば、表面的な左足の内旋を
修正しようとしても
なかなか効果はあがらないだろう。
原因のもとから改善する必要があるからだ。
結局は休養ということになるのだ。
筋肉をストレッチして
疲労を取りやすくしてから筋肉を休めてやる。
これが正解なんだろうなぁ。

体はそれぞれがくまなく関連し合っているので、
部分的に対処するだけでは
不十分なのかもしれない。
腰周辺の筋肉だけの問題ではなく
体の内部では
他にも影響があると考えた方がいいのかも。

症状はその人の弱い部分にまず現れる。
だからこそ一病息災という考え方も出てくるのだろう。
病気と仲良くするというのも
似たものかもしれない。
そこに通じる意識は、
たとえ自分の意にそぐわない状況にあっても
それを受けとめること。
そこからスタートするという姿勢だろう。

休むこと。いちばん簡単なことが
実はいちばん難しい。
先生も「疲れたと感じてから(休むの)では遅い」
と話される。
休むということの意味やその内容も考えながら、
上手に休めるようになりたいと思う。
休み方の達人というのも
なかなかカッコイイのではないかしらん。

左股関節の硬さの原因がわかった

2005-02-25 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
ずっと気になっていた
左股関節の状態の原因がわかった。
大臀筋のある箇所に強ばりがあって、
そこが緊張しているために
股関節の動きがスムースにならず
「股関節が硬い」と感じているようなのだ。
では、どうしてそんな部位が
緊張しているのかというと、
左足が内側に捻れているからなのだ。

自分の足の捻れをチェックするのは簡単にできる。
仰向けに寝て両足を肩幅に広げて
足先を上に向けた状態にしてそのまま足全体の力を抜く。
すると、左右の足先がそれぞれ外側へと開いていく。
もし、左右の足先きが内側に向くようだったら
足が捻れている可能性がある。
これを改善するには膝を意識して
外に向けるようにしていくといいそうだ。

一般的に日本人は内側に向きぎみの人が多いらしい。
私の場合は左足が捻れているので、
左膝を意識的に外に向けるようにすると
大臀筋の緊張状態がゆるむのだ。
これは発見だった。

これでまた、新たな疑問が生じてきた。
実は左肩関節の状態が
左股関節の状態と酷似しているように思うのだ。
自分の場合、
左肩が胸側に巻き込みぎみになっているので
肩関節の可動域がやや狭い。
そのために肩が持ち上がったり
緊張感が出てくる傾向にある。
どうも股関節でも
同様の状態が起こっているようなのだ。
しばらくはこのまま観察を続けてみるつもり。

状態に合わせた調整ができるようになろう

2005-02-24 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
昨日は専科クラス。
この日、練習前から腰周りに緊張があって
骨盤の巻き上げが思うようにできない状態だった。
それに骨盤の左側が右側よりも上に持ち上がっていた。
早めに来てストレッチなどをして
調整に努めてみたのだが、
あまり効果はみられないまま、練習に入ることに。

先週から始まった動的ストレッチでは、
腰が緊張しているために
思うように股関節の動きをコントロールできない。
足を回しても股関節が一緒に動いてしまい、
上体のバランスも崩れてしまう。
それを力ずくで収めようとしてしまうわけだ。
せっかく動作要領に慣れ始めてきたところだったのに、
へんなクセにならないように注意しなければ
と思いながら終了。

孫式の練習に入ってからは、
先生の指示通り、
意識で股関節をコントロールするように
したためだろうか、
不要な力が入ってもそれを自覚できる状態までには
調整できたようだ。
ストレッチの時よりも
数段リラックスできていたようで、
手も温かくなっていた。
練習が終わる頃になってようやく
腰回りの緊張がほぐれてきた感じで、
これからが導引練習になるはずだったのだが
時間切れ。

この後の意識導引中、
実はちょっと驚くような現象が自分の体に起こった。
胸と背中を同時に意識集中して放松したところ、
みぞおちあたりの所から
右側に体が勝手にクルッと回り出したのだ。
何の抵抗もなくクルッと。
ビックリして左へ戻すのだが、
力を抜くとまた右方向へ体が回ろうとする。

このままでは先生の指示する部位と
右に回ろうとする上体とに意識が分散してしまい
意識導引どころではなくなってしまうので、
抵抗することをやめて
意識導引に集中することにした。
呼吸導引の頃には収まっていたのだが、
一体あれは何だったのだろう?

過換気症候群は骨盤の緊張が原因だった

2005-02-22 | からだの風景-みる・さわる・かんじる-
10代の頃からしばらくの間、
私は過換気(過呼吸)症候群を患っていた。
日常生活に支障はないと言われながらも、
いつ起こるかわからない発作という
爆弾を抱えての生活、
言いようのない不安に
押しつぶされそうになりながらの日々は、
精神的には支障だらけの生活と
言っても差し支えないと思っていた。

当時はまだ過換気症候群は広く認知されておらず、
周囲もどう対処していいのかわからず
困惑していたが、
本人は自分の体に何が起こっているのかさえ
納得できるような説明もされず、
自身の体に対する不信感は募るばかり。

結果的にはこうした状況すべてが
症状を悪化させる方向に働いていたのだ。
だから良くなるはずがない。

最多の時で1カ月で21回の発作を
起こしたこともあったが、
鍼灸と漢方薬を併用してから治癒するまでに
20年近くかかっているのではなかろうか。

そんな過換気症候群が、
実は骨盤の緊張から胸椎5番を硬化させて
胸部の過緊張状態を生み、
呼吸に影響しているのだというのだ。

片山洋次郎さんの「骨盤にきく」に書かれている
一連の説明は納得がいく。
もしあの時、こういう説明を誰かが
してくれていれば…。
同書には過換気症候群の対処法も
掲載されているのだが、
驚くことにその方法とは
自分が寝るとき自然にとっていた姿勢だったのだ。

体はほんとに自分で治ろうとしているのだなぁ。
バランスを調整しようとする能力を
自ら備えているのだ。
あの頃は思うようにならない自分の体に
苛立ったりしていたのだが、
それでも体は自力で治ろうとしていたのだった。
知らなかったとはいえ、
ほんとに申し訳なかったなと思う。

片山さんの考え方は
導引にも共通する点が多い。
骨盤の緊張をゆるめる呼吸法と骨盤の動きは
そのまま導引の呼吸法と
基本姿勢にも通じる。
つまり過換気症候群も骨盤の緊張も
太極導引で改善することは十分可能と思われる。

太極導引との出会いは、やはり我が人生において
歴史的事件だったのだな~。
どうして自分がこれほどまでに夢中になるのか、
尽きることなく次々と新たな興味がわいてくるのか、
これでようやく納得がいった気がする。

4年目にして、改めて太極導引を
ライフワークにしたいと思い始めている。
明日を生きるためではなく、今を生きるために。
今現在に集中できるようになれれば、
不安に心を乱されることもなく
平安でいられることだろう。
それは松静自然に近づくことでもあるように思うのだ。

骨盤は正直なんですって

2005-02-20 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
先日、久しぶりに書店に立ち寄りました。
今回は座り読み歓迎のJ店に足を運んでみました。
とくに購入目的があったわけではないのですが、
ぶらぶらと書棚を巡っているうちに
背後の書棚からピピッと
アンテナに触れてくるものが…。

センサーが感知した本とは
『骨盤にきく-気持ちよく眠り集中力を高める整体入門-』
(片山洋次郎著/文芸春秋社刊)でした。
体の声をきく、体の言い分に耳を傾けることを
心がけたい者としては、さっそく手にとって
傍らのベンチに座って開いてみることに。

目次には「骨盤は嘘をつかない」
「骨盤をゆるめ心地よく眠る」
「本物の集中力は骨盤から生まれる」
「孤独は骨盤から生まれる」
「骨盤の変動期に身体を組み立て直す」など
といった興味深い内容が並びます。
おそらく身体に対するアプローチや考え方が
似ている人が書いていると直感。一目惚れしました。

ということで今この本は私の手元にあります。
おもしろいです。
たどたどしいながらも骨との会話が始まりました。
真に理解して方法を間違えなければ、
導引に対する理解がまた一歩深まるかもしれません。
私の動きも変わるかもしれない。
私は楽しみながら読んでいますが、
一日で読破するのも可能なわかりやすい内容です。
同好の志には、おすすめしたい一冊です。
刺激的で楽しい本ですよ。

放松をめざす

2005-02-19 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
19日から再開した基本科クラスは、
新内容のモニタリングのような性格の
練習となった。
ひとことでいえば、太極導引の新境地に
立たせてもらったように思う。
新鮮な感動に溢れていた。

基本科の主眼は放松。
生命活動の中の緊張感から
心身を解き放つための方法は
リラックス状態がどういうものなのかを
知る(体感する)ことが大切。
リラックス状態を理解するにつれて、
さまざまな緊張状態というのも
わかってくるからだ。

松(song=リラックス状態)とは
体現的には伸びた状態であり、
精神的には静かな落ち着いた状態である。
静かな落ち着いた状態とは集中力も関わってくる。

基本科では座って行う導引と
立って行う導引、そして移動をともなう導引と、
多様な内容がそろっている。
そのどれもがゆっくりとした動作と
自然呼吸をともなって行われる。
やがて深く集中している自分に気づく。

集中力が静けさを呼び起こすことを
身をもって理解する瞬間だ。
動いているのに
頭や心の中はしんとしている。
意識だけが研ぎ澄まされてくる。
そうすると今まで気付けないでいた
体の状態が少しずつ伝わってくる。
新しい発見が始まる。
新しい世界への扉を開いたような新鮮な感動。

ちなみに本日の練習で
改めて意識し直したものがある。
それは足指。
足裏をピッタリつけて立つためには
足指で地をつかむような感覚もあるということ。

地をつかむような感じとは、
足指に力をいれて力むのともちょっと違う。
足裏は足指までを含めて
意識するということだろうか。
足指が地についていると、
骨盤を巻き上げた状態で股関節を緩めても
足首が固定される感じもなく
重心がきれいに両足に乗るように感じた。

足指が機能しなくなると
体重が踵側に移動して
基本姿勢を維持した状態で立てなくなる。
五指タイプのソックスを履くと、
この足指の感覚がつかみやすいと思う。

基礎体力、筋力づくりをめざす

2005-02-16 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
先日の交流競技大会で表演した
18式をビデオで見た。
相変わらず硬いなあと思いながらも
前回の16式剣の緊張感ほどではなかったかも。
しかし、先生から
「自分の弱い部分がわかりましたか?」と
質問されても答えられなかった。

自分の表演が未熟なのは仕方ないにしても、
やはり安定した動きを支える
基礎体力、筋力が不足している。
そのために陳式の特徴である
緩急の差も高低の差も明確になってこない。
日頃の練習でも筋力強化を
意識するようにしていかなければと思う。

太極導引教室は、リラックスした状態で
心身の調整をしながら
健康状態を整えていくのが目的。
そこは鍛錬の場ではないし、
ことさらに筋力強化の意識を誇示するつもりもない。
あくまで個人的に意識していくことだと
思っている。
したがって筋力向上委員会の主たる活動は
自主練習であり、
コツコツと気長に続けていくつもり。

交流競技大会を終えて-集体表演から感じたこと-

2005-02-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
集体(団体)表演において
一番重視されるのは統一感らしい。
一体感ともいえるのかな。
個々が集まって統一感を出すには
共通した動き方が必要となるから、
約束事というかルールというようなものを
取り決めることから始まる。

厳密にいえば個体差があるわけだから、
できる限りそれぞれの固有性をなくす方向へと
辿り着くことになる。
有から無への変化。そうしていくことで、
ひとつの動きに集約されていくのかもしれない。
それを皆が共有したとき太極が現れるのだろうか。

素晴らしい表演を前にしたとき、
その動きを通して表現される太極のパワーに感応して
感動しているのかもと思ったりしている。
それは何も技量的にすぐれた人達の表演に限らず、
子供達の表演であったり、
ご高齢の方達の表演であったりもするのだ。
子供達は無邪気、
高齢の方達は修練の成果とでもいうのだろうか。

我を捨て無に帰するときに生まれるもの。
個人で練習していても全体練習をしていても、
それは変わらないことだと、頭では思う。
ただ、頭ではわかっていても
こころを説得できない。
だから体を使って働きかける。

こうして交流競技会の季節が訪れるたびに、
思い悩んで考えて、
練習を繰り返すことで
少しずつ覚えていくことがあるらしい。
この一カ月余りの集中練習の間に
自分に起こったいろいろな変動(起伏)も
おもしろかった。
まだまだこころに引きずられてしまい、
お手上げのことの方が多い。
少しずつ時間をかけてコントロールを
覚えていきたいと思う。
これは一生かけても達成できるかどうか、
長い道のりだろう。
それでも、はじめの一歩は踏み出したことになるのかな。

交流競技大会を終えて-個人の部-

2005-02-14 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
13日に第4回渋谷区太極拳連盟
交流競技大会が開催された。

今回の収穫その1は、
表演前の準備が割とうまくできたこと。
個人種目は今回が2回目。
前回の反省をふまえて
自分の間合いを崩さないように
準備することを心がけた。
前回より参加者が増えた分、
点呼を受ける入場地点あたりは
混雑して慌ただしいので、
受付をすませたら直前まで
そこから離れたところでひとりになった。

站トウ功をしながら
首の付け根あたりの緊張状態を意識し、
腰、股関節と骨盤あたりを緩めるようにする。
思いの外集中できているのに気をよくする。
呼吸がいつもよりも深い部分まで行き届く。
目を開けても目から入る情報を
意識で追っていないことに気づく。
これだけざわざわした所なのに
珍しく落ち着いているみたいだ。
pantayaさんに結んでもらったリボンに触れていると
安心できた。これがきいたのかな?

収穫その2は、入場したら何も考えていなかったこと。
もちろん、ぼんやりして何も考えない
というのとは違う。
澄んだ感じでいられたこと。
正面に座る審判長の顔は見えるけれど、
映っているだけのような感じ。
開始の合図で、深呼吸を1回する。
起勢にはいる瞬間に首に緊張が走ったが
リボンの先が触れてふっと力が抜けたような気がした。
思い出せるのはここまで。
最後まで何か考えていたのかどうかも思い出せない。
ただ、気持ちよく動けたような印象が残っただけ。

応援席では「きょうは気合い入っているね」と
話していたとか、
いつもより力が抜けてたように感じたとか、
いろいろと感想を聞かせてくれたけど、
自分の手応えとか印象というのは
あまり思い出せない。
ただ、いつもよりも軽かった印象は残っているかな。
先生からは今日のリズムは良かったと言われた。
軽さはリズムだったのかな。

大会終了後、先生から
ビデオ映像を見ながら個人種目の反省会をする
とのお達しがあった。
ガ~ン……いまさらのごとく指摘されるであろうことが
ヤマのように頭の中を駆けめぐる。
表演中の心理状態というか意識的に働いていたことが
どんなことだったのか思い出せないのに
反省できるのだろうか。
とりあえず反省は反省会ですることにして、
今は自分の収穫のことだけイメージしておくことに。

今大会では陳式を表演する人が多く、
いろいろな表現を見ることができたのは幸運だった。
同じ型やひとつの動作をとっても
全く違った印象になる。
中でも一番嬉しかったのは
女性の陳式表演を至近距離で見ることができたこと。
それも上手な人のものを。
これはひとつのチャンスかも。
やっぱり陳式が好きなんだな~。

いよいよ明日

2005-02-12 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
12日は最終練習日。
交流競技会の前日を迎えて最終確認を行う。

8式では凡ミスしてしまったりしたのだけれど、
みんなの「大丈夫、どんなことがあってもついていくから」
という言葉が心強かった。
みんなに支えられていることを改めて感じる。

孫式の方は動作を合わせることに集中し過ぎて
緊張感が出てしまっていることに気がついた。
少々のズレが生じても
自分が合わせる人の動きに従うことだけを
徹底することに。
気を散らさないようにすることの方が
大事かもしれないから。
気が散ること自体、
集中の仕方が甘いということだと思う。

個人は最後までなんだかなあ…。
きょうはとくに力任せのところがあったと思う。
おそらく動作スピードの変化を
どうしたら表現できるか、
明確になっていないからだと思われる。
バランスが悪いのだと思う。
双震脚では自分でもビックリするくらい
飛んでしまったし、何が起こるかわからない。
今さら考えても仕方ないので、
とりあえずできる限り力を抜くことだろう。

ということで後は明日に備えて
心と体をリラックスさせることに。
個人は自分らしさが現れていればよしとして、
本番に強い団体の方は
メンバーと気持ちを一にして楽しみたい。