松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

向上心

2008-10-28 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
たとえば…
陽光に向かう枝葉が見せる伸びやかな勢
と同時に地中に張り巡らされた
根っこが見せる粘っこい勢

絶え間ない水の流れにみる勢
と同時に蛇口から漏れ出た水が
やがて滴に成ってゆく姿にみる勢

勢は向上心のひとつじゃないのかしらん



天と地の間に在る私達は
上と下とを感じることができる

だから上向きだとか下向きだとか
実際に波間に漂うかのような浮き沈みを
味わうこともできる

どっちも感じるから私達は生きている
変化や動きに自然に順応する勢を有する
だから“いきもの”でいられるのかも



地上に生まれ落ちた私達は
その時が来れば皆
天に戻っていくことになっているから

道に迷うことなく無事に天に戻れるように
あらかじめ心の中にインプットされているのが
向上心なのかも



寿命と樹命

2008-09-07 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
自然であることについて考えるときには
植物、具体的には樹木を
イメージすることが多いです。

たとえば天災にしろ人災にしろ
命が脅かされる情況に遭遇すれば
樹木はその情況を
受け容れるしかありません。

動物のように移動できる方が
生き物としては進化しているのでしょうが、
危険な情況から逃れられるようになることで
むしろ恐怖心に囚われやすくなったとも
言えるのではないかと。

天命を潔く受け容れる一方で
樹木は基本的には
動物よりもはるかに長命です。
そしてまた、成長にかける時間は
ゆっくりじっくりなのに
新しい命が芽吹く速さは驚くばかり。
意外なほどに逞しく
したたかないきものでもあるのかも。


樹木をみていると
さまざまなことを思います。

木々が競って枝葉を伸ばし広げる姿は
欲の競い合いにも見えます。
そのくせ土中では、互いに譲り合いながら
根を張るものらしいです。
そうしないと、
共倒れになってしまうからだそうです。

競争と協調。自然のバランスは
目につくところでつり合っているとは限りません。
人間はお調子者だから
小手先ばかりで帳尻をあわせようとしがち。
大局を見据えるには
少々のことでは視点が揺るがないような
根を張る必要があるのかも。
そうすれば少しばかりの余裕も
生まれることでしょう。

長生きを望むだけならば欲。
長生きはひとつの結果。
生き延びようとする志は命の源泉かな。

自然であること-1-

2006-06-04 | 心韻-こころの逸話(エピソード)-
自然な状態には隙がないと思います。
隙がないとは破綻がないことでもあるかと。

不自然さがなければ自然なのかしらん。
自然に溶け込むということは
自らの存在を消し去ることとも違うようです。
自然界の調和を乱すような類いの存在感は消し去って、
ただそこに在るとでもいうような状態でしょうか。

翻ってみれば自分はいかに不自然であることか。
自意識も十分すぎるほどに持ち、
他者から認めてもらいたがっているところもあります。
ただ在ることでは不安すぎて
耐えられそうにない心理が働いています。
たぶん肉体的精神的(心理的)にも
さまざまな破綻を抱えているのだと思います。

こうした状態がストレスを
より強く感じてしまうのでしょうし、
ストレスから身を守ることを迫られることで
更にストレスとなる悪循環を起こしてしまいそうです。

たしかに自分をとりまく外的環境との調和をはかることも
ストレスから自分を守ることになるのでしょうが、
同時に自分自身の内的調和を維持管理しようとすることにも
もう少しだけ目を向けてもいいような気がします。

冷静な視線で事象を見つめることは、
感情を調節する上でも欠かせないものかと
思うようになってきました。
どんな時でもなるべく冷静に客観的に
事象をとらえようとする習慣を身につけることで
たとえば冷静さと冷淡との違い、
共感と情に流されたり溺れることとの違い
といったことなどについても、
少しずつ理解できるのかしらと期待してみたり。

情に縛られやすいと言われる日本人が
そのコントロールの仕方を覚えたら、
ストレスなどとも
もう少しうまくつき合えるようになれそうな
気がするからです。

ストレスを感じることは自然なことです。
自然はストレスをも含めた
包括的、総体的なバランスというものを
教えてくれるのだと思います。
事象と感情とを切り離してみることで
わかってくるものもあるような気がしています。

ただ在ることだけに徹してみようとすることにも
意味がないとは言えないのかもしれません。