夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私なりの歴代の邦画のベストテンは・・。

2009-11-29 00:09:12 | 映画・テレビ
前回の洋画と同様に選定した。

『キネマ旬報』ベストテン《参考》1999年10月下旬特別号

①『七人の侍』

②『浮雲』

③『飢餓海峡』

③『東京物語』

⑤『幕末太陽傳』

⑤『羅生門』

⑦『赤い殺意』

⑧『仁義なき戦い』シリーズ

⑧『二十四の瞳』木下恵介

⑩『雨月物語』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『駅 STATION』

②『用心棒』

③『人間の條件(全六部作)』

④『東京物語』

⑤『七人の侍』

⑥『浮雲』

⑦『雨月物語』

⑧『飢餓海峡』

⑨『切腹』

⑩『砂の器』


洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

《2003年8月16日、私の日記より》


こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、
と改めて感じたのである。



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私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。

2009-11-29 00:08:52 | 映画・テレビ
映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだ
オールタイム・ベスト100の外国映画編に対応し、選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』

②『2001年宇宙の旅』

③『ローマの休日』

④『アラビアのロレンス』

⑤『風と共に去りぬ』

⑥『市民ケーン』

⑦『駅馬車』

⑦『禁じられた遊び』

⑦『ゴットファーザー(三部作)』

⑦『道』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

②『ディア・ハンター』

③『イングリュシュ・ペイシェント』

④『ピアノ・レッスン』

⑤『かくも長き不在』

⑥『街の灯』

⑦『ゴットファーザー(三部作)』

⑧『自転車泥棒』

⑨『ジョニーは戦場に行った』

⑩『逢びき』D.リーン

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
酷な作業でした・・。

【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、【第三の男】、【市民ケーン】、【アラビアのロレンス】、
【許されざる者(’92)】、『カサブランカ』等は最後まで検討した作品です。


《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想を
表わす、と改めて思った次第です。




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私の好きな映画、1950、1960年代の制作年度別ベストワン(邦・洋合算)は・・。

2009-11-29 00:08:21 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
【OCN Cafe】でめぐり逢えた映画を真摯に愛し、そしてプロのシナリオ・ライターをめざしている大人の人がいる。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

私は若き頃に映画・文学青年の真似事をした時期もあり、
彼の綴る映画への圧倒的な情熱と持続力、そしてたぐい稀な散文と会話体を読み、
思わず一行ばかりのコメントをときおり書き込んだりしている。


今回、彼が1950、1960年代の制作年度別ベストワン(邦・洋合算)の作品を明示し、
私なりに深く読みながら、思わず喚起されたので、
私のつたない観賞歴から選定しょうと思ったのである。
あくまで、その昔、映画館に通いつめ、今は齢を重ねたひとりの
たわごととご配慮の程を。


1950 『自転車泥棒』(監督・V.シーカ、主演・ランベルト・マジョラーニ)

1951 『イヴの総て』(監督・J.L.マンキヴィっツ、主演・べてぃ・ディヴ

1952 『陽のあたる場所』(監督・J.スティーヴンス、主演・モンゴメリー・クリフト)

1953 『雨月物語』(監督・溝口健二、主演・京マチ子)

1954 『七人の侍』(監督・黒澤 明、主演・三船敏郎)

1955 『浮雲』(監督・成瀬巳喜男、主演・高峰秀子)

1956 『真昼の暗黒』(監督・今井 正、主演・草薙幸二郎)

1957 『道』(監督・F.フェリーニ、主演・ジュリエッタ・マシーナ)

1958 『楢山節考』(監督・木下恵介、主演・田中絹代)

1959 『十二人の怒れる男』(監督・S.ルメット、主演・ヘンリー・フォンダ)


1960 『誓いの休暇』(監督・G.チュフライ、主演・ウラジミール・イワショフ)

1961 『用心棒』(監督・黒澤 明、主演・三船敏郎)

1962 『切腹』(監督・小林正樹、主演・仲代達矢)

1963 『アラビアのロレンス』(監督・D.リーン、主演・ピーター・オトゥール)

1964 『かくも長き不在』(監督・あんり・コルピ、主演・アリダ・ヴァリ)

1965 『赤ひげ』(監督・黒澤 明、主演・三船敏郎)

1966 『ドクトル・ジバコ』(監督・D.リーン、主演・オマー・シャリフ)

1967 『アルジェの戦い』(監督・ジロ・ポンテコルヴォ、主演・ジャン・マルタン)

1968 『2001宇宙の旅』(監督・S.キューブリック、主演・キア・デュリア)

1969 『真夜中のカーボーイ』(監督・J.シュレシンジャー、主演・ダフティン・ホフマン)



満天の星空のような名画の前で、邦画と洋画を合流した上で、
制作年度別に選定したのは、私としては初めてであった。

1時間ばかりで選定したが、結果を見て私らしいと微苦笑している。


尚、かって私は、洋画、邦画別の歴代のベストテンを選定したことがあったので、
今回、この後に再掲載となるが投稿する。


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今宵もNHKテレビの『証言ドキュメント 永田町・権力の興亡』を待ちわびて・・。

2009-11-02 17:00:22 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHKのBSでプロ野球の日本シリーズの第二戦をテレビ観戦をして、
ダルビッシュの病み上がりの奮闘に感動し、日本ハムの勝利で試合が終えた後は、
少しぼんやりとしていた。
そして、テレビ番組表を見ると、
NHK総合で『NHKスペシャル』の番組に於いて、
『証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第1回 1993~1995 “政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏』と題された番組を知り、
私は直ちに放送を見はじめたのである・・。

この夏の終わりより政権交代を果たした民主党の実質最高権力者の小沢一郎氏が、
NHKの単独インタビューに応じて、
『国民のためという目的を持って政権を代える・・それ自体が権力闘争であり政局だ・・』
と断定しながら語る。

解説にあるように、《自民党を飛び出して16年。幾多の権力闘争の末、ついに政権交代を果たした民主党幹事長・小沢一郎・・》

この16年の政治の中核をなした政治家たちに、NHKの単独インタビューし、
それぞれの時代の主要人の貴重な証言を報じた番組である。

私はそれぞれの主要人の評言を視聴しながら、あの政局の時は・・あのような思いで言動されたのか、
と深く教示されたのである。

今回、改めて学んだのは、政治家の証言は書物より、遥かなテレビの場合の方がインパクトがある、
と深く考えさせられたのである。

その当時の映像での言動、そして今日のその人なりの思いが語られ、
画像で重層的に私たちの視聴者に明確に表示されるからである。

今回の三夜に及ぶ連続番組を企画されたNHKスペシャルのスタッフ諸兄姉には、
最近の政治の源泉は自民党の単独政治が長きに続いた後、宮沢政権前後から更に日本の政治の混迷が始まり、
今日に至る軌跡を明確にした最適の手法で描ききったドキメンタリー作品で、
良い企画で適切な時期に制作されたと、政治に疎(うと)い私さえ感じられ、賞賛する。


http://www.nhk.or.jp/special/onair/091101.html
11月1日放映・・証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第1回 1993~1995 “政権交代” 誕生と崩壊の舞台裏


http://www.nhk.or.jp/special/onair/091102.html
11月2日放映・・証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第2回 1996~2000 漂流5年 “数”をめぐる攻防


http://www.nhk.or.jp/special/onair/091103.html
11月3日放映・・証言ドキュメント 永田町・権力の興亡 第3回 2001~2009 小泉 そして 小沢 “民意”をめぐる攻防




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阿川佐和子さんの素敵な笑顔を見れば・・。

2009-10-09 11:44:46 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
朝6時半過ぎに穏やかな秋の陽射しを迎え、ほんやりと読売新聞の朝刊を見ていた・・。

《 台風18号、太平洋上に抜ける 》

と見出しに注視して記事を読んだのである。

《・・
日本列島を縦断して各地に強風被害をもたらした大型の台風18号は8日夕、
東北地方の太平洋側に通り抜けた。

9日未明には暴風域を伴ったまま北海道に接近する見込みで、
気象庁は暴風や高波、大雨に引き続き警戒を呼びかけている。

気象庁によると、大型の台風18号は8日午後10時現在、北海道・襟裳岬の南南東約200キロにあり、時速約50キロで北東に進んでいる。
中心付近の気圧は980ヘクト・パスカルで、最大風速は30メートル、最大瞬間風速は45メートル。

読売新聞の8日午後8時時点の集計では、台風18号の影響による死者は2人。
けが人は111人に上った。
・・》
注)新聞記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091008-OYT1T00903.htm

私は2年ぶりに日本列島を上陸した台風が過ぎ去り、不幸にしてお亡くなわれた方にご冥福、
そして怪我をされた方たちには、大変にお気の毒と思いながら、
これで何とか台風一過となった、と安堵したりしたのである。

この後、ノーベル文学賞を受賞されたドイツの女性作家ミュラーさんの記事を深く精読したのである。

この記事に準じた記事の内容は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されているので、
無断であるが転載させて頂く。

《・・
       ノーベル文学賞に独作家ミュラー氏

        「疎外された人々を描写」

【ストックホルム=林路郎】スウェーデン・アカデミーは8日、
2009年のノーベル文学賞をドイツの女性作家ヘルタ・ミュラーさん(56)に授与すると発表した。

「濃密な詩と、散文の率直さにより、疎外された人々を描写した」ことが授賞理由となった。
賞金は1000万クローナ(約1億3000万円)。授賞式は12月10日に行われる。

ミュラーさんは1953年、ルーマニア西部バナート地方でドイツ系家庭に生まれた。
父親は第2次大戦中、ナチス武装親衛隊で兵役を務め、母親は45年にソ連の収容所に連行された。
ティミショアラ大学でドイツとルーマニアの文学を学ぶ間、
チャウシェスク大統領の独裁に反発し、言論の自由を求める運動に参加。
工場の翻訳者となったが、秘密警察への情報提供を拒んで解雇され、失職。
こうした体験を作品に投影した。

ルーマニアの小さなドイツ系社会における腐敗や不寛容、抑圧などを題材にした短編集「泥沼の世界」を82年に発表。
ルーマニアでは検閲対象となったが、検閲前の版がドイツ語圏で高く評価された。

84年には作風を危険視した当局がミュラーさんの国内での出版活動を禁止。
このため、87年に夫と西独へ移住した。

その後も「緑の梅の土地」(94年)などで独裁下の民衆の窮状を描いた作品を発表。
ヨーロッパ文学賞など多くの文学賞を受賞した。
日本では「狙われたキツネ」(92年)が翻訳されている。

(2009年10月9日 読売新聞)
・・》
注)新聞記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20091009bk01.htm

私はヒットラーの占領下の祖国でご両親の状況、
そして戦後のご自身の軌跡を思い馳せたりすると、まぎれなくそれぞれの時代の歴史に翻弄されなから、
文学作品を結実させた女史を敬意し、このことを本日の投稿内容にしょうかしら、
と30分ぐらい考え込んだのである。


この後、NHKのテレビに於いて、8時35分から【生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ!】という番組の予告で、
本日の出演は阿川佐和子さん、と知ったのである。

阿川佐和子ちゃんであれば、私は何よりも最優先にしょう、とビデオの収録を準備しながら、
テレビ番組を待ち焦がれたのである・・。


私は阿川佐和子さんに関しては、秘かな愛読者のひとりとして、このサイトに於いても投稿している。

2007年12月29日に於いては、
【 阿川佐和子・女史は、対談の達人・・♪ 】
と題して投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
過日、数学者の藤原正彦の対談が掲載されているので、
阿川佐和子の対談集『阿川佐和子の会えばなるほど ~この人に会いたい 6~』(文春文庫)を購入し、
目的の藤原正彦との対談を読み終わった後は、別の本を読んだりしていたのであった。

阿川佐和子女史に関しては、無知な方であるが、
父上の作家・阿川弘之氏の小説、随筆は私なりに愛読し、感銘を受けたりし、
40年が過ぎようとしている。

このような関係で、このお方のお嬢さんか、と思っていたが、少し気になる人である。

過日、阿川弘之、阿川佐和子の両氏に寄る『蛙の子は蛙の子』(ちくま文庫)を6年ぶりに再読したが、
父と娘の往復書簡を精読すれば、育ちの良さ、それなりの教養が感じられ、
私は阿川佐和子女史に好感していた。

今朝、遅い朝食を10時過ぎ時に純米酒を頂いたので、寝室で布団にもぐり、軽い読み物として、
この『合えばなるほど・・』の殆ど未読を読み始めたのである。

衆議院議員の亀井静香との対談は、私は笑い転げ、しばし唖然となった。
あたかも漫才のような対談であったが、
漫才の世界であったならば、これ以上絶妙なコンビはない、と確信させられるほどである。

その後、野球の中日ドラゴンズ監督の落合博満、
角川春樹事務所特別顧問の角川春樹の両氏との対談を読んだりしたが、
阿川佐和子女史は紛(まぎ)れもなく、対談の達人である、と確信を深めたのである。

会話のはずみ、あいづちの微妙さは天性かしら、と感じたが、
この人なりの素養、感性、そして感覚のなせることだと判り、
『週間文春』で連載が700回を突破し好評の秘密が理解出来たのである。
・・】


この少し前の2007年11月10日に於いては、
【 晩秋の読書、旅先では 】と題して投稿していた。

【・・
東京の郊外は、小雨が降り続けている。
昨夜、9時過ぎから降りだし、明日の夕方まで降り、
世間の人々はお忙しい方が多いと思われるので、天上の気候の神々は少し安息されたら、いかがでしょう、
と私なりに感じたりしているのである。

私は年金生活の身であるが、日常から読書が第一趣味なので、
何かと活字に目にするのが忙しいのである。

過日の沖縄旅行の時も、寝しなに本がないと眠れない習慣となって、2冊の文庫本を持参して行った。
阿川弘之・著の『女王陛下の阿房船』(講談社文庫)、
阿川弘之、阿川佐和子・共著の『蛙の子は蛙の子 ~父と娘の往復書簡~』(ちくま文庫)の二冊である。

いずれも再読の2冊であるが、
前書からは、豪華客船の船旅から文化を学び、
あとの一冊からは父から娘、娘から父への想いが真摯に綴られている。
そして父の阿川弘之氏は、戦後の文学風潮の中、
小説家としての自己の文学の悩みなど発露されたりしている。

敗戦後から平成の8年までの、単なる家族関係でなく、
社会風潮も根底に秘められて折、私なりに学ぶことが多いのである。

尚、父は1920年(大正9年)、
娘は1953年(昭和28年)生まれであるので、
この世代の方には、より一層それぞれの思いも共感できる、と私は確信したりしている。
・・】


このような思いが少なくともあるので、番組を視聴したのである。

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-10-09&ch=21&eid=1887
生活ほっとモーニング「この人にトキメキっ! 阿川佐和子」



阿川佐和子さんが大学を卒業後、人生に彷徨(さまよい)いながら、
テレビの副司会者として起用されたのは父上の阿川弘之氏からの親の七光り、
その後は筑紫哲也氏などの番組の副司会者として出演でき、親の七光り・・
ですから親の14光り、かしら、と発言されたりし、
私はこのお方の感性に魅了されたのである。

もとより阿川佐和子さんはが多くのエッセイ、小説を発表されているが、
初期の頃は父上・阿川弘之氏の文章の手ほどきを受けたりし、
その後も文章を綴ることの労苦を味わっていたのである。

今回の番組の上で、父が母と子供4人を筆1本で家族を養ったこと、
感謝しながら阿川佐和子さんの感覚で発言されて、
改めて私は阿川佐和子さんのこれまでの軌跡を思い重ね、
この方の素敵な言葉、笑顔、しぐさに私は魅了され増したのである・。




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改めて、私が映画を観はじめた頃・・♪

2009-08-16 11:30:58 | 映画・テレビ
私は東京の郊外の調布市で、昭和19年の秋に農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父は、長兄、そして次兄が生まれ、三番目は女の子を期待していたらしく、
三番目も男の子かと戸惑っていたと思われる。
そして私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は何となくいじけた可愛いげのない子であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、昭和26年の春に小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた64歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、幼児なりに記憶があった。

私が小学校の4年頃になると、
映画館にひとりで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画の入場料が子供40円で、電車の往復は10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったので、たびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を二本立てで上映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は大人の人すぎて興味がなかったが、
若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
中学、高校も相変わらず映画館に通いつめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。



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映画『シェーン』の私なりの想いで・・。

2009-07-01 10:30:31 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日の日中は、宮崎市定・著の『大唐帝国 ~中国の中世』(中公文庫)を読んだりし、
中国の後漢の頃から唐の滅亡までの興亡を描いた本書に深く感銘を受けたのである。
宮崎市定氏はもとより中国の社会、経済、制度史の専攻されたお方なので、
それぞれの時代の諸国の状況が克明に生き生きと綴られて、
私は多々教示を学んだりしていた。

こうした余韻の中で、ぼんやりと夕刊を読んでいた時、
テレビ欄でNHKのBS2に於いて、映画の『シェーン』が放映されると知り、
視聴するか、少し迷ったのである。

この作品はジョージ・スティーヴンス 監督の昭和28(1953)年であり、
私は後年の高校時代の終りの頃にリバイバル興行として、映画館で初めて観たひとりである。

この作品が日本で初めて上映された昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた。
ニュース、予告編、本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかなカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。

こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』の唄声が流れ、
本編に期待を膨らましながら、少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。

http://www.youtube.com/watch?v=dFuGwPfK37I
注)あの頃の原曲はなく、『雪村いづみ ヒットメドレー1998』を流用。


後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。

その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに魅了されたりした。

この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていたs


昨夜、テレビを通して、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。

もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、あの昭和28(1953)年の少し前に、アメリカであのような西部劇が制作されたことに思いを重ねたりしたのである。

私は、ジョージ・スティーヴンスの遺された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。



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改めて、季節で変わる、映画鑑賞・・。  

2009-06-27 07:53:47 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
若き時期のひととき映画青年の真似事をしたこともあったので、
昨今は居間で映画を観たりするのは好きである。

そして私なりのつたない鑑賞歴でも、魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

例えば邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。

洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等は、10年ごとに観たりしている。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』などが鮮明に記憶に残っている。


私は定年退職の5年前頃に、退職後にその時に観たい映画として、
100作品前後の名作があればよいと考えていたが、
瞬(またた)く間に増えだした・・。
やむえず、250本収納できるビデオ・ラックを2本買い求め万全とした。

しかし、時代はビデオ・テープからDVDに移行期の上、
私のソフト販売店からの購入、或いはWOWOW、BS2からのコピーが増えて、
天上までとどく、幅広い大きなラックを買い増ましたのである。

そして今日は、邦画、洋画、映画以外のドキュメンタリー、音楽の四つの区分で、
ビデオ・テープ、DVDが並んでいる。


私はその時に観たい映画作品をラックの前で選定したりするが、
何故かしら、やはり季節に応じて観てしまうのである。

冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなるのである。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなるのである。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景は、
暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。

このようにして私は鑑賞しているが、
1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。
そしてここ数年、ハイビジョン映像をHD画質のままで記録できるBlu-rayに戸惑い、
身過ぎ世過ぎの年金生活なので、困ったなぁ、と苦笑している。


尚、私のつたないなりの観賞歴であるが、私はベストテンを勝手に選定している。
このサイトで2005年7月30日に於いて投稿しているが、
あえて再掲載をする。


【私の洋画のベストテン・・♪】

映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだ
オールタイム・ベスト100の外国映画編に対応し、選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』

②『2001年宇宙の旅』

③『ローマの休日』

④『アラビアのロレンス』

⑤『風と共に去りぬ』

⑥『市民ケーン』

⑦『駅馬車』

⑦『禁じられた遊び』

⑦『ゴットファーザー(三部作)』

⑦『道』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』

②『ディア・ハンター』

③『イングリュシュ・ペイシェント』

④『ピアノ・レッスン』

⑤『かくも長き不在』

⑥『街の灯』

⑦『ゴットファーザー(三部作)』

⑧『自転車泥棒』

⑨『ジョニーは戦場に行った』

⑩『逢びき』D.リーン

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、
酷な作業でした・・。

【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、【第三の男】、【市民ケーン】、【アラビアのロレンス】、
【許されざる者(’92)】、『カサブランカ』等は最後まで検討した作品です。


《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想を
表わす、と改めて思った次第です。



【私の邦画のベストテン・・♪ 】

前回の洋画と同様に選定した。

『キネマ旬報』ベストテン《参考》1999年10月下旬特別号

①『七人の侍』

②『浮雲』

③『飢餓海峡』

③『東京物語』

⑤『幕末太陽傳』

⑤『羅生門』

⑦『赤い殺意』

⑧『仁義なき戦い』シリーズ

⑧『二十四の瞳』木下恵介

⑩『雨月物語』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『駅 STATION』

②『用心棒』

③『人間の條件(全六部作)』

④『東京物語』

⑤『七人の侍』

⑥『浮雲』

⑦『雨月物語』

⑧『飢餓海峡』

⑨『切腹』

⑩『砂の器』


洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

《2003年8月16日、私の日記より》


こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、
と改めて感じました。



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思いがけずに、映画雑誌『世界の映画ベスト・セレクション』にめぐり逢え・・♪

2009-03-25 16:02:44 | 映画・テレビ
私は東京郊外に住む64歳の年金生活の身であるが、
午後より雨が予測されていたので、午前中に買物に出かけようと、
玄関先に立った時、早くも小雨が降りだして、
やむ得ず傘を差して、最寄のスーパーに向かった・・。

スーパーの2階の一角に、『本のバーゲン』と明示された臨時のコーナーがあり、
私は何気なしに寄ったのである。
各分野の色々な本がある中で、
ひとつの雑誌に目が留まったのである・・。

『~ファンの心ときめかせた~ 世界の映画ベスト・セレクション』と題された映画雑誌であり、
SCREEN特別編集で、近代映画社が発行し、平成11(1999)年10月10日発行と明記されていた。

そして本の帯には、
  【映画ファンが半世紀の名作の中から
           選んだベスト・ムービーを
               440枚の写真で構成したビジュアル豪華本!】
と掲示されていた。

私は手に取り、パラパラとページを捲(めく)ると、
1955年度~1998年度までの40年間に於いて、
それぞれの年度の『読書の選ぶベストテン』と『批評家のベストテン』が掲載され、
それに伴う解説、写真が明示されていたのである。
解説も映画評論家の渡辺祥子・女史であり、信頼できる批評をされるお方なので、
良い本にめぐり逢えた思いであった。


私は東京オリンピックが開催された頃は、
大学を中退し、映画、文学青年の真似事をしていた時代であった。
この頃の私は、映画雑誌としては『キネマ旬報』を熱愛し、
過去の作品批評、シナリオ等も読みたくて、
神田街の古本屋などを中心に古本屋で買い求めたりしていた。

そして、洋画の雑誌として『SCREEN』は知っていたが、
あくまで映画ファンの軽い企画の雑誌であったので、
私は購読に値がしないと確信していたのである。


私は20代のなかば、映画・文学青年の真似事を断念して、
映画研究を持続する友人に、『キネマ旬報』を初めとするなどの本を、
30冊を手元に置いた以外、千冊前後を寄贈したのである。

そして、私は民間会社に中途入社し、
定年の7年前頃から、『キネマ旬報』の増刊号、特別号などを買い求めたりしている。
これと共に、定年後はゆっくりと居間で映画鑑賞をしょうと、
ビデオ・テープ、DVDなどをテレビのWOWOW、NHK衛星放送から収録したり、
或いは販売店で買い求めたりし、現在は千作品ぐらいは所有となったりしている。


このような過去の映画ファンの拙(つたな)い身となった私は、
映画雑誌の中で、時系列として編集された本は、
『1946~1996 キネマ旬報ベストテン全史』だけであるので、
新たに『~ファンの心ときめかせた~ 世界の映画ベスト・セレクション』が加わり、
微笑みながら懐かしげの作品の解説などを読んだりしている。


尚、本日入手した映画雑誌は、定価は本体3700円+税と記載され、
その横に1470円(税込)とシールが貼られていた。
私が想像すれば、書店からの返品か、卸店の在庫過剰分かと推測するが、
新刊本のような小奇麗な本が、半額以下で購入できたので、
私は雨の中、買物に行き、偶然に入手できたのは、天からの贈り物、
と思ったりしている。



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今宵は、ドラマ『そうか、もう君はいないのか』・・♪

2009-01-12 19:39:48 | 映画・テレビ
亡き作家の城山三郎氏の生前このご夫妻の情愛を描くテレビ・ドラマが、
今宵の9時過ぎからTBSで放映されると知ったのは、
過日7日の読売新聞の夕刊であった。

http://www.tbs.co.jp/mou-kimiwa/

私は日頃から、城山三郎氏の遺された小説、特に随筆に感銘を受けて、
敬愛しているひとりであるので、
ドラマは脚色が多いと思われるが、視聴しようかしらと思ったりしている。


私もたびたび城山三郎氏に関しては綴っているが、
【齢を重ねると、深化するか、或いは退廃か・・♪】と題して、
このサイトに私自身の誕生日記念に投稿しているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は恥ずかしながら、満64歳の誕生日を迎えた。

私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後、
残された人生の日々を自身の趣味で過ごしたく、
年金生活とした。

数多くの人たちと同様に多忙だった現役時代であったので、
せめて人生の後半戦ぐらいは、読書と散策などをし、
ときには国内旅行で各地の四季折々の情景に心を寄せれば、
本望かしらと思っていた。

そして、私の何よりの望みは、こうした日常生活をし、
心の発露として散文を綴ることである。

幸い退職後まもなくして、ブログの世界を知り、
四つばかりのサイトに書き散らかしてきた。


私の根底には、退職後の1年を過ぎた頃、
作家・城山三郎氏の『無所属の時間に生きる』の随筆集を読んでいた時、
『この日、この空、この私』の一節を教訓としている。

【・・

人生の持ち時間に大差はない。
問題はいかに深く生きるか、である。
深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
その人の人生は豊かなものにも、貧しいものになるし、
深く生きるためには、ただ受け身なだけでなく、
あえて挑むとか、打って出ることも、
肝要となろう。

・・】


年金生活の4年生の身であるが、
果たして振り返った時、私自身は深化したか、
或いは身体の衰えに甘えて、退廃したか解からない。

私は先ほど、自身の過去に綴った投稿文を読み返していたりしたが、
この人生に微笑みをと、微苦笑するしかないのである。

・・】



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遅ればせても、良質のテレビ番組を見逃して・・!?

2008-12-16 08:18:03 | 映画・テレビ
私は年金生活の5年生の64歳の身であり、
テレビに関しては殆どNHKのニュース、ドキメンタリー番組を視聴する
程度である。

昨夜、居間で家内がテレビを視聴していたが、
私はネットでこのサイトを開き、
いつも愛読している方のサイトを読んだりしていたのである。

そして、しばらくすると私は、
テレビから、亡くなわれた筑紫哲也氏の声が聴こえて、
私はテレビに目を転じたのである。

何か広島の原爆投下に関しての番組だと、解かったが、
民間テレビ放送だから、余り深く掘り下げられてドキュメンタリー番組、
と思ったりしたが、
この後は遅ればせながら、テレビの放映されている番組を視聴したのである。

私は日頃から歴史書、現代史の書物を濫読しているが、
観ているうちに良質な番組と感じたのである。

家内は寝室で、番組の続きを観ると去った後も、
私もしばらくすると暖かな布団でゆっくりと観るのも良し、
と思い布団にもぐり、番組の続きを観ていたが、
殆ど私なりに学んできたことあったが、改めて心の検証にしょう、
と観ていたのである・・。

しかし、ポッタム宣言シーンぐらいの頃から、
私は眠ってしまったのである・・。


今朝、朝6時に昨夜の夕刊で、
テレビ番組表を見て、TBSテレビで夜の9時から11時半近くまで、
『ヒロシマ 
あの時、原爆投下は止められた
いま明らかになる悲劇の真実』
と解かったのである。

そして、私はネットで検索して、
このテレビ番組を改めて知ったりしたのである。

http://www.tbs.co.jp/sengo60sp/index-j.html

私は遅ればせながら、番組の大半は観たが、肝要の序盤と後半を
見逃してしまい、
最初に放映された2005年8月5日にも無知であったし、
少しボケた上、体力は衰えたのである。


東京オリンピックが開催された頃、
私は池袋の『人生座』の映画館で、
オールナイトで上映された『人間の條件』を何度も観たりした。

そして40代でも情報部門で奮闘し、徹夜勤務も耐えられたり。
50代でも15時間勤務も幾年かあったが、
私は年金生活で安住しすぎたせいか、体力の衰えを感じたりしたのである。



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山田太一・脚本の『いちばん綺麗なとき』を視聴して・・♪

2008-11-02 09:43:35 | 映画・テレビ
昨日の10時過ぎにNHKで、アーカイブスの番組に於いて、
山田太一氏に寄るドラマ『いちばん綺麗なとき』をテレビの番組表で見て、
視聴したのである。

私はテレビドラマを余り観る方ではないが、
倉本 聰、向田邦子、山田太一の各3氏に限り、ときおり観たりしている。
そして魅了されたドラマは、ビデオテープに録画し、
年に一度ぐらい視聴したりしている。

今回の作品は、NHKで平成11年(1999年)に放映されたと知り、
私は無念ながら、現役時代の多忙期であったので、
見逃した作品のひとつである。

解説にあるように、

■NHKドラマ館「いちばん綺麗なとき」(74分)1999年放送
出演者: 八千草薫、加藤治子、夏八木勲、多田木亮佑、中島ゆかり
演 出: 伊豫田静弘
音 楽: 福井峻
制作統括: 竹内豊

であり、私は八千草 薫、加藤治子の両女史を観たくて、
視聴したのである。

http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2008/h081101.html


主人を亡くなり未亡人となった役の八千草 薫、
主人の姉の加藤治子がドラマの主軸とし、
亡くなった主人が生前の時に交際していた女性、
この女性は亡くなっているが、この主人の役に夏八木 勲が登場し、
八千草 薫に接近し、
ドラマはこの3人模様で展開する。

そして八千草 薫が扮する息子家族との住宅問題を加味させて、
社会と家族との問題も的確に表示させている。

ドラマの最後に、八千草 薫、加藤治子の両女史の、
若き日の写真を登場させているが、
私はドラマの進行からして、想像していたので、
やはりね、と微笑んだりした。

ドラマの構成は、山田太一さんの確かな力量で、
まぎれなく女性の60代の心情が的確に表現できた稀(まれ)な作品で、
こうしたドラマこそは、『文化の日』に放映して欲しかった、
と余計なことを思ったりしたのである。

そして、八千草 薫、加藤治子の両女史の表情、しぐさは、
改めてこの人しか表現できない好演技をして折、
私も圧倒されながら魅了を深めたひとりである。



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改めて、映画『砂の器』の脚本について

2008-10-29 18:58:10 | 映画・テレビ
私は昨夜、映画の『砂の器』を自宅の居間で、鑑賞し、
このサイトに於いて、【秋の夜長は、映画『砂の器』、『エビータ』鑑賞となり・・♪】
と題して、私はあるサイトにも投稿したのである。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

このお方から、即急にログ・メッセージを頂き、私は驚きながら、
微笑んだのである・・。

【『砂の器』 遍路シーンは原作では僅か数行なんですよね・・。】

私は齢を重ねた64歳の年金生活をしている身であり、
ブログ、ブログに準じたサイトを四つばかりさまよい、
現在は2つのサイトに加入している。

このお方のサイトを偶然に知ったのは、昨年の夏で、
独創性のある文体で、ほとばしるような感覚で映画への熱意が感じられて、
私は瞬時に好感したのである。

もっとも彼は30代のなかばと思われるが、
このくらいの感性がなければ、個性ある文章を綴れない、
と確固たる自信と熱情があふれ、私は羨望したりしたのである。

かって私はシナリオ・ライターにあこがれ、
大学を中退後、習作などし映画青年の真似事をした時期があり、
はかなくも挫折した体験もあるので、
彼の勢いのある熱意を認め、将来に映画専門誌の『キネマ旬報』で、
『日本映画 脚本賞』を獲得して欲しい、と祈願したりしたのである。

そしてときおり、私が拙(つたな)い映画の作品などに関して投稿した後、
余りにも正鵠な寸評を頂き、分かる人には分かる・・
と強く共感したりしたのである。


今回の彼からのメッセージで明示された通り、
『砂の器』の脚本は、原作・松本清張と余りにもかけ離れている。

私は高校生の頃から、原作の小説と映画になった作品と
比較するが、言霊になされる活字の小説の表現と
スクリーンの画面から表現される総意の映画作品とは違う世界と
確信しているひとりである。

しかし、結果として、感動し感銘を受けたのは比較してもよい、
と信じているのである。

こうした状況から、原作より想像を超えた脚本は余りないが、
この『砂の器』に関し、私は驚嘆したのである。

こうした思いを以前、このサイトに【創作者の人々に敬意を・・♪】と題し、
2006年12月3日で投稿したが、今も変わらない思いでいるので、
あえて再掲載をする。


【・・
私は大学を中退し、映画青年の真似事をしていた時もあった。
昭和44年(1969年)前後までは、小学生以来、よく映画を観たひとりである。

私は映画の基盤となる脚本家に於いては、橋本 忍・氏が最も好きな方である。
『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『生きものの記録』、『真昼の暗黒』、『蜘蛛巣城』、『張込み』、
『隠し砦の三悪人』、『私は貝になりたい』、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、『悪い奴ほどよく眠る』、
『ゼロの焦点』、『切腹』、『白と黒』、『霧の旗』、『白い巨塔』、『拝領妻始末』、『日本でいちばん長い日』、
『砂の器』、『八甲田山』等の作品が浮かんでくる・・。

昨日の読売新聞に於いて、【時代の証言者】として、
この1週間、《喜劇監督 山田洋次》が連載されている。

私は山田洋次・氏の監督として作品は、余り観ていないので方である。
『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』、『霧の旗』、『幸福の黄色いハンカチ』、『遥かなる山の呼び声』、
『キネマの天地』、『たそがれ清兵衛』等であり、
『男はつらいよ・・』のシリーズは苦手なの数本観たが、忘れてしまった。

このように山田監督の作品に関しては、評価は出来ない立場であるが、
脚本家としては優秀な作品を観ているので、
この連載は私の興味となっている。

それにしても、この読売新聞の担当記者、山田洋次の前に喜劇監督と称されているが、
不勉強も甚(はなは)だしい、と思っている。

昨日のこの連載に於いて、山田洋次・氏が『砂の器』の脚本、映画までの完成を語っていた。

私は何かしらで読んだり、観たりしているが、
山田洋次・氏の証言は創作の秘密を明言されているので、
この人の高潔さを感じたりした。

新聞記事を無断であるが、あえて転記させて頂きます。


『ゼロの焦点』に続いて、1962年(昭和37年)頃、
野村芳太郎さんが監督する『砂の器』の脚本作りに、
再び橋本 忍さんと取り組みました。
公開は1974年ですが、脚本は10年以上前に出来ていたんです。

松本清張の原作は、話が入り組み過ぎていて、とても映画になりそうもない。
『これは無理ですよ』
と言うと、
橋本さんは、『その通りなんだ』
とにやにや笑い、
『でも、ひとつだけ方法がある』
と言って本を開きました。
それには、捜査会議で刑事がハンセン病の男と息子の足取りを語る場面に、
赤鉛筆で傍線が引いてありました。

『追われるように古里を出、島根県の亀嵩(かめだけ)に現れる。
その間どこに回ったかは、この親子にしか分からない。
この分からない、というところを絵にするんだ』。
物乞いをしてこの国のあちこちを回り、
どんな目にあったか。
どんなにつらかったか。
それをクライマックスにして物語を作っていくということです。

捜査会議が再開されたのが、犯人の新曲発表コンサートの晴れの日。
刑事が話し始めたところで音楽が始まる。
その音楽に乗せて、親子の旅の回想がはさまれる。
『どうだ、良いだろう』
と橋本さんは自分の発想にとても興奮し、
すぐに旅館を押えてくれ、
と言いました。
夜を日に継いで、仕事を進めたかったんですね。

その時は、横15センチ、縦10センチくらいのカードに、
場面を書いていました。
いらないものは捨て、必要なら挿入する。

最近カードで整理する、というのははやりましたが、
橋本さんは40年以上前に実践していた。
ものすごい勢いで橋本さんがカードに書き込み、
それを僕が原稿用紙に写す。
10日か2週間くらいで、完成しました。

親子があちこち行く場面は、僕が考えました。
村の子供にいじめられるとか、
小学校の校庭をじっと見つめているとか、
橋の下で親子で楽しそうに食事しているとか。

でも、真冬の雪の中は書いていません。
あの場面は野村さんが加えたのです。
物乞いの人達は、寒い時に北には行きません。
でも野村さんはあえて、親子に酷寒の青森県・竜飛岬を歩かせた。
それが映像的な緊張感、過酷さを描き出し、
あの映画の象徴となっています。

それにしても、企画が中断しても10年以上あきらめず、
ついに実現させた野村さんの執念には頭が下がりますね。


以上、無断であるが記事を転記させて頂きました。
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。



私は脚本が完成されてから、作品の完成までは、
色々と映画専門雑誌、新聞記事などで読んで折、
松竹が暗い映画だと短絡的に判断し、中々製作の許可がならなかった、と読んだりしていた。

監督の野村芳太郎・氏は、作家の松本清張の原作の映画化を数多くして折、
『霧プロダクション』を設立し、製作、監督を数々を行った人である。

この『砂の器』は、橋本 忍・氏が映画完成にやまれず、
ご自分のプロダクションを設立し、資金を投じて、製作も兼ねている。

私は改めて山田洋次・氏の証言を読んで、
原作の松本清張があるにしろ、
創作され、完成までの秘話を話された山田洋次には、
清々しさを受けている。

脚本の共同著作の場合、あるお方達は僕の発想みたいに語る人が、
余りに多いからである。

この映画が完成され、原作者の松本清張・氏は、
『小説より、この映画の方がはるかに優れている』
と私は読んだことがある。

この映画に関しては、橋本 忍、山田洋次、野村芳太郎、
そして撮影の川又 、作曲、演奏の菅野光亮・・等の結晶で、
私達に感銘を与えてくれた有数な名画と感じている。

私は創作に携わる人々に敬意しているが、
今回の『砂の器』の映画には、特にこの思いが強い。

・・】


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秋の夜長は、映画『砂の器』、『エビータ』鑑賞となり・・♪

2008-10-29 09:24:10 | 映画・テレビ
私は読書を最優先としているが、映画を居間で鑑賞するのも好きである。
26日の日曜日の夜は、野村芳太郎・監督の『砂の器』を
ビデオ・DVDの棚から取り出して、秋の夜長に鑑賞したりした。

この映画は、1974年秋に上映された作品であるが、
脚本家の橋本 忍さんが、あえて自身でプロダクションを設立し、
制作された執念の力作であるので、
私はサラリーマンの多忙な時、久々に映画館で観た作品でもある。

そして、『宿命』と題されたオリジナル。サウンド・トラックの
レコードを買い求め、擦り切れるほど聴き惚れて、
その後は、CDとして保有し、ときおり聴いたりしている。

肝要な作品は、DVD化された折、私は小躍りし、
ビデオ・DVD販売店に立ち寄り、買い求め、
自宅の居間で10数回鑑賞している。

私は東京オリンピックの頃に、『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』、『切腹』等のシナリオを読み、
脚本家の橋本 忍を神様のようにあがめ、
絶賛し、心酔しながら、名画座が通ったりしていた時期もあった。

私が結婚する前、家内と交際期間中に、
少なくとも『砂の器』を観なきゃ、私と言葉がはずまない、
と映画館に連れて行き、鑑賞した作品でもある。


昨夜は、『エビータ』を鑑賞したが、
この作品に関しては、たびたびこのサイトで綴っている。

9月7日に於いて、【改めて、『エビータ』のマドンナ・・♪】と題して、
投稿したりしている。
【・・
2005年2月上旬に、【『エビータ』は感動しました・・。】
投稿したのである・・

昨日の読売新聞の夕刊、エンターティンメントの中で、
劇団四季『エビータ』が7年ぶりに東京公演、という記事が載っていた。

現代のモーツァルトと言われる作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの最高傑作が、
東京で7年ぶりに上演決定。

現在上演中の『キャッツ』、『オペラ座の怪人』と併せて、
劇団四季史上初のロイド=ウェバー作品1都市3作同時公演が実現する。

アルゼンチンの伝説の大統領夫人の短くも激しい生涯を描いた感動作で、
今回は、演出、衣装、装置を一新して、さらにスケールアップしての上演となる。

という記事が載っていた。


私は、舞台は解からないが、映画で感動したのを覚えている。

1996年のアラン・パーカー監督の『エビータ』である。
本来、ミュージカル映画が嫌いであるが、この監督は私をねじ伏せてくれた。

完成まで監督候補はハーバート・ロス、リチャード・アッテンボロー、フランシス・F・コッポラ等の7人、
主役はメリル・ストリープ、ライザ・ミネリ等7人となったという。

最初、首都の大通りをエビータの葬儀で始まる・・
映像美と音楽でアラン・パーカーは期待された重責を押しのけ、
最良の演出を与えてくれた・・。

主役のマドンナは、民衆の前で大統領の官邸のバルコニーから、
民衆に呼びかける『泣かないでアルゼンチーナ』を歌う。
涙なくして視られないシーンである。

この映画はアラン・パーカーとマドンナの最良な面がでている。
他の方が担当しても、これ以上の作品は作れない。


余談であるが、私はメリル・ストリープの大ファンであるが、
この映画はマドンナが最適である。
歌手として、私はマドンナには余り感心を持っていなかったが、
見直したのである。


マドンナは、ローマで熱狂的な歓迎の中、
エビータについてこう語った、と語りづかれている・・。

『エバはアルゼンチンの労働者階級にとって聖母であり、
救世主として崇拝された。
でも一方で、女性の武器を使って次々に野心を満たしたのも事実。

私が彼女を演じたかったのは、
人々が作り出した偶像としてのイメージをだれよりも理解でき、
生身の人間である彼女の意志の強さ、
もろさをスクリーンで体現できると思ったからなの』

そして才女らしく、
『自分が何かをなすべき者てある
という運命を予感していた彼女に強く共感したのであって、
私自身の歩みが彼女に似ているからではなかったわ・・』

私はマドンナの理性に感服したのである。

・・】


そして、【昨夜、思わず『エビータ』の名曲を聴き・・♪】と題し、
この前日に投稿したりしている。

【・・
今、私が読んでいる本は、
山崎洋子・女史の『「伝説」になった女たち』を再読している。

この本は、1990年に刊行され、私が本屋で文庫本になったのを偶然目にとまり、
購入したのが1994年であった。

早朝、アナスタシア、エヴァ・ペロン等を読んで、
改めて山崎洋子・女史の著名人の心理の深層を的確に表現されていると思った。

若い女性で上昇志向のお持ちのお方に、
ぜひ一読してほしい、とも思っている。


アナスタシアに関しての映画化は、
イングリット・バークマン主演の『追想』(1956年)がある。

エヴァ・ペロンには、マドンナ主演の『エビータ』(1996年)がある。

共に感動力作であり、私さえ涙を流した作品である。

この伝説となったお2人の方を更に深める為、
ときには映画鑑賞も良いかな、と思っている。

尚、マドンナに興味のなかった私は、
この映画を観て、マドンナの魅力を遅ればせながら気付いた。

今は、『エビータ』の中の代表曲、
【Don’t Cry For Me Argentina】を聴いているが、
涙なくして聴けない名曲である。



このように投稿したのであるが、
私は歌手のマドンナへの評価を良い意味で変えた、
そしてマドンナがこのエヴァ・ペロンの人生観を深く見つめ、
私はマドンナの評価を讃(たた)えたひとりであり・・・
以前にもこのようなことも・・投稿文に綴ったことがある。

尚、ミージュカル映画が苦手な私は、
この作品『エビータ』だけは例外で、少なくとも数10回観たりしている。

・・】


昨夜、改めて感じたことは、
国家が動乱の時でも、人々は情念に支(ささ)えられて生きている、
と思ったのである。

余談であるが、この映画を鑑賞した時、衆議員の小池百合子・女史を
思い浮かべてしまったのである。
二世議員がはびこる今日、小池百合子・女史は、
言動に賛否両論があるが、独り一代で築きあげたのである。
そして、小池百合子・女史は、この映画をご覧になったか、
と余計なことを思ったりしたのである。





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昨夜、NHKドラマ『帽子』を視聴し・・。

2008-10-11 08:00:22 | 映画・テレビ
昨夜の10時より、NHK総合でドラマ『帽子』を視聴した。

私は齢を重ねた64歳の身であるが、
テレビ番組表を新聞で読んで、

【緒形 拳さんを偲んで
   特集ドラマ「帽子」
 老いた帽子職人と若き警備員の旅路・緒形 拳が伝える生きる誇りとは】

と明記された後、
池端俊策・作 
緒形 拳、玉山鉄二 岸部一徳、山本晋也 田中裕子ほか
と記載されていた。

私は俳優・緒形 拳に関しては、
余り映画やテレビのドラマで観ていなかったが、
俳優・三国連太郎と同様に、稀(まれ)な存在感のある俳優の人と感じていたので、
最近、亡くなわれたと知り、ご冥福を祈りながら、
まぎれない名優を偲ぶという心情でテレビ・ドラマを視聴したのである・・。


ドラマを視聴し、初めて感じたことは、衰退した帽子店、商店街の中で、
帽子職人の日常、そして回想シーンが巧く進行されて、
シナリオの内容といい、構成が的確で、このドラマを書かれた人に、
好感しながら、生きる誇りのテーマよりも、
むしろ広島の被爆された人々への魂(たましい)の救済のドラマ、
と感じたのである。

これまで小説、映画、テレビ・ドラマに於いて、
広島の被爆にまつわる数多くの作品が発表されているが、
静謐な面から表現された作品としては、
群を抜く作品であるとさえ、絶賛したのである。

そして、シナリオを書かれた池端俊策を
無知な私は初めて知り、今後はこのお方の作品に注視しょう、と思ったのである。

私ぐらいの年齢になると、出逢える人より、
亡くなわれたりし別れの方が多いので、
偶然に観たドラマを通し、優れた作品を書かれた池端俊策に出逢えたのが、
無上の喜びを感じたのである。

緒形 拳が扮する帽子職人の表情、しぐさに関して、
亡くなった俳優・宇野重吉が亡くなる10年前頃にテレビドラマを観て、
重ねながらも注視していたのであるが、
やはり緒形 拳しか演じことの出来ない役柄と深く感じたのである。

特に若き警備員と共に上京する新幹線の車中、
洗面所で何気なしに鏡を見るシーンの表情・・
このひとつとっても、やはり緒方 拳の最も優れた表現力と
確信したのである。

出演された田中裕子、岸部一徳の両氏は、相変わらず巧いし、
以外にも山本晋也も好演技をされ驚いたのである。
何より好感したのは、私としては無知だった若き俳優・玉山鉄二であった。


この後、私はネットでNHKの番組表を検索し、
『帽子』サイトで、池端俊策の概歴を読み、数多くの優れた作品を発表されたことを知り、
私は思わず赤面したのであった。

http://www.nhk.or.jp/hiroshima/eighty/boushi/

尚、この後にNHK総合として、深夜に、
『追悼~名優・緒形 拳さん逝く』と題され、
俳優・津川雅彦、作家・池端俊策、俳優・緒形幹人、緒形直人が
出演されたのを視聴し、
名優・緒形 拳と監督・今村昌平の助監督をしていた池端俊策との出会い、
その後の真摯な交遊のエピソードを学んだのである。


今朝、東京の郊外は小雨が降る静寂な朝となっているが、
金木犀は満開となり、たわわな橙黄色の小花は、
周辺まで香り、そして匂いを漂(ただよ)わせ、
樹元の周囲は黒土の上で、こぼれた橙黄色の小花が彩(いろど)っていた・・。

こうした情景を見つめていると、
金木犀の香りは死者を偲ぶ愛惜感に相応しいと強く感じながら、
遺(のこ)された数々のシーンを想い浮べ、俳優・緒形 拳のご冥福を祈ったりしている。



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