私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先程、本棚を見ていたら、単行本が並列に並べた上に、
気になった雑誌を6冊を載せていたので、この中の一冊をどうして保存していたのかしら、
と思いながら手に取ったりした。
中間小説の月刊誌の『小説新潮』で、2008年11月号であったが、
特集として『鉄道百景』であり、今は亡き紀行作家の宮脇俊三さんの単行本未収録短編2編が
掲載されていたので、
私は保存していた、と私は解った。
そして何故かしら、栞(しおり)が本書の中に入っていたので、
このページを開いたのである。
この当時鉄道紀行作家として溌剌としていた酒井順子さんが『こだま号の女』と題し、
東京から博多までをこだまを乗り継いでスロー旅の紀行文であった。
この中に、私が赤マジックで罫線を引いていた。
この綴りの中で、豊橋に停車した後、三河安城を過ぎると、
《 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 》
とセロテープを製造されているニチバンの工場に巨大な看板が観える、
と綴られていたのである。
この箇所を私は赤マジックで罫線を引いていた。
私は3年ぶりぐらいで罫線の文を再読したのであるが、
人生の苦楽をさりげなく込められたコピー文・・
巧(うま)いなぁ、と瞬時に感心し、まぎれなく名コピーと思ったりした。
そして、社内の企業コピーの応募コンクールに於いて、
この工場に勤めいる男性社員が、人生の苦楽が解かりはじめた方が発想されたのかしら、
その上で、感性のある会社の首脳部のひとりが、認定されたのかしら、
と高齢者2年生の私は微笑みながら、感じたのである。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

にほんブログ村
先程、本棚を見ていたら、単行本が並列に並べた上に、
気になった雑誌を6冊を載せていたので、この中の一冊をどうして保存していたのかしら、
と思いながら手に取ったりした。
中間小説の月刊誌の『小説新潮』で、2008年11月号であったが、
特集として『鉄道百景』であり、今は亡き紀行作家の宮脇俊三さんの単行本未収録短編2編が
掲載されていたので、
私は保存していた、と私は解った。
そして何故かしら、栞(しおり)が本書の中に入っていたので、
このページを開いたのである。
この当時鉄道紀行作家として溌剌としていた酒井順子さんが『こだま号の女』と題し、
東京から博多までをこだまを乗り継いでスロー旅の紀行文であった。
この中に、私が赤マジックで罫線を引いていた。
この綴りの中で、豊橋に停車した後、三河安城を過ぎると、
《 なくしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ 》
とセロテープを製造されているニチバンの工場に巨大な看板が観える、
と綴られていたのである。
この箇所を私は赤マジックで罫線を引いていた。
私は3年ぶりぐらいで罫線の文を再読したのであるが、
人生の苦楽をさりげなく込められたコピー文・・
巧(うま)いなぁ、と瞬時に感心し、まぎれなく名コピーと思ったりした。
そして、社内の企業コピーの応募コンクールに於いて、
この工場に勤めいる男性社員が、人生の苦楽が解かりはじめた方が発想されたのかしら、
その上で、感性のある会社の首脳部のひとりが、認定されたのかしら、
と高齢者2年生の私は微笑みながら、感じたのである。
下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪



世の中にはコピーライターという職業がございまして。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E7%95%91%E8%B2%B4%E5%BF%97
仲畑貴志氏という「コピーライターの神」と称される人が書いたコピーです。
世の中には様々な名コピーがあり、コピーライターも個性があります。いろいろと感じられるものがあるかもしれませんね。
>なんとなく見つけましたので、なんとなくお知らせします。
>世の中にはコピーライターという職業がございまして。
>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E7%95%91%E8%B2%B4%E5%BF%97
>仲畑貴志氏という「コピーライターの神」と称される人が書いたコピーです。
>世の中には様々な名コピーがあり、コピーライターも個性があります。
>いろいろと感じられるものがあるかもしれませんね
初めまして・・。
ご親切な未知の御方・・偏(ひとえ)に感謝致します。
先程、添付して下さいましたウィキペディアで、仲畑貴志(なかはた・たかし)さんに関することを学びました。
そして《・・糸井重里や川崎徹などと共に広告業界から頭角をあらわし、
コピーライターブームの立役者となった一人として知られる。
「コピーライターの神様」と称される。・・》
そして《・・1972年(昭和47年)にサントリーが設立した広告制作プロダクション、サン・アドに入社する。
最初はサン・アドに一足早く入社した西村佳也と共に、上司であった品田正平によるコピーチェックの洗礼を受ける日々が続く。
品田の役割はクライアントに広告のゲラを納める役割であった為、コピーのチェックが重要責務であったこともあって、
仲畑本人が書いたコピーを読んではボツ・・が幾度となく繰り返され、完成までは締め切り関係なし、という厳しさの中でコピーを書き続けてゆく。
やがてサントリー角瓶の新聞広告等でその実力を発揮し、1977年(昭和52年)には「角÷H2O」でTCCクラブ賞を受賞。
1979年(昭和54年)にはソニーのウォークマンやサウンドセンサーIIなどのコピーも担当するようになり、
文字通りの売れっ子コピーライターに成長する。
1981年(昭和56年)にサントリー・トリスの子犬が京都の路地裏を駆け巡るCMの企画・コピーを担当し、カンヌ国際広告映画祭金賞を受賞。
これを機に同年サン・アドより独立し、フリーとなり仲畑広告制作所を設立。
翌1982年にはTOTOのウォシュレット発売キャンペーン広告に携わり、話題を集めると共に、
以後TOTOが発売する商品のキャンペーンクリエイターとして活躍する。
(このTOTOウォシュレットの成功に伴い、仲畑広告制作所は乃木坂に在するTOTO乃木坂ビル内にオフィスを移している。
またTOTOが九州発祥の企業であることなどの経緯もあってか、
その後もJR九州や岩田屋など九州を本拠とするの企業の広告を多数手掛けてゆく。
1988年には、爆発的反響を呼んだソニーのウォークマンでニホンザルのチョロ松が目を閉じて音楽を聴き入る姿を映したCMなど、
CM企画にも数多く関わってゆく。(略)・・》
こうした略歴を学んだ後、『これまで手掛けたキャッチコピー』を読みながら、
何かと無知な私でも、数多く知っている、と独り微苦笑させられた次第です。
改めて、貴重なコメントを頂き、感謝する次第です。
ココロに残っていらっしゃるようであれば、
かような世界もあることお知らせしたく
コメントした次第でございました。
また、中畑氏が書いたコピーではありますが、
通常あれほど大きなサイズの広告の決定においては
文中仰せのように
件の【会社の首脳陣】が認定されたことは
ほぼ間違いないものと推察いたしますので申し添えます。
私が最近好きなコピーは
「人生は、夢だらけ」
どうぞ、ご健康で、夢多き人生を過ごされますよう。
>もし数年間、例のコピーが
>ココロに残っていらっしゃるようであれば、
>かような世界もあることお知らせしたく
>コメントした次第でございました。
改めて、貴重なコメントを頂き、感謝する次第です。
>私が最近好きなコピーは
>「人生は、夢だらけ」
>どうぞ、ご健康で、夢多き人生を過ごされますよう。
私は何かと無知なことが多く、先ほどネットで『人生は、夢だらけ』を検索しまして、
かんぽ生命の企業広告にも使用されているフレーズと初めて知りました。
お若い方には、これから人生途上で夢あふれる思いがたくさんあると感じ、
素敵な言葉だと深く感じた次第です。
私は恥ずかしながら、今年は年男のまもなく下旬に誕生日を迎えると満72歳を迎える身です。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしています。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしていることもあります。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている次第です。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてたりしてきました。
このように年金生活を丸12年近く過ごしてきましたが、
やはり『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』と思ったりしている次第です。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わなくなりますので、
私は何よりも認知症が怖くてひたすら日々歩いたり、そして熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、年金生活を過ごしている次第です。
改めて、今後ともよろしくお願い致します。