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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

他の人の痛みへの「想像力」が、鍵!

2017-07-04 20:12:48 | 日記

   「わけあり記者」という本を読んだ。新聞記者として大活躍した記者が、やがて「過労でウツ、両親のダブル介護、パーキンソン病に罹った私」になったということで、カッコないが副題になっていた。

   仕事柄、これでもかという不幸に見舞われている人には接することの多い私。
   でも、これはかなり悲劇的だな、と思って内容をみたくなり買ってみた。

   先日も実は「感動ストーリーズ」の「愛すればこそ」という本の中で、自閉症の息子とうつ病の妻を抱えて仕事も頑張り東レの社長になった佐々木常夫氏の話に、凄い!と思ったのですが・・・これはさらに自分も2つの病に襲われながらというのが凄い! 思わず副題を読んで、買ってしまった。

   本当に、世の中には苦労の種が尽きず、いまや高齢化社会で老人問題はだれにでも付きまとい、精神疾患を抱える人も多くなり、そうした家族を抱える人は非常に多い。ダブル、トリプルに問題を抱える人は少数でも、多かれ少なかれ身近に人々がこの問題をかかえる昨今である。

   まさに身近な問題として読んでみて、みつけた2つの貴重なメッセージについて、今日は皆様にもお伝えしたいと思います。

   私としては初めて聞く言葉「クラッシャー上司」によって、三浦記者はうつ病を発症したというのだが、それについてこうコメントしている。

  <「クラッシャー上司」というのがなぜ出現するのだろうか。そんな周りの人材をつぶすような人間は、そもそも偉くなれるはずがないではないかという疑問がある。実は、「クラッシャー上司は」は偉くなる前の現場では、誠に英邁闊達で仕事もできる上、後輩への面倒見もいい、実に尊敬すべき人間なのだ。(中略)一緒に現場にいていつも顔を突き合わせていたら、自分が命じたことで部下がどういう状態になっているのかは顔をみればすぐに分かる。無理をさせているなと感じれば休ませる。ねぎらう。アクセルもふかしながら、同時にブレーキも踏むことができる。だから組織でも偉くなれる。

    だが、偉くなって本社にこもり、現場が見えなくなると一変する。ブレーキを忘れ、アクセルばかり踏み込むようになったのだ。紙面は派手になったが、組織からは病人が続出した。暴走の果て、ついにはとんでもない大誤報も出してしまった。

    結局、見えないものに対する想像力が欠けていたのだ。部下の顔が直接見える範囲では配慮も行き届いたが、見えなくなった途端にできなくなる。  (中略)

    現場から遠くなると、人はそうなるものなのかとも思う。経験に自身のある人は、自分の目を信じる。その分、目に入らないものに考えが及ばない。眼に入らないものへの謙虚さがない。それを補うのが想像力なのだが。

    想像力に基づく経験と理性の融合。組織の上に立つ者に必要な資質をカントは(そう)教えてくれている。>  

   これを読んで、日本のトップにいるある人を思い出す人は多いだろう。彼は、秋葉原での都議選最後の応援演説に立って大衆から「帰れ」コールを浴びて、「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と、自身に批判的な聴衆を「こんな人たち」と呼んで非難。自分と意見の違う人の声は「国民」の声には聞こえない、聞く必要がないとする。まさに、まわりに自分に都合のいい人を集めて現場のようすから離れて現実をみない「はだかの王様」

   そして、周囲にもこういう人がいるのを、たぶんあなた自身も思い描いていることだろう。権力を握ると多くの人がかかる病。この病のお蔭で大本営の発した現場を無視した命令で、戦争中いかに多くの日本兵の貴重な命が奪われたことか。特攻隊、補給が十分でなく飢餓で亡くなった兵士、沖縄の自害を余儀なくされた住民たちのことなど・・・思い出して下さい。

   過去の反省を抜きにこのような人の動きを封じないでいると、過去の過ちを繰り返すことになると、多くの人が訴えている声に耳を傾けて下さい。
   あなたは、想像力を補うために戦争の時のことをしっかり振り返って学び、同じ過ちを起こさないように想像力を使える人になってください。私も、一生懸命、日々勉強しています。これから、8月にかけて全国各地で平和のイベントが毎年たくさんあります。そろそろ全国を縦断するいろいろな運動が長崎や広島などを目指してスタートし始めているはずです。戦争体験談や記録映画、写真展、いろいろなものに触れてみるよい機会です。

   さて、だいぶ長くなってしまいましたが、2つ目です。
   2つ目は、1つ目とは趣が違って、もっと具体的な人の情報でした。

  <(抜粋・概略) 本居長世(もとおりながよ)。聞いたことのない名前です。でも、「七つの子」「赤い靴」「15夜お月さん」は知っていました。
   晩年は不遇で、暮らしに困窮。病気になり敗戦2か月後に60歳で亡くなったという。不遇の理由は、軍歌を作らなかったこと。

   むしろ、日米の和を結ぼうとしたこと。「青い目の人形」はそのために彼が作った曲。かっての同僚や友人たちが次々と軍歌を作り、時代と適当に折り合いをつける中で、「僕は死んでから生きるよ」と語り、思いを語ることも少なかったという。>

   この話を読んで、「青い目の人形」の歌詞が胸に迫ってきた。何気なく歌っていた曲に込められた、人の思い。
   不遇の中で亡くなった本居さんの心が、私の中で強く鼓動を始めた瞬間だった。

   歌詞は野口雨情。「七つの子」「赤い靴」「15夜お月さん」を本居長世と共に作詞家として書いた彼も、軍国歌謡の時代となり放送の取締りがなされ、子供たちの歌も軍国主義化され、童謡は締め出されてきた中で軍歌の類を作ろうとしなかった。そのため活躍の場が次第に狭まり、疎開中の宇都宮で昭和20年に亡くなったとのことでした。

   やさしい歌を作り上げた2人が、軍国主義の嵐の中で、強く自分たちの信念を貫いた事実を知りました。
   優しさのもつ強さ。この世に報われなくても、死んでから生きる生き方。

   この2つのメッセージに出会えたこの本に感謝。
   他の人への痛み、自分以外の人に心を配れるやさしさを失わず、想像力を働かせられる人間でありたいと思ったことでした。

   人が見えなくなっている人は、自分の言いたいことをまくしたて、早口になる?
   人が見えている人、人を見ようとする人は、常に耳をすまし人の話を聞く。寡黙そうに見えてしっかり考えている。

   口はひとつ。耳は2つ。

   正しく行動する人は、耳が口の倍の数 自分たちに備わっていることをしっかり知っているはずです。

 *今日は残念ながら雨。お月様もさすがに見られず、イチローは代打で四球で出塁するも、試合は6対14で大敗でした。
  お月様、姿は見えないけれど、そこにいますよね。明日こそ、ちゃんと月パワーをイチローに届けてくださいね。
  お願いしま~~~~す!


   
コメント
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