felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

新聞販売の闇の話 

2018-04-04 00:36:39 | 日記

 ちょっと古いが、義母から戻ってきた文芸春秋3月特別号で目を奪われた記事があった。

 「新聞販売店主はなぜ自殺したか」(幸田泉)

 新聞の読者離れが進んで、新聞販売店の店主が苦境に陥っているという。そして、その中で「押し紙」という一般読者には馴れ初めのない言葉に驚いた。読者の数より多い部数を販売店に新聞社が買い取らせるのだという。どうして、そんなことが起こるか。その謎解きは、「折り込み広告」にあった。

 2008年のリーマンショック前までは、折り込み広告手数料が1部あたり月2千円ほど入った。そうなると、販売店が新聞を買い取る原価が、購入量が多くて原価を下げてもらって例えば月約千円だと、たとえ読者がいなくても販売店は新聞を買えば月約千円儲かったらしい。

 でも、それは不正だ。広告を入れて広告料を払っている広告主に部数を虚偽報告して不当な利益を得ているからだ。お金に踊らされて、このような仕組みで販売数を増やした販売店が、広告が減って経営ができなくなり、自殺者も出る事態となっているという。

 印西市議・山本清氏が、2017年市議会で新聞の部数偽装問題を取り上げたという。新聞に自治体発行の広報紙など税金で作成した刊行物を折りこみ、手数料を払っているが、それが「押し紙」の部数も含めて払われていたら、無駄遣いだとしたのだ。印西市の折りこみ委託料の仮に3割が押し紙で捨てられていたら、年約300万円の損害となる計算だ。山本市議の追及はまだ継続中らしい。

「折りこみ広告廃棄の罪は深い」と漏らすある元販売店主は、本当に心が痛んだのは選挙の証紙を張った法定ビラも廃棄したことだったという。

 お金に操られる人間は多い。ただ、ひと時お金が入り喜びを味わったとしても、その幸せは長続きはしないものだ。それで、幸せを手にできる人はいない。そんな当たり前なことが、当たり前に進まない世の闇がある。怖い。

 この記事の最後には、千葉県の例をあげて、読者の立場に食料品販売など店独自のサービスで、景品をださなくても読者と強く結んで生き残って行けるとする明るい販売店の話で締めくくり、販売店の将来の展望を開いている。が、それにしても、官僚の自己保身のための文書改ざん、噓と真実隠し、一流自動車会社のデータ改ざん等を思い起こすと、日本人はこんなんで大丈夫なのだろうかという思いに駆られた。

 ちょうど今、ペシャワール会の中村哲さんの「天、共に在り」という本を読んでいるが、1度しかない人生をどのように人は送るべきなのか。多くの人に、中村哲さんの生き方に学んでほしいと思った。

 自分の利益だけを追い求める人間には幸せは来ない。そのことを肝に銘じて、生きていきたい。

 桜の季節が過ぎ、私の住む街では梨の白い花が目立ってきた。車窓から白い花のじゅうたんが見られるようになってきた。

   

  そして、月は今日もきれいな姿を現して、人々を空から見守っている。

         

    「大事な命、楽しく、人々と幸せを分かち合って生きていきたいよねっ」空で、お月様も微笑んでいた。

     今日のお月様は、こんなお伴を連れていた。木星だぁ~

               

     月や星や、花に負けないように、人間も美しく生きたいものだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする