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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

雲の中の月をみつけたっ!!!

2023-02-02 22:36:02 | 惑星・天体ニュース

  今日は、ちょっと雲がかかったような天気。なかなか月をみつけることが難しく、暗くなってきたら見えてくるかな?と待っていました。

  そして、外に出たのは、17:50。

   

     もう、かなり高い空にいるかなと見上げると、雲がいっぱいの中で、白い部分がみつかりました。微かに丸い輪郭を捉えられたお月様です。でも、これではお月様かどうか分かりませんね。

  「お月様、もう少し雲から出てこれない者かしらぁ~」と声をかけると、「大変なんだよ、雲がいっぱいなんだ」とお月様の声。

でも、思いの外、寒くなかったので、少しまってみました。でも、なかなか雲からでられないようでした。「まだまだ時間があるから、後でまた見に来るから、その時はしっかり姿をみせてね」と、声をかけて、すっかり用事をすませたりして、10時になろうとする頃に、そっと外を覗いてみました。すると、お月様は、グッと上をみるような天頂近くまで移動していました。

   さっきより、雲に隙間がありそうでしょうか。明るいところにカメラを向けて待っていると、雲の中から、かろうじてお月様が顔を出してくれました。

   <21:54>

     もうひと息、頑張って姿をみせてくれないかなぁ~。お月様も、白い息を吐きながら頑張ってくれているように見えましたが・・・

     <21:56>

    「もう、今夜は、これが限界ですぅ~」と言ったかと思うと、みるみる雲の中に潜り込んで月明かりも見えなくなってしまいました。

    それでも、今夜もお月様にどうにか会うことができました。ありがとう!

    ところで、今日は、東京新聞にシベリア抑留経験のある97歳の小池さんの記事が心を打ちました。97歳なのに、矍鑠としていらして、インタビューに答えた話は明晰そのもの。貴重な体験談を多くの方に伝えたいという思いが伝わってきました。

    東京新聞は、こういう大切な多くの人に伝えたい記事は全文をネット掲載するというのを社是としているのか、ココから、記事の全文が読めるようになっていました。東京新聞に感謝!!!

   一九四二年、「十町歩(約十ヘクタール)の土地をもらえる」と希望を抱き、開拓団員として満州国の「駅馬村」に一家で入植。豊かな土地だったが平和な暮らしは長く続かず、四四年、関東軍(満州国駐留の日本軍)に召集され、ソ連との国境地帯で塹壕(ざんごう)掘りに明け暮れた。 所属部隊は四五年八月二十日、黒竜江省・孫呉付近でソ連軍と激戦となる。既に終戦を迎えていたが指揮官はデマと否定し、戦った。防戦一方で、塹壕で戦友は眉間に被弾、即死した。

    二十三日にソ連軍の捕虜となり、シベリア東部のアムール州・ライチハのラーゲリ(収容所)に送られた。露天掘り炭鉱の掘削作業に動員された。食事は黒パンと雑穀入りの薄いスープだけ。「とにかく空腹で参った」

    外では、足踏みを続けないとすぐ凍傷にやられてしまった」と振り返る。駅馬村も寒冷地だったが「普通の防寒着でしのげた。シベリアはその比じゃなかった」

 四八年に入るとソ連の農業生産回復で食料事情はかなり改善されたが、なかなか「ダモイ(帰国)」の声はかからなかった。四九年の夏を迎え五回目の冬を覚悟したとき、帰国を告げられた。引き揚げ船が京都・舞鶴港に近づき、海岸に立つ竹林とクロマツが視界に入り「日本の風景だ」と喜びをかみしめた。
      
    日本人がソ連の非人道的な捕虜処遇により被害者となった。それがシベリア抑留。ただ「旧満州で日本人が中国人の土地を奪った加害者であったことを忘れてはいけない」とくぎを刺す。
 
    ロシアによるウクライナの住宅や民間施設への無差別攻撃、発電設備などが破壊され、電力不足で十分に暖房を使えない。そんな報道に触れるたびに「民間人を巻き込むのは間違いだ」と怒る。
 
   「剣で治めた者は剣で滅びるのが歴史の教訓で、かつての日本がそうだった」 
    
ソ連の対日参戦で関東軍は敗走。開拓団員は見捨てられる形となって約八万人が死亡し、多くの残留孤児を生み出した。
     
       *東京新聞のオンラインの記事から抜粋して転載。
  
私は、実はシベリア抑留の経験のある方を知っていて、その方の書き残した本も読んでいたので、シベリア抑留については知っていた。ちょうど今年は北の地方が非常に寒く、-50度以上の極寒の環境にいる人々の生活をテレビでやっていたので、その寒さに飢えを加えたシベリア抑留で多くの命が失われたことを実感できた。そして、この記事で、小池さんが伝えた、「日本は被害者だけでない。加害者であったことを忘れてはならないということ」「剣(武器)で平和なんか得られなかった。日本はそれを経験して知っている。もう繰り返すな」というメッセージは強く心に残った。
 
過去の事実に眼を背けずに、よく過去から学ぶことで、人は同じ過ちを避けることができるはずだ。日本人は、1986年のチェルノブイリの悲劇から学ぶ事をせずに、地震大国に原発を40以上も稼働させ続ける一方で、安全対策をおざなりにして福島第一原発の事故を招いた。大地震により、想定以上の高さの津波の可能性が警告されていたのに、もう少し調査が必要だと東京電力は津波対策を先延ばししていた。対策費用が膨大になるのを怖れてケチったばかりに、膨大な被害を防ぐ手立てをしなかった東電の過ちは大きい。それを許した政府の政策も間違いだ。
福島事故は、チェルノブイリや、地震学者たちの警告に耳をかしてお金を惜しまず対策をしていたら、防げた可能性が大きい人災だった。
 
過去に学ばないと、戦争の過ちを繰り返す日本になる。小池さんの話によく耳を傾けてほしい。
コメント (2)
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